昨日だったか、変な質問が2~3件あった。まずは「どんなところにすんでいたのですか?」と言うものだったが、僕は北海道の陸別町に1957年2月19日の午前3時半頃生まれたらしい。ものすごく寒い日で気温はマイナス39度くらい有ったと言う。「産湯に氷が張ってしまった」と父は大げさに言っていたが、果しでどのくらい寒かったのかは覚えていない。僕の記憶だとマイナス20度くらいは記憶にあるが、確かに家の玄関のドアが凍り付いて開かない。窓ガラスには氷の結晶が張っていて、この窓ガラスが織り成す氷の幾何学模様に興奮してみったことを思い出す。布団も口元は吐く息で氷付いていた。しかし、それは普通の事であった。中学時代まではそんな事も良くあった。
昨日は小山(結城かも知れないが)で夕方一部停電があって「大変だった』と言う話を聞いたが、僕が4さいころまでは、電球の隣にランプがあって、停電は日常茶飯事の事であった。ランプの明かりは赤く黄色く・・とても良い雰囲気をかもし出していた。
洗濯機はないから、毎日の洗濯は大変であった。ストーブはマキであった。秋になるとどこの家での早朝から父がまきを割る音が軽妙に響いてきて僕に目覚めの時を告げた。
当然、水道はなかったので共同の井戸から水亀に水を汲んできたのだが、冷たいと言うより、冬は寒くて痛い・・と言う感じであった。
幼稚園に通っていた頃、クロスカントリースキーを履いて通っていた。当然信号も車というものも珍しかった時代である。昭和30年代の北海道の田舎はそんな景色であった。
馬のがソリを引いて、牛乳などを運んでいた。僕はそれに飛び乗り小学校まで言った事もあった。
朝起きると、茶の間にユキがたくさん入り込んでいて、おばあちゃんが箒(ほうき)でユキをはいている事もあった。
テレビなどはない(幼稚園時代は)隣のうちによく見に行っていたらしい。それで父が母と相談してテレビを買うことになった・・と言うが、母は『洗濯機がほしい』といったそうだ。
何の番組を見る・・と言うよりテレビ自体を見に行っていたようでもある。幼稚園の頃はテレビの記憶があまりない。小学生になった頃は『幻探偵」とか「ハリマオ」を見ていたような気がする。テレビに熱中したのは「鉄腕アトム」や『鉄人28号」からである。
その頃は冷蔵庫も、掃除機もお風呂もなかった。しかし、懐中電灯はあった。停電は小学3年生頃まで?は日常の事であった。
小学4年生の時、我が家に冷蔵庫が来て驚いた『氷が作れる」事に感動していた。また、その頃「自宅にお風呂が増設された。銭湯に行けなくなる悲しさもあったが、自宅で「ゆっくりお風呂に入れる』と言う期待はもろくも壊れた。お風呂を沸かすのは僕の仕事。マキを燃やしてお湯加減を作るのである。夕方のほぼ1時間は、お風呂沸かしの仕事で埋まってしまったのだ。おかげで火を付けるのはうまくなったのかもしれない。と同時に窓が二重になる工事もした。冬になる前に窓のビニールを張って雪の侵入を防ぐためであったが、やはりビニールを窓にはって寒さは格段と和らいだのを思い出す。
冬になると軒下には背丈以上の雪が積もっていたのが少し変わってきたのを感じたのは高校時代だったと思う。今思うと1970年ころから温暖化は始まっていたようにも思う。布団も凍る事はなくなった。家の暖房が強化されたのである。小学5年ころから、冬の暖房はマキではなく石炭になった。今の釧路の実家は石油であるが、まだエアコンは使っていない。当然扇風機も実家にはない。石油ストーブは7月でも使う事があるくらい釧路は寒いのである。しかし、冬は1990年代頃から寒いと言う印象は薄れている。
中学の頃、東京方着任した先生が「夏の暖かさには感動したが冬の寒さは耐えられない」といっていた。学校のクラスの室温が4時間目を終えても-4度と言う事は日常であった。
昭和30年代から40年代は、まさに日本が急激に近代化した時代であったと思う。そう考えると僕は良い時代に生まれたと思う。まさに「戦争を知らない子供たち」なのである。
しかし、小学校の校舎のにはロシア(旧ロシア)の爆撃機の銃弾のあとがあったり、防空豪も小学2年生までは僕の自宅の庭に残っていて、入り込んで遊んだ。戦争の痕跡がまだまだその色を失っていない時代であったと思う。中学2年までは防空壕を探すのも遊びの一つであった。
今更40年前に戻る事はできないが、多少の物資しかない時代であったので、産しとりや魚釣りなども生活の一部であったと記憶している。それは確かに「遊び」でもあったが・・・。
僕の友達のお父さんは戦闘機乗りであったし、おじさんには天皇陛下の近衛兵であった人も居た、空襲で銃弾がももを貫通した、という傷跡を見せられて驚いた事もあった。
「戦争で死んで英雄になりたかった」と今は泣き父が語っていたが、もう、身近に戦争体験の語り部はほとんどいない。死んで英雄になる。そんな感情が日本人の心情に根づいていたのかもしれない。
雑記と言うか、最近は(いつもかな)色んなことを考えて、眠れない。特に眠れない原因は娘の進路の問題だ。中学3年生の子供を持つ親の心境はみな同じなのだと思うが、やはり複雑である。