2010年1月アーカイブ

サボっていた?

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「最近、ブログを更新していませんね、何か書いてくださいよ」と言われて、はっとした。そういえば最近、ブログを書いていない。少し反省・・?

今日は大好きなイチローの話題を書こうと思う。彼は「練習が一番好き」といってはばからない。確かに楽しそうに色んなことを試している。今年は松井との対決に備えて『ピッチング(投手)」としての練習もしているようだが、監督に「登板させる事はない」と断られたようだ。しかし、相変わらずマウンドに立っているという。まったくすごい。

次にホームラン競争をしたらしいが、150スイング中43本をスタンドに入れた、しかも最後は予告して140mの特大を打ったという。

強健外野手と100mの遠投対決模したようだが、7割の力でほとんどがストライキだったらしい。ちなみに対戦相手は「100%の力で投げたので、疲れた~」と言うことだったようだ。

今年、シアトルは1番バッターをトレードで獲得したようだが、イチローと競い合す・・と言うことではなく「若しイチローがホームランを打ちたいから、1番以外の打順を希望した場合の想定』との事?

チームでもっともホームランを打つのが上手いバッターもイチローのようだ。4番イチロー??そんな事もあるのだろうか?ちなみにマリナーズの監督は『希望があれば応える」と言う。

昨年のメジャーリーグ最強の1番バッターはイチロー

もっとも強肩な野手もイチロー

最も守備の上手い外野手もイチローなのだそうだ。まったく素敵過ぎですね。

練習が好き・・とは、素敵な言葉だ。と、言う事は「ロックの生徒もよく使う」

もしかすると・・『ロックのジュニアはみんなイチローのような才能を持っている』のかもしれない・・とふと思う。

練習が好き・・なんてなかなか言える言葉ではない。相変わらず、子供たちのは『教わる事が多いな~』と思うロック先生である。

そういえば、昔・・「月は1日で地球を1回回るんだよ!すごい早さだね」って子供たちと夏合宿のとき望遠鏡をのぞきながら話した事があった。そんな事を高校生になっても覚えている子供に驚いた。いい加減な事はいえない・・と、改めて思ったが、最近は太陽系ってどのくらい広いか考えた事がある。例えばスペースシャトルは時速6万キロで宇宙空間を飛行できる才能を持っているらしいが、その速さで飛んでも太陽系の端まで行くには200000年かかるらしい。まだまだ科学で解き明かすことの出来ない事はたくさんある。

という感じで、ロック先生は何とか元気なのである?・・かな?

 

アジアラウンドは

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今年から始まったボルダーのアジアラウンドは第1戦が香港で昨日行われた。詳しい情報は分からないが未確認情報として、女子ユースBは参加した三選手の3位以内が確定したとか?・・と言うことは悠希も3位かな?・・と言う感じである。香港への出発間際はテレビ取材や本業のスキーの高体連予選、国体予選などで十分なクライミングの練習ができていなかったが、コーチとして(クライミングの)は『ほ・・』っとしている。

昨日は10年前?の現役クライマーが(僕の先輩たち)も含めて、久しぶりにクライミングを体験しに来たが、Tさんは、ロッククラフトが創立したとき以来のクライミングだといっていたが、なんと5.11aを2時間後にはオンサイトしてしまった。現役当時、僕などまったくかなわないくらい才能があったが、10年のブランク、しかも50代半ばでこんなに登れるなんて・・と、今更ながら尊敬してしまった。もし、彼が今日まで継続していたら・・と考えるだけで、わくわくしてしまった。どこにでも才能を持った人は居るのだが、継続する、または、努力を積み重ねる大切さを改めて実感した、1日でもあった。

昨日は色んな頃を考えさせられた。今日は、交通事故で脳を損傷してしまった、子供(10歳)がめきめき腕を上げるのに感動してしまった。半年前は左足を膝より上に上げることができなかったのに・・クライミングと言う運動は、すごい潜在能力を持っているな~と、思ったのでもあった。

中学3年生でスピードスケートの日本代表になった高木美帆選手はすごい。既に技術力も付いているようだが、スピードスケートだけでなく、陸上では地区大会の記録を次々と塗り替え、サッカーでも男子とFWを争う身体能力の高さ、強さを備えていて、U15の代表合宿にも参加して、招来は、なでしこジャパン候補でもあるという。コーチの考え方もすごい「何足でも、わらじを履かせる」という。こういったスポーツ教育は欧米では普通の事であるが、日本では「すごい(まれな考え方)」としか言いようがない。

ちなみにロッククラフトのY希も2足のわらじを履いている。それは現状の彼女の立場だと「とても苦しい現状なのかもしれないが」あえてその環境で苦しむのではなく、前向きに楽しんでもらえれば、将来に素敵な道が見つかるのではないか・・と、僕は考えている。

「あえて困難を糧とせよ」は大学時代の恩師の言葉でもあるが、新しい僕自身の言葉が見つからないので、この場で転用させてもらう。

困難と楽しめる・・あるいは、困難を普通と考える。それは簡単なことではないが、スケートの彼女を報道で見ている限りは「楽しんでいる」ように写る。

昨日、娘と話していたら「美帆ちゃんですごいね、私と同じ年なのに、尊敬するな。でも、私が尊敬する人はお父さんとしか今は思い当たらないから、高校の面接で聞かれたら、お父さんって言ってもいいかな」と言われて「それは意外なことだが、光栄です」と返答してしまった。娘に尊敬されるような人生を歩んできたような記憶がないけれど、そう、嘘でも娘に思われていることに、少しはうれしさを感じた昨夜のことでもあった。昨夜はそんな娘の言葉を考えていたら夜中の3時を回ってしまった。朝は受験なので6時におきなければいけないのに・・・。

