岩への畏敬の最近のブログ記事

人、岩と出会う

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初めて人間が手にしたものは何だったのだろうか?
今から500万年前のこと、初めて木から下りた最初の人類は、手のひらを見つめて何を想像したのだろうか?
自由となった腕は、長い樹上生活の賜物であった。
それまでの人類の祖先は、食物を掴むとか、樹の枝を握るとか、子供を抱くこと以外に腕を使うことは必要としなかったのか?

今、ここでは、子供たちが岩を掴み、握る。足を岩の上において、あるいわ押し付けて、頂上を目指す。
滴り落ちる汗をぬぐうことも忘れて・・・。
そんな。子供たちの汗は美しいと思う。
人類は果てしない進化の歴史を刻んできた。身体の進化もさることながら、文明化も同時に携えてきたのだった。
もし、人類が岩を握らなかったら、歴史的遺産(エジプトのピラミッドや。南米のマチャピチュの遺跡)など存在しなかった。
もし、人類が岩を握り締め、投げたりしなかったら、戦争も存在しなかったかもしれない。
宗教も貨幣経済も・・万里の長城も・・・。

岩を掴む・・それは文明の始まりであり、人類化の始まりでもあった。
火は火山や山火事の賜物でしかなかっただろう・・

中国の気功の大家は言う「岩を掴まなければ、気の存在は不可知だった」と・・。

岩を掴む・・それは正に、人類の進化と衰退の全ての歴史の根本をなす出来事だったと、私は考える。

今、子供たちに、私は500万年の人類の進化の歴史を教えている。
それは驚くほど単純な行為の繰り返しでしかない。
しかし、無心に汗を流す子供たちの背中には、人類の進化の歴史が確実に刻み込まれている。
私は、何も教えてはいない。むしろ子供たちの背中から、歴史を教わっているのである。

古来より、榊とは常緑樹であり、常に栄えるという意味を持っていた。一方、榊とは、神と人との間を取り持つ木として「ご神木」として、人々に敬われていた。神への畏敬、畏怖の念を取り持つ。
そこには桜の木もあったという、いつの間にか切り取られてしまったようだ。

15年位前のこと、岩場と並行に、一本の松の木が立っていた。ジャマといえばジャマ、考え方によっては、岩と松は互いに鳥居のように、細い間道をまたいでいた。あるとき、そこには切り株しか残っていなかった。御在所前尾根の話である。

昔、アメリカで「桜の木を切った男」がいた。彼の名は、ワシントンという。
アメリカにおいて、桜は信仰の木であった。ジャマといえばジャマ・・後に彼は、アメリカ合衆国初代大統領となったが、桜の木のエピソードは有名である。

古賀志山で、騒動が持ち上がった。榊が切られたのである。当分クライミング自粛・・地主と木を切った人だけの話ではなくなった。

ヨーロッパアルプスにおいて、古来山は悪魔であった。登頂は「悪魔を征服する」という意味合いを含み考えられ、山頂には十字架が立てられた。悪魔への戒めとキリストの勝利を意味していた。

ネパール王国において、ヒマラヤはサン・スクリット語で(神の住処)といわれ、崇め奉られていた。
やはり神であった。イギリス人が計測するまで、彼らにとって一番崇高な山はガウリ・サンカール(7145m)であった。神々の父(ガウリ)と母(サンカール)を意味していた。
日本の神話的世界観で言えば「イザナギとイザナミ(日本書紀)」なのである。

余談になるが、インデイアナ・ジョーンズ「魔球の伝説」に登場する「サンカラ・ストーンは、富と名声をつかさどる、秘宝の石と考えれていた。
1980年私は、その山に挑んだ・・結果は無謀な・・完全な敗退を強いられた。
「神は怒っている。サガルマータ(エベレストの現地名)でさえ、女性の登山を許さなかったのに・・わが国は、金銭に目がくらんで、許可を与えた・・」在る、高名なシエルハは私に言った。

やがて登山は、宗教とは無縁の行為になった。悪魔を沈めるためでもなく、神絵の畏敬のためでもない。
個人の征服欲のためだけに存在する時代へと変化していった。ヒマラヤ鉄の時代の幕開けであった。

