少なくとも、クライミングの多様化は、1970年代から始まっている。
ぞれまでの登山は、8000mの初登頂に始まり、未踏の山河へ、そして、ヨーロッパアルプスの未踏ルートからの登攀(クライミング)とヒマラヤのバリエーションルートへの挑戦。
無酸素での8000m挑戦など、人間の欲望はとどまることを知らなかった。
フリークライミングとの出会いは、1977年のことだったと思う。ロイヤル・ロビンスの本を読んだあたりから、日本にもそんな風潮が押し寄せてきた。
岩登り競技会は正に、フリー化の先駆けとなった画期的な出来事だったと思う。
それまでの岩登りの基本である、3点指示という概念をぶち壊すきっかけとなった。
先鋭的を自負するクライマーの一部は、小さな岩にしがみつき、難易度を競い合った。それまではテスト岩といっていた、石登りが、練習の一つではなく目的となっていったのである。
小川山にも、たくさんのルートが開拓された。
しかし、そのクライミングは、ジャミングやカンテのぼりの技術や、ロックスやカムナッツの使用技術に終始して、フエイスはある意味では邪道とまで言われていた。
フエイスクライミングが何故邪道だったのかというと、岩にハンガーを打ち込まないと危険であった・・がためである。
すなわち、フリークライミングは、岩場に痕跡を残さないのがスタイル(礼儀)として。最上と考えられていたからである。
しかし、それでは課題がなくなってゆく・・
多分1980年代の後半くらいから、フリークライミングはフエイスクライミングへと傾いてゆくのである。
一方、豊田の岩場や、御岳などでは、小さな石登りが静かなブームとなって行った。
その頃のボルダーエリアは日曜日といえども「静かな午後」の陽だまりであった。
1982年頃までの小川山も静かな日本のヨセミテと呼ばれていたような気がする。
クライマーと呼ばれる人種はほんの僅かであり、それがクライミングの重要なコンセプトであったようだ。
かく言う私も「その一端を担いたい」と考えていた。
クライミングを人工壁で、コンペとして位置つけたのは一人の男の発想だったと思う。
1980年代も終盤を迎えていた。彼は山梨の自宅を改良して、道場を作っていた。
やがて人工壁が関東に出現したのは1991年のことである。
私は、クライミングの発展にジムの有効性を考えていたが、H氏とは対立していた。
1992年ころから、クライミングジムが入間に出現して、私は驚きを禁じえなかったが・・もし、T氏の発案がなかったら、クライミングはここまで発展していなかったとも考えられる。
「ロープを使わないクライミングコンペを行おうと思う」そういった青年がいた。K氏であるが、その発想に、またまた驚かされた。ボルダーリングセッションの始まりである。
ロッククラフトはそんなドサクサに生まれた。
単純に、小さな頃からクライミングをしていれば、クライミングのレベルは格段に成長する。
さらに、底辺が拡大されれば、もう少し日の目を見ることになるだろう・・と、私は勝手に考えた。
正に、少年野球や草野球の発想である。
夢は、クライミングを人工のフイールドから再構成してみようというものであった。「向井さん、夢はいいのだけれど、収益は?飯が食えなければ、経済じゃないよ」と手厳しい意見も頂戴した。
しかし、夢は確実に実現の方向に向かっている。それは、クライミングを日本に認知させた一人の男の出現に始まった。彼は後日、世界選手権で数度優勝した。しかし、ほとんど新聞には取り上げられなかった。
ルートクライマーとしては世界屈指のクライマーであるY氏の出現は、クライミング界においては欠くことのできない存在である。
時を同じくして、1994年頃、山梨のH氏から電話がった「向井さん、鹿児島からとんでもない青年が状況してきた。怪物だ、地球人ではない!!」そんな話に目も向けず、僕は仕事に埋没していた。
Dとい男は、正にワールドカップで優勝した経験のあるY氏をしても「少なくとも僕は地球人だが、Dチャンは地球人の域を超えている」と言わしめたようである。
この二人に支えられて、世界的なクライマーを目指す人間は後を絶たなかった。
これからは、もっと優れた素材も生まれることだろう・・その予備軍は10代、20代に数人存在する。
一方。コンペをクライミングの全てと考えるクライマーも出現してきた。それまではコンペはクライミングの一部と言う考え方が体制を占めていたのだが・・。
「クライミングは個人的なスポーツであって、他人の評価が問題ではない」そう言った男がいた。
「自分のために戦いを挑む、人に見せるためではない」そう言った男もいる
「勝つために、訓練している」といった男もいる。
クライミングって何なのだろう?
