坂本竜馬が流行っているようだが、最近、「竜馬の才能を見抜いた男」として勝海舟の名前が挙がっているのだが、どこにそんな歴史的根拠があるのだろうかと、疑問を感じている。竜馬の才能を見抜いた男は司馬遼太郎であるなら、納得がいくのだが・・。勝が師事した佐久間象山の門弟になった気配もない??文学と歴史の狭間で悩む事は多い(僕のことである)この件も、しっかりと今書きかけの原稿に綴ってゆきたい。
さて、今日はこんなに雪が降っているのだから「画期的なくらい暇であろう」と言う僕の予想は裏切られてしまった。開店休業どころか、ジムは、わいわいがやがやしている。このブンだと10時に閉店出来そうもない。
今日は1日、文筆活動に専念しようと幕末の文献を紐解いて、あれこれ時間合わせをしていたのだが、どれもこれも中途半端になってしまった。分からない事を分からないなりに調べて、歴史の時間軸にあわせて、誰と誰が本当に話したのかを検証して見るのも面白い。佐久間象山にしても然りである。なんとも豪快な人間である。むしろ司馬遼太郎が象山の才能を文学に見出していたら、文学史の竜馬象も変わっていたのかもしれない・・などと、相変わらず想像力だけで歴史を検証する自分流から、脱け出せない自分がいる。
そういえば今日は午前中に栃木県の公立高校の入試問題をトライしていたのだが、結構良い点数であった。確実に数学力は落ちているが、ほかはあの頃よりあがっている。宇高は無理だとしても・・
話は戻るが、僕も「竜馬の才能」を見抜いてみたい。しかし、司馬流ではなィ。むしろ竜馬の存在を歴史から抹殺してみる・・という手法で文学に挑戦してみたいのである。何年かかるか分からないが、そんな事を考えながら、時間の隙間を縫って、文筆活動をしているのである。しかし、考える時間が今の僕には少なすぎる。それが返って想像力を磨く文学的手法に向かわせているのかもしれないが、どこかに『僕も文学部歴史学科だった』という意味もない自負が内在しているのかもしれない。
強敵はわが腹中にあるのかな?そんなストレスで最近は毎日胃薬を飲んでいる。歴史を考える楽しさは、胃をいためる辛さにもなっているのかもしれない。
中学生のとき、僕が描いた夢の一つは文学者であったのだから・・・?
つまらないコラム?かな?


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