今日は娘の高校受験の後半戦であった。後半戦は面接と言うことで、終わるまで近くのコンビニで待つ事にしたら、なんと車のバッテリーが上がってしまった。ほぼ30分くらい、来店するお客さんなどに「バッテリーを貸してください」とお願いするもずべて断られてしまった。人相が悪いのか女性が冷たいからなのか??途方にくれていると、そこに、ヤンキーっぽいお兄さんが来たので「バッテリーが上がってしまって・・・」と言うと「急いでいるのですが・・」といいながら快くOKであった。彼が天使に見えた瞬間であった。今日は寒くて・・雪もちらつくけど、見かけでは分からないな~と、改めて実感した。
踏んだりけったり・・かは分からないが、アカデミー賞で地雷処理班の仕事を扱った映画が大方の予想に反して作品賞、監督賞、脚本賞などをとった。密かに僕も『そうなったら良いな』と思っていたのだが・・予想が当たって喜んでいた。地雷を踏んではいけないが・・自国が招く紛争解決手段への強烈なメッセージもこの作品にはあるようだ。
ドキュメント部門は「入江(the cobe)」という日本のイルカ料を題材にした作品であった。一見「不都合な現実」は見方を変えると善にも悪意にも取れるものだ。30年以上前の『グレート ハンター」という映画を思いだした。ショッキングな現実であるが、現実は常にショッキングなものである。正に『事実は小説よりも奇なり」である。
もともとアカデミー賞とは大衆賞ではないので、アカデミー会員の独断と偏見でも良い・・と僕は思う。アカデミーとは、もともとそんな考え方である。大衆が指示するとか収入が大きかった・・と言うことは評価の一部にしか過ぎないのである。
今回ノミネートされた作品の多くはアメリカ自身が抱えている膿みの部分である。家庭内暴力、人種差別・・そして初めて、作品賞、監督賞に女性が選ばれたのである。受賞者が女性である事が話題になる事事態にも差別と偏見が内在しているような気もする。
鯨を食べる、蛸を食べる。牛や鳩を食べる。動物は残酷で植物はやさしいのか?
歴史と伝統は、守る戦いと凌駕される現実の、常に狭間にアル。人の死のみが尊いのか、偉人や英雄の死が惜しまれて、量としての死は単なる死でしかないのか?
昔、アメリカン先住民の教え・・と言う本を読んだときの言葉が胸に響き渡る「死は、いかなる死も、死でしかない」
戦場での死も、病死も飢餓による死も、皆同じ・・と言うことであろうか
今回のアカデミー賞でそんな事を考えてしまったのだった。
更に『踏んだり、けったり・・」
それは、日本の政権与党にも言えるのかもしれない、金と政治の問題ばかりを追求する野党。野党も与党の裾野を崩せない。国民は「それじゃあいけない」といっているのに、寝耳に水である。
せっかく内閣総理大臣の椅子に付いたのに、失言や陰謀説を唱える部下(議員)の失態。自らも失態をさらけ出すかのような根拠を示さない発言に、どちらも踏んだりけったりの状況にあるのかもしれない。本音は「国民に蹴られないようにするにはどのような判断をするべきなのか・・」と言いたいのかもしれない。しかし、それじゃ政治じゃないでしょう。大衆の人気取りが政治の本質ではないのですかならね。この際、共産党以外はみんな解体して、新たな枠組みで政党を作り直す・「政治リコール宣言」でも、どなたか発信してみたらいかがなものかと、僕は考えてしまうのですが・・・


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