2009年8月アーカイブ

ほぼ日記(8月31日)

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僕の「ほぼ日記」は統一性のないタイトルで始まる。無いのを言いたいのか、何が主題なのかが自分で読み返してもわからないことがある。時々誤字や変換間違えを発見することもあるが、おおむね、なんとなく読み返してしまうので、見過ごしてしまう事も多い。困ったものだ。

先ほどフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」について少し触れたが、彼に関するネットでの検索結果は3000万件にも及ぶ、これはすごい数字であるがたまたまテーマ性のない言葉であるために多発しているのであろうと思われる。ここに登場するマルクスやヘーゲル、ニーチエなどの思考に対する解釈の仕方が面白いし、20世紀を民主主義VS全体主義VS共産主義との対立構造によってシフトされる時代と一位置づけて、やがては世界が民主化へと向かい、博愛精神に満ちた緩やかな世界国家に統一され、宗教や文化、民族間による武力紛争もなくなる方向へ向かっている、という考え方である。

なかなか面白いが、専門的な考え方を必要とするので、重い本かもしれない。

博愛とは日本における民主党党首の鳩山氏が好む言葉であるが、根底に民族主義とか特定の宗教を持たないと理解できない言葉でもある。

博愛を与党連立の基本に打ち出した事は、既に火種の元になっているようでもアル。選挙前に連立と選挙協力をしなければ、こんな事にはならなかったのでは・・と早くも嘆きや愚痴が民主党からもれている・・と言う話もある。それは、結果として300以上の議席を確保したが、選挙前は必ずしも圧勝するという考え方はなかったのであるし、ある新聞が「民主党320議席確保」などと書いて、民主党の大勝に対しての抑止を促した・・という考え方も見え隠れする。まさに保守から革新的野党が与党になるには、新聞社も必死の抵抗記事を書くのであろうか?なんとも大人(知性や教養のアル人や組織)の考え方はおくが深くて、僕には計りかねない。

当然、このような結果になれば民主党内部から「連立は必要ない」と言う声も上がる。まとまらない部分は決してまとまらないのだ。そこ(秩序)にはカオス(混沌)が存在するのだから仕方がない。まして、民主主義政治体制である、専制君主制や全体主義などのように余計な理論を武力によって威嚇はできない。そこのところが統一性を欠き、官僚の言う「お時間がありませんので・・」と妥協を強いられる根拠を生むのである。

おそらく、鳩山お坊ちゃま君は、科学者としての思考が高いので、自分に都合の悪い議論は聞き流し、おとくいの洒落でかわそうと考えるのだろうが、そこには揚げ足をとる、野党やマスコミ関係の評論家が要らぬ火種の温床を作りかねない。

といって言葉を慎んだり、慎重に選びすぎると、鳩山氏の言葉で無くなり、かえって歪曲されてマスコミが伝えるって事になりかねない。まさに「歴史の終わり」にふさわしい論争が政治の上で始まろうとしている。

もともと民主主義は緩やかな合意なのでるから、絶対的なリーダーがいたのでは成り立たない。すなわち強いリーダーの存在は専制になったり、全体主義的な傾向に傾くのである。それは民主主義と言う言葉が使われる様になってから、2500年も引き継がれている歴史的事実である。

その概念の確立のための歴史が、今、始まろうとしている・・と言うのがフランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」と言う考え方である。要約しすぎたかもしれない。

鳩山氏は、アメリカに存在する博愛主義に感銘を受けた・・と言うが、それは彼らの持つ宗教に起因している。残念ながら、われわれには宗教がない、何でも、その時のご都合で、神にお願いしたり、祝福を受けたりする。すなわち、ウエデイングドレスを着たいから、教会で結婚する。自分の持つ宗教が仏教なら仏前結婚が筋だと思うが・・

