雑記、その他(ほぼ日記)の最近のブログ記事

地元釧路の屈斜路湖で御神渡りが出現・・というニュースに高校時代の同級生が写っていたのでびっくりしている。彼は高校時代に写真部に所属して、時々僕らサッカー部を写していたが、どちらかと言うと美少女好きで、美人の同級生を必要に被写体としてアタックしていた。女優でも竹下景子の写真会などにもp積極的に参加していて、今で言う「いわゆる写真御宅」クンであった。今はエコな仕事をしているようだ。大学時代は空手部に所属していて、結構強くなっていた「ハッチ(蜂谷)はツエヱz^近づくな」と言うのが、同級生で腕白ものの言い分だったが、僕は普通に友人だった。

ここで僕たちは高校時代にクッシー(屈斜路湖に住むといわれる恐竜)の調査を真剣にしたものだった(笑う) 夕日も格別の美しさだ,雪景色も最高です。

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oyakotu.png以下が記事である、ま、観光でたずねる機会があれば、名指しすればよいかもね・・

 北海道弟子屈町の屈斜路湖で、湖面の氷が盛り上がる「御神渡り」が出現している。最低気温が氷点下21・0度となった14日時点で高さ50~70センチ、長さ約3キロに成長。3月中旬まで観察できる。

 御神渡りは、凍った湖の表面が寒暖の差で収縮と膨張を繰り返し、氷の板が立ち並ぶように隆起する現象。結氷して、雪が少ない湖でしか見ることができない。長野県の諏訪湖の御神渡りが有名だが、数年おきにしか出現しないのに対し、屈斜路湖ではほぼ毎年お目見えする。

 弟子屈町の川湯エコミュージアムセンターによると、今冬は例年より10日早い1月下旬からでき始めた。長さ約10キロ、人の背丈ほどの高さに成長することもある。同センターの蜂谷衛指導員(弟子屈高校時代の同級生)は「本家の諏訪湖でもなかなか見られない珍しい現象。スケールの大きさを見てほしい」と話している。

最近の世の中は、Around Fiftyがはやっているようだ。自分にはまったく関係ないと思っていたのだがこんなにたくさんの、義理チョコを戴いて感動しております。お礼はHUGでおもてなしいたしました。   今日の僕はこんな感じです P1000166.JPG P1000162.JPG

この寒い夜に満員御礼申し上げます。14個戴きました(笑)

図書室から消えた本たち

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気軽に本を貸し出す、ロッククラフトの図書室は、今は倉庫と化している。20年前には3dkの一部屋が書籍で埋まっていた。そのほとんどは、文学歴史、宗教などであるが、登山関係の本も400冊くらいはあったと思う。登山の雑誌は会社に置き去りにしたが、そこには岳人1号の復刻版や「アルプ」やケルン」の復刻版、「岩と雪」「クライミングジャーナル」などは1号から廃刊になるまで全てのバックナンバーがそろっていた。意外なところでは「山と森は私に語った」「居候にて候」など辻まことの書籍は、イラスト画集本も含めて全てがそろうというものでもあった。

クライミング関係だと、「高所登山医学」「日高山脈」から「ナンアダデビ縦走」「エベレスト南西壁」から今西錦司、西堀栄三郎、石岡繁雄、植村直己、高田光正、小西正継、遠藤二郎などなど、思い浮かぶ打かできりがないほどだ、上記の全ての人に「「おい」とか「向井君」と呼ばれていたが、西堀栄三郎先生には「そんな格好では寒いだろう」とセーターをもらったこともあった。1980年の2月の今頃である。その2年くらい前には御在所の前尾根を僭越ながらアンザイレンで、ご案内させていただいたこともあった。ムガーとトリコニーをしっかり打ち込んだ昔ながらの登山靴で、カタコトと軽妙な音を立てながら、快適に頂上を目指したことを思い出す。                                なんとも緩やかで暖かな時代であったが、ヒマラヤ登山は、すでに鉄の時代に入っていた。

サイン本といえば・・・

僕のフリークライミング教師ロイヤル・ロビンスとは1994年3月1日にめぐり合ったが、彼は一冊の本を私にくれた。その本は「SPIRIT OF THE AGE」彼の自叙伝であった。表紙の裏には

