2009年10月アーカイブ

 ブラジルの弱さの秘密

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サッカーU-17のワールドカップB組は、日本の最下位が決定したようだ。ブラジルとの試合を少し見ていたが、個人技とボール支配は圧倒的にブラジルが勝っていたように思う。日本は戦術で対応していたが、個人技の差は歴然としていたように僕は思うのだが、皆さんはいかがなものだろうか。

今回のブラジルの選手は国内の選手で、それほどチーム練習はしていなかったようだ。それはいつものことらしい。若い選手は世界を目指して自分を磨いているが、チームとして勝つことは「トップチームに入ってから」という認識が強いようだ。トップチームとは、1に海外の強豪チーム、2に国内トップチーム、そしてワールドカップ代表という考え方らしい。すべてはお金と、名誉?

ユース代表では、自分が目立つことが大事なようだ。そこのところが、ユース大会でのブラジルの弱さになっているようだが、選手の潜在力は高く、U-17で代表になれても、その後は約束されない。それは日本においても同じである。

野球で言えば、甲子園で優勝したとしてもプロ選手になれる確立は低いのとおなじである。プロのスカウトは、これからの伸び代を見ているのである。ユース世代に求められるのは結果よりも可能性なのであろう。

以前、関東のユース代表選手がイタリアやオランダなどで、合宿した時の印象を語っていた「今の僕達は彼らより上手いが、彼らは確実に上手くなる」という確信を持ったという。すなわち、外国選手の伸び代を感じたのだ。今よりもっと大人になったら上手くなっている・・そんな指導ができるといいのだが

 

さまざまな脱出方法

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今日は、ルート上でのさまざまなトラブルが派生したときの脱出方法についての練習になった。簡単な事ではないが、クライミングは登れる・・だけでは済まされない要素がある。そこのところも重要な練習であろう。

それにしても、今日の僕は超~お疲れ・・である。目が開かない。メガネを掛けても焦点が合わない。ジュニアスクールでは、小学1年生の女子がすごい勢いで腕を上げている。あれよと言う間に、3年生の男子に追いついてしまいそうな勢いである。上達する子供は、本当に楽しんでいる。素敵な事だ。

男子も負けないようにがんばる事だ!  今週はジュニアスクールを休む子供が2~4名いる、インフルエンザや風邪なのかもしれないが、こんな文明化した時代に1000万人を超える大流行とは・・いくら科学や医学が発展しても、体が強くなければ元も子もない。青鼻をたらして、シャツの袖をテカテカにして遊んだ子供時代を思い出した。最近の子供は「きれい」なのである。それも文明化の恩恵なのだろうか?

危険は常に隣にある。科学や文明は安全を保障してはくれない。自らの体で覚えた危険からの脱出方法は、これからの社会でも、必ず役に立つことだろうと思う。

技術偏重はよくないと思う。 でも、技術って楽しい事かもしれない。

先ほど、野村克也と長島一茂の対談を聞いていて面白かったので少しそのことを書いてみたい。

ボクはもともと野球少年であった。昭和30年代のことである。当然、巨人大鵬玉子焼きの世代である。語り継がれる野球選手といえば「王、長島」が筆頭であろうが、僕達の中では、野村、金田、そして鉄腕稲尾が通の間では話題であった。伝説といえば沢村栄治である。野村が自ら言うほど、野村は無名ではなかったのである。そのやわらかい野球センス。三冠王といえば既に伝説であった。

その「囁き術」は見事で捕手としてのリードやサイン選択は野村を見習え・・というような格言があった。その格言を引き継いだのが広島の達川のリードであったと、1995年頃に広島に単身赴任していた頃、よく新天地あたりで聞いた伝説であった。確か広島ホームテレビのそばに「メリーさん家」という料理屋があってそこには巨人の選手が食事に来ていたらしい。現役時代の王・長島なども常連だったと聞く。僕がメリーさんの家に食事に言っていた頃は松井選手も来ていたらしい。しかし、彼は新人だったので外で食べていたようだ。僕がメリーさんの家に入れてもらえた理由は定かではないが、彼女は登山家に憧れを持っていたようだ。ボクは彼女にせがまれてサインしたような記憶がある。ただしボクは登山家ではない。たまたまエベレストに行った・・という話が飛躍していたようだ。メリーさんも生きていれば60代後半かな?もっと上かな~縁起が悪いかな~でも、素敵なおばさんだった。

たまたは池袋に住んでいた頃は有名人とも随分会った。野球では矢沢さんと田尾さんと偶然にすし屋で一緒になった。田尾さんはたまたまボクの先輩の友達だったので話が弾んだが、矢沢さんは江川から4打席4三振した日であったので、非常に機嫌が悪かった。田尾さん曰く「江川の速球は目をつぶらなければ打てない」と豪語していた。2時間くらい話していたら「向井さん好みの女優を紹介します」という話になって、ある女優に電話下、1983年頃の話である。確かにやってきた女優には腰が抜けた。わずか10センチ前に彼女に顔があったのである。確かにボクの最上級の憧れ女優であった。しかし、この話はこれ以上はかけません。皆さん現役ですから・・・。

そういえば王・長島にも会ったことがある。確かにかれらには後光がさしていた。サインしてもらうことも忘れるくらい近くで見たが・・。

女優といえば20歳前の大竹しのぶも見たことがある。そういえば、1976年12月にデビューした女性歌手(当事は18歳かな)とも少し???があった・・・。この話もこれ以上はかけません。彼女はNYに住んでいて現役らしいですから。

長島一茂の話も随分聞いた。池袋に住んでいて会社には当事の立教の現役学生は多数出入りしていたから。かなり豪快な人だったようだ。あるエピソードに、ボクの知人曰く、一茂は焼肉やに行くと「おじサ~ん、とりあえず、カルビ20人前・・を注文するのだが、自分ひとりで食べる分なんです」って事位は書いても叱られることはないだろう・・。後は秘密であるが・・・

そんな一茂と野村の対談は、ボクにとっては遠い対談ではなかった。野村の話術「囁き」が「ぼやき」に変わった歴史的事実をボクも調べて?、語り継がれるよう、努力してみたいものだ。

聞きたい人は、来店してくださいね。話すか否かは、お任せくださいね(笑)

 

ばたばた・・

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27日は娘が夕方から微熱がでて「インフルエンザかな~」と時間の経過を伺っていた。1週間前くらいから「のどが痛い、セキが出る」などの症状もあった。僕も娘と同じで、はらはらどきどき、先週の土曜日にはインフルエンザの予防接種を受けた。優先らしい。で、昨日は病院に二人で行ったが、僕は今のところ単なる風邪です。しかし、のどの痛みから発症する例もある(新型に)といわれて、厳戒態勢?娘は、以前にこんな感じからマイコプラズマ肺炎にかかり、1ヶ月入院した例がある。今日はひとまず学校に行かせたが、なんとも微妙な感じである。

微妙といえば、最近コラムや日記を書こうとしていて、いざ、パソコンに向かうと「忘れてしまう」のである。一昨日は「絵の声」について考えていた。目を閉じてある絵画を見ると絵が何かを僕に語りかけてくる。その声を耳で感じたままに、言葉に置き換える・・。という僕の絵画鑑賞方法について書こうとしたのだが、頭がぐしゃぐしゃになって書けないまま終わってしまったのである。

27日がばたばたと終わった理由はもう一つある。ボデイケアの先生が新しい施術のモニターがほしいといってきたので、必死で探したが、なかなか集まらない。ところがふたを開けると大忙し。来店した女性はことごとくモニターを希望し、1~2人でもというもくろみは崩れて、結局5人もモニターになってくれた。女性はみんな「とろとろ・・」で「気持ちよかった」といっていた。新しい施術はどんな感じだったのか、詳細は不明である。

11月1日(日曜日)もボデイケアの先生が来るので、良かったら受けてみてください。高いところでは90分2万円くらいかかるようですから、ロッククラフトでの施術は格安ですね(1時間5000円)。

予約なしで、当日受付けしますよ、当然予約が優先になりますが。

ちなみに、今夜(28日)は会社に泊まりです。いろいろ処理しなくてはいけない、ジム仕事がたまってしまって・・・。

うどんとジャパンカップ

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久しぶりにおいしいうどんを食べた。お客さんのA木さんが、そば打ち3段で、うどんも時々打ってきてくれる。彼のそばやうどんを食べるとなかなか外では食べられない。

ジャパンカップとは11月24日(日)に行われた、栃木県のジャパンカップ・サイクルロードレースの事であるが、ロッククラフトのY口英子さんが、チャレンジクラスで見事優勝である。クライミングもすごいのだが、最近は自転車もすごいのである。チャレンジクラスに参加した選手は男女合わせて900人である。なんともものすごいレースである。男子でも28位55位?あたりにロッククラフトの会員が入っている。ほかにも参加した選手がいるらしいが詳細は不明である。ロッククライミングをしていると、自転車にも強くなるのかもしれないと、ふと、思ったのである。

ちなみにロッククライミングをするとうどんやそば打ちもうまくなるのかもしれない、腰の入れ方がうまくなるのかな。Aさんのうどんやそばも絶品である。

スポーツとは何か?