そいう文化を持つ国民に、博愛精神は、なかなか理解しがたい。理想の宗教のように感じてしまうのだ。

確かに、国民が選んだ政党である、敗れた政党がとやかく言わないでほしいと思う。一方連立という関係があったから、7名の当確者を出したのではないか・・という見解もアル。独自路線を進みぶれていないのは常に健全野党を目指す共産党だけなのかもしれない。

それぞれがそれぞれの利益のために政治にかかわりあうのである。しかし、民間企業はそれどよいのだが、政治家がそれでは困る。選挙制度も根本的にとは言わないが、小選挙区と政党選択の制度を少し見直してほしいと思うのだが・・・

政治は常に「てんやわんや」である。どたばたする事が政治の本質であると考えると、このどたばたの終焉にこそ真の民主主義が見えてくるのかもしれない。

評判の悪い政治の事をブログに書くのは、しばらく止めたいのだが、20世紀の歴史検証には重要な事なので、まだまだ、核かもしれませんが、よろしくお願いいたします。

勝っても負けても(追加8月31日深夜)

勝っても負けても難しい舵取りを強いられる。負けたことのない自民党は野党としての方向付けをしなければならないが、誰を党首に担いだら良いのか、暗中模索状態であろう。もともと幅広い意見や思想に裏付けられた政党である。その思想の幅も広く、まさに鵜の集団である事を露呈しつつある。しかし、鵜は鵜と言う種類の集団でもある。必ず再生の道を選択して、望むべき方向性を描き出す事だろうが、民主党がリベラルで行くなら、同じ道は選択できない、保守は保守として進まなければ、自民党の存在感は薄れそうだ。かといって敗北した原因が保守主義的な背景が党内にあって、国民から遠い位置にいた・・と言うことなら、保守的要素を拭い去るような変化を国民に指し示さなければならないだろう。ひとまずは徹底的に当選した議員同士で議論して反省し、新たな国民の支持を得られるにはどのような政策を打ち出して行くべきかを考えなければなるまい。

生まれ変わるには時間がかかる。来年の参院選挙までに立て直す・・と言うようなやっつけ仕事では、国民に解体される覚悟も必要であろう。「野党が気楽でいい、なんでも反対していればその存在価値がある。しかし、与党はそんな気楽な政党ではない」と以前言っていた様な立場に立たされるのだ。ここは、腹をくくって、気楽な野党で緩やかに与党の政策手腕を眺めるのも良いのではないかと、僕は考える。自民党に投票した国民も「そんなに急ぐ必要はない、しっかり国民の話を聞け」といっているのだ。もう、天の声みたいな政党では許されないのだ。

公明党も方向性が微妙である。党首と幹事長が落選したのである。誰が号令をかけて党をまとめるのか・・会議の招集方法までわからない状態なのかもしれない。

敗因を生んだ過去までさかのぼり、十分議論して議員自体が顔を出してきてほしいと思う。少なくとも自民党と連立して公明党の存在はわかったが、所詮コバンザメの御利益のような感じである。依存型政党ではなく、自立した政党として、ただくっつくのではなく、健全野党としての力をもう一度見せてほしい、とおもう。

連立与党となる政党諸君にも物言いたい。あなたたちは自立した政党として国民に選ばれたのだろうか?ひヨットすると民主党との連立関係と選挙協力の恩恵によって、当選したのかもしれない・・と考えても良いと思う。こんな事を言うと「少なくとも私は、そうは考えていない」と全否定されそうであるが、あなたたちも健全与党ではなくコバンザメ与党なのである。

日本における民主主義も少しは成長したように思う。これは歴史の終わりではなく、民主主義の新たな始まりである。

政治家が就職先として議員になるのではなく、国民の利益の具現者として、真の政治家を目指してほしいと思う。

しかし、一方で大きな志をもって初当選した140名近くの?獅子もいる。崇高な理念を持ち、初志を忘れず国民のための政治を行ってほしい、私たちも、単なる傍観者や観客として立った一票を行使するのではなく、有効な1票として国政に参加する国民になりたいものだ。

 

 

