織田家はなんと不運に見舞われた家系なのだろう。4年前のトリノオリンピック国内予選では至上例のない採点ミスで出場できず。その後の酒気帯び運転で出場自粛・・そしてやっとたどり着いたバンクーバーでは靴紐が切れる・・というアクシデントに見舞われる。泣いても泣ききれない・・そんな感情が彼の不運を装う。信長の血がなせる業なのか?ありえない不運である
不運といえばスケルトンやリュージュでも同じような事があったようだ。試合に使うそりが参加基準を満たしていない・・選手はどのように考えたらよいのだろうか? これもありえない不運である。
不運はさらに昨日の1000M男子での起きた。スタートのピストルが紛らわしい音を出したのである。選手に気持ちは途切れてしまったようだ。スノーボードクロスにおいても予選で深い霧・・これは自然のなせる業であり、不運といわざるをえない。
時を遡る事1972年札幌オリンピックにおいても不運は付きまとった、スキージャンプ90M級において、期待の笠谷が飛んだ瞬間に横風の突風が吹いたのである。彼はバランスを崩しで2度も体制を立て直したが、着地するのが精一杯であった。神が招いた不運ともいえる。
1968年グルノーブルオリンピックにおいてもなぞめいた事件があった。ジャン・クロード・キリーの三冠で終わったスキー競技において、カール・シュランツが滑降競技において旗門不通かとたん他事件であった。彼は札幌に雪辱を期したが、プロ選手はオリンピックに参加してはいけない・・というルールによって参加できなくなった。既にほとんどのスキー選手がプロとして報酬を得ているのは既成の事実であったのだが、彼だけは参加できなかったのである。誰もがルッシと対決を楽しみにしていたのに・・・。
オリンピックにまつわる不運やアクシデントは多々アルと思う。僕の記憶の中にも、まだまだ、さまざまなエピソードが存在する。
後にわかったのだが、トニー・ザイラーの三冠王に湧いた1956年にイタリアのコルチナオリンピックにおいて、回転競技において二位にはいった猪谷千春さんは、交互操作と言う技術のパイオニアであったが、当時の国際スキー連盟は、交互操作の技術を禁じ手とした・・ルールはルールであるのだが、納得が行かないルールであった。
同じような事は1970~80年代前半の平泳ぎにおいても日本人選手を悩ませた・・悩まされたのは、日本人選手だけではない。少なくとも、オリンピックはただ勝つ事ばかりではなく国際交流の場としての意義も保たなければなるまい。スポーツマンシップを改めて考えてみるのも良いだろう。


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