雑記、その他(ほぼ日記)の最近のブログ記事

すさましい崩落

| コメント(0) | トラックバック(0)

おそらく3月11日の地震で崩落したと思われる岩舟山である。大平山からの縦走に、ほんの少しのスリルが味わえる・・と言う事でハイカーにには人気があった山であるが、完全に形が変わっていた。ここ小山市からは車で15分くらいの所にある山で、昔は孫悟空のテレビドラマの撮影などにも使われた山であるが、地震の規模に大きさをまざまざと見せ付けている。知る人、或いは登ったことのある人はは相当驚くだろう。正に身の毛が逆立つ思いがした。栃木県にも地形が大きく変わったところは幾つかあるようだ。特に県北の山間部にはいたるところに、地震の影響が深く根を下ろしているようだ。

Image498.jpg

休みの無いのは・・

| コメント(0) | トラックバック(0)

9月30日間で、がんばって営業すのは良いが、さすがに54歳となると体がきつい。今日は、午前中に娘を病院に連れて行った。微妙な感じなのだが、思秋期外来管轄である。ストレスを与えたのは僕たち親の責任でもあるが、何とか長期間の療養で普通になってほしいと思う。今日も医師に「5年~10年と言う時間をかけて治して行きましょう」といわれた。責任を感じる・・・。

午後はマットの修理と、雑草の駆除と、掃除・・といってもほとんど次男にまかせっきりのボランテイァであるが、すこしづつ、できる所はきれいにしてゆきたいと思う。

今日、はじめて栃木県の被災状況がテレビで映し出された。益子町という陶器の町であるが、陶器を焼く釜の90%が震災で破壊され、町はいたるところで瓦礫の山である。ここから30キロくらい北西であるが、かなりひどい状況である。窯元の人が言っていたが「太平洋がわの被災状況のことを考えると、こんな程度は被災とは言いにくくて・・苦慮した」という。確かに震度6の地震災害のみであるから・・・とはいえ、悲惨な状態である。栃木県は災害指定を受けていないので、国が復興を手助けしてくれないようだが、一部の地域では相当な被害が山積している。

嘗て阪神大震災の時、瓦礫が栃木県にも相当持ち込まれたが、今回の瓦礫はどこに持ち込まれるのだろうか、また、どんな方法で瓦礫を処分するのであろうか・・・復興への道のりは地震災害の残骸で毛でも相当な量になる。底に津波、さらには福島原発・・・確かに長期的な展望で取り組むしかないような気がする。

休みが無いのは、僕だけの問題ではなく、被災した全ての人に当てはまる事であろう。僕はあえて思う。そんなにあせらず、そんなにがんばらず、そしてそんな無理して団結することなく、自分たちのできることを、自分たちのできるスタンスで行ってゆけばよいのではないかと思う。

あんまりがんばると、壊れてしまいそうな気がするからだ。相変わらず地震は頻発している。

背中が丸い

| コメント(0) | トラックバック(0)

最近の首相は、発言時にしたwくぉ向いたままである。多くの問題を抱えて大変なのであろうが、背中が丸いと小さく見える。言葉にも力が無く、棒読みに見受けられる。信念をもってみんなの意見もう聞いて、しっかりとした舵取りをお願いしたい。

震災の影響は未だに濃く。復旧に向かっている・・と言う感じを受けにくい。まだまだ、あらゆる事が模索常態のような気がするが、今日の雨の冷たさも骨身にしみる。

地方選挙もたけなわである。「強い日本、未来のある日本を作りましょう」という演説がむなしく聞こえるのは、僕の心が曲がっている性なのか、選書に出馬していす人は心が入っているのpか?就職演説をしているようで、何も伝わってこない。

伝わってこないのは、官房長官、首相の言葉も同じなのかもしれない、まるで「いつでも、こだま・・」誰かの詩のようにも思える。やはり言葉の中に心が見えない、一生懸命は解るのだが・・・。

クライミングをしている子供たちの背中は伸びて凛としてきた。悔しさに顔がゆがんだり、目に涙を浮かべたり・・大会前の練習は、すこしきつさを増している。彼らは前を見て練習している。大会に出ない小学生は「いいえ、いいえ」を繰り返し、まったく僕の指示を聞かない。いい感じで成長している。