「Mr,YASUNORI MUKA・・・・・・・」と私へのメッセージが書かれていた。こんな生意気な僕に、ロックロッククラフトの「先を任せてもよいよ・・」というような内容だった。目標を見失った僕は、ロビンスのフリークライミングの精神を伝える道を切り開こうと決意したのだった。ロッククラフトという精神は彼と出会った1994年3月1日・・・そこからロッククラフトは始まった。これが証拠写真だ(笑) P1000159.JPG親子でもあるまいし、色は違えども同じ髭を蓄えて、思想と精神を共有できた・・という喜びで「たわいもなく笑ってるね」

ロビンスと出会う以前・・・

この出会いをさかのぼること12年前、僕は自分が作るフリークライミングスクールをどのように行うべきかを思案していた。フリークライミングの実践的教師の選択に思案していたのである。その人はロッククラフトの精神を持っていなければならない。しかし、その男はいきなり僕の目の前に現れたのだった。彼の最初の一言が強烈であった「向井さん、あなたにはフリークライミングの教師にはなれない。なぜなら、登れないから。それは私にしか出来ない」ムカッとしたが事実である。彼はつづけて「僕は適任か不適か、試験してください」と

正に強烈な一言であった。僕は彼を知っていた。彼は「1970年代の後半、日本において勃興したふりークライミングの渦中に漂い、僕の立ち上げようとするフリークライミングスクールの選任講師になるために、選択の余地のない決断を下して、僕の前に現れたのであった。その人の名は檜谷清である。私の直感は、こう私に語った「迷うべき選択ではない」と

僕は彼に全てを任せた。こうしてLIBERTY CLIMBING SCHOOLは始まったのであった1982年のことである。同時にクライミングジャーナルというフリークライミングの専門誌もM浦氏の思い入れで始まった。1号の表紙は檜谷清であった。同氏は言った「彼しか表紙は飾れない」             僕たちはロビンスの目指した。あるいは求めた方向性(フリークライミングとはどこか)に向かって、その歩みを始めたのであった。

予断・・

その日は、もう一人の登山家が日本に極秘で来日した日でもあった。ある知人が「彼と空港のvipルームであわせたい」と前日に「僕のところに来たのだが」「その日は僕にとって特別な日なので、その人とは会えない」というと「それって、あり得ない、その人は・・・・」といったが僕は「彼と会う必然性を見つけられない」と一刀両断にしてしまった。ロビンスと会うことは、僕にとって「活き神様」と会うことに等しいことである。何んで、成田空港のビップルームで、その人と会わなければならないのか?・・むしろ彼とは、実力が違うが、教えを請うたり、以下にすべきか・・と議論すべき相手とは考えない自分がいたのだ。

たかが8000Mを全部登ったって「僕の道とは違う」と仲介役の人にきっぱりことわってしまったのだった。しかし、僕は「彼の書籍は全部読ませていただいている。クリス・ボニントンの次に尊敬すべき人物であることに変わりはない。されど山登りなのである

ロビンスは「僕のもう一人の神様」である。ロビンスという神様と登山家として尊敬すべき人間では、比べる余地はない・・といいのが僕の即断であった。

今考えると、運命とは選択の余地を生まないもの・・と思う。

ロビンスは人格者でもあり、僕にロッククラフトという思想や精神を与えたのだった。それは檜谷にとっても同じことだったと思う。                  今日はここまでにしておこう。

                             勝手に名前を持ち出してごめんなさい・・・・檜谷さん

 

HOW TO SMART CLIMBING!

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昨日から正式にレデイスクライミング道場が始まった 、参加者は先週の半分4名であったが・・。 道場.JPGタイトルは「Hou to SMART CLIMBING」って感じで講師は若手のイケメン男子の2名、水曜日のオヤびん店長の道場のスマート版である。これで毎週 月、水、金曜日の午後8時~10時は、初心者対象のボルダー道場がいよいよ開幕である。あいにくの寒さであったが、駐車場は、ほぼ満車状態で僕のスクールよりCool(行けそう)な感じである(?)