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僕が大学に入ったとき、よく読んでいた本がある「歴史とは何か」E・H・カー著(中央公論の青い本)であるが、まったく僕の考えていた歴史認識とは違うこと、彼は提案していたのである。まさに「目から鱗」であるが、僕の人生は常に目から鱗だらけなので、いまとなってはさほど驚かないが、当時はとても驚いたのである。

ここでいう「スポーツとは何か」であるが、それは皆さんにとって「目から鱗」なのかもしれないとおもうのである。いかにその考え方を簡単にまとめてみる

「スオーツとは何か」

1)スポーツとは何時発祥したのか?

スポーツとは何時人類に発祥した概念なのであろうか・・と言うことをまず考えたい。人類は700万年前から350万年くらい前に人類の祖先が木から下りた事をその起源と考えている。すなわち二足歩行への移行が何時起きたのか、そして、それは何のためであったのか・・と言うことである。わかり易く考えると、2足歩行できたから、物を投げたり、けったり、考えたり、工夫したり、道具を作ったり、想像をめぐらせるようになったのである。

その想像が「時間」の発見につながり、生前と今。そして死後という世界観を生んだのである。すなわち、昨日と言う考え方とか、明日は何をするか・・と言うことを意識するようになったのである。それは120万年くらい前には既に行われていたようでもある。おおよそ4万年以上前には、火や道具を使い、絵画などを洞窟などに残していたようでもある。多くの場合、人類は狩猟採取生活を集団で行っていたわけであるから、狩猟の方法をあるいは植物採取の方法をゲームのような感覚で子供たちに襲えていたと考えられる・・それが4万年まえから1万2000年前クライのことであろうか?

その後、人類は定住し、農耕文化を身につけたといわれている。

生活技術としては。狩猟技術以外に農耕技術をも遊びの中で身につけなければいけない状態が始まっていたと考えられる。概念としての認識に遊びがスポーツ化していたかは定かではない。しかし、猿の集団生活やライオンなどの集団生活には、遊びとながら狩猟技術を習得する育児期間が存在する事から、この頃人間社会には、既に遊びと育児は共存していたのではないかと考えられる。確定はできないが、20万年くらい前から4万年前までに、社会と育児、そして学習と遊びは混在していたのだ。

斧を投げたり、やりを投げたりする事も、あるいはオーストラリアにおけるアボリジニのブーメランやバードコールなどの狩猟道具と技術向上の遊びとしてのスポーツ化は、既にあったのかもしれない。アボリジニは、あるいは2~3万年前、既に音楽やアート(壁が芸術など)文化なども成立していたと思われる。当然、ブーメランや毒やナ度での狩猟のための技術習得練習は日常化されていたと思割れる。また、近親相姦を避けるために、ネーム(姓)を名乗る習慣もあったと思われるのである。

名前、もしくは部族を名乗る事は常に対立とあるいは共存が紙一重で行われていた可能性を示唆している。

人類がスポーツとして部族(国家間)との競争を行ったのは、古代オリンピックによるところが大きい。紀元前9世紀~4世紀ころのことと考えられている。

それを遡る事1500年くらい前(紀元前2100年)には古代エジプトで、紀元前1700年くらい前には古代ギリシャで既に競技としての、レスリングや投てきなどのスポーツが行われていたが、競技場で行われたのは古代オリンピック(既に4年に一度)が始まりと考えられている。

2)スポーツとは何か?

その後、スポーツは狩猟採取、または、農耕に必要な身体能力を競い合うという事から大きく変身を遂げてゆく。既に紀元前頃には、貴族の遊びとか、社交の一つとして育まれ、それが一般大衆へと受け継がれてゆくのである。

ここで言うスポーツとは人間が持つ世界観の事である。スポーツは民族、宗教や国家紛争を回避する手段として生まれたのであろう。・・・・(書きかけ10月26日)

この「スポーツとは何か」は、感嘆にはまとまりそうもありません。頭がいろんなことで混乱しているせいかもしれません。考えれば考えるほど奥が深くて、又、感嘆には結論を導き出せません。

その原稿もしばらく保留ですかね、まとまりのない話でよければ、いつでもロックでお話できますがね・・・。

 

 

 

足の踏み換え方

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昨日、ケイスケに初めて「足の踏み換え方の基本って」という質問を受けた。彼から質問を受けたのは長い付き合いで初めてのことである。意外と数年前に言った事も「覚えれいるんだな~」と感心した。

「足の踏み換え」とは足の置き換え方ともいえる。3っの基本があるのだが、その高度な3つ目の踏み換え方のことであった。どうしても腕で引いてしまって、踏み換えが上手く行かない・・と言うことなので、基本1、基本2、そして基本3と順番に実演して見た目の動作と実際の動作の違いを説明した。

最近は少し実演する場合もある。それは目で見た感覚と本質に大きな違いが生じる場合にのみ行うことであるが、考え方がそこまで来ていないと、寝耳に水なのである。目で見て感じる現象と本質の違いを混同している場合も多い。

運動とは、関節をいかに動かすのか・・である。その関節は常に駆動範囲と運動できる方向が、個々人によって差があるのである。然るに、ある人の動作を形だけ真似しても同じようにはできない原因が必ず内在するのである。

例えばイチローの打撃フオームを真似しても、その本質には迫れないのと同じ事である。

足の踏み換えと言う動作も、一見簡単に見えるが実は、見ている動作を真似するだけでは解決できない問題のほうが多いのである。観察と実験(繰り返し)は大切な科学的アプローチの基本であるが。本質の違いを感じなければ・・あるいは、本質の違いを見極めなければ、無駄な練習になってしまう。

足の踏み換え一つにも、形の真似ではすまない要素がたくさん含まれている。

単に「足の親指の上に、もう一方の親指を乗せて、下になった足の親指を基点として、その足のカカトを水平に左右に振る」ことによって足を入れ替える事ができる・・と言う単純な事ではない。

そこのところを教えるには、足と言うパーツではなく、ボデイ全体と教わる側の志向(考え方)の方向性を理解する・・と言うことも重要な要素となっている。

文字だけでは、伝えにくい要素でもあるので、興味のある方は、直接僕に聞いて見るといい。

そこにレッスンの重要性と一貫性の必要性があるのである。

単に「足の踏み換え方」を教えてほしいといわれても、それ以前の基本動作ができているのかいないのかによって、理解度と実践に差異が生じるのである。

僕は全体から考えたい。部分練習は全体の使い方の習熟度のよって変化するものである。無駄な部分練習は成果を生みにくいのである。

11月は足の踏み変え方を生徒の習熟度のあわせて、教えてゆきたいと考えている。

雨とお弁当(ほぼ日記)

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今日は朝から良い雨だ。良い雨と思えるようになったのは30年位前、ネパールでの出来事が始まりである。僕は間違って「今日は雨だね」を「Bad weather(悪い天気)」といってしまった。そんな僕を不思議そうに見ているネパールの人々がいた。良い天気は晴れ、悪い天気は雨ではないのに・・。

むしろ雨は「恵みの雨」である事を、ネパールの人々から教えられたのであった。

「今日は雨だね」と珍しく娘が僕を起こして「ご飯だよ」と自分で作った」朝食を出す。卵焼きと、その他・・久しぶりの娘の料理?である。「一緒に食べようよ」とご飯も持ってある。珍しい事だ。それから台所でコトコトと何かを作っている。「今日はお弁当作るから」とい。人生で2度目のお弁当である。娘が幼稚園に行っていたことのお弁当箱になにやらぎゅうぎゅう詰めている。小さなお弁当である。

そういえば「雨が降る日は良い天気」と教えてくれたのは、ナラヤンというネパールの少年であった。当時は16歳くらいであったのか?彼はキッチンボーイとして僕たちの遠征隊に参加していた。そのときのキャラバンは雨季であった。7月の後半から8月の中旬にかけての、雨のキャラバンであった。毎日、ヒルとの格闘でもあったが、お昼時は雨なので、朝に全隊員のお弁当を作る事になっていた。毎日、雨を見ながらのお弁当である。今日はそんな30年前のことを、ふと、思い出してしまった。

ナラヤンはその後、登山家になり8000mの高峰を幾つか登ったが、1980年代の後半にエベレスト?で遭難死してしまった。いつか一緒に8000mを登ろうという約束は果せないまま、彼は永眠してしまったのである。

30年前の今頃は、遠征に失敗して日本に向かっている頃だったと思う。ぼくはその頃「結婚しよう」と考えている人がいた。日本に帰ったら彼女に会う。そして、心と体の傷を癒す・・それ以上のことは考えていなかった。

しかし、運命は「不思議な糸で結ばれていた。いいや僕たちは結ばれていなかったのだ。遠征の失敗。彼女との失恋・・僕は立ち直れないほど傷ついていた。

雨とお弁当・・それは僕を30年前にタイムスリップさせるには十分すぎる、神様と娘からのご褒美なのかもしれない・・と、思った。

最近は毎日ボヤキが出てしまう。年を取ったせいなのか?わからにが・・。野村監督の最後のぼやきは見事であった「22分・・最後のぼやき」である。ほぼ、反省であった。選手に浸透させたかった事が伝わらなかった悔しさとか、采配のミスを素直に省みていた。マ、僕的には74歳でもあるので引退が正解だと思う。じんざいを自ら育成し野村イズムを伝授するのではなく、後方から支援するのが老人の生き方であろうと思う。それもすばらしい生き方だと思う。石の上に3年、風雪に耐えて5年・・という生き方を野村は選択したかったようだ。それが「あと一年」へのこだわりとなりとなったのかもしれない。3年契約の後の1年契約は、彼にとっては不足でったようだ。

しかし、風雪に5年耐えたと言えども結果が伴うかどうかは疑問である。志半ばで後進に譲るのも潔い生き方かもしれない。

私の場合は、石の上に3年、風雪に5年・・さらに3年(合計8年耐えたが)柿は実らなかった・・?

