何を教えるのかの最近のブログ記事

最後のレッスン

| コメント(0) | トラックバック(0)

桜の花の咲く頃   1

桜の咲く頃になると、出会いと別れが一瞬の出来事のように交差する。
「卒業おめでとう」・・そして「入学おめでとう」
新しい社会への期待が子供達の表情にも表れているが、若干の不安も隠し切れない。
子供を見送る親の進境も複雑である。子供であることには変りないが、子供は確実に成長しているからである。自立、或いは親離れ。子供を思う親に進境は、子供以上に複雑なのであろう。
クライミングの授業は、淡々と進むが私の心境も複雑である。
「先生、ボクは中学にいったら、テニスをします。今までありがとうございました」
T君は、淡々と感謝の意を言葉に代えて、笑顔でそう話した。
身長も、出会った頃は僕の肩より低かったが、今は目線が同じ位になった。相変わらずアトピーの痕が痛々しいが、それも、彼が持って生まれた才能である。
彼には左脳に若干の障害がある。協調性に欠け、我慢することが苦手であった。
何でも疑問を持つのだが、疑問を持つことの真意は理解していないようでもあった。
しかし、彼は誰にでも挨拶をする。そして、溶け込んでしまうのである。
迎える大人たちも優しい・・・彼がクライミングで学んだのは、高度な技術でもなく、健常な身体でもない。
挨拶が出来る子供になった。
かつて全日本のサッカー監督だった、長沼さんがいった言葉がある「一流選手に必要な技術は、挨拶が出来ることである」・・・・・ジャイアンツの川上監督も同じ事を言ったという。

そんな話をある小学校の校長先生から聞いた。

Tくんは挨拶が出来る、それは人間として一流(適切かどうか?)になれる証拠である。
彼は一番成長した。今年は7人の6年生がロックを卒業した。中学校に行っても継続する子供は4人いる。T君はクライミングはやめるというが、彼は挨拶が出来る子供に成長した。
それがとても嬉しかった。
「さあ、いつものように右の壁を10回登ろう」
「ハイ、わかりました。これが最後ですね」
なんとなく寂しい感じがしたが、僕も強がって、淡々と、彼との最後のレッスンを開始した。
いつもと変わらぬレッスンが、淡々と夜桜に輝くように進んでいった。
午後9時10分、T君との最後のレッスンが終わった。
「ありがとうございました」という笑顔は、キラキラと輝いていた。

咲く花の 花を散らせと吹く風の・・・そんな哀れみを知る、今日この頃である。


人生に一流も二流もない  

私は1980年愛知学院大学を卒業した。その頃の先生は若く、厳しく、常に僕達を叱咤し激励し、ともに悩み苦しみ・・そして喜びを分かち合った。

青春を山に賭けるなんて、少し照れくさい合言葉ではあるが、彼の教えには何時も山の存在を感じていた。法学者として、パキスタンやアフガニスタン、ネパール王国などを旅して、宗教と法律、文化と性差についての研究に取り組んでいた。
或いは趣味が高じてが法学者の道を選んだとも言っておられた・・
学者になりたかったわけではなく、単純に「山に登りたかった・・とも言っておられた。

私が学生時代、湯浅研究室には「びんたが生徒の頬を打ち」「灰皿が飛ぶ、本が飛ぶ」という伝説がった。
古希を迎えた先生は「まったくそんな記憶がありません」とひょうひょうというが、それは伝説ではなく事実であった。
毎日殴られていたわけではないが、毎日誰かが殴られていたように記憶している。
灰皿は常に飛んでいた。灰皿が研究室の窓ガラスにあったって「ガッシャーン」と割れる音がすると、先生の感情は理性を失って、いわゆる切れている・・という印象に変わった。
一番殴られたのは大学4年生の12月19日のことである。
先生の自宅に卒業論文を持っていって、見て頂いていた時のことだった。突然・・
「学生の分際で、学説を批判するとは何事だ!!」と20数回往復ビンタを授かった。
あの頃のボクはいたって冷静で、先生のビンタの数を「1回、2回・・20・・回・・」と数える余裕がッた。
確かに先生は記憶にないと言い張るが、ボクの頬には、兄時の完熟がしっかりと残っている。
学生時代、先生と会うことを日課にしていたが、殴られる、灰皿が飛ぶ・・かな、と想像するだけで、足が向かなかったのも事実であるが、足を向けなったがために、ボクの下宿に乗り込んできて、出したお茶を一気に飲み干した後「きさま・・?!」と茶碗を投げつけられた記憶がある。
近所の人は何があったか・・さぞ驚いたことだろう。2件先には、やはり付属高校の先生が居て「昨日は先生が来ていたの?」といわれた。
それほど先生は愛の鞭ガ好きだったのである。
しかし、よく殴られていたのは、僕達の時代まで出会ったようである。後輩や研究生に「伝説ですよね」とよく聞かれたのだから・・