正直言って『娘に、本当に尊敬される人間になんるには、僕はこれからどのように聞き手行けばよいのか』・・そんな事をこの炉の中で自問自答する、今日1日であった。

この問題は、娘が1人前になるまで(結婚するまで)僕に付きまとう命題のような問題なのかもしれない・・と、思い始めている。

話は変わるが、ジュニアスクール(12歳以下)の生徒が、今月も10人増えて、80人になってしまった。

 

子供たちの体験が多い

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最近は子供たちの体験クライミング1680円が多い。例年だと、3月の声を聞いた頃から増えるのだが、今年は出足が早い。出足が早いのは女性にも言える。今日は今のところが、暇だが、最近は土日でも夏並みにお客さんが来る。???不思議な現象だ。

で、僕のトークが炸裂する?

「クライミングはピアノを弾くことと同じ効果がある運動です」

「ルールは有りません」

「両利きじゃないと、難しいかも?」

などと不思議な言葉を連発する、さらに

「僕は、左手でもボールが投げられるようになりました」「当然、左足でもボールを蹴れます」(僕は右利きです)・・とか

夕方には、娘の後輩たち(小山三中ソフトボール部)が練習に来て盛り上がりました Image404.JPGいい感じで楽しんでゆきました

国会中継で中止に・・

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本日のロッククラフトからの生中継は国会中継が入ってしまい、中止(順延かも)になってしまいました。優先順位がありますから仕方が無いですね(笑)

中継のテーマはスラックラインでした。クライミングではないのです(???)最近はネットでのオークションでクラシックラインが安く販売されていますね(とほほ)しかし、トラベルラインは出ていません。こちらのほうが性能は高いですよ。ロックではこちらの商品も、本日より常設しています。耐久性の問題を考えてみたいと思います。性能はクラシックよりはるかに高いですね。緩々でバランスをとるのが難しいです。

ちなみにジャンプラインは、高度なとび技も出来ますが、環境や利用者の身体能力によりますね(笑)

世間では、国会中継に興味が行っているようです。国会での追及は政策中心でお願いしたいと思います・・と考えるのは僕だけでしょうか?

我が家では・・というか僕個人としては娘の進学問題ですね。何とか高校へ進学してもらいたいものです。ちなみに作新学院は合格しました(笑)本命は3月ですが・・

作新学園と言えば、僕たちの世代は高校野球でしたね。そうです。江川卓さんが在籍していた事の作新野球部は伝説的な強さを発揮していました。強さの源は、江川さんの投球なのですが、栃木県予選では完全試合2回、ノーヒットノーラン9回を達成していたのですから、驚異的といえます。また、わが小山市に在住していたようで、小山中時代の江川は既に生きる伝説となっていました。その速球の速さ、体格の大きさも群を似ていたようです。100mを11秒前半で走った、戸も言われています。ぼくも小山に引っ越してきたときは、自宅から小山中まで300mくらいの距離だったので、彼が川原の石を軽く投げて100m投げていた・・と言われている川原を感動して散歩したものでした。今から20年くらい前の事です。

江川の話は、池袋に住んでいることにもたくさんありました。当時、中日ドラゴンズの中心打者のTさんとYさんと偶然、おすし屋で会って、話が弾んだ事がありました。Yさんはその日江川から4打席4三振で期限が悪くて・・しかし、Tさんは9回にホームランを打ったのかな?陽気でした。Tさんは僕の大学の先輩の知り合いだったので、話が弾みましたね。いえない話がたくさん聞けました(笑)特に感動したのは僕が大好きだった女優のDさんを連れてきてくれたことでした。あんまりきれいだったので腰が抜けてしまいそうでした。僕に隣でニコニコして、お酒を軽く飲んでいたような気がしますが、僕は「ぼ~っ」としてていてほとんど記憶がありませんでしたね(笑)

プロ野球の選手になるには、ドラフトと言う制度がありさまざまな制約や裏工作があるようで、その辺もさまざまな憶測を生むようです。

僕の大学の野球部の監督は「巨人の一位指名をけった男」としてドラフトの前には必ず話題になっていましたね。1970年代の事ですが。その頃は僕が所属していた山岳部もパキスタンのカラコラム山脈の8000mの山ブロードピークを25年ぶりに登頂した話題で有名になっていましたね。記憶が定かではないのですが当時の学長が「学生が死を覚悟でヒマラヤの高峰へ行くには良くない」といっていたような・・それで同級生が随分悩んでいました「大学を辞めて登山に参加するか?」と言うことをです。僕は何も相談に乗れなかったことを思い出します。山岳部の先生は「大学山岳部の使命は、そのプロセスが大事であって、必ずしも登頂が目的ではない」と言うようなことをもらしていたような気もします。僕は「大人の世界は複雑なんだな」と思っていました。結局、現役大学生としては、2人の同級生と1名の先輩が参加して、後は辞退することになったのですが、行く事の是非、勇気ある撤退論を毎日喧々諤々と議論していた記憶は鮮明にあります。隊長であったY先生の悩みも深かったと思います。