どのような逆境に耐えればよいのか、かいもく見当は付かない。太宰治に習えば「男の人生に幸はない」のいであるが、少しくらいは実がなる人生でありたい。

実を結ぶのを急いでも、私が17年草であれば、まだまだ道半ばである。自分がどういう存在なのかはかいもく見当が付かない。しかし、意義なくして存在はない・・と考えれば、私が生かされている意義がどこかにあるのだろう・・・。そう考えながら、毎日を生きる。

人生煩悩とは仏教の思惟であろうか・・私は今直、煩悩の真っ只中にいることに違いあるまい。

・・・と、今日の日記には書いておこう。

先月からの傾向であるが、僕のブログを読んでここに来る人が多いように思う。昨日も3人、今日も2人。まったくの邪説、個人的な見解を善意に解釈して読んでいただいている読者の皆さんには感謝したい。

今、はまっているブログには僕の考え方の仕組みを示唆する種が隠されているようで、わくわくして読んでいる。

楽しみといえば、お客様や生徒とここでお話する事である。僕にとっては人生煩悩ではなく、煩悩人生こそ、僕の行き方そのものなのかもしれない・・と、思い始めている。

今日お会いした皆さんに、感謝である。

風雪に耐えて5年・・・か(追記)

今私の手元に、最果ての樺太から北海道へ「回想 風雪50年」深澤雪夫著と言う本がある。私の父が尊敬していた人らしいが、詳細はわからない、戦後、サハリンから北海道に移住し、私の生まれた足寄郡陸別町で営林事業に人生を注ぎ、しかし結果をもたらせなかった深澤氏の回想録である。戦前戦後を生きた先人たちは報われない事業に夢を追い、生きた時代もあったのだ。

そう考えると、野村の生き方は生ぬるいのかもしれない。歴史には名もなき、栄光もなく、また、評価されない人生を送った人がどれほどいたのか計り知れない。

歴史の裏舞台に生きることも、大切な人生観であり世界観でもあるんだろう・・と思う。私も、私の世界観をそろそろ組み立てる準備に取り掛からなくてはいけないのかもしれない。

 

昨日は冬の空

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土曜日だと言うのに、なんともいえない雰囲気が漂っていた。まるで冬の空である。ボクのふるさと釧路の冬は毎日がこんな空の感じである。今日の空のほうが近いかもしれない。

久しぶりに悠希のクライミングを見た。益々洗練されてきている。いい感じであるが後は気持ちの問題なのかもしれない。関東大会も近いし、少しは試合むけ練習も頑張ってほしいと思う・・。

あ、ジムが冬なので(暇ということ)「世界観の組み立て方」なる論文(ブログ)を見つけて読みふけっている。なかなか鋭い。いいや、そうとう鋭い。本人曰く「ド素人」ということだが、その思慮の深さには感銘を受ける。「世の中にはすごい人が居るな~」と思う。なんとなく論文の作者に『会って見たい』というか話をしてみたい・・という感情を抱くのは久しぶりだ。内容が濃くてボクが読み終えるには相当時間がかかりそうだ。思惟とう考え方が彼の論文を読むと伝わってくる。すこし難しい言葉だが、興味のある方は考えてみるといい。

思惟とは「しい」と一般的には読むのだが、仏教では『しゆい』と読む、似て異なることばである。感情を抑えて客観的に考えること、あるいは概念のような意味を含むが、人が意識して考えるとそこには主観が発生して、客観はない。自己と他者との違いとか、社会のあり方のついて考える時にもこの考え方は必要なようだが、自己を考えル時に思う他者との違い、主観と客観との境界線みたいなもので、むしろ両者には境界線はなく、霧の中・・なのかもしれない。

仏教でいう思惟(しゆい)は心の中で思い描く有様のことで、煩悩に近いものなのかもしれない。そんなことを考えていたら、お客さんや生徒が来たので、やっと練習開始である。

まったく違う根を持つ

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人類学の話であるが、人類の祖先にはまったく違う進化の過程をもった人類がいた・・という話がある。ホモ・フロレシエンスというのだが、インドネシアのフローレンス島で4年くらい前に発見されたらしい。

身長1mあまり、能の質量は0.38キロと現代人1.2キロ~1.6キロから比べるとはるかに少ない。しかし、火や道具を使って、集団生活を営んでいたようだ。

ここで問題は、脳の肥大化が人類の文明化を促した・・という説を真っ向から否定し、しかも1万2000年位前まで生存していたという事実である。すなわち、まったく違う根を持った人類が、地球に居たことになるのである。

又、インドネシアには1500年前には小人がいた・・という話もあるし、アマゾンには今だ文明と隔離した生活を営む人間も居るらしい。まだまだ、解からないことがたくさんあるのだ。

話は変わるが、野球が面白い。日本のクライマックスシリーズ?も楽天が勝ち盛り上がって居るようだし、大リーグもヤンキースが負けて、明日以降が楽しみだ。

盛り上がりに欠けるのは景気の動向かな・・・何処から回復してゆくのか、こちらは民主党の采配が鍵を握りそうだ。

野球と政治と人類学・・まった根本が違うが、考えさせられることに変わりはない。

今日も腕の振り方、足の送り方を中心に指導していた。なかなか奥が深いようで、皆、悩みながらその感覚を意識して居るようだ。

スポーツとはその種目ごとに基本が違うと思いがちだが、意外と同じ根を持っていることが少しづつ判りかけてきたような気がする。

 

オリオン座流星群を

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昨夜、娘に誘われてオリオン座流星群を探しに言った。午後11位頃、渡良瀬遊水地に進入(不法侵入ではない)して、見ていたが、なんとなく見れそうもないので、太平山に場所を移動した。すると午前12時10分頃から45分頃まで、ボクは7個を観測したが、娘は1個だった。普段の行いの良し悪しではなく、星空の観察の仕方によるような気がする。大きなのは2個、少し流れたのが1個、小さく数センチで消えたのが4個だったと思う。2個は気のせいかもしれない・・・。

真っ暗な夜空を2時間以上も観察したのは30年ぶりかもしれない。山登りをしていた頃は、良く星空を見ながらビバークしていたが、こんなに長く夜空を見ていて「楽しい」と思ったのは意外であった。空の彼方から地球を見ている人を想像したり、娘に正座の話をしたり・・・なんとも言えない時間がそこにあった。3組ほどカップルらしい人もいて娘は想像力を発揮していたらしいが「大人になったら恋人ときたら」とさらりと流してあげた。確かに一組は車の中でうるさかった(笑)静かに星を観察しに来ている人も居るのに・・・。後、ベンチに腰掛けて、空を見ていると思いきや、携帯を触っている人もいた。娘曰く「あれじゃ~隆盛は見れないね、何考えているんだろう」である。「星を観察したことのない人はたくさん居るんだろうな~」って思った。娘も「意外と星を観察するのって難しいんだね。お父さんは7個も流星を発見して,私は一つじゃ~ね! 星の見方にも練習が必要なんだね」である。

確かに、ボク以外の人は観察できていないようであった。どこかの星に焦点を絞るのではなく、オリオン座の周辺をぼ~っと観察する感じで見ていると、見れたんだけどな~

悔しそうな娘も「いい経験した」と言っていた。

 

流星群を見に行くまでの時間はミュージシャンの佐野元春が小田和正との公開音楽対談であったが、なかなか面白かった。言葉を搾り出す苦しみは詩人の苦しみに似ている・・というようなことを言っていた。「言葉が湧き出すのではない」と小田は明確に感性で詩を書いていないと言い放った。むしろ曲は繊細に描くという。そういえば「あの日、あの時、あの場所で、もし君に出会わなければ・・・」なんて言葉は普通の言葉である。それが小田の音楽に乗ると、不思議な雰囲気をかもし出すのである。・・・・普通の言葉と同じように、普通のことを成し遂げることの難しさ、普通のことを積み重ねることの大切さを小田と佐野は学生達に語りかけているようでもあった。

それは、自分の理念にも問いただしているのである。自分が気に入っても仕方がない、聞く手が気に入る歌を作る事が詩人(ミュージシャン)としての仕事であるとも言っていた様な・・。なかなかおくが使い話の後に置くが深い宇宙を見たのは、偶然だったのか・・・?

