人間は不思議な技術を持っている。
それは、ふと見た人の後姿に興味を引かれる・・という現象にも現れている。
なんとなく、そこに佇む人のなんとなくぼやけた感じの全景から、顔を想定できたりもする。
あるいは、勘違いもあるが・・。
なんとなく感じる、という感覚の多くは視覚から感じる感覚でもある。
スポーツにおいてもこの感覚は非常に優先されるべき感覚でもある。
一瞬のひらめきとも考えられるが、実は多くの場合ある一定の感覚訓練の繰り返しによって確立される感覚でもある。
運動は、単なる筋肉運動の反射能力の向上とか、筋肉の増量に比例する・・とは断言できない要素もある。
いわゆる感覚とか感性に由来する、独特の雰囲気とか行動様式のことである。
それはある意味では個性ともいえるが、最近の研究では、最先端の近代科学的な根拠に根ざしたものではなく、古い脳による。野性的な感覚(あるいは本能)によるものであろう・・ということがわかってきたようだ。
たとえば、運動選手にとって、もっとも重要な視力とは動体視力であると30年以上信じられてきた経緯ガあるが、一部のトップアスリートは否定する。
その典型的な例はイチローの「僕は投手から投げられたボールを見ない。むしろ体で感じて反応する」問い言葉に集約されているのかもしれない。
さらにイチローは言う「ホームベースの3.44m手前までボールを見ていたら、バットにボールを当てるチャンスを逃がすことになる」と断言した。
さらに、バレーボールにおいて、スパイク(強い打球)を打つ選手をブロックするまでの時間は、0.3秒に満たない。どこに打つのかを(動体視力で)見極めてから反応したのでは、すでにコートにボールは突き刺さっているのである。
その0.3秒に満たない時間に、視力を通して反応する人体をつかさどる、最も重要な視力は瞬間視力と呼ばれるものであろうと考えられる。
勝負は一瞬にして決まる。
その瞬間視力は練習によって鍛えること(あるいは呼び戻すこと)ができるのである。
呼び戻すという表現は、そのような能力は脳の古い部分を使いう能力にかかっている・・とう研究が最近進んでいるようでも在る。
脳の表面にある、新しい脳(ほかの哺乳類には見られない思考能力をつかさどる部分)を新しい科学的な練習方法を用いて練習を重ねても、瞬間視力の育成にはなんら変化が見られないのである・・という。
思考においても、直感力と洞察力は適応的意識を刺激する訓練をすると、開発されるという。
視力においても、同じことが言えるような気がする。
洞察視力を開発するには、適応的視力の訓練が不可欠で、その訓練をなんとなく施してみると、洞察視力への変化が見られる。
その視覚からえられた認識を時間の経過を伴わないで行動に移す技術を直感視力の訓練によって現実化することが可能な練習方法は意外と、非科学的な練習方法によって裏づけられるような気がする。
論理は「神様がサイコロを振る、振らない、振るときも在る」という3段階に存在するように、科学的という考え方は科学的な思考の範囲内において存在するものであって、真理とか自然の摂理などとは、まったくつながっていないことのような気もする。
すなわちパラダイムはシフトするのであって、持続可能性とはなんら関係のないことなのであろう。
科学革命の変遷によって持たされたものは、宇宙(あるいは地球)の予想定義に過ぎないのではないか?ということである。
まとまりに欠けるますが・・ひとまず今日はこの辺までにしておきます。