事をドラフト会議に戻します。江川さんは「巨人に入りたい」という思いの強さから、3度ドラフト使命を拒否してしまったのです。僕は高校卒業と同時にプロに入っていたなら、300勝はしていたと、今でも思っています。しかし、作新学院時代に、1年間に120試合も登板していた・・と言う話を聞いて(本当かどうかはわからない)驚いた事があります。中学時代の江川の捕手をしていた人の知人の話だと「本気で投げた球は補給できない」といっていたとか・・。作新学院に進学したのも、江川のボールを補給できるキャッチャーを彼の父は探していた・・という話もある。まるで漫画「巨人の星」のような実話?があったのかもしれない。

「空白の1日」は誠に残念な事件であった。前年に江川を指名した阪神が小林との交換トレードを敢行したのである。法律的に、野球協約的に、同義的に・・などさまざまな世論が小林氏と江川さんを取り巻いたのであった。しかし、それは30年以上経過した今日にも、その遺恨を引きずっている。

しかし、空白の1日を工作したのはいったい誰だったのだろうか?と言う問題に世論は目を向けていないようでもある。江川自身がこのような事を画策したかのようなイメージを持ってしまうが、彼はおそらく何も画策してはいない。純粋に「憧れの巨人軍で野球がしたかった」のであろうと、僕は考えている。彼に付きまとう陰は、大人たちが画策した事であった、渦中に取り残されたのは江川卓であり、小林繁である。彼ら自身が確執を生んだのではなく、彼らを取り巻くプロ野球社会が彼らの確執を生んだのである。むしろ犠牲者は江川自自身なのかもしれない。そう考えると、彼は重たいものを背負って生きなければならなくなった。

しかし、彼を応援しているフアンもたくさんいることを・・生意気にも君に伝えたい。また、僕も君のフアンに一人である事を言いたい。

僕の高校時代は君への憧れと共にあった。しかし、君が去ったあと、僕は巨人から立ち去ってしまった。何故、あんなに好きだった巨人が嫌いになったのかを、今、やっと気づかせてくれたのは、小林氏の死であった。

王、長島は別格として、土井や高橋一三に憧れた少年時代が、今でも懐かしいのは、僕が今でも少年の心を背負っているからなのかもしれないな~と、ふと思ったこの頃である。

僕が中学時代にもらった高橋一三のサインボールは今でも実家のたんすに飾ってある。永遠の思い出である。

相変わらず人気です

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スラックラインは、相変わらず人気です。最近は種類の違うラインを2本張ってありますが、伸びの良いほうのラインで盛り上がっています。ジュニアスクールの時間は、クライミングの合い間に、こんな状態ですね

Image402.JPGそろり、そろそろおっかなびっくりの子供もいますが、

1月21日(木曜日)は、NHKの第一「ラジオビタミン」で午前10:30~11:30くらいの間に、生放送があるかもしれません。皆さん、NHK第一ラジオ「ラジオビタミン」に注目ください。ロッククラフト小山店からの生中継が予定されています

腕時計とバランス

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バランスが崩れている事は、コーチが指摘する以前に本人が良く知っている事である。その多くは練習不足に起因しているのだが、多くの選手はそうとは思わない。練習とは「たくさん登る事」あるいは『疲れてヘロヘロになる事」「難しいブロブレムが登れた事」などが練習の成果であると考えてしまう。

「良い練習って一体なんだ?」と考えてみてはいかがなものか。確かに『達成感があった」と思うのもよい練習であろう。『たくさん汗をかいた」というのも良い練習かもしれない。

達成感と言えば、一番解りやすいスポーツは水泳なのかもしれない。「なんメーター泳げた」とか「50mを何秒で泳げた」とか達成感が非常に解りやすい。自分の目標をタイムや距離で推し量る。そこに「楽しさがある」のかもしれない。

ウエイトトレーニングもわかりやすい。「何キロを何回できた」「何キロを持てた」「腕が太くなった」など見た目でわかるから楽しいのかもしれない。

ランニングも最初は同じ事が言える「何キロ走れた「何キロを何分で走れた」と言う風に達成感が時計で計測できる。

しかし継続していても、あるときから成果が現れなくなるのである。それはどんなスポーツでも同じである。求めるものが高ければ、その高さに到達できなくなるのである。その多くの原因は年齢による身体の衰退。オーバートレーニングによる故障など、求め切れないものが、時間の経過について回る。

考え方をリセットしてみて、改めて良い練習について考えてみる。

早い、強い、を捨ててみる。

弱く掴む、ゆるく遅く動く・・・「もっと弱くつかめないだろうか」「もっと遅く動けないだろうか」世界にはそんな練習に時間を費やして練習する選手がたくさんいる。その多くは一流と言われる選手である。

一見、同じ練習をしていても意識の仕方が違うようだ。

後は呼吸かな、調子の悪いときは呼吸が乱れている。呼吸が乱れなく運動と調和しているときは、スムーズな動作が描ける。息を切りながらの運動だと不安定で調和が見られない。すなわち力ずくになってしまう。

そこのところを注意しながら練習すると良い加減に導かれてくるのだが・・

成果は急がず、と考えてほしいものだ。

 

 

 

もともとの日本人?