背筋を伸ばして、今、そこにある困難に一団となって、立ち向かいたいものである。

寒い熱いを繰り返しながら、季節は春を迎えれいる。軒下の草は背を伸ばし、青さを増す。まったくたくましい。かっこよく生きるより、こんな草木のようにたくましく、はつらつと生きたいものだ

今日は夕方、第一回高校生クライミング選手権で見事に高校生チャンピオンとなった細田匠君が3年ぶり?くらいに現れた。彼とはじめてあったのは、彼が小学5年生?くらいの頃だったと思うが、なかなか芯のある子供であった。中学時代はだれでも経験する青春の門に出会ってしまい、良く人生相談に乗っていたような、彼の避難場所がここだったような・・そんな付き合いであった。中学時代は一応野球部に属していたが、ロッククラフトの小山店には相当出没していた。彼が高校生になった時にはロッククラフト川越がオープンして、そちらに通っていたようだ。就職先が小山の近くなので、これからここに来るようだ。今年はコンペには参加しないというが5.14の中盤を責めてみたい・・という。かなり力をつけているようだ。確か、彼が中学1年生の時のJOCの後くらいだったと思うが「中学は野球部に入ったのでそれを続けながらロッククライミングをします。そして高校生になったらロッククライミングに集中して、卒業までには1番になりたい」といっていたが、その通りになった。正に有言実行形の少年であったが、今日みた匠君は素敵な青年なっていた。5.14に中盤を狙うクライマーの僕は何も教えられないが、何かの援助はできるかもしれない。ロッククラフトの小山店も違う刺激に満ち溢れそうだ。確かに中学時代は相当な小言を言った記憶もある。何を彼に教えたのか・・と言うより、彼が人生の岐路のさしかっかった時に僕に自分の意思を伝えに来てくれることは素敵な事だ。

「ま、コンペだけがクライミングじゃないから、そういう道もいいんじゃない」と後押ししておいた。「営業に痛いんですけれど」と言うので「OKだよ」と言って置いた。今すぐ世界へ・・という環境には無いが、彼が世界に行くのならささやかん応援はしたいと思う。

話は変わるが、先週はナマコ(海鼠)は生物か否かという議論がここで巻き起こった、問題を提起したのは僕なのだが・・問題の発端はあるテレビ番組での話がきっかけなのであるが、消化器と生殖器しか持たない生物、しかも天敵に会うと内臓の全てを肛門から掃出し、皮のみになってしまう。しかし、3ヶ月もすると再生する・・という生物は生物学上どの位置に属するのか、みんなで考えよう・・と言う話だったのだが、なかなか面白い話であった。

嘗てウニ(雲丹)とは何か?と言う事を考えた事があるのだが、雲丹を考えるきっかけはアリストテレスのランタンと呼ばれる、口の骨格構造に哲学なるものを見いたし、その4億年の歴史を考えた事が発端なのであるが、4億年も雲丹という種が継続している事に、僕は驚きを禁じえなかった。その前は「ゴキブリ」その前は「世界で一番美しい幾何学をを描くクモ(蜘蛛の糸)」を考え続けた事があった。確か蜘蛛は1億数千万年前から独特の幾何学模様の糸を張る。

同じようにゴキブリとは何か・・を考えた事がある。ゴキブリとはゴキブリ目のシロアリを覗くもの全てがゴキブリであり世界に400種いじょう存在し、その始まりは3億年以上前なのである。

何故。雲丹やゴキブリ、海鼠などを考えたのかと言うと、人間の歴史は400万年位しかないのに、彼らは1億年以上も前から、蜘蛛であり、雲丹であり、ゴキブリなのである。その歴史の長さは人類の100倍にも相当するのだ。どちらが霊長なのかといえば、僕は生物としての生き方を人に学ぶよりゴキブリや、雲丹、蜘蛛などに学んだほうが良いのではないか・・と思ったことがある。

「アリストテレスのランタン」とは、ギリシャの有名な哲学者であるが、彼は雲丹の研究も盛んに行っていたのだ。雲丹の口の骨格がランタン(提燈)に似ていることから、雲丹の口はそう呼ばれているようだが、哲学者の多くは、一見奇妙に思える生物や自然現象に深く注目しているようだ。

