今日は夕方、第一回高校生クライミング選手権で見事に高校生チャンピオンとなった細田匠君が3年ぶり?くらいに現れた。彼とはじめてあったのは、彼が小学5年生?くらいの頃だったと思うが、なかなか芯のある子供であった。中学時代はだれでも経験する青春の門に出会ってしまい、良く人生相談に乗っていたような、彼の避難場所がここだったような・・そんな付き合いであった。中学時代は一応野球部に属していたが、ロッククラフトの小山店には相当出没していた。彼が高校生になった時にはロッククラフト川越がオープンして、そちらに通っていたようだ。就職先が小山の近くなので、これからここに来るようだ。今年はコンペには参加しないというが5.14の中盤を責めてみたい・・という。かなり力をつけているようだ。確か、彼が中学1年生の時のJOCの後くらいだったと思うが「中学は野球部に入ったのでそれを続けながらロッククライミングをします。そして高校生になったらロッククライミングに集中して、卒業までには1番になりたい」といっていたが、その通りになった。正に有言実行形の少年であったが、今日みた匠君は素敵な青年なっていた。5.14に中盤を狙うクライマーの僕は何も教えられないが、何かの援助はできるかもしれない。ロッククラフトの小山店も違う刺激に満ち溢れそうだ。確かに中学時代は相当な小言を言った記憶もある。何を彼に教えたのか・・と言うより、彼が人生の岐路のさしかっかった時に僕に自分の意思を伝えに来てくれることは素敵な事だ。
「ま、コンペだけがクライミングじゃないから、そういう道もいいんじゃない」と後押ししておいた。「営業に痛いんですけれど」と言うので「OKだよ」と言って置いた。今すぐ世界へ・・という環境には無いが、彼が世界に行くのならささやかん応援はしたいと思う。
話は変わるが、先週はナマコ(海鼠)は生物か否かという議論がここで巻き起こった、問題を提起したのは僕なのだが・・問題の発端はあるテレビ番組での話がきっかけなのであるが、消化器と生殖器しか持たない生物、しかも天敵に会うと内臓の全てを肛門から掃出し、皮のみになってしまう。しかし、3ヶ月もすると再生する・・という生物は生物学上どの位置に属するのか、みんなで考えよう・・と言う話だったのだが、なかなか面白い話であった。
嘗てウニ(雲丹)とは何か?と言う事を考えた事があるのだが、雲丹を考えるきっかけはアリストテレスのランタンと呼ばれる、口の骨格構造に哲学なるものを見いたし、その4億年の歴史を考えた事が発端なのであるが、4億年も雲丹という種が継続している事に、僕は驚きを禁じえなかった。その前は「ゴキブリ」その前は「世界で一番美しい幾何学をを描くクモ(蜘蛛の糸)」を考え続けた事があった。確か蜘蛛は1億数千万年前から独特の幾何学模様の糸を張る。
同じようにゴキブリとは何か・・を考えた事がある。ゴキブリとはゴキブリ目のシロアリを覗くもの全てがゴキブリであり世界に400種いじょう存在し、その始まりは3億年以上前なのである。
何故。雲丹やゴキブリ、海鼠などを考えたのかと言うと、人間の歴史は400万年位しかないのに、彼らは1億年以上も前から、蜘蛛であり、雲丹であり、ゴキブリなのである。その歴史の長さは人類の100倍にも相当するのだ。どちらが霊長なのかといえば、僕は生物としての生き方を人に学ぶよりゴキブリや、雲丹、蜘蛛などに学んだほうが良いのではないか・・と思ったことがある。
「アリストテレスのランタン」とは、ギリシャの有名な哲学者であるが、彼は雲丹の研究も盛んに行っていたのだ。雲丹の口の骨格がランタン(提燈)に似ていることから、雲丹の口はそう呼ばれているようだが、哲学者の多くは、一見奇妙に思える生物や自然現象に深く注目しているようだ。
そういえばドイツの詩人ゲーテがこのように言っている
人間は、人間以外のものに興味をしめさないものである。
人間は過ちを犯してこそ人間であり、過ちを犯していないものがいるとしたら、それは人間の形をした形象にしか過ぎない
山と谷を越え、迷いに迷いをかさねたのち、再び広野に出るが、そこはまたあまり広すぎて、いくばくもなくまた新たに迷路と山を求める
などなど・・・彼の作品は全ての言葉が、格言となっている。数え上げたらきりが無い。
自然が作り上げた山、それはたった一つに小さな石から始まったのかもしれない。人間が山に登るのは、たった一つの石からさえも真理を見出せないからなのかもしれない。
誤りを見つけることはやさしい、誤りは表面にあるからだ、しかし、真理とはその存在の奥底に沈み、決してその正体を表さないものなのだから・・と
そう考えると、このクライミングジムにいて、このホールドと言う石をどのように握るべきかを考える事はソクラテスのイデア論を考える事と同等な作業に思えてならないのは、僕が凡人なのだから・・なのだろうか・・・・・。