昨夜は、なかなか眠れない夜であった。

今日は久々にどんなブログにアクセスが多いのか見ていた。「腕の振り方」が今週は多かった。「練習の仕方」や「足の置き方」は大まか過ぎたかな~と、少し反省。でも、練習においてどんなことに「気をつけたらいいのか」「準備運動について、詳しく教えてください」とか「左右差がこんなにあるとは気が付かなかった」とかレッスンを受けている人からはいろんな質問が具体的にあった。

「何故、そのような練習をすると良いのか」という質問もあって、お話だけでレッスンが終わる場合もあった。なかなか「何故ですか」という質問はしにくいのかもしれない。しかしボクの「この位は解かっているはずだ」とか「この位は理解してくれてるはずだ」という思い込みも多々あって、練習についての考え方をコラムなどに欠く事は重要なんだとおもった。

昨日は遠くからお越しいただいたお客さんもいた。理屈っぽいボクの話を敢えて機器に来てくれたのはうれしかった。一昨日もそのような話に盛り上がった。

単に課題を攻略する手足の置き方を教えるのもゲームと考えれば楽しいのだが、そうではない部分を理解していただけた時の充実感も多きいい。

最近は「とにかく登らせてよ」というお客さんは減ったように思う。なにかクライミングという運動にあるサムシングを感じてここに体験しにくる人が多い。

しかし、絶対数が多くなったというわけではない。まだまだクライミングはマイナーの域を出てはいないのだろう。いいや、先月来たプロバスケットの選手に言わせると「バスケットもメジャーになっていない」とのことである。「え、こんなに楽しんでいる人が居るのにですか」と聞くと「楽しんでいる人、ゲーム感覚やなんとなくフアッション的に楽しんでいる人はいても、文化としてはマイナーです」といった言葉が重かった。

あらためて「真剣さ」ってたいせつなことだと思った。真剣に遊ぶ、真剣に自分のレベルを上げる。決して人に対してではなく「自分的に真剣に楽しめる」事って大切なことである。

単なる「今、はやっていますよね」って感じから少し上を目指す・・って重要な考え方だと思う。

毎月1回でもいい、それが毎週1回になって、毎週2回になる。そんな感じでクライミングのフアンが増えるといいな~と思う。

意外なところは、子供達からは好評である。平日のスクールはほぼ満員状態である。テレビゲームからはなれ、爽快な笑顔があふれる。

昨日も小学生のスクール生徒が初心者のお兄さんお姉さんと楽しくセッションしていた。どうやらボクのレッスンより生徒の指導のほうが楽しいようだ。

子供達がプロブレムを作って、それをクリアできるかどうかが楽しいようだ。ここでは不思議なことに「先生、宿題をください」という子供が多い。学校では嫌いな宿題もここでは楽しいことなのかな

でも、、敢えて宿題を自分で作ることをボクは教えたい

疑問を感じて、自身の想像力を磨く・・・それがボクの指導の目的でもある。

だから、なかなか商売ペースにならないのかな?って思った。

 

準備運動について

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最近、準備運動について聞かれる事がある自分にとって準備運動は、運動前に当たり前のことであったが、最近は学校の体育でも準備運動については行なわれていないことが多いようだ「したことない」とか「しらない」という話が多い、で娘に聞いてみたら「何それ」とあっさり言われて愕然とした。

簡単な準備運動は

1)体全体をほぐして

2)体温を上げる

3)怪我を予防する

などの効果がある。難しい話は避けるが、

1)軽くランニングして、体全体の血流を良くしておく

2)全体の筋肉を緩めて、関節を動かしやすくする

それから。練習に入るといいのです。詳しいことは、ジムでお話します。

頭の位置と目線

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初心者の場合、最初に見るのが「立ち姿」です。それから歩く時の姿勢と動作の癖ですね。それがなんとなく解かると、お話をします。その時ボクは自分の位置を変えます。その時の、お客さんの頭の位置とか目線の送り方を観察します。日常、無意識で行なっている自然な動作が観察の基本です。

次に、それを元に、準備運動とか軽いストレッチする動作を観察します。骨格の状態の観察ですかね。

そんな感じで、初心者コース(レッスン)は始まります(体験コースも同じです)

体幹部の筋肉や腕力はなくてもかまいません。それは練習で築かれてゆくものです。高校まで体育の評価が2以下の方でも,結構登れるのですよ。

そして、頭の位置と目線の話をします。恒に足の指を見ている感じで、手は「ちらっと」見る感じでよい・・といいます。何も言わないと初心者は、手だけ(握力や腕力)で登ろうとします。特に体を鍛えている自身のある方は、前腕をすぐにパンプさせてしまいますね。

パンプさせる原因は足の掴み方にあります。多くの場合は足を見ていません。確実に最後まで足で石(ホールド)を掴んでいるか確認してから、移動するのです。

足を見ていると、体が壁から離れにくくなります。それは頭が重たいからです。10キロ位はあるようです。頭の微妙な位置の変化は、すぐ体の筋肉運動に影響を与えます。すなわち、落ちてしまうのです。いかなるスポーツも同じですが、あごが上がった状態では良い運動は出来ません。それはウオーキングやランニングも同じですね。頭の位置がしっかりと体幹部(脊椎や骨盤)の上にあると姿勢が安定するのです。体幹部の筋肉を鍛える前の基本ですね、頭の位置は・・・。

次に目線なのですが、下を見るときは当然あごを引きますが懐を深くすることも大事なことです。ミゾオチから足だと思うくらいに考えて足の指を見ると意外と懐は深くなります。この考え方はウオーキングやジョギングにおいても同じことです。町でよく、あごを上げてウオーキングしている人がいますが、それは間違いですよ。ランニングにおいても同じです。2.3mくらいの地面を見るくらいあごを引くのです。

「それじゃー危険です」って思われる方もいますが、頭の位置の話です。遠くを見るときは目線だけをあげればよいのです。すなわち「少し上目使い」で見るって事ですかね。クライミングにおいても同じですできるだけあごを上げずに、上目使いで上方の環境(ルート)を観察するのです。9割以上は足に方を見ていたほうが腕のストレスは軽減されます。

左右の環境(ホールドの位置)を確認する場合も、あごは引き気味ですね、しかし、横目で見過ぎると、位置関係が認識できないので、ここにはいろんなテクニックというか身体の生理に叶った見方があります。

手足に利き足・軸足があるように、目にも左右でその能力に違いがあるのです。簡単に言うとどちらかの目が「利き目」なのです。日本人の多くは左目が「利き目」です。ボクは効き目のことを「位置を決める目」といいもう一方の目を「距離を測る目」と考えています。この目の特性が運動を制御している場合があるのです。この話は難しいので、ここではこのくらいにしておきます。

クライミングは手足が両利きであった方が有利です。それはその他のスポーツにおいても同じかもしれませんね。サッカーではどちらの足でもボールを蹴れる。野球ではどちらの打席でも打てるってことでしょうか。ボクは46歳のとき、左でもボールが投げられることに気が付いて、驚きました。

クライミングって、そんなスポーツでもあります。

 

足の使い方って、結構難しいですね。手の運び方とか掴み方は、意外と早く理解できるのですが・・。見方の違いなのだと思うのですが、人の動作を観察する時「ぼーっと全体を観察するんだよ」って言うのですが、手順とか掴み方を注視してしまいがちです。手は見なくても掴んでみれば感覚で解かるはずです。技術的な掴み方は、教えれば反復練習で習得できます。しかし、足の裁き方はなかなか手ごわいですね。時に腕力の強い方は、なかなか「クライミングは足で移動するスポーツです」といってもチンプンカンプンなようです。特にリード(ロープを使ったクライミング)では、手が自由であること、又、荷物を持って登る場合は体のダイアゴナル運動(回転運動)は出来ませんから厄介です。そこで足の指での掴み方とか方向とかが重要になります。また、足は2本しかありませんから、足で掴むホールド(石)にどちらの足を乗せるのか、乗せないのか・・また、踏みかえるのか・・という選択しかないのです。基本的な運動においてですがね。

最初に指での掴み方とか、腕力に頼った移動中心でクライミングをしていると、行き詰まってしまうようです。イメージを足に移動するのは至難の業なのかもしれません。

ロックには横移動専用のやさしい壁が20mくらいあります、87度くらい。そこで、じっくりと足のさばき方を練習しましょう。そこが出来るようになると、5,8位はリードで上れるようになりますよ。

ということで、初心者、初級者の練習の仕方(足のさばき方)でした。

練習の仕方には

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クライミングを始める時の練習の仕方には2通りある

1)コピー練習

人の真似から入る練習である。多くの場合は実現可能な課題を誰かに見本を見せてもらい、その真似(コピー)をするのである。この練習の仕方は比較的安易にできるので多くの場合はこのような形練習から入るのが普通のようだ。楽しめる練習といえる。あるいはセッション形式の練習ともいえる。実戦形式の練習でもあり、汗をかいたり、健康増進には役に立つのかもしれない。