若者の楽しそうな歓声と盛り上がりをよそに、僕は淡々とアカデミック(馬鹿でミックかもしれない)なクライミングの指導を繰り返す。「そうじゃないだろう、骨格の構造とその駆動領域の限界と可能性を考えたら、その様な運動にセオリー(法則性)は存在しない。もう少し考えろ」と答えを明かさず『考えるヒント』を与える。今日の受講生は彼女だ えいこ.JPG

ロードバイクで自分の更なる限界を超えようとしている選手である。ロッククラフトの強化選手である。

さて、本題に入るが「何故、日本にはクライミングの教科書」がないんだろう。これはアメリカの大学の教科書の認定を受けている教科書 教科書.JPGの一つだ。

日本には、面白おかしく興味本位で独善的。クライミングのザッジがG&Sしかない現状で、クライミングの文化的発展はありうるのだろうか?

そんな疑問が大学時代の友人との語らいの場で僕が抱いた疑問であった。そういえば僕の卒論は、人は何故山に登るのか、その背景を現代アルピニスムと山岳信仰の研究によって、その思想的背景を探ろうというものだった。1970年代までは、さまざまな登山思想の本が多数出版されていたのだが、最近の本は軽すぎて読むに値しない。しかし、良いものも多数あるが、次回は登山観系の良書についても書こうと思う。

それはマスコミが取り上げる登山のドキュメントも同じである。登山を知っている人が見たら茶番である。クライミングとか登山がバラヱチー(揶揄している言葉)かしている現状は許せない(怒)・・とは大げさだが、しかし、登山のドキュメントもさまざまな環境破壊を招いている。かつてシルクロードブームを起こした番組による環境破壊や放射のの影響を問いただすドキュメント番組がないように、もう少し自然の美しさだけでなく、そこにあるも現実に目を向けてほしいとも思う。

haw to Smartclimbing その考えを解き明かして言ったなら、Coolclimbing(素敵なクライミング)に出会えるのではないか・・と、思った。僕は思う。クライミングとは「究極の選択である。そこには生と死が直面する。選択を科学(the art of choozing)するにはクライミングという運動こそが、その思想と行動を示唆する僕にとっての唯一の選択なのだろう。そう考えるとClimbing as the art of choozingであるのかもしれない。論文のタイトルが決まった(笑)

 

 

昨日、名古屋から帰ってきたのが午前8時半、始発の新幹線であった。それか・・・・をして、会社に着いたのが、ぎりぎり開店時間であった。ここ1週間は忙しくて平均睡眠時間は4時間もなかったかもしれないが、夕方には依頼してあったパソコンが出来上がり、そしてロードバイクのフレーム(コラテック、古カーボン)とコンポーネンツ(シマノ アルテグラDi2)が入荷下との連絡が入った(自分から電話したんだけどね)

閉店を待って、大至急トレラバ(サイクルショップ)に行こうと思っていたんだが、生徒に捕まって指導しているうちに午後11時をはるかに過ぎてしまった。それから、サイクルショップで組上げて、調整して、終わったのが午前2時、ハンドルは・・・ステムはitmにして・・ヘッドパーツは・・・などの細かいアイテムの調和を考えていると資金は底を付いてしまった。そんのバイクがこれだ

P1000154.JPGそれから、うちに帰って荒いものをして朝食の仕込みをして・・寝たのは何時だったか覚えていないが、5時前には起きて、朝食やお弁当の用意をし、娘を起こして、駅まで送って・・お決まりの「カーネーション」を見る。そしてパソコンのセッテイングをしようと思っていたら、主演の真千子?さんがnhkに生出演・・ということでテレビに見入ってしまった。おかげでネット接続は・・・それから・・と、ともかく公私混同、すべてが忙しい。

こんな乗りで、逃げる二月を捕まえられるのか???