それほど僕達は出来の悪い学生であったのだ。
その中の末席にボクの名前が載っていること自体、感謝すべきことなのである。
7月28日は名古屋で先生の古希を祝う会が盛大に行われた。
ボクは肝臓の病気で入院していたので,参加できなかったが、往年の先生のあのビンタや灰皿投げの技術、大切な法律の書籍を避けてどうでも良い本を選んで投げる、あのパフォーマンスはボクの瞼に焼き付いて未だに離れない。
自分が教師になったら決して生徒を殴らない教師になろう・・という誓いは、先生の行動から教わったが、
殴りたくなるような生徒に出会えない・・というのも現実である。
愛情の表現は単なる優しさばかりではあるまい。
叱咤、激励、気合・・など、精神に刺激を与えることは大切なことでもアル。
今思えば、ボクは幸せだっと思う。
大学生にもなって、先生に毎日(大げさせあるが)殴られる生徒って、そうはいまい。
批判精神は未だに心に焼きついたままである。青年こそ教師とか逆風こそ順風とか、先生が僕(私達教え子)に残した言葉はいまだに座右の銘となっている。

心に響く言葉は話しての思いもよらぬところで、相手の心にとどまるものだ。
幾ら話し合った居るようでも、心が通じ合わないと大きな誤解を招く。政治家の身体検査問題や満員電車などで席を譲る譲らないということで殺人事件につながる昨今である。

おそらく先生の演説は公にはこれが最後であろうと思う。増して、教え子達を集めての演説は最高に楽しいひと時であったと想像する。

先生の最後のレッスンに参加できなかったが
先生の声は、今でも僕の心を叱咤し激励してくれる心のビンタとして、何時までも消えない傷として、命ある限り心の中に残る教えなのであろうと思う

最後の講演で先生は言った「生徒に一流も二流もなく、全てがの子供達はかけがえのない存在である。まして、生き方において一流も二流もない。人は皆平等なのだ」と

先生とは30年位前に最後の約束をしている。
その日はしだい近づいてきているような気がする。

何を約束したか・・そんな些細な話を先生は覚えては居ないだろうが、生徒は深く心に刻んでいるものなのだ、ということもここに書き残しておきたいものだ。

岩を登る精神をロッククラフトでは教えている
ロッククラフトの精神は、そんな先生の血の記憶からとうとうと流れる、心の記憶となって永遠に受け継がれてゆけば幸いと・・考えている。

満6歳の実感

| コメント(0) | トラックバック(0)

ロッククラフトをクライミングスクールとして発足して12年、小山市で開業して10月10日で満6歳になる。
僅か5年の実践で、様々な成果を生んだが、相変わらず苦難もそれ以上に多い。
正に断崖絶壁、ヒマラヤの未踏の岸壁を登っているようだ。
夢とか理想とかいうものは、確かに近づいているような気もするが、頂は見えない。
夢とは「そういうもの」なのかもしれない。

1980年、初めての海外遠征で見た、ヒマラヤの峰は遠かったが、確かにそこにあった。
登攀をあきらめて、正に遭難のような状況で、午後10時頃、夜空に見たエベレストに沈む赤い夕日は、まるで僕の瞼に刻まれた世界遺産のように、今でも美しく心に残っていて、今でも輝きを失っていない。
単に自分の私欲という登山を捨て「人を育ててみたい」と思ったのはそのときだったのかもしれない。