2)創造性をと基本

僕はこちらの練習の仕方を主に教えている。動作の基本を繰り返すのである。野球で言えばキャッチボールとか素振りのような手足の使い方、体のねじり方などを根本から教えてゆく。それたらの技術の習熟度にあわせて、登らせるのだが、すぐには課題をさせない。特に足は自由に使い、手は多少限定する。足の使い方、ボデイ(体幹部)の位置やねじり方、重心の移動の仕方を重点的に基本に忠実に教えてゆく。課題の練習は反復した回数より,初見での対応能力を見る。

想像力が身につくと、オリジナルのラインを引けるようになってゆく。与えられた課題をどのように作品にするのか・・と言うような絵を描く練習や楽器を弾くときの練習に似ているのかもしれない。

大切なのは「生徒の個性の尊重」である。しかし、このような練習にはリスクがある。選手の個性を見間違えて教えてしまうと、続かなくなってしまう。そこのところが難しい。

どのような練習が個人に合うのかは、子供の場合は僕の判断に任せてもらう、大人の場合は話し合ってきめてゆく。あくまで初心者対応の場合であるが・・・。

腕の振り方

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腕の振り方(運動の仕方)について考えていた。クライミングの腕の振り方の考え方なのだが、身体工学的というか骨の特性と筋肉の関係についてであるが、先週やっと、あることの共通性に気が付いた。それは、野球でのバットの振り方とか、剣道においての竹刀の振り方、水泳での腕の使い方や陸上の走法での腕の振り方に一定の基準があるということである。

それは、クライミングにおいてのホールドを掴む時、あるいはホールドを離すとき指や腕の使い方とも共通する動作の基本がそこにある、ということである。

5年ほど前まではなんとなく共通することがありそうだ・・という考え方にとどまっていたし、あるいは、スポーツの動作なのだから、運動には手足の運動にはクライミング特有の動作もあるが、解剖学的に運動には一定の基本動作があるはずだ・・という直感みたいなものに、ボクの感情が支配されていた・・といった方が良いと思う。しかし、直感が必ずしも正しいとは限らない。そこのとことで随分悩んでいたのだが、子供達の指導やいろんな競技者の関節の運動を観察しているうちに「なんとなく直感」という考え方にこだわってしまって、8月までは行き詰まってしまっていた。

その考え方に活路が見出せたのは、世界陸上でのダイソン・ゲイの練習での走り方であった「腕の振りが変わったな」という直感に間違いはなかった。なんとなく前に振り出すといより、わき腹から後方に大きく引いている感じであった。さらに、彼の膝の動きに注目した・・というのか、目が留まってしまったのであった。同じく大きく後ろに円を描きながらリーリングしているように感じたのである。

前に早く走る為にはいかに前に進むのかではなく

、足は土を掴み、後ろに押している

腕は、前に振り出すのではなく、後ろに大きく引いている・・という印象を受けたのであった。

当たり前のことかもしれないが、足でけるから早いのではなく、足の指で地面を掴んで押すから前に進んでいるように見えたのである。

当然、足を前に強い力で振り出すには対角線側の腕を大きく前に振り出すことによって、足が前に運ばれ推進力になるのだが、そこのところの考え方を変えてみても同じとがいえるように思えたのである。言葉で説明するのは非常に難しい概念である。

で、カールルイスを育てたゲレツやグリーンやゲイの走法の理論付けになっているといわれるスミス理論などをもう一度読み直してみた。二人はまったく相対する考え方で走法を言葉で理論つけているようであったが、それは読む側(あるいは指導を受ける側)の見方の位置の問題でさほど大きな違いはないように思えたのである。彼らはアメリカの2大コーチといわれているのだが、その根底にある理論はマン理論である。そして、福島大学のカリスマ先生の理論というか選手の育て方を干渉していると、やはり膝や肘の運動の仕方には一定の方向性がを感じたのである。

「一見不合理で論理的ではない」と思われる選手の細かい動作や左右差の癖とみられる現象にも、根拠があったのである。その根拠の一つが、100mを走っているときのダイソン・ゲイの前腕の振り方と指の動き方の左右差の合理性であった。

左右差は無いに越したことはない。左右差が無いほうが良いのであるが、人間を含めて左右差のない生物はいない。左右差をクリアすることも練習であるが左右差を利用するのも練習である。

おおむねトップアスリートの左右差は3%以内といわれる。アスリートは左右の均整が取れているのである。それは運動の特性にも現れる。たとえばどちらの足でもボールがけれる。右でも左手でもボールが投げられたり、ラケットが振れたり、野球においてはどちらの打席でもバットが振れるようだ。

それは均整が取れているからではなく、均整が取れないから、そこにある左右差をどのように克服するのか・・という練習において大切な要素なのである。

そのような練習は、緩く長く、簡単には進まない。むしろ不得意の克服は困難を極めるのであるが、あらゆる一流アスリートは、このような練習に飽きもせず時間を費やす。

生まれながらの才能にあふれる選手は、才能以上の練習をしたがらない傾向にある。むしろ才能は不断の練習によって培われるものである。

2009年の世界陸上ではボルトの走りに驚愕したわけだが、私はむしろ、ダイソン・ゲイの進化に賞賛を送りたい。彼の走りは多くの物を私にもたらした。準決勝と決勝の合間に、200回近くスタートのタイミングを計る練習をしていたという。天才ボルトは瞑想にふけり集中力を増すことにその多くの時間を割いていたようである。まったく対照的な行動である。ボルトは100年に一度の才能を持った選手なのかもしれない。しかし、ゲイは100年に一度の練習によって才能を開花させた選手なのかもしれない・・と思った。

同じ練習をしても、成果には個体差が生じる。それは当たり前のことであるが、選手の個(個性とか潜在能力)を引き出すには一貫した指導と時間の経過が必要なのである。

コーチとは自分の理論をいかに教え込むのかではなく、選手をいかに観察し、個の能力を引き出す可能性を模索するのか・・につきるような気がする。

出来ない問題をデモンストレーションして、自分と同じ動作をコピーさせても自分以上の他人にはならない。あくまで自分は自分なのである。イチローのバッテイングフオームを幾ら真似しても、芸人に離れても優れた打者にはなれないのだ。

始まりは真似(コピー)から始まる場合もあるが、出来れな独創力のある感性で自分自身を導き出してほしいと思う。

腕の振り、膝の運動における考え方は、ここでは詳細を述べられない、ただ、クライミング運動がさまざまなスポーツにおける体幹部の強化には十分に役立つ運動であることを皆さんにお伝えしたい。

それは一般的なクライミングジムでのクライミング運動の説明ととロッククラフトでの説明では大きな隔たりを感じるかもしれないが、このような考え方も方法の一つであることに変わりはない、と私は考える。

 

 

 

スポーツと政治

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スポーツの祭典としてクーベルタン男爵が提唱した近代オリンピックはその趣旨に反して政治色を隠せない。ベルリンオリンピックはナチスドイツの国力顕示に利用されたようだし、メキシコオリンピックでも人種差別が大きな問題提起になった。ミュンヘンオリンピックはテロに巻き込まれ、モスクワオリンピックは旧ソ連のアフガン進行に反対した西側がボイコットした。その4年後のロサンゼルスオリンピックは東側がボイコットしたので、アメリカ大会のようになった。

多くの反省材料を提起しながら、オリンピックは新たな方向性を見出そうとしているのか、それともオリンピックのもたらさす経済効果にその趣が置かれるようになってきたのか、さまざまな事をかんがえさせられながら、持続可能性を模索している事に変わりはない。

東京の敗北も政治力が働いたのか、大儀が重要なのか?長崎、広島での開催に向けての動きにも「核廃絶」と言う大儀が政治色を拭い去れない。さまざまな戦後(1945年)がオリンピックの現実にも付きまとう。

参加する選手の多くは純粋にその競技の頂点をめざし、あるいは潔く負ける・・、と言うわけでもない。さまざまな趣向を凝らし、いわゆる薬物に手を染める選手も少なくない。それは金メダルのもたらす経済効果がある方だ・・とも言われる。

学問や研究、開発や発明による経済効果と同じように、スポーツによってもたらされる経済効果も否定されるものではないと思う。お金と名誉のために戦う事もスポーツの意義でもある。

そう考えると、中学や高校での成果より社会人になってからの効果を考えたスポーツ指導も重要な要素であると思う。せっかく中学記録を更新したのに高校で故障してしまっては、意味がないようにも思う。

もうすこし17歳以下の大会での勝敗を軽く見られる寛容さを笑われ大人は持たなくてはならないようにも思うのだが、最近は小学生のサッカーや野球などで観戦している親が熱くなりすぎていることに違和感を感じるのは、僕の考えすぎだろうか?