そういえばドイツの詩人ゲーテがこのように言っている

人間は、人間以外のものに興味をしめさないものである。

人間は過ちを犯してこそ人間であり、過ちを犯していないものがいるとしたら、それは人間の形をした形象にしか過ぎない

山と谷を越え、迷いに迷いをかさねたのち、再び広野に出るが、そこはまたあまり広すぎて、いくばくもなくまた新たに迷路と山を求める

などなど・・・彼の作品は全ての言葉が、格言となっている。数え上げたらきりが無い。

自然が作り上げた山、それはたった一つに小さな石から始まったのかもしれない。人間が山に登るのは、たった一つの石からさえも真理を見出せないからなのかもしれない。

誤りを見つけることはやさしい、誤りは表面にあるからだ、しかし、真理とはその存在の奥底に沈み、決してその正体を表さないものなのだから・・と

そう考えると、このクライミングジムにいて、このホールドと言う石をどのように握るべきかを考える事はソクラテスのイデア論を考える事と同等な作業に思えてならないのは、僕が凡人なのだから・・なのだろうか・・・・・。

 

退院・・?

| コメント(0) | トラックバック(0)

真っ赤な嘘に気が付かず、アクセスした相手が悪かったのが原因だったようだ。パソコンは無事退院した。しかし、書きかけのブログは感染していたのか、どこにも見当たらない・・・あのブログは永遠に取り戻せないのだ。

さて、今日は大学時代の友人がはじめてロッククラフトを尋ねてきた。「まさかこんな事をしているとは思わなかった」と言われたが、自分でも「まさかこんな事を知るとは思わなかった」のである。運命とはどこで転ぶか解らないものである。友人もクライミングなどアウトドア系スポーツの会社を経営しているんだが、今度はクライミングジムの経営に乗り出す可能性もあるようだ。もともと彼は僕よりもはるかに凄い可能性を持っていたのだが、雪山で遭難者を助けるために膝のじん帯を全て切断してしまったのだ。一人の命を救う事、その代償が世界の未踏の岩壁から足を洗わざるをえなくなる事という代償を背負ったわけだが、そんな運命を恨むことなく、淡々と生きている。凄い事だ。

そうこう言ってる矢先に、また、大学時代の同級生から電話があった。彼は心理学科で僕は良く彼に呼び出されて検体にされていた。恋愛上手でイケメンである。そんな彼もいろんな運命に翻弄されているようだ。あれは確か、大学を卒業した頃だったと思うが、結婚を前提に付き合っていた彼女と二人だけのデート・・と思いきや、名古屋駅前の地下街で偶然に会ってしまい、深夜まで3人で・・・・で。二人だけの夜が3人での夜になってしまった・・という苦い思いでを思い出してしまった。今は日本インテリアデザイナー協会で仕事をしているようだが、50台の半ばでも、相変わらずいい男である。

彼も苦節の人生を歩まなければならない試練を味わったようだが、僕は彼を尊敬している。その気持ちは今も変わらない。

あえて言わせてもらうなら、神様は、だれにでも試練を与えるのではなく、超えられる人にのみ選んで試練を与えるのだ・・・と。

僕たちの共通の先生は今年の3月31日で大学を退官されたが、何時も口癖のように僕たちを叱咤してくれた言葉を幾つか紹介したい。

青年こそわが教師

逆風こそ順風

たかが山登り、されど山登り・・・

50台はの人生が順風などと思うことこそ生き方の矛盾ではないのだろうか、常に試練を与えられ、そしてその試練に立ち向かい精神と肉体を育む事・・それが登山思想の本質でもある。

僕は今改めて思う。僕たちは良い先生と出会えた。先生も「あの頃が教員生活の中で一番楽しかった」といって下さった。

そして僕は更に思う。僕は大学時代によき友人と出会えた。

何もできないが、お金で済むものでもなく。有名になる事が人生の目的でもなく、長生きする事が幸福でもなく、良い人生とはいえない。

先生はこうも言っていた。

野に下れ、大学の研究室でアカデミズムに没頭する事は、教育ではない。地域に根ざして子供たちと互いに育みあう事こそ、真の教育なのだ・・と。

時々ブログに書くのだが、僕の読者に大学時代の同級生が存在していたなんて、今日まで知らなかった。

うかつな事は書けないが、人を思う気持ちがあれば、人生は大きな収穫である。これからの人生も、あえて困難を糧として、生きてゆきたいものである

友情の重さ軽さを思い知らされた、4月14日であった。

色々考えた1ヶ月

| コメント(0) | トラックバック(0)