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そういえば1970年代は『日本民族はどこから来たのか』と言う話題が巷に流れていた。僕も文学部歴史学科日本史専攻であったので、この部類の書物は多数読んだ。日本人モンゴロイド説、騎馬民族説、北方民族説、アイヌ説などなど、哲学、文学、歴史学などの大先生たちが喧々諤々の討論や自説を展開していて、僕も如何考えたらよいのかわからないくらい、諸説が入り乱れていたのを思い出す。その頃は形質人類学(骨などの形状から祖先を探る)と文化人類学(どのような文化と宗教を持っているのか)とか、肌の色・・あるいは哲学的見地から人類の祖先を探るなどさまざまな手法でアプローチが成されていた。その問題に終止符が打たれたのは?最近の事である。DNA(遺伝子配列)鑑定によって、その実態が明らかになったようでもある。すなわち、誰が日本人で誰が外国人・・と言うことではない、と、言う事が解ってきたのである。日本人と言うより、日本的な文化を持っている、と、言う事のほうが重要な気がする。

政治において「だれだれは、もともと日本人ではない』的な発言をした人がいるが20世紀初頭に『だれだれはユダヤ人である」みたいな発言である事に、僕は違和感を感じる。一昨年のノーベル賞受賞者を『だれだれは日本人である」といっていたが、後に「現在はアメリカ国民である」と訂正があった。日本人とは、いったいどういう人を指すのか、考えるときに北のかもしれない。

政治はさまざまな混迷紀に直面している。僕は4.3%の少数派に属すると思う。しかし「説明責任を果した」とは考えない。むしろ『説明責任はいらない』っ説明責任を追求するより『政治を行ってほしい』と思うのである。民主党の支持率も下がっているが、自民党の支持率も下がっているのである。政治家と官僚が対決する事は国人生活とはかけ離れた議論である。

マスコミも検察もタイミングを計ったように自己を顕示するのではなく、この日本と言う地域に所属する人間の生き方や方向性を考えて、物事を展開してほしいと思うのだが・・

リーダーシップの欠如は今に始まった事ではない。第一次鳩山内閣時代もそうであった、と聞く。おそらく遺伝子なんのであろう。政治は物理の実験のようには行かない。むしろ楽曲によるアンサンブルのようなものである。始まって、最後が乱れなく終曲すればよいのである。

ひょっとしたら、アインシュタインも物理は『神様がサイコロを振るがごとくかな』と心の中では思っていたのかもしれない・・と、思った

 

今日の撮影は

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無事終了しました。さすがにメジャーテレビの初出演とあって、撮影開始直後の悠希の心臓はバクバクで一気に心拍数は140を超えて最大負荷状態でしたが、20分後には平常に戻りました。クライミングシーンの撮影には90分くらいかかり、今日はスキーの国体予選、インターハイ予選ともクリアしてからの撮影と有って、相当疲れがたまっていたようyでした。

最後のトークは見学不可で行っていたのですが、盗み撮りしてしまいました(撮影後です)こんな感じでしたね。 yuuki.JPG僕もカメラアングルをきめるためにデモンストレーションして結構疲れました。今日はバイオリンを弾く哲学者・・とか言う感じで、久々に長いコラムを書こうと思っていたのでしたが、時間切れで、短くなってしまいました(笑)

放送日が決まりましたら、お知らせしますう・・疲れた~番組はhttp://www.fujitv.co.jp/b_hp/vdream/index.htmlです。

 

バイオリンと物理学

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バイオリンを弾くには相当なレベルの感性が必要らしい、それはピアノなどほかの楽器も同じだが、絵画などにも同じ事が言えるのだと思う。「印象・日の出」というモネの絵画に僕が夕陽をっを感じたのは、20年以上も前の事だったが、結局、印象派の始まり・・と言う意味での日の出と言われる事を知ったのは最近の事である。彼は夕陽を書いていたようだ。僕の感性は間違っていなかったとかってにいも鋳込んでいる。確かモネは晩年「ジベル二ーの庭は失敗だった」と誰かに言ったという話も有るが、あそこは美しい庭園である。まるで日本的な・・。何がモネをして失敗だったと言わせたのかを僕自身が理解するまで、でどれだけ時間がかかるのだろうか。

絵画と人生もにも根の深い心理が働くが「バイオリンを弾く物理学者」と言う言葉に心を奪われてしまった。文学的に物理学者を観察してみると感性と物理学は密接な関係になるような気がしてならない。

確かアインシュタインはバイオリンを弾くことを趣味にしていたようだが、あまりに感性が強すぎて?共演することは出来ないほど?・であったと言う話があるが、日本に来日したときの記念晩餐会でバイオリンを弾いて絶賛されたらしいが、彼の演奏を聴いていた寺田寅彦なる哲学者は『あまり、お上手じゃない』と感じていたようだ。本音は「なんて梅林が下手なんだ」と言いたかったのかもしれない。

実は寺田は「バイオリンの名手だったのではないか」とい説がある。『バイオリンを弾く物理学者(末延芳晴 平凡社)」と言う本がある。なかなか良い本である。夏目漱石の『我輩は猫である」にもバイロンを弾く物理学者が登場するが寺田がモデルのようでもある。なかなか・・と言うよりかなり良い哲学書というか人間『寺田寅彦』を良く捕らえているような気がする。

おおむね文学は歴史を装飾して本来の人物像からかけ離れた存在にしてしまう事が多いが、この本は人間としての寺田を想像させる良い本である。

科学とは何か、実験とは・・あるいは存在とは・・など、末延さんは優れた評論家である。文学と言うより歴史学的な洞察力に優れた評論家であろう。彼が描くわけなどないだろうが、彼のような人に、歴史文学を書いてもらったほうが僕としては楽しいと思う。興味のある方は読んでいる事をお勧めします。