登山に失敗して、人とのあつれきにつかれて、クライミングスクールを始めたい・・と思った時は、すでに僕の腰や肩は壊れていたのが現状であった。

しかし、1982年、僕にとっての憧れでもあった檜谷清氏との出会いで、クライミングスクールを設立できたのは、活気的なことだったと思う。
毎日、猿の移動手段と姿勢、歩行技術をビデオでみながら、クライミングの理想の練習プログラムを練っていた頃が今でも思い出される。

当時はほとんどの講習生は、クライマーであった。年齢も高校生が画期的に若いという時代であった。
その中からたくさんのクライマーが世界を目指して巣立っていった。

成果が出るまでには、10年近い歳月を必要としたが・・図らずもりバテイは10年で幕を降ろさざるを得なかった。

その後いろんな紆余曲折を経て「もっと小さな子供たちに、クライミングを指導したい、それなら僕にでも出来るのではないだろうか・・」とい気持ちから、自ら絵筆をとることにした。

ロイヤル・ロビンスとの出会いは、格別な時間であった。
彼との出会いから、7年くらいは、仕事に終われるだけの人生であったが、ある機会から、ロッククラフトの設立へと心が動いた。
2001年の会社設立は、ヒマラヤの未踏の山に挑んだ挑んだ時より肉体的にも精神的にも、苦しかったので、人生でもっとも苦難の時期だと考えていたが、実際はアレも、単なる通過点でしかなった。

ロッククラフト設立をもっとも印象的に考えていたのは、1994年のエベレスト遠征の時であった。
1980年にはるか後方の、しかも夜空に浮かぶ赤いエベレストを数キロの先で見ていて、益々、自分の残された人生を考えさせられた。

僕にとっては、山は全てが教師だったような気がする、特にエベレストは、地球の最高到達点であるが故、さらに格別な感情が移入された。

自分の私欲から、登山をすることが出来なくなった今、新しい世代に同じ夢を持つものはいないのだろうか・・、そして、そんな子供たちの担い手になれないだろうか・・。

そんな思いに、敢えて苦難の道を選んだ・・といえばかっこよすぎる。
しかし、イメージは「アメリカに、野球を生んだ男(映画、フイールド・オブ・ドリームス)」そのものであった。
自分の時代に実現不可能であっても、次の世代に、夢をつなげられないものだろうか?

正に囲碁の「捨石」となる効果を狙っていた。思うのは簡単だが、実践するのは大変なことだ。
拾う事は出来ても、あるいは抱えることは出来ても、捨てることの難しさを実感する。

僕は、30年クライミングの世界にいる。インドの哲学者に言わせれば、何事も50年かかる・・と言うのだ。そう考えると、いまだ「途上」でることはむしろ歓迎すべき現状なのであろう。

昨日は大きな夢を生徒たちに語った
「いいか、いまクライミングが楽しいなら、もっと基本を身につけなくてはいけない。日本選手権にでたいという夢では不十分だ、もっと遠くを見据えろ。目指すは世界だ」
「世界とは、単に参加するってことではない。少なくとも頂点を目指さなくては、観光旅行と一緒だ」
「結果は最後についてくる。まさか僕が・・とか私には無理・・とか、いまからあきらめることはない」
「完成度の高い基本練習の上に、世界は見えてくるのだ。今日やったような練習や考え方は、誰も離してはくれないだろう」
「世界は甘くはない。世界1になった人は、世界1苦労をしているのだ」
「クライミングで苦労を分かち合い、楽しむ事から逃げてはならない・・」

中学生の子供たちは、何故か正座していた。生徒に強要するわけではないが、夢はでかい方が楽しいではないか。

土曜日はインターハイで、山岳縦走競技で日本1になった生徒たちが練習に来た。
縦走競技は、クライミング競技よりも日の目を見ないが、日本1である子供の目は、正に「日本1」である。今まで、漠然と考えていたことが、現実になって本人たちも驚いているが、僕も驚きを禁じえない。
彼らは、正に日本1の目をしていた。