3月11日から昨日現在まで、東日本中心に12000回も地震があったらしい。1日あたり400回の計算になるが、ほとんど揺れているのである。その回数には驚いた。

あんまり驚かなかったのは、原発の事故がレベル7に引き上げられて事である。4基も壊れたのだから・・しかし、放射線の放出量はチエノブイリの1割程度で済んでいる。それはかかわっている人の努力の賜物だと、僕は理解している。

僕の自宅の被災は、テレビの買い替えだけで我慢する事にした。今年もエアコン無しでがんばろう。冷蔵庫も買いだめをせず、毎日買い物に行く。洗濯はいつもの通り夜と早朝に限る。節電であるがいつもと変わらない日常である。

会社もエアコンは最小限で済ます。暑さ寒さになれる体にすると、脱電気生活に慣れるかもしれない。

そもそもスポーツにおいて冷暖房完備の施設は日本くらいであろう。世界は自然そのままで試合をしている。

子供たちは必ずしも電気文明に染まってはいない。むしろ大人のほうが便利さになれてしまっているようだ。汗をかくことは素敵な事だし気持ちが良い。

昨夜の地震はたまたまスクールの時間帯であったので、避難練習にもなった。子供たちは真剣に僕の話を聞いて、実行してくれた。たくましさを感じる。

感じる・・と言えば、もうすぐ大会が頻発する。調整というより登り込み、スタミナ作り、ムーブ洗濯の手順などを説啓したりもするが、ほとんどの生徒が自分流??それも良い事なのかもしれない。

しかし、人間は伸びる時には、伸びるものだ。練習は本当に裏切らない。試練は本当に、乗り越えられる人を選んで神様が与えているような気がした。

今日は、久しぶりに忘れ物が少ない。メガネもあるし、携帯電話もある。マスクも目薬も・・・。

天気も良いし、桜も見事に咲き、北風がすがすがしい・・・

きっと、日本の明日はいい日になる

 

忘れ物

| コメント(0) | トラックバック(0)

昨日は、携帯、メガネ、目薬、花粉症の薬などを忘れて会社に来てしまった。ので、娘に連絡できない。字が読めない。涙目でくしゃみをしてばかり、花粉症は頭が痛い。今日も携帯を忘れてしまって、電話ができない・・・。電話帳は携帯電話なのである。おまけに昨日から、パソコンの調子が悪いし、メールの受信障害などもある。震災の影響で電波時計は結構狂う。原発の状況も心配だし、かといって過剰に反応していけないと平静を装うが、なぜか夜は眠れない。直接現地に入った人からのいろんな生の情報が、この災害の大きさ、深さを教えてくれる。

自分にできること・・・それは、いつもと変わらず、強い子供を育成する事・・と、思いながらも微妙に揺れる自分の心が情けないやら・・・。人間は強くありたいと思うのだが、弱い生き物なのかもしれない。文明に依存しなければ、とうの昔に絶滅していたのかもしれない。しかし、文明への依存度が高い国は全人類の10%にも満たないかもしれない。弱くなったのは戦後の復興で強い経済力と科学文明を手に入れた日本人の代償だったのかもしれない。

僕たちが戦後の復興で忘れたものを、東日本災害は教えてくれたのかも知れない。この1ヶ月、大人のひ弱さとは対照的に、子供たちのたくましさを感じるのは、僕の思い過ごしなのだろうか。子供たちのために・・ではなく、ひ弱な大人たちのために、子供は、ただひたむきに壁を登り、困難なルートにへの挑戦を怠らない。

そういえば、ふと思い出した。青年こそ、わが教師・・と、教えることより教わる事の重要性を、大学時代の恩師は言っていた。

その先生も、3月31日付けで大学を退官した。様々な思いを胸に、人生を省みた事だろう。一方、強いものに国民は反応するのか? 石原さんは4期目を圧倒的な強さで迎える。76歳は高齢であるが、彼の強さに国民は期待しているようにも思う。あの時、彼を総理大臣に推していれば・・・とう世論が無かった事をすこし悔やむが、首都東京の知事として日本のあり方(国政にも)にも強い指導力を発揮しそうな気配である。

歴史とは、人物を生むのだが、時には、人物を埋没させてしまう。良きも悪しきも、国家の指導者と民衆はバランスの取り方で揺れるものだ。揺れず、ぶれず・・と行きたいのだが、そうも行かないのが自然の摂理なのだろう。

あえて元気を鼓舞せず、あえて復興にこだわらず、新たな方向性を自然体で見守りたいものだ。

萌し・・・

| コメント(0) | トラックバック(0)