同じような事は1980年代のアメリカでも多発していた。まるで子供をアスリートという商品にでもするかのごとく、厳しい練習を課し、子供の豊かな成長を損なう結果を多々生んだ。

その反省から立ち直ったのか同化はわからないが、さまざまな取り組みが行われているようだ。日本での甲子園の加熱もフイギアスケートでの選手の低年齢化もスター選手を生む一方、多くの若い選手は怪我による挫折を余儀なくされる。

甲子園常連高校の主力選手60人の身体検査を行った医師が「60人全員に方やひじ関節の貴兄や損傷があった」と言う報告もある。すなわち高校以後野球ができる状況にないのである。それはチーム内の競争の激化がもたらすものでもある。少年野球においても投球練習は10歳で1日50球¥・・という決まりがあるらしいが、それを守っている指導者や親はいるのであろうか?と言う疑問も湧く。

子供たちの将来を考えて、指導する・・と言うことの難しさを実感するのである。

1970年代栃木県に怪物といわれる投手はいたが、彼は1年に120試合も投げていた・・という話を聞いた。全国の有名高校(甲子園常連高校)が彼の投球を指名して練習試合に日参していたらしい。彼はここにも住んでいたようで、その頃の神話が数多く残っている。

そう考えると「僕をプロ野球の選手にしてください」と高校入学時に監督に言ったイチローはすごいと思う。

指導者を仰天させる事を言ったのだ。すなわち、高校野球での夢は甲子園であった「僕を甲子園に連れて行ってください」と言う子供は多いらしいが、そのような事を言ったのは、言われた監督自身も「監督生活で彼だけであったという。

プロスポーツ選手になりたい。それが純粋な子供心であると思う。どこかで目標を間違わせる背景が日本の社会にもあるのではないか?

それはオリンピックにても同じなのかもしれない。

指導者の意識改革も大切な要素であるが、子供たちの純粋な気持ちを育む教育も、大切な教育であろう。

「あのひと裸だよ」と言う子供がいなくなったのか、それを言わせない社会になってしまったのか?高度な文明の背景にはさまざまな混沌が発展途上地域と同じくらい渦巻いているのである・・ということも考えたい。

 

昨日の続き

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核廃絶が大儀であるなら

オバマ氏のノーベル平和賞受賞には、もうすこし前提が必要な気がする。唯一の原爆被爆国日本の広島と長崎は訪問して、何らかのコメントを発するべきだ。それは謝罪ではない。むしろ謝罪すべきは戦争を仕掛けた日本政府にあるのではないかと考えてしまう。戦争終結の最善選択が、原子爆弾の投下という歴史的事実を生んだのだ。

僕たち日本人も原子力に対してはもうすこし考え方を深く持たなくてはいけないと思う。歴史が薄れてゆく懸念を感じる。当然、僕も戦後生まれである。父は戦争に行ったが、多くは語らなかった。

核廃絶に向けて、広島・長崎が2020年「核廃絶オリンピック」に立候補しようと考えているようだ。オリンピック開催には大儀名文が必要な時代になったのかもしれない。

大儀といえば、何時の時代も戦争の手段として、大儀は必要であった。オリンピック開催にも大儀が必要な理由を選考委員が考えるのではなく、開催立候補する国がプレゼンするという事は「どういうことなんだろう」と考えてしまう自分の考え方に問題があるのだろうか?

広島と長崎がオリンピック開催に向けての動き出しを見せるのは、よい事だと思うが、東京が開催国に立候補するときに、このような世論を巻き起こせなかった事を、少し残念に思う。

オリンピックは政治や国力の表現ではなく、世界の実情への平和的祭典だとしたら、儲かるとか考える前に、新興国や発展途上国を国際舞台に立たせて、その国の現状を世界に公表する手段として開催する・・って事は考えられないのだろうか?

財源がある国は開催を希望する国に資金的援助をする側に回る事こそ、今大事な事ではないかと思う。世界の220の国と地域にくまなく開催する・・と言う理念で開催国を選定する。そんな風になると国際社会も、もうすこし経済的に平等化するようにも思う。

しかし、それは思いつきで簡単に実行できるとは思えない。CO2の削減においてもその排出量の80%くらいがわずか先進10カ国を占める今、世界220の国と地域で一緒に考え削減しよう・・と言う考え方にも先進国の思惑が見え隠れする。

自国の利益のためだけに国家があるのか?国家の理念や概念に付いても違う視点から考えてみる必要があるような気がする。そもそも国家と言う理念は西側の考えた理論であって、100年前の発展途上国はほとんどが植民地でしかなかった事を考えると、世界がどうあるべきかを世界的な視野で考えた結果ではないようにも思う。

当然、日本も日本国としての利益追求の手段が富国強兵策であったように思う。明治と言う時代は江戸時代からの脱却に向けて、そうとうもがいた時代でもあったようだ。しかし、それは昭和から平成に移行した現在でも変わりはしない。

日本が平和になったのか?

民主主義はこの国に存在するのか?

永久平和とは?

混沌と秩序とは・・?

などなど、考え直さなければいけない概念は多々ある。

昨日から頭の中はクライミングとは違うところで動いているような気がするが、石を掴む事から派生する事はこんな事へも広まってゆく。クライミングと言うスポーツは、奥が深く、さまざまな事を考えさせるスポーツでもある。

 

10月10日のほぼ日記

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今日は開業記念日なんです。2001年の10月10日が開業デシタ。足掛け8年「良く持ったな~」と思います。その間多くの有名人とも会いましたが、やはり財産は普通のお客様や生徒たちですね。

忙しくなったので、後ほど・・・

ピアノの達人の話

さほど、忙しくもなかったのだが、いろんなことを考えていた。「最近はピアノを聞かなくなったな~」とおもってネットを覗いていたら日本にも「謎のピアノマン」が居ることがわかった。都内の電気店で自作に曲を弾いているようだ。今、彼の曲を聴きながら書いている。

そういえば、開業当事はクラシックばかりを流していた「ロッククライミングジムにクラシックは似合わない」とよく言われたが、結構好きでショパン、モーツアルト、バック(バッハ)などを定番としていた。時に台風や豪雨の夜中に聞くショパンは印象深かった。大音量にしても誰からも文句は言われない。その調子で、交響曲なども夜中に聞き漁っていた。マーラーなどもそうだった。

しかし、音響設備が次第に動きにくくなる。独身しだいから大切にしていた機会が壊れていった。多分、チョークのせいだと思う。使えないが捨てられなくて、2階においてある・・・。

世の中には無名だが才能のある人はたくさん居る。この謎のピアノマンもそうかもしれない。

才能と言えば

オバマ大統領がノーべル平和賞を受賞したという。・・・???何が受賞理由なのかと言うと「核兵器の廃絶」を提唱した・・という。ボクが選考委員なら結果を生んでから、平和賞を贈りたい。又、ボクが大統領だったなら「まだ核廃絶への道は遠い、このたびは受賞を控えさせてください」と言いたい。

ノーベル賞を辞退した人・・は

自発的な辞退はジャン・ポール・サルトル(文学賞 フランス)、レ・ドク・ト(平和賞 ベトナム元大統領)。政治的な理由から辞退させられた?としてはボリス・パステルナーク(文学賞 旧ソ連)が居るそうです。

また・・ノーベル賞ではありませんが、フイールズ賞(世界最高の数学賞)を辞退した人にグレゴリー・べレルマン(2006年に辞退 ロシア)がいます。

サルトルは文学の価値観の違いから辞退したといわれています。すなわち「人は生きながら神にはなれない」と自分の思想をつらぬ祈祷したのかもしれません。ですから、サルトルは辞退したのではなく「値しない」という考え方だと思います。

レ・ドク・トはベトナム戦争を終結させた・・という理由で、確かキッシンジャーと共に受賞だったと思いますが「ベトナム戦争の終結は平和を意味してはいない」といい、ノーベル賞を唯一辞退した男・・と言われています。

グレゴリー・ベレルマンは数学の分野でさまざまなありえない成果を発揮した数学者でありますが、その人生はいまだに謎であります。2006年現在30代という若さでありますが、困難といわれた数学上の問題をたった一人で解決しています。現場復帰が望まれる大天才ですかね。彼は「自分の証明が正しければそれで良い。有名になると何もいえなくなるから・・」と隠遁してしまいました。

今日は、まだまだ書きたい心境です・・・

ふと、テレビを見たら「鉄腕アトム」の性能の話をしていた。マッハ5で空を飛ぶ速さは、秒速1.6キロのようだ。東京~大阪間を10分で飛べる。その時体が受ける、熱は1200度にもなるらしい。また、10万馬力って航空機のエンジンの5倍らしい。ジャンボ機はエンジンが4個だから身長135センチ、体重30キロのアトムが10万馬力って相当にすごいことになる。そんな高性能のロボットはいつか人間によって作られるのだろうか?そう考えると漫画(アニメ)には途方もない夢がある。

夢といえば、太陽系の木星には相当大きな輪があるようだ、最近発見されたのだ。地球の10億倍の輪ってどのくらい大きいのか想像できない。想像できない。といえば、地球から海王星間での距離だが、約9兆キロらしい。月まで36万キロである。光の速さで1秒もかかる。太陽から地球までの距離を1AUとしても300万AUの彼方にあるようだ。1AUは1.5億キロらしい。しかし、太陽系は海王星の外側に人間にとって未知の距離を持っているのだ。わけが解からなくなってくる。

