最近は娘の事で胃が痛くて、なかなかすっきりしないことが多い。今日は中学の卒業式である・・と言うことは明日は合格(不合格)発表と言うことだが、人生には色んな関門があるが、娘にとっては初めての関門である。努力を積み重ねての結果なら良しと思えるのだが、努力を怠った結果であるから、父としてはなんとも言いがたい。しかし、明日を待つしかない。それからの事は明日考える事にする。
しかし、こんなに胃がいたいのは、何とか僕も父である証拠なのだろうか?
困難は常に人生の前に現れては消える? 消えない困難もあるが・・・。
昨日、買い物ついでにレンタルDVDを見ていて、ワルキューレに目が留まった。1年ほど前に封切りされたヒットラー暗殺計画の一つである。一説によると彼の暗殺計画は43回企てられた・・といわれるがその真偽は定かではない。今、歴史を振り返ると、ヒットラーは少なくとも1945年4月29日まで生存していたのであるから(4月30日死亡)であるかた、彼の暗殺計画はことごとく失敗に終わったtのである。
当然「ワルキューレ」計画も失敗に終わったわけだから映画もそのようなストーリーで展開するはずである。そう思いながら映画を見ていると、結末が解っているだけに胸が痛む思いがした。
無の痛みは「それは成功しえない作戦」である事を歴史が証明しているからである。結末が解っている事ではあるのに私の不安は心の痛みとなり、最後までこの映画を見ることが出来なかったのである。
それは娘の受験発表見に行く事と同じくらいの痛みであると、自分では勝手に思い込んでいるからなのである。先週から毎日胃薬を飲んでいるのだが、胸焼けは収まる気配がない。
未来派予測できない・・と言うが、人間は常に未来を予測して行動する生き物でもある。予測すべき未来は可能な限り最悪ではない事を願うのだが、予測し得ない未来は、必ずしも幸福へとは導かないものでもアル。
十分な準備をして望んでも、達成できないこともあるし、何の準備をしていないにもかかわらず、偶然に達成してしまう現実もあるのだ。それは宝くじに当たるようなものなのかもしれないが、予測し得ない成功も、まれに起きるのである。
ヒットラーに関する文献は、随分読んだと思うのだが、なかなか歴史もその真実を浮き彫りにしてはくれない。ヒットラーはユダヤ人弾圧者としてその名を馳せるが、彼ほど自分のための国家つくりに没頭し、彼ほど多くの同胞や国民、そして有能な部下を殺害した独裁者は、20世紀にはいなかったのかもしれない。
かつて社会学者エイリッヒ・フロムはその著書「自由からの闘争」で独裁主義とは何かを検証していたように思うのだが、彼が後に言った言葉が面白かった「社会の構造を解き明かすことは、あるいは簡単だが、家族の幸せを願うためには、どの方向に、導けばよいのかは、いつも判断に苦慮する」・・と。
すなわち、人生とは「何が成功で、或いは、何が失敗だったのかは、終わってみなければわからない」と言うことなのだろうか? そんな事を考えてしまった、昨日、今日であった。


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