どんなに未曾有の災害でも、生命は息吹を見せる。その営みは地球の誕生と同時に始まり、46億年もの間持続している。生命とはすばらしい活力を持っている。私たちが抱える今回の災害にも必ず復興に糸口はあるのだ。

昨日、次男坊と話をした。「半年間、休みなしだと大変なので、会社を手伝いたい」という。今までも毎週2回くらいは店の掃除を手伝ってもらったが、ジム全般にたいしてサポートしてもらおうと思う。小山で有名なラーメン店で2年間修行していたのだが、そこが長期間閉店に追い込まれた事も、ロッククラフトを手伝おうと思った背景にあるのだが、もっとも大きな理由は、僕がここ4年間に何度か入院したリ、救急車で運ばれた事も、手伝う理由のようである。{少なからず、頼られているんだな~」と僕は安心している。高校2年の娘も、アルバイトを探している。学費くらいは稼ごうと言う事らしい。長男は奇想天外な人生の進路を見つめている。大学を辞めて、脚本家の道を進むという・・僕の息子らしい、とお客さんには言われるが、どうなのかは皆目つかめない長男の動向である。我が家にも、何らかの兆しが見受けられる。

クライミングにも様々な萌しが見受けられる。楽しいだけのクライミングから、県や日本1を目指すもの、世界を目指して、また最初から取り組もうとするもの・・・単に健康を目的にするものなど、様々な利用者が様々な思いを胸に、復興しようという萌しも見え隠れする。

昨日は、科学史についての講義のようなレッスンをしたのだが、トマス・クーンの「科学革命の構造」と言う本を読んだことのある日本人と始めてあって、僕は興奮してしまった。

クライミングという運動には、科学的な根拠も必要だが、クライミングという行為の歴史観なども必要なのである。科学は常に正しいのか、或いは人間の思惑とか論理は自然界の摂理に近いのか遠いのか・・・という考え方を、クライミング運動を軸に検証しながら進めた2時間のレッスンは、教える側には楽しい授業であった。

すなわち「この運動には持続可能性があるのか否か」と言う事を考えながら、推し進めるレッスンである。そのようなレッスンは、基盤にあるものが無ければ推し進められないのである。

一方、昨日かなり親しい知りあいが脳梗塞になり、クモ膜下出血を併用して入院したという知らせを。、奥さんから知らされた。まだ40代前半である。僕の仕事を「無謀だ、健康管理ができていない」と指摘していた彼が・・・である。運命の数奇なるものを感じずにはおれない自分がいる。

 

僕は再び思う

難とは、越えられる者にのみ、神様が与えるものだ。という事を・・。

困難が与えられない事を喜ぶより、困難に直面する事を由(よし)と前向きに捉える人を作る事が、僕の仕事であると、思い直したのであった。

 

試練とは

| コメント(0) | トラックバック(0)

神様は、決して乗り越えらない人に試練を与えない。乗り越えられる人にのみ与えるものなのだ・・・と言う言葉が頭の中をよぎった。

そう考えられるようになったのか、それとも、自分たちに与えられた今回の試練に立ち向かう勇気が自分の中で芽生え始めたのか。名言だな~と、自画自賛していたら娘に「いい言葉だね、でも、時々テレビでだらかが言ってるよ」と言われてガ~ンと頭を叩かれたような気がしたが、良い言葉である。どこかに出典(名言の由来)があるのではないかと調べていたら、確かにあった。新約聖書の原典にあるようだが、自分では読んだ記憶が無い。三浦綾子の小説の中にもそんな言葉があったらしい。へーとーベンも耳の聞こえない試練を「乗り越えられる試練」と考えていたようだ。

そう考えると、いたずらに不安に心を惑わされるより、逆風に果敢に挑戦することは大切な事だと思う。東日本が受けたダメージは計り知れなく大きく、深く重い。しかし、日本人には超えられることができるから、神様が与えたのだ・・・と考えると、前向きになれそうな気がする。

豊かで平和だった日本が、一夜にして日本の歴史上最大の災害に見舞われた・・と思うのは、我々の歴史認識においてのみの災害であって、本当の歴史には、もっと凄い歴史もあったのだ。