コンペとは少なくとも戦いであり、参加者を喜ばせるものでもない。
しかし、観戦しているものを無視しての大会はありえない。
プロの競技者は、観客を楽しませなくてはならない。
アマチュアは自分のために戦えばよいのだが、それだけでは経済効果は生まれない。
経済効果がなければ「金をだそう」などという、スポンサーは現れない。
少なくとも、クライミングコンペ(大会)にはいくつかの目的がある。
1)日本1を決める大会
2)世界選手権など、国際試合への派遣選手を選考する大会
3)自分の実力を試す大会
4)練成や育成を目的とした大会
5)普及や啓蒙を目的として、見る側や参加する選手が楽しめる大会などがあると思う
現状のクライミングの大会には、この様な考え方が不明確なまま「なんとなく進行している」様子が伺われる。
ロサンゼルスオリンピックに参加して、体操競技で金メダルをとった選手が実は「自費参加」していった・・という例は、各種競技には現存する事実である。
フイギアスケートにおいて選手育成に親が数億円も費やした・・という話もある。
一方、室内スケートリンクは全国で80箇所を割ったという現実もある。
スイミングプールは、全国に5万箇所以上もあり、その経費には莫大な税金が投入されている。
それから考えると、クライミングは好きなものが好きなように経営して、或いは、好きなように大会を運営して、なにもお咎めを受けないのは、或いは幸せなことなのかもしれない。
昨年、一昨年と、国際大会でのボルダーは、観客動員の減少が顕著であるといわれている。
文化の違いか、ボルダーの大会は選手が楽しめれば良いのであって、観客は不在な方向に進んでいるようである。
それではいけないと・・UIAAなどでは、手を買え品を変えて・・デモ、ヨーロッパとアメリカでも事情は異なるようだ。
ヨーロッパでは、国内大会の選考をクリアしたものが参加する。
アメリカ・カナダでは。参加費を捻出できるものが国際大会に参加する・・すなわち、オープン参加なのである・・とっても各国連盟に認可を受けなければ、国際大会に国を代表しては参加できないが・・。
テニスやゴルフには、国を代表して参加する大会や、予選から誰でも参加できる大会がある。
招待状がなければ参加できない大会もあれば、個人でも参加できる大会もある。
ある、オランダのスポーツクラブの責任者がいった言葉が印象に残る。
スポーツ選手に必要なものは
1)人格
2)洞察力
3)スピード
そして、4)技術だと、
観客を満足させて、初めて国際スポーツとして認可される。選手のために大会があるのではなく、選手を応援する観客あってこそ、スポーツなのである。
選手のために運営される大会は、公式なものと呼べるのであろうか?
草野球などは、選手のために運営される大会であるのだが・・。
まだまだ、クライミングは発展途上のスポーツである。
楽しいから参加する、楽しいからジムや岩場に通う、といレベルである。
日本でメジャー(認知される)になるには、まだ100年くらいかかるのかもしれない。
ほんの30年前に始まった、まだ、新たしいスポーツなのである。
カーリングというスポーツも400年の歴史があると言われている、スコットランドが発祥の地で、ルールが統一されたのも1800年代といわれる。
スポーツとしてのクライミングは、まだまだ若い、私の知る限り、フランスで100年以上前のボルダー課題があったとされているが、人工壁での国際大会は1980年代になってからである。
変化と歴史への対応に、水を差すなら正当な水(育てる)を指すべきである。
今年は10月に加須で、ワールドカップが開催される。それは大変なことだ。お金もかかるが多くのことを学習できる機会でもある。
少なくとも、日本でのクライミングの認知度は、高まっている・・といっても、カーリング以下であろう。
まだまだ、黎明期を迎えたばかりの子供である。子供であるから許されるという発言もあろうが、何時までも子供であってはいけないと思う。子供を叱る親(年長者)も必要なのである。わがままな子供の「好き勝手な遊びでしょう・・」で済まされるのなら、公園での木登りが禁止になっているように、クライミングも危険なスポーツといレッテルを貼られたまま、失速しかねない。
そんな危機感も携えて、今年も、クライミングを資するものは、楽しみ方を一人一人に、柔らかく紹介して行きたいものだ。