追記

本当はアインシュタインを軸に日本の哲学者や物理学者、文学者などと楽器(音楽)とのかかわり方を書こうと考えていたのですが(長編コラム)、途中で書くのを得なくなりました。また、改めて書くかもしれませんが、いろいろと忙しいので、なかなかコラムをかけません。すいません(笑)

靴下を履はかない物理学者とか、我輩も猫である・・とか、パロデイ風に仕上げたかったのですが、結構そんな言葉(タイトルの作品)があるのですね。ちなみにバイオリンを弾く物理学者と言うタイトルでコラムを書こうと思っていたのですが、先人がいましたので、タイトルを急遽変更してしまいました(またまた笑)

 

変な質問?

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昨日だったか、変な質問が2~3件あった。まずは「どんなところにすんでいたのですか?」と言うものだったが、僕は北海道の陸別町に1957年2月19日の午前3時半頃生まれたらしい。ものすごく寒い日で気温はマイナス39度くらい有ったと言う。「産湯に氷が張ってしまった」と父は大げさに言っていたが、果しでどのくらい寒かったのかは覚えていない。僕の記憶だとマイナス20度くらいは記憶にあるが、確かに家の玄関のドアが凍り付いて開かない。窓ガラスには氷の結晶が張っていて、この窓ガラスが織り成す氷の幾何学模様に興奮してみったことを思い出す。布団も口元は吐く息で氷付いていた。しかし、それは普通の事であった。中学時代まではそんな事も良くあった。

昨日は小山(結城かも知れないが)で夕方一部停電があって「大変だった』と言う話を聞いたが、僕が4さいころまでは、電球の隣にランプがあって、停電は日常茶飯事の事であった。ランプの明かりは赤く黄色く・・とても良い雰囲気をかもし出していた。

洗濯機はないから、毎日の洗濯は大変であった。ストーブはマキであった。秋になるとどこの家での早朝から父がまきを割る音が軽妙に響いてきて僕に目覚めの時を告げた。

当然、水道はなかったので共同の井戸から水亀に水を汲んできたのだが、冷たいと言うより、冬は寒くて痛い・・と言う感じであった。

幼稚園に通っていた頃、クロスカントリースキーを履いて通っていた。当然信号も車というものも珍しかった時代である。昭和30年代の北海道の田舎はそんな景色であった。

馬のがソリを引いて、牛乳などを運んでいた。僕はそれに飛び乗り小学校まで言った事もあった。

朝起きると、茶の間にユキがたくさん入り込んでいて、おばあちゃんが箒(ほうき)でユキをはいている事もあった。

テレビなどはない(幼稚園時代は)隣のうちによく見に行っていたらしい。それで父が母と相談してテレビを買うことになった・・と言うが、母は『洗濯機がほしい』といったそうだ。

何の番組を見る・・と言うよりテレビ自体を見に行っていたようでもある。幼稚園の頃はテレビの記憶があまりない。小学生になった頃は『幻探偵」とか「ハリマオ」を見ていたような気がする。テレビに熱中したのは「鉄腕アトム」や『鉄人28号」からである。

その頃は冷蔵庫も、掃除機もお風呂もなかった。しかし、懐中電灯はあった。停電は小学3年生頃まで?は日常の事であった。

小学4年生の時、我が家に冷蔵庫が来て驚いた『氷が作れる」事に感動していた。また、その頃「自宅にお風呂が増設された。銭湯に行けなくなる悲しさもあったが、自宅で「ゆっくりお風呂に入れる』と言う期待はもろくも壊れた。お風呂を沸かすのは僕の仕事。マキを燃やしてお湯加減を作るのである。夕方のほぼ1時間は、お風呂沸かしの仕事で埋まってしまったのだ。おかげで火を付けるのはうまくなったのかもしれない。と同時に窓が二重になる工事もした。冬になる前に窓のビニールを張って雪の侵入を防ぐためであったが、やはりビニールを窓にはって寒さは格段と和らいだのを思い出す。

冬になると軒下には背丈以上の雪が積もっていたのが少し変わってきたのを感じたのは高校時代だったと思う。今思うと1970年ころから温暖化は始まっていたようにも思う。布団も凍る事はなくなった。家の暖房が強化されたのである。小学5年ころから、冬の暖房はマキではなく石炭になった。今の釧路の実家は石油であるが、まだエアコンは使っていない。当然扇風機も実家にはない。石油ストーブは7月でも使う事があるくらい釧路は寒いのである。しかし、冬は1990年代頃から寒いと言う印象は薄れている。

中学の頃、東京方着任した先生が「夏の暖かさには感動したが冬の寒さは耐えられない」といっていた。学校のクラスの室温が4時間目を終えても-4度と言う事は日常であった。

昭和30年代から40年代は、まさに日本が急激に近代化した時代であったと思う。そう考えると僕は良い時代に生まれたと思う。まさに「戦争を知らない子供たち」なのである。

しかし、小学校の校舎のにはロシア(旧ロシア)の爆撃機の銃弾のあとがあったり、防空豪も小学2年生までは僕の自宅の庭に残っていて、入り込んで遊んだ。戦争の痕跡がまだまだその色を失っていない時代であったと思う。中学2年までは防空壕を探すのも遊びの一つであった。