3月11日に受けた栃木県の被害状況は、3月24日現在死者4人、負傷者126人、全壊住宅120棟、半壊住宅1024棟、一部破損住宅28817棟。農地農用地設備被害41億7000万円(311箇所)、森林関係被害19億4000万円、公共土木被害40億3000万円、農作物関係費外15億7000万円などなど、被害金額がわかっているだけで、110億円を上回っている。

困難とか試練は、乗り切る力を持っているものに、神様が与えるものだとしたら、前向きに捕らえたいものだ。

それはスポーツにおいても、同じことだと思う。真のアスリートは「試練を困難とは考えない」のだ

昨日、大学のOB会の報告書が来たので読んでいたら、仙台に在住のOBの所在が不明とあった。関東以北のOBの所在を気にしていたようだったので、お~っと思い、先生に元気な声を・・と思ったが夜の八時を過ぎていたので・・遠慮しながらの電話となった。先生は3月31日を持って退官された。74歳であるので名誉教授をおやめになったのだと思う。特別な日に偶然の電話となったが、いろんな心労から開放される矢先の災害となってしまったようで、新たな心労が重なっているようだ。元気な声は聞けなかった。

僕は先生の奥さんと長話になったが、栃木県の被災の話は全国には伝わってはいないようである。確かに、栃木県の多くは何も変わらない。しかし、様々な災害の影響には寝の深いものがある。そんな話をしていたら、大学時代の同級生からメールがあった。福島に出張のようで、僕の顔を見に来るという。20年くらいあっていないが、悪友というか・・一緒に海外遠征にもいった山仲間でもある。彼はすぐれたクライミングの才能を持っていて僕は足元にも及ばなかったが、彼は遭難現場に居合わせ体を張って滑落者を助けたのだが2次災害に合い、膝のじん帯を全部断裂してしまい、クライマーとしての人生を棒に振ってしまったのだった。その場に僕もいたのだが、現場では何事も無かったように振舞っていた。他人の命を助ける代償が彼の人生を変えたのだが・・・・・。相当な葛藤があったのだと思う。

少なくとも、クライミングをしていると非日常の体験は多々あった。自然の岩場といっても本当の自然あいてに厳しいロッククライミングをしていると、厳しい現実を目の当たりにする。その惨状と今回の被災地の現状とでは比べ物にならないと思うが、人の命の行き交いに、体が震え、あるときは涙があふれて身動きできなかった事もある。

命のやり取りは人間に限った事ではないのだが、自分の中にも、人間は特別な生き物であるという感情は存在する。どちらをとるのか・・と言う選択を迫られると、人間の命を最優先にしてしまうのだ。

ところが自然災害は、命のやり取りに虫も人間もなく、全てに均等に災いを施す。

しかし、ほかの生物が生きるために行う殺生とはちがい、人間は人間の幸せを最優先に文明を築きあげる。その災いは人災であるのだが全ての生物に波及させる。なんと言う事だ。

単に生きるための、或いは種の存亡にかかわることなく、文明や化学力は他者を殺傷に至らしめる。図らずも・・とか偶然を思わせる災難も、或いはいかなる危険物さえも安全であるという神話魔力によって人間に幸いをもたらす事はなく、人間がもたらしたモノは、必ず、その安全神話を覆すのである。

平和のための戦争とか、豊かさのための物質文明は自ら発明した武器によって自らを抹消してしまう勢いで発展をとげている。日本における震災も、やがては新たな文明力の発明によって・・・

日本経済がこんなに混迷しているのに、無駄を省けなかった日本人と日本の政府。高度な経済力、政治力、化学技術力は地震、津波、原発によって引き起こされた災害に、どのように対応できるのであろうか。その真価と方向性にどのような持続可能性があるのか、世界は見守っているだけでは済まされない危機感を持っているのに・・・・

ヘンリー・フオードの言葉が僕頭の中で半鐘を繰り返す「人生とは、安住にあらずいして旅路の如きなり」

人間社会に富と欲が伴うのであれば、常に安住はありえない。もっと質素に豊かさを求める価値観を見出せなければ、この災害を過去に消し去ろうとした時、新たな試練を日本人は・・もしくは先進文明を誇示する一部の人類の頭上に、再び自然は振り下ろすのかもしれない。文明とは常に、諸刃の刃となって・・・・更なる試練を迎えるのだろう。

何かを変えなくてはいけないのだと思う



ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261
フリークライミングスクール・ロッククラフト

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち雑記、その他(ほぼ日記)カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは運動の生理です。

次のカテゴリは青い瞳の「ワー」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。