民主主義を考え直す

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今日は頭が痛くて、本当は寝ていたい気分なのだが、頭がいろんなことを考えている。特に今回の政権を国民が選択した意味合いは大きい。敗れた自民党は「負けて目覚める」事ができるのか・・と考えると、自民党自体が更なる弱体化しつつある現状を感じてしまう。麻生氏の辞任は必至であるが、自民党総裁選となると人物が見当たらない。猫の目のように安定感のない総裁では、自民党は解体せざるを得ないかもしれない。当然、党内では激論が交わされてしかるべきなのだが、単なる議論に終わりそうな気がして、暗雲漂う。

思いっきり若手の誰かにシフトして、長老が周辺を補佐する・・というような思い切った戦略も日地用かもしれない。おそらく来年の参院議員選挙に間に合わせよう・・なんて場当たり的な総裁では、完全崩壊だろう。そうなると2大政党による政治は無縁となる。民主党の独裁政権が長く続くのでは、何のための政権選択選挙であったのかわからなくなる。

新たな政党の出現??を待たなければならないのか?いろんな思いが頭の中を駆け抜ける。もし。橋本龍太郎さんが存命なら、何を重いどのような方向へ自民党を導こうとしただろうか?と考えてしまう。

政策に強い政治家の出現には時間を要する。中川とか石破氏では、専門家には理解できるのかもしれないが、僕には彼らの話は読めない。とにかく党の代表者に批判や悪口を言う人が多いのが自民党のよからぬところだろう・・。すなわちここのところ口ではまとまり・・と表現しているが心は裏腹・・と言うことである。批判は全てが悪いわけではなく、健全に議論した上で話せば良いのに、外で話すから、誤解を招くのだろう。そもそも自民党はもうすこし、庶民のレベルで話をしてもらいたい。

若手ではないが、舛添さんあたりも名前が挙がっているが、???である。

石原さんあたりの若手に3役を任せて、老人はご意見を述べる・・にとどまってほしいと思う。ともかく今の自民党は民主党よりまとまりを欠いている・・・と私には見える。

一方、この選挙で、民主党はなんとなくまとまってきているようにも思われる。スポーツにおける全日本のように、寄せ集めチームも目的が見えればチームとしてまとまる。そんな感じが、一夜あけたら見え隠れする。不思議なものだ。

小沢さんはもっと目立っても良いようにも思うが、ぼくには猛獣には思えない。橋本さんと同じように言葉が足りなくて下手ナだけのようにも思える。

僕たちは簡単に民主主義を「善」と考え、共産体制や社会主義には批判的である。しかし、「共産党宣言」や「資本論」など民主主義の対極をなす考え方をどのくらい理解しているのだろうか?

あるいは君主制などとは対応する考え方であり、連邦制とは並列する考え方なのであろうか?

アメリカの政治学者フランシス・ヨシヒロ・フクヤマは「歴史の終わり」に民主主義・資本主義の勝利が社会制度の発展をとめ、人類発展の歴史は「終わる」という仮説を定義した。中東や旧東欧世界に民主化を広める事で、世界は戦争のない対立関係から脱却して、安定化に向かったのか・・と考えると答えはNOである。

秩序の回復には、まだ長い曲折が必要であり、国家や宗教・民族と言う概念を対立構造から考え選択することを秩序と考える概念を人類が変換できなければ、平和と言う概念は構築できないような気もする。

1945年~46年にかけて、西側の思惑を主体として地球上に引いた国境という線の意味合いについても、もう一度考え直す必要があるではないか?と思う。

唯一(?)国家を持たない中東のある地域、国連管轄のゴラン高原の平和維持活動などは、さまざまな問題を人類にもたらしているのだが、日本ではあまり議論される事なく継続されている。