昨年は、僕のいうことの1/10位も理解していなかった子供たちは、数倍も考える能力が上がっていた。
「いいか、僕は新しいことをいってはいない。昨年と同じこと、その前ともほとんど同じことを言っているんだ。しかし、君たちの理解度が高まったから、ぼくの話が楽しくなって、練習がさらに楽しくなったのだ。
この、日本1の経験を、もっと活かして、更なる高みを目指そう・・」

子供たちの目のきらめき・・
教える方が、教わる方から教わっている。

何を教えるのか・・

僕は多くの失敗と教訓を体に刻んでいる。
足首、膝、腰、肘、肩、など故障した部位だらけである。
この体に刻んだ失敗と教訓を、子供たちに伝える。選択するのは君たち自分自身だ!

今僕の夢は、君たちの夢と同化しようとしている。

まだ、5歳満たない子供たちが「先生、僕、いつか世界1になるからね」
その意味を知ってか知らずか。

輝く、子供たちの目が証明する未来に、僕は小さな石を落として行きたい
それが、僕の教え方なのかもしれない・・・
「いいか、ムーブなんて、真似することじゃないぞ!!自分で掴み取ることだ」
それに必要なことを、何度も何度も繰り返す日々があと10年・・いや、もう少し近いのかもしれないと思う、今日、この頃である。

大学に入学して間もない頃、歴史学概論の講義の時先生が言った言葉が鮮明に記憶に残っている
「歴史の教科書を捨てなさい」
あんなに歴史が好きで、記憶してきた教科書の記述は、何も事実を伝えてはいない。
もう、過去は捨てて何が真実なのかを新たに考えなさい・・・。
今思うと、先生の言われたことは重い。
かつて聖徳太子像といわれて、1万円札の肖像にもなった人物像は、着衣から考えれも100年以上も未来の衣服であった。あわてた文部科学省は全ての日本史の記述に「伝、聖徳太子像」と記載するようになった。そんな人物像は多々ある。武田信玄像といわれた肖像画の家紋が違いっていた。すなわち武田家の肖像画でもなのに、信玄像と記述されていたわけである。
こんな話はたくさんある。
的史的事実とは、学会が多数決で決めただけのことであって、歴史的事実ではない。
今思うと、歴史学概論の先生はたいしたものだった。しかし、学会では冷や水を飲まされていた・・という。
哲学概論の時間に、先生が「う~NN,ソクラテスは果たして歴史上に存在していたのか・・・?」
と腕を組、講義が止まる・・・沈黙は30分以上に及ぶことがあった。
確かに、ソクラテスは何も文藻を残してはいない(私の知る限り)ソクラテスの弁明なる書物も、プラトンが書いたものである。
宗教を考えた時も同じような疑問が残る「キリストはキリスト教の開祖なのだろうか」
そういったのは12人の使途たちである。仏教においても同じである。仏陀は、結婚していて子供もいたようだし、彼は自分の生き様を「禅」といったが、仏教といったのは、弟子のモッカラナやサーリプッタ??のようでもある。もっと突き詰めれば、仏陀とは「目覚めた人」という意味で、後世の人がつけた名であって、正式名称は謎ということにしておこう。
たとえば、弥生時代に稲作文化が南方より伝播した・・といわれるが、6000年前にすでに稲の種子が日本にあった。記述ではなく、化石としてである。
歴史的事実は、炭素によって証明されるが、それにも限度がある。
宇宙は137億年まえに、誕生したといわれる。地球は太陽の誕生と同時代に誕生した?
46億年前のことである。月は記憶が定かでは無いが、36億年前に隕石の衝突によって、地球から分離した・・という根拠は、月と地球の距離が毎年1m遠くなっているから・・ということである。
歴史とは、人間が考える常識とか論理によって支配されるが、人間の考え出したものが全て正しいとは言いがたい。もう少しあたえられることを幾つ覚えているか・・が、能力の差を生むのではなく、物差しを変えてみる視点も大事だはないかと思う。
大学時代によく読んだ書物に、梅原猛のほんがある。ほとんどの本を読み漁った。地獄の思想、隠された十字架、水底の歌など、その哲学的発想による歴史考察と着眼には、確かに考える楽しさがあった。
しかし、彼の話は歴史的事実ではなく、歴史の哲学的考察において、斬新であったのだ。
歴史的手法においては、フランスのアナール学派の歴史人類学という手法が僕の興味を引いた。
僕のクライミングに対する考え方は、歴史人類学そのものなのである。
人間は、何故石を持ったのか、何故石に刻んだのか、何故石を積んだのか、何故石を投げたのか・・
そこには哲学的趣向、歴史的記述、芸術、遺跡。。戦争や宗教に繋がるそべての要因が隠されている。
ロイヤル・ロビンスが「無心に石を掴み、よじ登る・・事こそクライミングの精神だ」と言ったが、そこには理屈など無い。
石につかまる人・・そのものが全ての真実なのである。
下手であることも、上手であることも、石の前では、無力である。
自分自身の心の位置・・それが重要なのである。
そう・・「登ることが好き」であることが大切なのであって、うまいとか下手は関係ない。
指に刻まれたこそ事実であって、残された軌跡の残像こそが心の真実なのである。
記録とは人類にとって絶対的なものではなく、相対的な価値観なのである、それを一つの物差しで計るのではなく、それぞれの心の時計に刻み、それぞれの長さの物差しで計ることこそ大切な考え方なのである。
クライミングが教えてくれるもの・・それは人類の生きた過去と、これから対面するであろう未来とのあいたのほんの僅かな位置だけなのかもしれない・・などと、訳の解らないことを考えた1日であった。

