気軽に本を貸し出す、ロッククラフトの図書室は、今は倉庫と化している。20年前には3dkの一部屋が書籍で埋まっていた。そのほとんどは、文学歴史、宗教などであるが、登山関係の本も400冊くらいはあったと思う。登山の雑誌は会社に置き去りにしたが、そこには岳人1号の復刻版や「アルプ」やケルン」の復刻版、「岩と雪」「クライミングジャーナル」などは1号から廃刊になるまで全てのバックナンバーがそろっていた。意外なところでは「山と森は私に語った」「居候にて候」など辻まことの書籍は、イラスト画集本も含めて全てがそろうというものでもあった。
クライミング関係だと、「高所登山医学」「日高山脈」から「ナンアダデビ縦走」「エベレスト南西壁」から今西錦司、西堀栄三郎、石岡繁雄、植村直己、高田光正、小西正継、遠藤二郎などなど、思い浮かぶ打かできりがないほどだ、上記の全ての人に「「おい」とか「向井君」と呼ばれていたが、西堀栄三郎先生には「そんな格好では寒いだろう」とセーターをもらったこともあった。1980年の2月の今頃である。その2年くらい前には御在所の前尾根を僭越ながらアンザイレンで、ご案内させていただいたこともあった。ムガーとトリコニーをしっかり打ち込んだ昔ながらの登山靴で、カタコトと軽妙な音を立てながら、快適に頂上を目指したことを思い出す。 なんとも緩やかで暖かな時代であったが、ヒマラヤ登山は、すでに鉄の時代に入っていた。
サイン本といえば・・・
僕のフリークライミング教師ロイヤル・ロビンスとは1994年3月1日にめぐり合ったが、彼は一冊の本を私にくれた。その本は「SPIRIT OF THE AGE」彼の自叙伝であった。表紙の裏には
「Mr,YASUNORI MUKA・・・・・・・」と私へのメッセージが書かれていた。こんな生意気な僕に、ロックロッククラフトの「先を任せてもよいよ・・」というような内容だった。目標を見失った僕は、ロビンスのフリークライミングの精神を伝える道を切り開こうと決意したのだった。ロッククラフトという精神は彼と出会った1994年3月1日・・・そこからロッククラフトは始まった。これが証拠写真だ(笑)
親子でもあるまいし、色は違えども同じ髭を蓄えて、思想と精神を共有できた・・という喜びで「たわいもなく笑ってるね」
ロビンスと出会う以前・・・
この出会いをさかのぼること12年前、僕は自分が作るフリークライミングスクールをどのように行うべきかを思案していた。フリークライミングの実践的教師の選択に思案していたのである。その人はロッククラフトの精神を持っていなければならない。しかし、その男はいきなり僕の目の前に現れたのだった。彼の最初の一言が強烈であった「向井さん、あなたにはフリークライミングの教師にはなれない。なぜなら、登れないから。それは私にしか出来ない」ムカッとしたが事実である。彼はつづけて「僕は適任か不適か、試験してください」と
正に強烈な一言であった。僕は彼を知っていた。彼は「1970年代の後半、日本において勃興したふりークライミングの渦中に漂い、僕の立ち上げようとするフリークライミングスクールの選任講師になるために、選択の余地のない決断を下して、僕の前に現れたのであった。その人の名は檜谷清である。私の直感は、こう私に語った「迷うべき選択ではない」と
僕は彼に全てを任せた。こうしてLIBERTY CLIMBING SCHOOLは始まったのであった1982年のことである。同時にクライミングジャーナルというフリークライミングの専門誌もM浦氏の思い入れで始まった。1号の表紙は檜谷清であった。同氏は言った「彼しか表紙は飾れない」 僕たちはロビンスの目指した。あるいは求めた方向性(フリークライミングとはどこか)に向かって、その歩みを始めたのであった。
予断・・
その日は、もう一人の登山家が日本に極秘で来日した日でもあった。ある知人が「彼と空港のvipルームであわせたい」と前日に「僕のところに来たのだが」「その日は僕にとって特別な日なので、その人とは会えない」というと「それって、あり得ない、その人は・・・・」といったが僕は「彼と会う必然性を見つけられない」と一刀両断にしてしまった。ロビンスと会うことは、僕にとって「活き神様」と会うことに等しいことである。何んで、成田空港のビップルームで、その人と会わなければならないのか?・・むしろ彼とは、実力が違うが、教えを請うたり、以下にすべきか・・と議論すべき相手とは考えない自分がいたのだ。
たかが8000Mを全部登ったって「僕の道とは違う」と仲介役の人にきっぱりことわってしまったのだった。しかし、僕は「彼の書籍は全部読ませていただいている。クリス・ボニントンの次に尊敬すべき人物であることに変わりはない。されど山登りなのである
ロビンスは「僕のもう一人の神様」である。ロビンスという神様と登山家として尊敬すべき人間では、比べる余地はない・・といいのが僕の即断であった。
今考えると、運命とは選択の余地を生まないもの・・と思う。
ロビンスは人格者でもあり、僕にロッククラフトという思想や精神を与えたのだった。それは檜谷にとっても同じことだったと思う。 今日はここまでにしておこう。
勝手に名前を持ち出してごめんなさい・・・・檜谷さん