継続がいけないという事ではなく、継続している事に世界は高い評価を下している事を、私たち日本人は意識しては居ない。

自衛隊の継続的海外派遣活動は、スーダン・ネパール・東テイモール・モザンピーク・カンボジアなどさまざまな地域で活動を続けている。

インド洋沖のアメリカ軍への給油活動やソマリア沖での海賊対策活動への貢献なども評価は高いようだ。

民主主義とは、世界を民主主義に統一する事ではなく、さまざまな民族、文化、宗教などとバランスをとる概念として考える事の大事さを痛感する一方。世界中のどの地域にも存在する宗教が日本では文化の表層にしか存在しない意味なども、もうすこし考えてみる必要性を感じる。

民主主義を考えるとき、僕は違い立場で国家や人間を見る視点の必要性を感じる。それは、十字軍の遠征をイスラーム世界側から見るのと同じような事である。視点を変えることは難しい考え方であるが、それでも・・地球は回っている?・・いいや、地球は回っていないのかもしれないと考えてみる事も大事だという事である。

またまた、おかしなことを書いてしまったかな?政治からみのコラムは人気が無いのですが、あえて、書いてみました。

総選挙を終えて

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昨日の衆議院総選挙において55年あまり続いた与党自民党が第2党の降格した。この流れは世界で言えば、旧ソビエトの共産党の70年庭たる独裁に続く長い歴史に終止符が打たれた・・と言う見方もある。革命とかいわれるものによってなされたのではなく、公平な選挙によって、新たな与党があった圧倒的多数の国民の支持によって誕生したのである。ここに至る経緯の中で、さまざまな自民党総裁の言動が頭野中を駆け抜けるが、その中でも小泉純一郎氏の郵政民営化を争点として「自民党をぶっ壊す」といった言葉が、今、ここにある現実への布石になっていたようにも思われる。

その頃、もう一人、圧倒的多数の自民の支持によって総裁に帰り咲こうとしていた人がいた。橋元龍太郎氏である。しかし、彼の政治力とは裏腹に自民党執行部は国民の票とりに目線を移し、小泉氏を総裁に導く戦略をとったようにも思われる。郵政民営化は自民党内においても争点であって、思考や方向性はまとまりを欠いていたようであった。

変革を求めたのは国民でもあった。最大与党よりも何か変わった事がおきたほうが楽しいような、そんな民意は4寝年前の総選挙で自民党の歴史的大勝を導いた。誰だかわからない小泉チルドレンと呼ばれる人が体制の流れにのり、大挙して国会に「なだれ込んだのだったが、国民の最大関心事である、景気対策や生活の向上は、ずるずると後退するばかりに感じていたのだと思う。

それではいけない、今よりも中長期に亘り日本国国家のあり方を問う、橋本氏の政策は政策通であるがために、国民にはわかりにくい指標でしかなかったようにも思われる。また、橋本氏はかなり強い性格のように思われ、人を揶揄するかのような発言も災いして、また、自民党内での思惑や調整に妥協する人事を重ねることや、日歯連闇献金疑惑におけるスキャンダルなどで党内の求心力を急激に失う事になり、さらに、数少ない身内議員との軋轢から体調を崩し、引退を余儀なくされたのである。そこに歴史の運命を僕は感じてしまう。

一方、実力を伴わない勢いで勢力を拡大した自民党は小泉氏の総裁辞任以後、急激にその求心力を失うのである。まさに自民党が多くの新人を迎える事によって、烏合の衆と化していったようでもあった。もう一つ党内のまとまりを欠いた原因は、国民感情や国民生活を見下ろすような目線に立つ自分たちを自覚していなかった事にも由来するであろう。

世襲的背景を持ち、民衆の生活基盤がどのくらいの資金力によって形成されているのか・という事を理解する能力を持たなかったようにも思われる。

組織の維持が優先し、国民生活の安定と今後に対するビジョンままったく感じさせてはくれなかった。

日替わりのように、総裁を変え、国民の人気取り政権を誕生させるが、官僚との融合はうまく行かない。それは、自民党の保守が優先して、真の政策実行における官僚とのコミユニ二ケーション不足が浮き彫りになんて来る。