今更40年前に戻る事はできないが、多少の物資しかない時代であったので、産しとりや魚釣りなども生活の一部であったと記憶している。それは確かに「遊び」でもあったが・・・。

僕の友達のお父さんは戦闘機乗りであったし、おじさんには天皇陛下の近衛兵であった人も居た、空襲で銃弾がももを貫通した、という傷跡を見せられて驚いた事もあった。

「戦争で死んで英雄になりたかった」と今は泣き父が語っていたが、もう、身近に戦争体験の語り部はほとんどいない。死んで英雄になる。そんな感情が日本人の心情に根づいていたのかもしれない。

雑記と言うか、最近は(いつもかな)色んなことを考えて、眠れない。特に眠れない原因は娘の進路の問題だ。中学3年生の子供を持つ親の心境はみな同じなのだと思うが、やはり複雑である。

相当寒い・・

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2日前は外においてあったバケツの水に1センチくらいの氷が張った。夜の冷え込みが厳しかったようだ。昨日は2ミリくらい氷が張っていた。今日は薄氷だったが、ジムは相当寒い。休憩室のエアコンを28度に設定したがなかなか温まらない。気温を見たら3.7度と午前10時では今年1番の冷え込みである。

そういえば今年の新年は自分でも驚くほど色んなことをした。1月2日は書初め 書初め.JPG・・に始まり、3日は新年会で蟹鍋やホッケを作った、食材は地元北海道釧路からの取り寄せである。大好評であった。3日と10日はボデイケアジャンケンゲームであったが、新年は5勝6敗と昨年末の5勝20敗からすると飛躍的に勝負強くなった。

初心者体験コースも驚くほどの人気で、無料体験も継続している、しかし参加者は少ない。有料のコース(大人3150円・12歳以下1680円)のほうが圧倒的な人気である。テレビの影響も有るのかもしれない。「サスケを見て」「バラエーテイ番組をみて」「朝のニュース番組を見て」と言う感じで体験者が訪れる。さすがにテレビの影響は大きい。ロッククラフトでも、あるテレビ局からの取材と番組制作の話が来ているが、さて、話だけで終わるのか??である。昨年はテレビ取材はなかったが1っ昨年は3本くらいあった。12チャンネルの「オハすた」の撮影はわずか5分の番組にタレントが来て撮影時間は述べ17時間《3回)にも及んだ。テレビ番組撮影は時間がかかる。2年前にはまだ無名であったお笑いタレントの「U字工事」がきて栃木テレビの番組を休日返上で作ったが、5時間くらいかかった。確か20分くらいの番組だったと思うが、体がくたくたになる。今思えばサインをもらったり、一緒に記念撮影をして置けばよかったと、少し後悔している。一昨年は俳優も2人ほど来た。三田村さんと清水さんだが、対談と撮影であったが、結局放送はされなかった。

一昨年と言えばその年の12月はクリスマスのイブイブスとお正月のスペシャル番組でクライミングを取り上げたいとお台場にあるテレビ局からの要請があり、毎日午前9時頃から打ち合わせた、下準備に追われたが、本撮影の3日前いにキャンセルになった。1ヶ月も振り回されて、正直言って「むかッ」としたが、今回もそのテレビ局からの話なので僕的には半信半疑である。

しかし、今年から機運はあがる?と易では示唆しているので前向きにがんばろうと考えている。昨日、「あの時、竜馬に会わなければ・・」と幕末前後の竜馬とであった思想家が動乱に翻弄されて自害したり、暗殺された「無名の群像」からの視点で歴史を考えてみようと、改めて思ったのだが、調べたり、時間軸に照らし合わせて「その時」の群像の心理を考えると、さまざまな心の現実が見えてくる。今年は坂本竜馬がブームになりそうであるが、文学的に竜馬を捕らえる事は文学の自由であるが、果たしてそれだけでよいのであろうか?と言う疑問も湧く。それは歴史的事実と僕たちが描く竜馬像とは違うのである。前にも書いたが大学時代の日本思想史の講義でN山徳先生は「司馬遼太郎の文学と歴史は根本的に違う。むしろ私は竜馬を評価しないし日本の近代思想史にはもっと研究しなければいけない人物がたくさんいる」と一刀両断したのである。N先生の言葉は今でも僕の頭にこべり付いている。

「竜馬が行く」を2度目に読んだのは確か25年位前の事だったと思う。当時僕には大切な友達がいた、その友達は28歳の若さで癌に犯されて死んでしまうのだが、彼が最後に感動した小説が「竜馬が行く」であった。「俺もあんな風に生きてゆきたい」と病床で言っていたのを思い出す。そのときは既に抗がん剤の影響で髪の毛がなくなっていた。「そうか、俺も読んでみるよ・・」とは言ったが『あれは小説の竜馬像だよ』とは言えなかった。そんな苦い思い出がある。それから数ヶ月の6月末になくなるのだが・・・。

竜馬よりも若くしてなくなった友達とは『あれをしよう」「これもしよう」「あそこにも一緒にいこう」とたくさんの約束をしたが、何も果せないまま、彼はなくなってしまった。確か1985年の事である。

夢を抱き、夢をあきらめ、夢を描き、そしてまた夢の続きを考える。

死んで成せる事もあるかもしれないが、日本人の死に対する考え方をもう一度問い直すには、1800年代を考える事は重要な事ではないかと思う。1900年代を考えるのは後世の他人に譲るとしても、今、私たちの年代は、歪曲されかねない明治前後の歴史を正しく認識する事ではないだろうか?