しかし、僕の性能は別にして、今度の自転車は、ほぼ2012モデルの最新兵器スーパーカーである。残念ながらマビックのホイールとポラールのサイクルCp、シューズは練習用のモノで我慢することにした。まともに買えば、それだけで、30万円以上もかかってしまうのだ(笑)

 

神様に見えた・・

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昨日は35年ぶりに大学時代の同級生たちと熱田神宮前の『ちかさんの手料理」という店で宴会をした。懐かしいというか、同じ釜の飯を食った仲間との交流は楽しすぎるくらい楽しかった。それぞれが『今日は、オレのために集まったんだろう」と意味のない議論に花を咲かせたが、自分たちがいかに試練を乗り越えてきたか、いい薬とは何か・・とか、いわゆる親父の会話も弾んでいた。

1日で上高地から岳沢を登り穂高、槍ヶ岳を経てさらに常念山脈を縦走した話、サルにアンパンを取られた話などなど話題は事欠かなかった。最後の方になって「そういえば、俺たちがしていたクライミングって今でも誰もしていないことが多いことに気がついたんだ」とm谷がまじめな顔をして話し始めた。そういえば、蒲田富士経由で穂高滝谷のグレポンルートを冬季登攀し、しかも下山は、北穂から槍ヶ岳を経由して新穂高温泉まで帰る・・なんて登山は、なかなか例を見ない。しかも、グレポンは夏場のトレースもしないで(今風に言うとオンサイト)である。

膨大な面積のしかも数百Mを所見で、・・しかも真冬に・・・しかも大学山岳部の現役部員のみで・・である。しかし、そんなことを危険とか無謀とか考えず、普通に合宿で行っていた山岳部は1970年いご今日まで聞いたこともない。

しかし、僕たちはクラブに報告はしても雑誌には投稿することはなかったのである。

そんな、グレポンも登攀終了は午後9時を過ぎてしまっていた。疲れ果てて意識朦朧の自分が週両店に達した時、僕の頭上から「向井、おつかれ。ようやったな」とm谷が僕に声をかけてくれたらしい。僕の記憶にはなかったのだ「神様がいる・・」と言ったらしい。確かに相当疲れていた。その神様の写真がこれだ 神様.JPG どこから見ても普通のおじさん。こんな親父が神様にみえるなんて、僕は昔から頭のビスが数本抜けていたのかもしれない・・と思った。

ついでに彼が主将のt内

タウト.JPGそしてこんな無法者たちを束ねていた2年先輩がt田さんがこの人 先輩.JPG。しかし、皆彼を呼び捨てにしていた「今何時だと思っている。もっと早く来れないのか」とまるで見下ろす言い方であるが、彼らがいなかったら、僕たちの記録は生まれなかったのだ。正直いって心の中では『感謝、感謝・・そして感謝」である。

なお、僕たちの先生も諸事情により参加できなかったが電話で参加していただいた。先生いわく「君たちは、まだ、私にしかられたいのか」と言っていたらしい。

何度殴られたのか・・数えられないほど、大学時代は先生に殴られたものだった。『そんな修士論文読めるか」と見ずに捨てられた論文は今でもここにある。

『先生、またなしかられたいので、そのうち校正かけて、またお持ちします。今度は1200字詰め原稿用紙軽く』80枚程度になりますが・・」とは、僕の独り言です。卒論も原稿用紙179枚だったけど「いきなり学説を批判すとはどういうことだ」と書き上げた論文で20回くらい殴られた。おかげで卒論は表紙も含めてくしゃくしゃになってしまった。当時は完全に手書きである。今は便利になった、保存も印刷も自由自在。しかし、「思想とか精神はどこに行ったのか? 僕たちは先生からそんなことを教わっていたような気がする」とはm谷の弁である。確かに、有名になったりテレビに出たり、登山をエコノミックのツールに使うタレントが横行する時代になったようだ。

タレントとは本来そういう人の事を指し示す言葉ではない。

そういえば、ロビンスが「ロッククラフトのへーシックとアドバンスは書いたからその先は君に任す」といわれた事も15年かん放置してしまった。生存しているうちに、マスターとドクタークラスのスキルもアップしないといけないかな?

ちかさんの手料理

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ちかさんは名古屋市神宮前でレストランをしています。僕の身内なのです(笑)がなかなか評判のしゃれたレストランです。名前は「ちかさんの手料理」とそのままです。彼女のお店を紹介したブログがありましたので紹介します。http://www.tonoblog.jp/blog/minezawa/?entry_id=296951

なかなか雰囲気の良いお店ですね。来週の水曜日(2月8日)には、ぼくに人生を教えてくれた親友T川、M谷達と昼間っから?飲み明かしたいと思います・・といっても名古屋に着くのは3時ころなのですが、相当な勢いで待ち構えているようです。友達って良いですね。