僕は、あえて官僚体制が悪いとは思わない。しかし、落ち着いて時間をかけて、相互理解しあって、政策実行のプランを練る時間をついやさなっかように思われる。それは自らの保身からから来る自民党の安住ボケともいえる。自分たちの目線を変えられなかった、党の幹部の責任は重い。小選挙区ではことごとく敗退するが比例で当選を勝ちとる様子は、幹部議員の再就職活動のようにも写るし、官の天下り体質とも、なんら代わりがないようにも、僕の目には写り、比例当選者が発表されるたびに、腹立たしさを感じた。

麻生総理は「自民党の積年にわたる・・」と自分の生ではないかのような自民党の体質を憂いで懺悔しているようにも伺えた。

ここに自民党は敗退したのであるが、これは民主党を筆頭に野党の歴史的大勝と位置づけるにはもうすこし時期を待ちたい。

民主党においても、政権交代を目標に選挙に挑んだわけだが、これは始まりに過ぎない。これからどのように民意や国際感覚を持って世界に貢献できる国家へと変貌させるのかは未知数でもある。

1982年頃のポーランドの民主独立における連合の政府との戦いにおいてもワレサ氏は慎重であった。体制とは、急に変わったかのように見られるが、そのない具が育成されるには多くの時間と対話が必要なのである。

この選挙においてあえて勝利者をあげるナなら、僕は小泉氏と言いたい。そして、この選挙での敗者はさまざまな民意やマスコミの追い込まれ長期的な展望にたっての具体的政策へ転換できなかった橋本龍太郎氏を上げたい。

この選挙で選択された起因の皆さんは、長い歴史的検証を踏まえて、これからの日本を考えてほしいと思う。特に1945年以前と以後とで、私たちが記憶のそこに置き忘れた、私たち日本人の国際関係史については、実直な検証が必要だと僕は考える。

政治は政党にこだわる事ではない。

政権を選択したのは国民である。その責任も重い。

民意を失えば、与党の野に下らざるを得ない。

今回の国民の選択が、政治家に政治力を取り戻すきっかけになれば幸いと、僕は考えるが、政治を職業とし考え、自己保身に走るのであれば、やはり歴史は即断で、今を変える力を持つものなのだ・・と言うことも、考えてほしい。

それは歴史が民衆のものであり、一部の権力者のものではない・・という事を理解する事も、大事な事であると思うのだが・・・。

中3トリオ?

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そろそろ受験モードにシフトしなければならない時期なのでが、ロッククラフトの中3トリオが頻繁に練習に来る。その練習時間は、おそらく、JOC前の倍以上である。このくらいJOC前の2ヶ月に練習していれば、もうすこし上位にいっていたかもしれないのだが、モチベーションがあがらないときは、いくら口うるさく言ってもあがらないものだ。むしろ勉強のストレスから開放されるのか、明るい笑顔、いい顔して楽しくクライミングしている。

今日は下野共通模擬試験であったが、試験が終わったら集合して、練習にも熱が入っている。とてもいい感じなので、僕は少し離れて干渉しないようにしている。

夏休み前は、バスケットや陸上などの部活があり、夏休みは塾があり、その上JOCの練習では、集中する方向性が見出せていなかったのかもしれない。それほど子供達も忙しい毎日を過ごしているようだ。

僕の娘などは、毎日うちに居る事が退屈で「夏休みなんか無いほうがよい」と学校に行きたくてしょうがなかったようである。学校に行くようになったら、夜中におにぎりとか、ホットケーキなど作ってくれるようになった。洗濯物もちゃんと干してくれる。あのぐうたらの夏休みはなんだったのだろうか?と疑問を抱いてしまう。

今の子供たちに夏休みは意外とストレスがたまる事ばかりなのかもしれないな~と、ふと思うのは、ぐうたら親の僕だけが思うことなのだろうか?