アルプスには、神がいる。星に伸ばされて、天に続いている・・戦うのでもなく、征服するものでもなく・・
処女峰アンナプルナ遠征を終えた、レビフアーは、詩人として、山に登り続けた。

神への冒涜か・・確かに、ヒマラヤの山には「おおくの日本製の装備が残地されていた。
1973年のRCCエベレスト登山隊の残した装備は、数10トンとも言われていた。
その登山隊隊長は、私の師Y先生である。
Y先生は、私に多くのことを教えてくれた・・しかし、良く殴られたな~というのが実感である。

「何故、人は山に登るのだろう・・」マロリーの言葉によると「そこに山があるから・・」
今西錦司によると「そこに蝶が住むから・・」と今西進化論にいたった。ロマンを感じた。

またまた余談であるが、第1次南極越冬隊隊長の西堀栄三郎さんは、「南極に遠征の話が持ち上がって・・一番心配だったのは、女性のことをどうするか・・>>??」だったといっていた。
「それで、ニューヨークまでいって数体買ってきたが・・箱を空けたら、メイド・イン・ジャパンじゃッタ」といっていた。・・・・これは本人から直接聞いた話ですので、ご了承ください。

1994年、私はエベレスト街道を歩いていた。数日前に、ヒラリー卿が通ったという・・
ラリーグラスの大木が、見事な花を咲かせて出迎えた・・という。
4月17日のこと、街道沿いに桜の花を見かけた・・「誰が植えたのだろうか?」標高3000mに白く淡い薄紅の花を咲かせていた・・。それを桜の木と見た人は・・ほとんどいないと思う。街道から50mくらい離れた川の対岸に咲く。

知る人もいないかのようだった。現地の人に聞くと「1日だけ白い花を咲かす」という。千歳一隅のチャンスに僕はめぐり合えたのだった。

そういえば、1980年ロールワリン谷の、ナガオン(標高4200m)の町に,エーデル・ワイスの花畑を見た。まるで氷河を敷きつめたような光景に感動した・・。(ロックに二輪・・だけ、今も残る)

そう、青い芥子の花も見た。3900mくらいの岩場に咲いていた・・8月の雨に打たれながら・・。
それはあまりに幻想的なシーンだった。日本に持ち帰ったが押し花にはならなかった・・。

神なる聖地・・岩を登る時、世界にはいろんな風景が広がる。
チベットとネパールの国境稜線上から眺めた北辺のステップは、はるかな海よりも広い台地であった記憶がある。
10月10日の夜、10時頃、星に覆い尽くされたヒマラヤの空に、赤いエベレストが光る景色は、美しすぎた・・しかし、その景色をいている僕は、明らかに遭難してる・・?

1985年シャモニーにいた「氷河は毎年3センチ後退してる」と聞いた。
あらから20年、アルプスの氷河は「80年後に消滅する」という学説もあるようだ。

それらの思い出を語るには、まだまだ経験が足りない自分を感じる。
スポーツクライミング・・という言葉を引っさげて、クライミングスクールを立ち上げた1982年。
代償の大きさに、改めて、クライミングという文化・・ロイヤル・ロビンスのいう「ロッククラフト」という意味を考える自分がここに居いる。

たった、1本の木を植える人・・ヒラリー卿は、エベレスト街道に木を植えている(植林事業)
たった、一本の榊がクライミングエリアを失わせた?

もし、日本の文化が「割り箸と爪楊枝」を欲しなければ、フイリピン・レイテ島の土砂災害は発生しなかったかもしれない。違法災害を招いた原因は、の本の文化にある。
タイでは、山岳地帯から、オオクワガタが消えるという。8セントを超えること1ミリについて、数万円の高値で日本に売れるのだ。ワシントン条約はこの件を把握してはいない・・。

山と人間の業・・・1本の木を切ること・・ただ、それだけのこと・・である。
神を知らない人、神を知る人・・世の中には、様々な人がうごめいているのが現状である。



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