スノーボードの男子選手はいい感じで決勝に進んだ。国母選手は「メダルは意識しない、自分の演技をしたい」ときっぱり言った。青野選手もすばらしかった。本命はショーン・ホワイトのようだが、戦えないはずはない・・と、僕は思った。午後からの決勝で自分の全てをぶつけてほしい。
全てをぶつける・・といえば、クロスカントリースキーのスプリントはすごい戦いであった。おおむね1.6kmを3分37秒での争いが予選で行われていたが、駆け引きと時間で手の汗握る戦いであった。オリンピックの舞台でも1秒以内に20人近くいるなんてすごいレベルである。確実に選手の層は厚い。
オリンピックは夢の舞台でもある。メダルを争う、あるいは決勝進出を目指す。あるいは全力を出し、参加することにも意義があるのだとも思う。
昨日のスノーボードクロスの土井奈津子選手はまさに夢の舞台でベストを尽くしたのだと思う。外国選手は170センチ70キロを超える選手が多い。そんな中、普通の日本人のサイズの選手が同じ舞台で戦うのはすごい事だと思う。茶摘で鍛えた下半身はまるでゴムマリのようでもあった。
夢といえば僕は夢を見る。そのほとんどを目覚めても覚えている。覚えているというか、夢の途中で、うなされて目覚めてしまう・・といったほうが良い。夢には必ずクライミングシーンが出てくる。寝てもさめてもクライミングのことが僕の脳から離れないのだ。あの子にはこんな指導が良いかな、この子にはどういう風に伝えたらよいのか。この子には今は伝える事はない・・とか、一人ひとりに色んな頃を考えながら指導しているのか、あるいは遊ばせているのか?(子供の場合である)
高校生になると、いろんなことが浮き彫りになる。小学校のときに伝えられなかった事が会話になる。さらに驚くのは、小学生の時に僕が言った事を意外と覚えている子供が多い事だ。それも肝心な事を・・である。
難しい言葉では伝わらないが、簡単な言葉で言った事を、子供たちはしっかりと脳に刻み込んでいるのである。うかつな事はいえない(笑)
また子供の感性は鋭い。大人の嘘を瞬時に見抜いてしまう。先週は久しぶりに子供たちの前で登った。熱い視線を感じて振り向くと、ほぼ全員が僕ののぼりを見ていた。「先生も登れるんだ」と練習にあんまり熱心ではないように見受けられる小学2年生の男の子に言われて「君ほどではないがね」と意味不明な返事を返したが、何かをひらめいたように、彼が上り始めた・・・「いい感じじゃ~ん」と言うと「別に・・」とそっけない。
そもそもアスリートはこんなものである。ある意味では照れ屋で、繊細で、しかもクールなのである。それは小さな子供たちのも共通する。世界を意識するなら、大きな子供を育てたい。それは体格が大きいとか態度が大きいとかいう問題ではない。
そこのところをどのように伝えるのかは、難しいのだが、例えば、いくら注意しても廊下を走る子供を育てたい。僕の目を盗んで、いたずらをすることに媚びない・・そんな子供らしさが世界の扉を開くような気がするのだが・・・
まだまだオリンピックの熱戦は続く、いつかここからオリンピックに出場する選手が育てば、僕が夜中に見る夢は、真昼の夢になるのだが・・・・。道は遠い。


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