腕の振り方(運動の仕方)について考えていた。クライミングの腕の振り方の考え方なのだが、身体工学的というか骨の特性と筋肉の関係についてであるが、先週やっと、あることの共通性に気が付いた。それは、野球でのバットの振り方とか、剣道においての竹刀の振り方、水泳での腕の使い方や陸上の走法での腕の振り方に一定の基準があるということである。
それは、クライミングにおいてのホールドを掴む時、あるいはホールドを離すとき指や腕の使い方とも共通する動作の基本がそこにある、ということである。
5年ほど前まではなんとなく共通することがありそうだ・・という考え方にとどまっていたし、あるいは、スポーツの動作なのだから、運動には手足の運動にはクライミング特有の動作もあるが、解剖学的に運動には一定の基本動作があるはずだ・・という直感みたいなものに、ボクの感情が支配されていた・・といった方が良いと思う。しかし、直感が必ずしも正しいとは限らない。そこのとことで随分悩んでいたのだが、子供達の指導やいろんな競技者の関節の運動を観察しているうちに「なんとなく直感」という考え方にこだわってしまって、8月までは行き詰まってしまっていた。
その考え方に活路が見出せたのは、世界陸上でのダイソン・ゲイの練習での走り方であった「腕の振りが変わったな」という直感に間違いはなかった。なんとなく前に振り出すといより、わき腹から後方に大きく引いている感じであった。さらに、彼の膝の動きに注目した・・というのか、目が留まってしまったのであった。同じく大きく後ろに円を描きながらリーリングしているように感じたのである。
前に早く走る為にはいかに前に進むのかではなく
、足は土を掴み、後ろに押している
腕は、前に振り出すのではなく、後ろに大きく引いている・・という印象を受けたのであった。
当たり前のことかもしれないが、足でけるから早いのではなく、足の指で地面を掴んで押すから前に進んでいるように見えたのである。
当然、足を前に強い力で振り出すには対角線側の腕を大きく前に振り出すことによって、足が前に運ばれ推進力になるのだが、そこのところの考え方を変えてみても同じとがいえるように思えたのである。言葉で説明するのは非常に難しい概念である。
で、カールルイスを育てたゲレツやグリーンやゲイの走法の理論付けになっているといわれるスミス理論などをもう一度読み直してみた。二人はまったく相対する考え方で走法を言葉で理論つけているようであったが、それは読む側(あるいは指導を受ける側)の見方の位置の問題でさほど大きな違いはないように思えたのである。彼らはアメリカの2大コーチといわれているのだが、その根底にある理論はマン理論である。そして、福島大学のカリスマ先生の理論というか選手の育て方を干渉していると、やはり膝や肘の運動の仕方には一定の方向性がを感じたのである。
「一見不合理で論理的ではない」と思われる選手の細かい動作や左右差の癖とみられる現象にも、根拠があったのである。その根拠の一つが、100mを走っているときのダイソン・ゲイの前腕の振り方と指の動き方の左右差の合理性であった。
左右差は無いに越したことはない。左右差が無いほうが良いのであるが、人間を含めて左右差のない生物はいない。左右差をクリアすることも練習であるが左右差を利用するのも練習である。
おおむねトップアスリートの左右差は3%以内といわれる。アスリートは左右の均整が取れているのである。それは運動の特性にも現れる。たとえばどちらの足でもボールがけれる。右でも左手でもボールが投げられたり、ラケットが振れたり、野球においてはどちらの打席でもバットが振れるようだ。
それは均整が取れているからではなく、均整が取れないから、そこにある左右差をどのように克服するのか・・という練習において大切な要素なのである。
そのような練習は、緩く長く、簡単には進まない。むしろ不得意の克服は困難を極めるのであるが、あらゆる一流アスリートは、このような練習に飽きもせず時間を費やす。
生まれながらの才能にあふれる選手は、才能以上の練習をしたがらない傾向にある。むしろ才能は不断の練習によって培われるものである。
2009年の世界陸上ではボルトの走りに驚愕したわけだが、私はむしろ、ダイソン・ゲイの進化に賞賛を送りたい。彼の走りは多くの物を私にもたらした。準決勝と決勝の合間に、200回近くスタートのタイミングを計る練習をしていたという。天才ボルトは瞑想にふけり集中力を増すことにその多くの時間を割いていたようである。まったく対照的な行動である。ボルトは100年に一度の才能を持った選手なのかもしれない。しかし、ゲイは100年に一度の練習によって才能を開花させた選手なのかもしれない・・と思った。
同じ練習をしても、成果には個体差が生じる。それは当たり前のことであるが、選手の個(個性とか潜在能力)を引き出すには一貫した指導と時間の経過が必要なのである。
コーチとは自分の理論をいかに教え込むのかではなく、選手をいかに観察し、個の能力を引き出す可能性を模索するのか・・につきるような気がする。
出来ない問題をデモンストレーションして、自分と同じ動作をコピーさせても自分以上の他人にはならない。あくまで自分は自分なのである。イチローのバッテイングフオームを幾ら真似しても、芸人に離れても優れた打者にはなれないのだ。
始まりは真似(コピー)から始まる場合もあるが、出来れな独創力のある感性で自分自身を導き出してほしいと思う。
腕の振り、膝の運動における考え方は、ここでは詳細を述べられない、ただ、クライミング運動がさまざまなスポーツにおける体幹部の強化には十分に役立つ運動であることを皆さんにお伝えしたい。
それは一般的なクライミングジムでのクライミング運動の説明ととロッククラフトでの説明では大きな隔たりを感じるかもしれないが、このような考え方も方法の一つであることに変わりはない、と私は考える。