文学は歴史学ではない。歴史的事実のみでは文学にはならない。しかし、人間の想像力から導かれた事実は、必ずしも想像という架空の出来事とは限らない。しかし、あえて創作されたものを歴史的事実と考える事には、いささか抵抗を感じる。

おそらく僕は竜馬伝などは見ないと思う。しかしその歴史物語の中に隠された真実という想像がかもし出されていたのなら、それはそれですばらしい作品になるのかもしれない。『英雄は作られる」という言葉がある。「竜馬の実像から離れ、架空の英雄がその時代に生きたのだという空想を歴史認識としてならない」・・と、僕は思うのだが、いかがなものでしょうか?

 

歴史をどのように見るのか・・という視点に立って、後に竜馬と自らを名乗った男に「」人生を踏みにじられた」?かも知れない幕末から明治を生きた無名(日本思想史的には重要な)人物がどのように竜馬の事を考えたのか・・と言う事を考えてみたいと思った。こんな考え方はかなり邪道なのかもしれないが、僕が思う竜馬像というより、竜馬とかかわりあう事によって人生が変わってしまったと思われる群像に焦点をおいた歴史があってもよいのではないか・・と思ったからである。

歴史小説の好きな人は「そんな小説はたくさんある」と言われるかもしれないが、自分なりの視点で考える事を今年はトライしてみようと思っている。

おそらく箇条書きになると思うが、ときどきはここにアップしてみたいと考えている。

そんな事を年等に考えるなんて、僕の頭は尋常ではないような気がする、昨年も色んなことを考えようとしたが、半分も出来ずに1年が終わってしまったのに・・日本の1800年代を群像と中心で考えるなんて資料も乏しいので、ほとんどが想像の世界になると思うが、考える事は楽しいと思う。

しかし、自分の頭が回らない・・思考回路が動かないというか、ブログを描いても文字がダブってしまったり、思い通りに行かない。何かの操作が悪いのだと思うが、なかなかPCに対応できない自分が歯がゆい。

 

 

 

「今年の矢板中央に良い選手がいる」そういっていたのはサッカー好きのお客さんである(指導者かもしれない)「栃木県はなかなか国立に行けないですね」といったような・・?

良い素材がありながら、なかなか全国を制する事ができない関東唯一の栃木県であった。まさか、まさか・・と思いながら準決勝まで駒を進めるなんて、なんと素敵な事だろう。矢板中央には漫才コンビのU字工事?がいる。彼らとは2年前に1度お会いした当然栃木テレビの番組であったが、確かサッカーか野球をしていたような事を言っていたが、彼らの熱も高まっていると思う。僕も栃木県民の端くれであるが、明日は良い試合をしてほしいと思う。勝つことより、自分たちの記憶に残る試合であってほしい。かって知る事より、負けて目覚める事のほうが人生には良い勉強になると思う。

 

七草も終わり

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七草も終わり、お正月気分も今日までか?年末は忘年会などで忙しく、新年は2日からの営業で新年会を毎日していた。書初めなども子供たちと行ったり、酒も飲んで会社に泊まったり・・風邪気味で5日頃まで体調が悪く、6日の検査は最悪であった。今日は娘の入試で5時起きで入試会場まで送るのに2時間もかかり、危うく遅刻であった。午前中は下水掃除が午前九時から入っていたが、それも遅刻・・会社にきたら既にお客さんが待っていた・・休むまもなく、昼食もとらずに・・・さて、夕食・・と思ったところに「断水になる」と工事が入る・、水をためて、あたふた・・しかし、僕の所は断水は無し・・みんな忙しいのかもしれないが、振り回せれた、新年の1週間であった。今夜は久しぶりにゆっくりとしたいが、明日から娘が学校なので、またまた早起きかな?

とばたばたです。今日も少し頭が痛い・・風邪薬でも飲んで寝ます。つまらない「ほぼ日記」で申し訳ありません。

冬型は荒れる

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年末年始と冬型の気圧配置になり、山間部や日本海側は大雪に見舞われたようだ。案の定5件の山岳遭難があった。

岐阜県神岡町の寺地山ではガイドを含む7人が遭難したが無事救助された。この地域では黒部五郎岳、北ノ俣岳、流葉山などには行ったことがあるが、寺地山はまったく認識のない山であった。神岡町と言えば少年野球発祥地として有名?と思っていたら、神岡違いであった。少年野球は秋田県の神岡町である。そんな事を30年以上も勘違いしている自分がおかしい(笑)無事下山のニュースにはほっとした。

