「子供がクライミングをしたいというのですが、ロッククライミングってどんな遊びですか?」と親から聞かれる。僕は言葉巧みに営業をしてしまうのだが、子供たちにはそんな言葉は通じない。
「ね~早くクライミングがしたいよ~」とせかされる。一方、親はクライミングの効果を根掘り葉掘り聞こうとする。そして子供たちに「こんな効果があるのよ、あんな効果があるのよ」と諭そうとするが、子供たちにはそんな親の思惑など通用しない。まして僕の話は「話を聞きに来たんじゃないんだよ!」と一喝されてしまう。
そんな事の繰り返しも10年近くが経過した。僕も少しは子供たちの考え方を理解できるようになって来たのかもしれない。
子供たちに何を教えるのか?って事ではなく、クライミングを通して、子供たちから何を教わってきたのか・・と言う事をここにまとめてゆきたいと思う。
そうすることによって、クライミングの楽しさや意義が見出されていけばよいのだし、本望だろう。
がんばれとか、あきらめてはいけない・・とか言う前に、がんばらない事、あきらめる事の大切さも、子供たちから教えられたような気がする。
今までは漠然と僕の視点からコラムに書いてきたが、ここでは子供たちが僕に教えてくれた事を、子供たちの視点から書き綴って行きたいと思う。
クライミングってどんな遊び
「ねえ、ロック先生、クライミングってどんな遊び。ルールは?」
「何をしてはいけないの。何から始めるの?」「何が楽しいの?如何すれば楽しくなれるの?」
まだまだありますが、子供たちからは、さまざまな質問が飛び出します。
「上りたいんだよ。思い通りにさせてよ」「自分のしたいことをしたいんだよ」「僕はクライミングはしたいけれど、教えてもらいたくはないんだ」
など、子供たちの考え方はさまざまです。ロッククラフトにはさまざまなし障害を持った子供達も来ています。引きこもりや不登校、自閉症やダウン症。あるいは、目が見えなかったりその他の機能障害をもった子供達もいます。そんな子供達も「みんな普通なんです」って事を何故今まで理解できなかったのか、と言うことも子供たちから教わりました。
僕がクライミングを考えた動機は僕自身の抱いた素朴な疑問から始まりました。
「なぜ、こんな困難にあえて挑戦するんだろう」
詩人の正岡子規にいたっても「いつか北インドに聳え立つエベレストと言う山にたどり着いてみたい」という考え方があったそうです。おそらく結核?に襲われていた晩年、27歳ころのことだと思いますが、人はあえて困難に直面したいとは思わないものです。中学生の頃読んだ小説の「ああ、無情」や「罪と罰」などさまざまな文学作品に存在する人間の本性を考えたが、子供たちの心に存在する純粋性には、それ以上の驚きを感じたのでした。
子供はいつか大人になる事を知っている。しかし、大人は嘗て子供であった事を忘れてしまい。大人の望む子供であってほしいと考える。
僕は大人が描く理想の子供像より、子供が自身を描く子供像を見守りたいと考えた。
そんな事をここで書き綴ってみたいと思う。