わけが解からない計算といえば、以前銀河系を地球が何回公転しているのかを計算したことがあるがそれも訳のわからない数字であった。地球は光速の4倍以上で銀河系を公転していた。

そんな科学も人類が440万年?前に石を持ち石を加工したこと(文明化)した時から始まっているのだ。440万年、あるいは750万年・・しかし、火を手に入れたのは比較的新しい。。おそらく20万年より最近のことであろうと考えられている。すなわちネアンデルタール人の出現を待たなければならないのであるが、ぼぼ3万年前には田畑を耕し定住し、あるいは狩猟採取生活をして、放浪していたバガボンドもいたのだろう。

縄文時代も1万2000年前頃から始まっていたようだし、僕達が中学で習った歴史は僅か30年位で大きく変わってしまった。

それほど人間は地球の歴史さえも知らないのである。

そんな人間と科学の歴史を紐解く手段として、ボクは石を掴む(手ではなく足で掴む)スポーツとしてのクライミングは人類の歴史そのものではないのだろうかと考えてしまう。

ボクの人生が平均的な生き方だと、残り時間は30年に満たない。あと何年持つかはわからないが、死ぬ時まで、石を掴む意義と歴史を考えながら、生きてみたいと、ふと、思ったのだった。

創業記念のコラムはこんなところでお終いにしておく。ありがとう・・皆さん、これからもよろしくね(笑)

下風に立つ

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下風(かふう)とは風下(かざしも)のことである。下風に立つとは、勝算のない戦いに挑むという事でもある。試合を挑むならあえて勝ち目のない試合は挑まないものであるが、あえて風下に立ってみると「そこにある現実」に気が付く事もあるのである。試合(あるいは戦い)とは勝算なくして戦わないものであるが、歴史には勝ち目のない戦いをあえて挑み、思わぬ勝利を導き出した・・と言うことは多々ある。歴史上勝算のない戦いのはずだったのに勝ってしまった戦いとしては、韓信(項羽と劉邦の時代)背水の陣があがられる。まさに風下、退路がないのである。退路がない戦は敗戦なのかと言うと、そうでもなかった。数年前「300」と言う映画があった。ギリシャの都市国家スパルタがわずか300人でペルシャ軍100万を迎え撃ったのだ。こちらは玉砕したが、その戦いが後の勝利を導き出した・・とも言われている。三国志の赤壁の戦いも、勝ち目のない戦いであったのかもしれない。

下風に立つとは庶民の心を知る・・という意味も含んでいると思われる。庶民の心を掴む政治や学問について深い洞察力をもって対応した人物に柔道の開祖加納治五郎がいると思う。ぼくが「下風に立つ」という言葉をはじめて耳にしたのは、彼の言葉としてであったと思うが、ネットを見てもそんな言葉は出てこない。僕の勘違いだったのか?

相手の力を利用して、大きな相手にでも活路を見出す武術が柔道へとつながったように、僕は考えている。下風とは「不利と思える条件を有利に導く武術を、わかり易く啓蒙する事が柔道である」と考える。しかも柔道は学問も博愛もかねている。単に勝つための戦術ではない。むしろ人格の形成がその理念の根底にある。

生きてゆくうえでは、いつも風上に陣を取れない。むしろ下風に陣を取らざるを得ない事が多いのではないか。その考え方が人間を成長させると考える。

加納は「なにくそ魂」を教えていた・・とも言われる。言葉は汚いが「負けてなるものか」と練習する事が「なにくそ魂」なのかもしれない。門弟には伊藤博文、夏目漱石、などのいたというが、まさに日本の黎明期を支えた賢人が講道館から排出されている。

ロッククラフトからは「普通の腕白小僧:「おてんば娘」が輩出されれば、ぼくは楽しいと思う。

政治力に敗れた・・?

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オリンピックの誘致に失敗した都知事の弁明は、敗軍の将が自らの失敗を、政治的な力に敗れたかのように語るのは、妙におかしかった『まるで自民党の総裁選挙のように見えない力が勝敗をきめた。ある意味ではできレース(結果のわかっている試合)にようだった」といった事である。

彼は、かつて自民党の総裁に立候補しようとしたが推薦人20人を集めなかった当時と似ているとでも言いたかったのだろうか?それでは、あの時の反省が生かされていない・・と言うことではないのだろうか。あの時は自分の地位と野望のために、自らを鼓舞したのだろう。しかし、今回は自らの地位を利用して、都民の血税をつぎ込んで、敗軍の将になったのである。国際オリンピック委員会はモスクワ(1980)・ロサンゼルス(1984)年のオリンピックにいたる経緯になかに政治力のなさを痛感していた。純粋にスポーツはスポーツの精神だけでは成り立たない・・と言うことは、常にオリンピックに付きまとう現実ではないか。あなたは元国会議員であり現都知事であるなら『見えない政治力を振りかざす」のがあなたの仕事ではないのだろうか。

『はじめから、リオに決まっていた』のではなく「リオに投票したくなる背景」をあなたは作ってしまったのではないのだろうか。

先進諸国の東京CITYの環境問題への取り組みは、先進諸国には理解できる現実である。しかし、あなたの描く環境対策は『発展途上国』には見えない政治力と写ったに違いない。

それは、庶民の政治を歌う自民党が『庶民感覚の欠如」による敗北を喫した選挙に等しい感覚かもしれません。

また、政治アナリストが言っていたように「自民党に対するアレルギー」が民主党を歴史的大勝に導いた事と相違はないのです。

敗軍の将が負けた理由を分析して「他人のせいにしない事が」ことが『敗軍の将、兵を語らず』の真意であったと思うのだが『史記』のどこかに乗っていた、韓信の言葉であったと思うのだが、20年位前のことなので記憶が定かではない。

また「兵を語らず」とは言っていなかったようにも思う。それは後日誰かが作った格言なのだろう。ニュートンのリンゴやコロンブスの卵のように・・・。

歴史はあるがままであるはずなのに、歴史は伝承される毎に事実とは違ってゆくものなのである。それは「トロイの木馬」ともあい通じるものでもある。ギリシャ神話であるはずなのに、事実であったように・・しかし、この件は、シュリーマンの発見以後も歴史的検証は行われているが、あれから100年たった今でも、事実は藪の中である。

イベントは話題が多いほうが良い。なにも「あんなにもったいぶって、投票を繰り返す事はない」と、僕は思う。「変わった決定方法だな」とも思った。

確か、「馬車は駆ける」で沢木耕太郎は彼が国会議員時代の事に少し触れていた・・と記憶している。彼は、庶民感覚を持っていない典型的エリートであると沢木は断言していたように思うのだが・・。

沢木は優れたドキュメント作家である。1980年代は彼の作品を読み漁っていたようにも思う。カシカス内藤というボクサーを描いた「一瞬の夏」。浅沼稲次郎の暗殺を企てた山口二矢の事を書いた「テロル決算」。「深夜特急」な何冊か読んだ記憶がある。なかなか面白い。読んではいないのだが、最近は登山家山野井を書いた「凍」は感動物だと言った人がいた。僕はなかなか知っている人の小説は読みにくいのである。昔「エベレストに消えた息子へ」という本を読んで、知り合いだった加藤保男さんのことを思い出し、喫茶店で泣いてしまった事がある。それ以来、知り合いの本は読まないようにしている。

話がそれてしまったが、政治家は政治力との戦いである。沢木のほ小説「テロルの決算」ではないが浅沼を失った池田勇人(「後の内閣総理大臣)は「盟友を失った。政治家が議論する相手を失うほどつらい事はない」といったような気がするが、事件当時の僕は6歳くらいだったから、大学時代以後何かの文献でそんな話を書きかじったのだろう。

政治に好敵手が必要なように、スポーツにも好敵手は必要であろう。もし世界にカオス(混沌)がなければコスモス(秩序)はうかがい知れない。

もし世界にさまざまな宗教がなかったら価値観の相違は生まれまい。価値観の相違が文明を生み秩序と混沌を導き出したのだ・・。

政治力に敗れたのなら、責任を取るべきだ。それは辞任する事ではなく、任期を全うして、この敗北を都民、あるいは国民の利益につなげる政治を実践していただきたいものだ。

ま、「負けて目覚める」ではないが、敗北は重要な体験である。

そんな事を考えていたら、こんな時間になってしまった。午前1時を過ぎてしまった~いつもの事か(笑)

 

 

 

10月5日のほぼ日記

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CO2を25%削減するには10億トンを購入しなくてはならないようだ。4年前なら1トン2000円くらいが相場だったのに、今は1トン1万7000円もかかるようだ。国家予算の1兆7000億円がCO2の購入費になるのか?それしか妥協点が見出せないのか?アフリカ全土でのCO2排出量は日本の1/5くらいだから、国際貢献と考えれば、アフリカが主な売り先とかんがえるなら相当な貢献ができる計算になる。

