あれは2年位前のことだったと思う。クライミング関係の協会役員の人と話し機会があったが、開口一番彼は
「最近はクライミングをするために進学する時代になってきたんですけど、どう思いますか」
と聞かれた
「僕もクライミング(といっても登山だが)するために大学を選んだから、別にいいんじゃない」
といったが
「少し、意味合いが違うんですよ。僕たちの時代は勉強して、且つ部活とか言う意味で、クライミングにのめりこんだような気がしたんだけど、今はクライミングをする時間を得るために、大学に行くような、あるいはクライミングで優秀な成果を上げた選手を大学が取る(特待生として)時代になったみたいなんです、知っていますか?」
「別にサッカーた野球などの優秀な選手は、特待生として大学に進学することは慣例になっているんだから、いいんじゃない。僕の大学は山岳部の特待もあったようだし」
「なんか、少し視点が違うような気がします。大学って授業料とか高いじゃないですか、やはり勉強が主であるべきで、一流大学に入ったのに、クライミングする時間を獲得するための進学ですよ、と僕は考えているんですが。それってやはり、違うんじゃないですか」
「確かに、僕も大学在学中に海外遠征に行きたかった。3度の遠征を企画して・・・でも結局、海外遠征は大学を卒業後に延期してしまったが。そこにはいろんな背景があった」
つづけて
有名になりたい?とか、世界的な成果を早く上げたい・・とか言う野心があった。しかし、それをいさめてくれた先生との話の中で、在学中の海外遠征は見送り、研究室と部室と先生の書斎に通うのが日課の大学生活だった」「僕たちの大学は1977年にパキスタンのカラコラム遠征(8000m)に日本人初、世界で2番目の遠征を控えていて、大変な騒ぎであった。8000mを登る代償に現役学生に事故があったら、どういう責任を取るんだ・・という学長の締め付けは相当きつかったように思う。同級生3人と先輩一人が隊員に選考されていたが、退学を覚悟で遠征に参加したものと、卒業してから遠征参加を目指して、止めたものがいた。厳しい選択を強いられていた。
僕も遠征には参加したかったが大学2年までは実力が無く、また、山岳部には入らずに岩登りを行っていた。
「ヒマラヤ登山が国家的な事業であった時代は既に終わっている」と先生は言っていたが、それでもヒマラヤの8000mは「大学教授(そのときは助教授だったが)を辞しても行くべき夢の実現」とも語っていた。さらに「そこにお前たち現役を巻き込む事が教育者として許される事か否かに、私は迷う」とも言っておられた。
チャンスは与えたい。しかし、ヒマラヤ登山の代償も大きい。その頃も今も変わらない確立が存在していた。ヒマラヤ登山の死の確立は1/38である。夢には途方もない代償を支払わなければならない現実がそこにあったのだった。
自分は今でも思うのだが、よく勉強していた。勉強しなければ、ヒマラヤ登山はなしえない現実であった。ヒマラヤの登山史、心理学、高所医学、語学など学ばなければならない事は多義に亘った。
先生は研究しデ、あるいは自宅の書斎で、ほぼ毎日僕たちに講義し、そして勉強と過酷な練習を示唆した。
1日でも、研究室や先生の自宅に行くのをサボると、僕のアパートまで押し寄せてきて、怒鳴りつけられた事もあった。先生は興奮して、僕を殴りつけたこともあったし、研究室では、茶碗や本が飛び交っていた。それほど真剣に先生は僕たちを育てようとしていたのだった。
僕は苦しく、つらく・・毎日から逃避したい気持ちを常に持っていた。
「逃げるのか、ここまで来て。どちらに転んでも試練は一緒だ」と先生の激は跳んだ。
確かに僕たちは、大学に登山を学びに着ていたが、毎日に日課は研修室詣でであった。よく勉強したのかさせられていたのか、今もってわからないが、とにかく先生の情熱はいまさらながらにすごかった・・と思う。
僕は今、ここでクライミングを教えているわけだが、先生の情熱には到底及ばない。しかし、遠からず先生に近づきたい・・とは考えている。
たいしたことではないが卒業するまでに僕は、179単位をし得した。登山に必要と思われる授業はことごとく取得を目指した・・といいうか、単位取得が目的ではなく、結果としてそうなっただけの事であった。
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「向井さんも僕も、クライミングをすることに情熱をかけて、大学ではしっかりと勉強していましたよね。でも、今のクライマーは自分の事しか考えていないようにも思えるんですが、いかがですか」
と妙に意味深な質問である。僕は
「もともとクライミングとは個人的なことであって、表彰台の一番高いところを目指すことが全てではなく、名誉や栄光、あるいは歴史に名前を刻むための手段でな無いようにも思う。しかし、それはこの年になったからであって、若い頃は野心があった」「ただ一ついえることは、僕は専制と言う人物と出会い、指導を受け、考える苦しさと楽しさを大学で学んだ。その思いは今日まで変わらない。もし、今の若いクライマーが勉強する事を怠り、クライミングで世界の頂点に立ったとしても、それだけのためのクライミングであったなら、本当に楽しいクライミングだったのかと、少し不安になる。
世界は広い、コンペなどには参加せず。ただ自分のためにコツコツとクライミングの成果を積み上げているクライマーはたくさんいる。
僕は生涯に亘りクライミングを楽しみ、クライミングと言う文化を伝える担い手としてのクライマーを育ててみたいと考えている。
簡単な事ではない。しかし、僕にできる事をコツコツと積み重ねて行きたいものだ、と考える。