同じく奥穂高岳へ向かったパーテイは2400n地点にテントを残して、2700m(蒲田富士付近)で遭難した模様である。この蒲田富士は奥穂高岳や北穂高などへの冬の入山経路として知られているが、僕も12月末に何度か通過したが、難所である。特にユキが深く雪庇の張り出しも大きく、蒲田富士のトラバースでは2度ほど雪崩に遭遇した。稜線近くの雪庇の直下をフイックすしながら、移動であったが、トラバースポイントが3m下であったなら、雪崩と共に墜落していただろうと想定された。また、、気象条件にもよるが、かなり高度な氷壁技術を必要とする尾根である。そこを通過しても涸沢岳経由での冬独特のルートは氷壁岩壁技術を駆使したルートの通過を余儀なくされる。奥穂高岳の登り以上に、困難な雪壁登攀を余儀なくされた。夏道はまったく使えない。奥穂冬季小屋は氷に閉ざされていてドアを開けられないこともあった。かなり激しい風雪が飛び交う。わずか50センチ前にいるパートナーに声を掛けても、凄まじい風の轟音に声が届かなかった事もあった。しかし、奥穂から前穂高への稜線は穏やかで、天候が安定していて、アイゼン技術さえあれば、往復1時間30分くらいで可能であろう。しかし、奥穂から前穂高まで90分くらいで往復する体力がなければ、天候の急変に対応できない場合もあるので、相当な判断力も必要と考えられる。僕はこの稜線で、他のパーテイには2度くらいしか会ったことがない。難易度の高い冬のルートでもある。しかし僕の目的は北穂高滝谷の登攀であったので、この程度の危険は安全の範囲内と考えていた。涸沢岳から北穂高へ至る稜線は、更なる困難を強いられた。稜線上の氷の硬さは、まるでコンクリートであって、そこを通過した経験のある先輩の話によると「冬のモンブランの氷より硬い事もあるので、気をつけろよ」と言われていたが、まさにそんな感じを受けた。さらに僕は奥穂から北穂高~槍ヶ岳までの冬の縦走も行ったが、奥穂から槍そして新穂高温泉までのルートを5~6時間でこなした事もある。帰路の注意ポイントは北穂高~槍の稜線からの雪崩である。歩く早さ(スピード)がないのなら中崎尾根?を選択するくらいの判断力を持ちたいものだ。

むしろ滝谷の登攀にほうが、楽であったと思われた。

中高年を迎えた僕の今の体力では、とても冬の奥穂高は想定出来うる可能性はない。クライミングの技術より、冬の3000mの稜線やピークハント(登頂)に方に難しさを感じる。

また、冬山は森林限界以下(1500m~2500m前後の山域)の縦走のほうが困難を想定される。その根拠は、雪が3000m以下のほうが重たく、視界不良である事が多い。深いラッセルに体力を消耗してしまう。ホワイトアウトも経験したし、その怖さも実感した。

いつも山は、人生に大きな教訓を残した。素敵な事ばかりではない。それは人生も同じなのかもしれない。

維新に生まれていたなら・・と思うことがある。しかし、維新に生まれていなかったら・・と言い残して死んだ英雄もいた。

山の秋は短い。駆け足で冬を急ぐ。山の冬は深く長い。しかし、春はやわらかく、しかも少しづつ訪れ、夏は一気に咲く。そんな季節のめぐりめぐる営みにいて、人間の歴史も、いつもめぐりめくる。

何が正しくて、何が間違っているのかを人に問うこともなく、地球はその営みを、常に淡々の繰り返すのである。他人が地球に何ができるのか、では無く、地球は常に自分の生き方を自分に問いながら、行くべきところにその裸身をさらす。

出来れば僕も、ただ淡々と自分の行くべき道すがらをたどりたいと思うのである。

                        新春に向けての、一言である。

 

新年会!!

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何人参加するのか解らないまま(いつもの事ですが)宴会の準備に追われていましたが、午後3時に蟹とホッケが北海道から届いて、ほっとするまもなく、調理にはいりました。そろそろ出来上がり

鍋.JPG男の料理?と自負した北海道海産物鍋は大好評に推移して完璧に食べきりました。30人用の鍋に2回分完食いたしました。

宴会.JPG「あんまり良いのがありませんよ」と釧路和商市場の島田商店さんから取り寄せた蟹やホッケ ホッケ.JPGの海産物は大好評でした。もし釧路からおいしい海産物がほしい場合は直接

島田商店さんに問い合わせください。「栃木県小山市のロッククラフト向井から聞いた」といってもらってもいいですよ。電話番号は0120-136-151です。

釧路も不景気であえいでいますので、皆さん、ご協力ください。僕の田舎です

ボデイケアも好評で満員御礼(5名ですが)でした。ほとんどの方が90分コース(予約価格8400円)を選択しました。内訳はリンパケア4名、整体1名ですかね、オプションでフエイシャルを申し込む人が多いです、今日は高校生男子がフエイシャルに感動して帰りました。時代に変化を感じますね

来週も2名予約が入っています。是非予約で申し込みください、予約割引がありますから・・。

 

 

明日の鍋は

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北海道釧路より取り寄せの蟹とホッケが今日到着しませんでした。よって明日の献立が少し変わるかもしれませんがご了承ください。

直、ご飯とビール(呑む人は登らない運転しない)鍋は午後から作り始めます。また、お汁粉もありますので、楽しみにしていてください。

お客様の来店に合わせて随時鍋をご賞味ください。

よろしくお願いいたします。宴会もささやかに午後8時までには終了したいと考えています。ボデイケアは多少時間オーバーしますが・・・。

迎春

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あけましておめでとうございます。今年は久しぶりに自宅で過ごしました。冬眠した熊みたいに眠り続けた3日間でした。皆さんはいかがお過ごしですか?

今年もよろしくお願いいたします。

やはりお正月は食べすぎです。登り初めしましょう今日はお汁粉です

明日は、ボデイケア・ビンゴゲーム「かに鍋」など、さまざまな余興があります。ふるってご参加ください

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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