バランスとリズム

| コメント(0) | トラックバック(0)

最近、ロックンロールが不調だ。10年以上も使用していると、あちこちトラブルがでてくる。
機械も人も、使いすぎは良くないと思った。
しかし、この機械は優れた才能を持っている。

1)スピードが変えられる
人間は自分のリズムやスピードで、無意識に運動してしまうが、この機械だと、スピードを微妙に変えられるので、リズムやスピードに変化を促すことが出来る。
クライミングは、自分のリズムを掴むことは大事だが、クライミング以外のスポーツだと、人のリズムやスピードに同調する能力を問われる場合がある。
すなわち、変化に対応する4支の運動が出来るのである。

2)角度が変えられる
垂直に対してマイナス10度からプラス45度まで55度の角度調整ができる。
すなわち初心者から上級者まで、筋力や対応能力に合わせて、負荷を設定できるのである。
特に、ウオーミングアップや傾斜角度にあわせた、バランスの連続練習に効果を発揮する。
実際の壁を登る前の擬似クライミングによって、角度による対応能力(三半規管)を向上させることが出来るのである。

3)タイマー設定が出来る
同じ角度、同じ速さで、どのくらいの時間、連続して運動しても疲れないのか、という練習が出来る。
すなわちスタミナの向上が図れる。長い時間(10から15分)の体験的に軽めの設定での運動を切り返すと、脂肪の燃焼が促されて、ダイエットにも効果がある。
負荷を軽くして練習後のクールダウンにも有効と考えられる。

4)あたえられた課題の連続運動が出来るが、相手が機械であるので、躊躇することはできない。
それによって、瞬間的ナ判断力、ひらめきが鍛えられる。感性が鍛えられると言う話もあるが?それはロックンロールに限った事ではないと思う。

これらの運動には、体の内側の筋肉(見えない筋肉)を鍛える効果がある。

しかし、壁の横移動にも同じこうな効果があるので、練習は偏らないことが大事だと思う。

考えること

| コメント(0) | トラックバック(0)

何故、登れないのか?何故、こんなことを繰り返すのか?
答えを教えるのではなく、考え方を教える。

無駄を繰り返すこと。それを楽しむこと。
その、繰り返しの中に見え隠れする答えは、永遠に極められることではない。

単純であることの難しさ。ある意味では「考える知恵」

左脳で考える。ある意味では「直観力

刀を磨くように、ゆっくりと・・教えてゆきたい。



フリークライミングスクール・ロッククラフト

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち何を教えるのかカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはトレーニングです。

次のカテゴリは岩への畏敬です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。