一方、名古屋に行くのに大学時代の恩師に連絡すべきかどうかを悩んでいます。と、言うのも先生は寂しがり屋の癖してオコリン坊なのですから、僕が「名古屋に来たの、にオレのところに顔を出さないとはどういうことだ」とお叱りの電話をいただいてしまいそうで・・・。僕はこの年になっても、結構、先生にも愛されているみたいですね。

未公開映像を公開します。 ホテルで寛ぐ先生夫妻.JPGこれが先生夫婦です。先生は今年75歳になられました。20年以上前は相当有名だったのですがね、学問、登山ともに・・です。ご存知の方は、懐かしいですよね。

自分への褒美

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自分へのご褒美なんて考えたことがなかったが、よく考えて見ると1994年のエベレスト挑戦は、まさに仕事と人間関係に疲れていた自分への褒美だったのかも知れない。1980年に前人未踏の山に挑戦した時に見た、エベレストの夕日の美しさに見せられてから14年も準備期間を経ての挑戦であったが、結果は散々であった。しかし、たくさんの夢と自分の「これから」が見えたような1994年でもあった。

それから今日まで、自分がこの世に生かされる意味を考えながらここまで来たが、なんとなく僕の道はon the roadという感じで間違ってはいないように感じる。

まだまだ人生の途上にある自分が「これから」を考える時、くぐり抜けなくてはいけない関門は、さらにその困難度は増すのだろうが、自分の精神と肉体を継続して磨き、そして追求してゆけば、その困難も喜びに変わるのだろうと思う。

そんな自分に、10年ぶりに褒美をあげたいと思う。フレームはこんな感じだ。

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ロードバイクなのだが、今の会社を始めた時から自転車に乗るのはやめてしまったが、虫がざわめき出してとまることを知らない。10年前にも、フレームはアメリカのトップメーカーにオーダーして部品はフランス、イタリア、日本のトップメーカーをかき集めて自らの手でくみ上げたのだが、それはこれだ

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ペダルと靴だけでも7万くらいはしたと思う。

フレームはbottecchia(ボテッキア)イタリアで100年の伝統と信頼を誇るメーカーの2012年ブルカーボンの最新モデルをメーカーにオーダーしようと考えている。偶然にも輸入元の営業部長が30年来の旧友であるため、彼は勝手に僕のフレームをオーダーしてしまったようだ。コンポーネントはシマノ・アルテグラDi2、これも最新型の電動セミオートマチックコンポである。早ければ2月下旬に最初のフレームがあがってくるらしいが、最初の日本入荷が僕のフレームになりそうだ。

最近の10年は大好きな読書もままならぬ状況だったが、今年は家事と子育ては、そこそこにして読書にロードバイクに趣味の世界も満喫しようと考えている。

通用する

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プロテニス4台タイトルの開幕戦全豪オープンでの錦織の活躍は記憶に新しいが、彼の進化と確かな手応えを見るものにも与えたことだろう。昨年から取り組んだ大幹の強化も少しずつ現れているようだ。テクニックとひらめき(瞬時に状況を把握して)決断する能力の高さを感じる一方、優勝するにはさらに3回勝たなくてはいけないスタミナについては、かなりアップしないとトップには立てない。しかし、見えてきたことに変わりはないので、頑張ってほしい。腹斜筋に強化も大切かな・・なんて余計なお世話を焼いてしまう、僕がいる。

大リーグに挑戦するダルビッシュもかなりの好成績を残してほしいと考えているし、十分可能性があると確信している。彼はサイヤング賞を取れる逸材だと思う。自分でも言っていたが、日本でちまちま投げるより、必死の形相で勝負してほしいと思う。

やれる・・といえば、昨年不調だったイチローには3番を打ってほしいと思う。そろそろ短打にこだわらず、勝負ところでは、ホームランを大胆に狙ってほしいものだ。過去の自分を脱ぎ去ることも重要な進化であり、彼らしさだと、僕は考えている。

 

松井君も頑張ってほしい「大リーグで指名されなければ引退する」という決意は彼らしく素敵で、尊敬に値する。

まだ、新人だったころ、広島ホームテレビの路地裏にある『メリーさんの家」で黙々と料理を平らげる姿が目に映る。・・・・メリーさんは元気なのだろうか、生きていれば80歳近いと思うが・・・会いたい気もするが、もう広島に縁はなさそうだ(笑)