渤海道5区出身の僕にとっては、中川氏の死亡は、なんとも言いがたい現実である。彼の父一郎さんも1983年ころなくなっている。不思議な因果を感じる。

政治献金の問題は何処まで行っても付きまとう現実なのか?鳩山氏の件はなんとも言いがたい。

なんとも言いがたい問題はオリンピックの東京誘致にもある。誘致活動には150億円の税金が投入されたようである。なんとも多大な支出である。横浜開港博の比ではない。なんともいえない問題だ。

いいや何とか言いたいのが本音である。ただ、僕の周りにもいろんな問題が山積してしていて落ち着いてこれらの問題を検証する時間がない。

昨日のロックの来店者数の2倍が今日の来店者数である。月曜日は一番暇な曜日であるのだが・・・

明日、火曜日は一番にぎやかな曜日である。あいにく明日は予約が入っていない。久しぶりに川越とノ会議?になった。

実は最近、トロイの遺跡についていろいろ考えていた。きっかけは『トロイの木馬」というウイルスである。発見者といわれているシュリーマンの人生や考古学という学問を成立させるきっかけになったのがギリシャ神話にある、トロイ伝説であった。この話も結構考えたのでいつか書くことがあるのかもしれないが、いろんなことが舞い込んできて、頭が混乱している・・・とい今日この頃である。

今日は内容のない日記になったが、内容のないのも日記である。

 

明日に木を植える人

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「あなたは、明日に木を植える人ですね」とは僕が知人の家に止めてもらったときの「OO家の宿帳」に開高鍵が宿泊したときに残した言葉と記憶している。もう15年以上も前の事である。OO氏は開高氏とは幼馴染で親しい友人であったようだ。そのような有名人が泊まる部屋で僕も宿泊させてもらった・・というか強制的に宿泊させられ、宿帳にコメントを残せと強要させられたのである。

そのときの話題が、開高鍵と釧路川の話であった。僕が釧路川流域(標茶、弟子屈など)にすんでいたときの事、開高鍵が来て「むかしはこんなイトウ(魚)が二匹もつれたのに・・」というCFが流れ、釧路川が僕たちの遊び場ではなくなった話をしているときの事だった

「健(たけし)は、僕に『あなたは明日に木を植える人』だといったが、それは僕ではない、君だ」と僕をさして言ったのだった。「だから健の辞世の句は君にやる」といわれて困惑したが、意外と素敵な言葉だったので

たとえ明日に 地球が滅びようとも 私は今日手にした 一本の木を植える人でありたい

と、OO家の宿帳に残してきたのであった。そのほかに何を書いたかは覚えていない

さて、東欧の詩人ゲオルグは「明日に地球は滅びるとも、私はリンゴの木を植える人」と言ったとか言う話を今日知った。それはオリンピックの東京誘致に関しての都知事のことばの中にそのような引用があったという記事を読んでの事であるが・・・

ゲオルグなる詩人の詩を僕は以前(高校以前)に読んだ事があったのだろうかと、ふと、考えていた。なぜなら、僕が作った『木を植える人」の詩と非常に酷似しているのである。まさに僕が盗作したのであろうか?それとも・・開高鍵が盗作したのか?開高鍵はゲオルグを知っていたのか?

明日にリンゴの木を植える人・・と言う言葉は、僕は開高の言葉だと思っていた。

なんとも不思議な縁である。オリンピックと環境問題、リンゴの木と東京都?

何処に関係があるのかがわからない。世界で一番二酸化炭素を排出する都市が環境を歌うなんて・・聞いている人が白けて当然である。彼のスピーチには力がない。説得力もない。すなわち東京では林檎の実は実らない。

僕たち国民が東京でオリンピックをしよう・・と盛り上がっていないのだ。盛り上がらない背景は都知事の独善にあるようにも思う。昔、『馬車は駆ける』という本を読んだ。彼は『一瞬の夏』と言う本も書いていた。そのほかにもたくさん彼の本はあるが、その中に庶民感覚のない人生を歩んできた人に、庶民とは・・などといってほしくはない・・と言うようなことが書いてあったように思う。

東京は世界一の物価と世界中のブランドがひしめく大都市である。世界の人口の1/500の人口を抱える都市でもある。おそらくアフリカ全土で排出する位の二酸化炭素を毎年排出しているのである。僕が聞いてもばかばかしいのに、アフリカの人(庶民)が聞いたら、唖然としてしまうであろう。元作家であるから文学には精通しているのであろうが、例え話が的を得ていない。すなわちKY(空気が読めていない)である。

地球環境は自らの襟で正せ、詭弁で償うな!

と言いたい。しかし、僕も日本国民だ。矛盾している。

日本が世界に貢献する誠意と熱意があるのなら、オリンピックはリオにお願いしたい。アマゾンは世界の熱帯雨林だ。世界がその保護に目を向け、環境問題に真摯に立ち向かうには、1993年だったな~世界環境会議でECOと言う言葉を生んだ13歳の少女の言葉に、もう一度耳を傾けてみたいものだ。

 

 

9年か・・

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会社を設立して、昨日が9年目出会った。ということは今日から9期目が始まろうとしている。長いようで短かった・・9年も続けるといろんなことがあったと思う。

小学生対象のクライミングスクールを立ち上げたいと思い、始めたわけだが、その頃小学1年生だった生徒も中学3年生になった。幼稚園から始めた子供も中学1~2年生・・随分大きくなったものだ。彼らの成長には驚くべきものがある。それに比べて僕の成長は何処に行ったのか?人間的な成長が伺われないのが残念である。

オープン当事から継続しているお客さんも19数人いる。たいしたものだ。最高年齢は75歳を超えた。還暦からクライミングを始めた女性も居る。たいしたものだ。

ボクは還暦を迎えてもクライミングをしているのだろうか?後8年である。

子供達の数は少しは増えた。スクール受講生は30人くらいだろうか。毎日午後4時半~6時半は子供達のにぎやかな声が響く。彼らがどのようにクライミングを楽しんでいるのかは解かりにくい。

しかし、レベル格差はあるがそれぞれのスタンスで楽しんでいる。いつも行っていることだが、ボクは練習を強制しない。むしろ自由に遊ぶことが大切な練習である。親との会話には多少の食い違いがある「よく練習しましたか」と聞かれると「はい、よく遊んでいました」と答える。???な顔をする親も居るが、汗をかき輝く目つきの子供を見ると、なんとなく納得しているようであるが、習い事をしている時は「遊ぶこといけない」という親の考え方を、何とか払拭したい。

ある童話作家が言っていたが「子供の頃、一生懸命遊ぶ事が大切であると」確かOO桃子さんだったと思うが、子供の頃の遊びが大人になる心を育てるという。育むということは、大人が考えたと通りに遊ぶことではなく、自分で想像して遊ぶことの大切さを育みたいし、培いたい。

しばしの間、仕事をしていた。頭が疲れたので、ユーチューブでクライミングの映像をみていたが、ユーロッパの壁は一言で言って「でかい」なんでこんなでかい壁があちこちにあるのだろう、と思ってしまう。日本だと9mの高さがあれば大きなジムである。根の深さが違うのだ。以前、アメリカの人工壁を調べたことがあるが、でかさではアメリカのほうが先進国であったような気がするが、最近はユーロッパの壁もでかい。ボルダーエリアが小さく見える。

となると、欧米ではボルダーよりリードの方が需要があるのかもしれない。日本は今、ボルダージムが全盛である。これからももっと、ボルダージムが増えるような気配である。

ここに居ると「そんなに需要があるとは思えない・・」のだが。

10年前は民間ジムは全国で20に満たなかったようにも思う。1993?年頃Tウオールが入間市に誕生したのが始まりだったように思うが、それから僅か15年で全国に100箇所以上になったようだ、これからも右肩上がりで増え続けるのだろう。

全国に300箇所くらいになったときが「ブームに始まり」・・といえるのではないか、ボクの仮説だが。それから全国3000箇所くらいになったら、時代の到来であろう。それまで数年かな?

しかし、大きな壁は個人の資本では難しい。大手のどこかが手がけるのを待つか、勇気ある個人の出現を待つのか・・という感じである。

大きな壁といっても実際の壁ではないが、2016年東京オリンピック開催の雲行きは怪しい。本日の深夜に投票で決まるらしいが、正に大きな壁にぶつかっているように思う。国をあげて・・というか国民に盛り上がりを感じないのはボクが鈍感なせいなのかな?

鈍感といえば、ボクの社会を見る見方も鈍感なのかもしれないと、ふと、思った。具体的に・・といわれると、返答に困るが、社会の混迷を楽観視しているように自らが写る。世界の混乱をよそに、日本はわが国の自国の利益にとらわれすぎてい何のだろうかと、ここでも、ふと考えてしまうのである。

3年前?インドネシアを襲った時の報道と比べると、今回の台風による水害やサモア諸島の地震による災害に対しての報道が少ない。情報が少ないという面もあると思うが、タレントが何処に居るのか・・よりも取り上げる材料はたくさんあるようにも思うのだが。しかし、頭がぼ~ットしていて何を言いたいのか自分でも見えにくい。もう少しすっきりしたら、あらためて回想してみたい。

 

 

 

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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