こんなに心が重たい事はないのだが、後ろ向きに考えるより、前向きに考えたいと思う。娘が公立高校不合格になったのだ。自分はそんな経験を味わった事がないので、娘の心情をどのように察してよいのかわからない。しかい、むしろうろたえているのは自分のほうかもしれない。こんなに心が重たいのは、どう表現してよいのかわからない。このような心境の親も日本全国にあふれていると思うが、多くの場合は「合格おめでとう」である。
高校受験が人生を決定つけるものではない。ただ娘の場合は流されてしまった。或いは自ら流される事を受け入れたのかもしれない。意外とさばさばしていたが、努力しなかったのだから当然の結果といえる。幸いにも私立が合格しているので、お互いそちらのほうに気持ちを切り替えることにしたが、娘はむしろ私立のほうが第一希望であったようだ。父としてはソフトボール部に入ってほしいのだが、本人は吹奏楽部に入りたいようだ。気持ちの切り替えが出来ないのは、むしろ父である私のほうなのかもしれない・・・・。これであと3年教育費が・・・である、息子2人が私立大学、娘も私立高校・・現実が重い・・ま、僕の子供だから、親に迷惑をかけるのは当たり前かもしれないが(笑)
合格発表には初めて言った。悲喜こもごも・・と言う印象であった。自分の時も行ったか否かは記憶にない、落ちるなんて事は想定していなかったからなのかもしれない。といっても勉強したかと言うと、大学3年くらいまでは授業のほとんどは楽しくはなかった。自分が、調べたい事、知りたい事はとことん調べて考える。それが僕流だったのかもしれない。それは今でも同じである。
昨日は、Tさんと歴史の話をした。彼も歴史には興味があって(教えるという立場にいるらしい)幕末から維新後の日本の政策についての思慮は深そうだ。彼が「幕末前後の民衆って強かったですね」といった言葉が印象に残った。僕も大学時代に偉人による歴史検証より、名もなき庶民の生き方にこそ歴史があるのだ・・という考え方の賛同して歴史人類学なる思考を考えていた。歴史人類学とはフランスのア・ナール学派が提唱した新しい歴史の検証方法である。といっても1970年代では新しかったが、今となっては古い考え方なのかもしれない。ル・ロワ・ラデユリなる歴史学者の考え方が斬新であったのだが・・
斬新といえば、昨日の小学3年生チームは練習に気合が入っていてすごかった。トップロープであるが、初トライの5.10bクラスをことごとく成功していたのである。そんな感じで毎日の練習にも力が入るといいのだが、スイッチが抜けている事が多くて困ってしまう。しかし、遊びながら確実にレベルを上げている子供たちは素敵である。僕も確実に年齢を上げているのだが、年齢に合ったレベルにあがるよう心がけたいものだ。
今日も長くなってしまった・・


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