私事だが、大学時代の仲間が僕と同じ病気で苦戦を強いられたようだった。今は回復して無事に仕事に復帰しているようだが、元気な姿をお互いに見せ合いたいと考えている。そこで2月には海外遠征などで同じ釜の飯を食べた仲間と友達の支援をネタに酒を酌み交わしたいと考えている、自分は飲まないが・・・で、ひょっとすると1日くらい休業することになりそうだが、ご了承いただきたい。「名古屋に着たのに、俺のところに顔を出せないのか」・・と大学時代の恩師にしかられないように、先生にも会いに行こうと考えている。

55歳になっても大学時代の恩師にしかられる自分は『ほんとうに幸せものだ』と心の中で呟いている。

 

朝ドラに、はまっている

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「ひまわり」の次は「カーネーションか?芸がないタイトルだな」と思いながらテレビがついているから、その後の番組の時間待ち・・みたいな感じで、最初は見る気もなく見ていたのだが、毎日の展開や俳優人の巧みな演技にすっかりはまってしまって今日に至っている。多い日は、1日に3回見るのだが、今日の台詞「人生とか人の道とか言うものは、外れても、踏みとどまっても人の道」とは、名言である。心や感情の求めるがままにつかめる幸せもあるが、つかみ得ない幸せもある。それは世界を目指しても到達できないことがあった自分の人生をある意味では写す鏡のような言葉でもあった。

若い頃の野心のために、多くの物をすて、大切なものを傷付けてしまった人生を振り返ると、夢とか恋愛にかかわらず。自らの意思による選択が重要ということであろう。

ドラマでは「女が好きです」と男に告白すると言うことは尋常ではないぞ・・と近藤正臣演じる組合長がの言葉や演技は、素敵に渋い。『わしも、もうすぐ還暦じゃ、全うに生きてきたが、人の道を外れたことは・・・ない・・ことはない」と歯切れの悪い台詞を、いかにも身に付いたように語る、言葉の演技量もなかなかの円熟実と重厚さを感じる。

そういえば、昨日の深夜にサイクルショップ『トレイルラバー」の渡辺さんに電話をしたら、まだまだ仕事をしていた。僕も11時過ぎま会社で雑用をしていたのだが・・・「今からおいでよ」というので、遠慮なく尋ねてゆくと、見覚えのない後姿の初老の老人が立っていた。真っ白な頭で、頭頂部はしっかりと光輝いていた。元同僚の年老いた姿に、他人を感じたが「向井さんだって、おんなじとしだよ」といわれたが、僕の頭は黒黒でふさふさ、もみ上げには少し白髪はあるが、相当年上の渡辺さんに見えたのだ。

「なに、またロードやるの、昔から走っていたからね」と暖かいお言葉をいただいた.「相変わらず、仕入れが多いね、昔だったら、仕入れすぎだ」としかっていたかも知れないが』と言うと「昔みたいに、しかられてみたい」と意外な言葉が返ってきた。話がいろいろ進んで・・そういえば昔、僕にフレームを供給してくれていたS社の課長が今はフオーカス、ボッテッチア、コラテックなどを扱う会社の営業部長になっていると聞いた「懐かしがると思うから、また、ロードに乗るって電話してあげたら、喜ぶよ」と渡辺さんい言われたので、下心ありで、電話してみようと考えている(笑)今回のバイク購入はリハビリなので、僕がそれらの自転車を乗ったところで何の販促活動にもならないと思うが・・・。

僕の人生も「もうロードバイクは乗らない」と10年前に靴を脱いだのに、またはじめるのだ。

信念とは「貫いても、まげても信念」と僕の頭の中では、そんな言葉が響いている。まさにコロンビア大学行動心理学者シーナ・アイエンカーの「選択の科学」がカーネーションには存在する。作り上げられた小説より、よりドキュメントに近いものほど真の小説なのかもしれない。誰かが直木賞、芥川賞の選考委員をやめる背景に「自分の人生を反映できない小説はくだらない」とは、名言なのかもしれない。確かに小説家の登竜門である地位は崩壊しているのかもしれない・・と思った。

 

 



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