部活、県大会、全国大会、夏季講習など、やる事がいっぱいあってキャパを超えているのかもしれない。その点。学校が始まったら、塾とストレスは発散のクライミングしかないから、心に余裕が出てきているのかもしれない。クライミングの大会も無いから、本当に楽しそうにクライミングをしているのである。

こいつらを見ていると、本当に大切な物って何なのか?と改めて考えさせられる。

追い詰められてクライミングをしていた20代の前半の僕を改めて、思い出した。楽しいはずのクライミングが、辛い、苦しい・・そんな時代に何が心のよりどころとなっていたのだろうか・・と考えると、浮かぶのは、その頃お付き合いしていた女性の笑顔であった。

あれから30年・・ドレほど熟して居るのかはわからないが、思い出の中では、あの時のまま時間は止まっている。僕の現実もすっかり叔父さん化しているのだが、自分的にはそんなに老化しているとは認識したくない。

彼らを見ていると、素敵な時間を僕も共有している事に感謝したい。僕ももうすこし良い大人、素敵なおじさんになれると良いのだが、相変わらず「口うるさい親父」と彼らは思っているのかもしれない。

しかし、そんな親父のところに足を運ぶ君たちは、僕を踏み台にして、大きく成長してほしいと思う。

「いつかお前らも世界に行く事があるのかな~」といったら「さ~?」と浮かない返事だが、いい感じで練習していれば「練習は決して裏切らないんでしょう?」と、どこかで聞いたようなことをさりげなく言う。

確実に成長しているのを感じた

 

バネ指について

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クライミングを教えるはじめた頃から、バネ指(弾ぱつ指)の事は課題となっていた。強く掴みたい、そそ手強く掴む事で保持力が向上する・・と言う考え方を否定する根拠が無く、多くのクライマーは握りつぶす握力(クラッシュパワー)の強化と前腕の筋肉の肥大化を目的とした練習に励んでいたのだと思う。ぼくも腕立てを指先のみで行ったり、その指を3本立てて行ったり、最後は親指1本で立て伏せができないかと練習した。一方で懸垂もずいぶん行った。鉄棒で行うのみではなく、ドアの上のわずかな引っかかりに「指の第一関節を引っ掛けるだけで、10数回を毎日、何処そこで行っていた。当然片腕懸垂も練習課題であった。何とか左右で1回くらいは可能になったがそれ以上はかなかな回数を伸ばせない歯がゆさもあった。1980年代の初めには僕の友人が小指1本でも片腕懸垂ができる・・と豪語したのには驚いたが、その頃から「こんな練習は意味があるのか無いのか」疑問も湧いてきていた。

そんな頃、クライミングスクールを開設するに当たり、あるクライマーと出会うのであるが、彼は僕の憧れの日本人クライマーであった。彼は「懸垂力は必要だが、むしろ足の使い方こそ、クライミングではないか・・と思う」と語った。当時としては足はただつま先で立ちこむだけが全てであったように思うが、さまざまな足の使い方の工夫こそがクライミングの難易度を上げる手段であると思う・・とも語っていた。確かに、僕たちはアルパインクライミングもしていたので、太ももの太さも自慢の対象であった。

そこで、さまざまな工夫が施され猿の木から木への移動をその手本にすることにして、さまざまな検証と練習に工夫を施したのだった。特に擬態的な練習としては、体操競技の鉄棒と吊り輪の動作は猿の移動手段を考える上では重要な練習の要素と考えて実践した。

すると、手の指がアーチ型に変形してゆき、指がまっすぐに伸びにくくなってしまって、関節などがちくちくと慢性的に痛むようになってきたのだ。整形外科に行くと「体操の鉄棒の選手に多く見られる傾向で指の内側の腱が伸びにくくなり、指を広げようとすると、関節にある鞘が強く引っ張られて炎症を起こしている?といわれて愕然とした事がアル。

このような症状は鉄棒のみにとどまらず、一般的には30台から50台の主婦に多く、利き腕の指に多い傾向でもアル・・という。え、普通の日常生活でもバネ指になるんだ・・という驚きもあった。

また、野球やバスケットなどのスポーツにおいてもこのような症状が発生して、有名なプロ野球選手にも、ボールを握る指がボールを握る以上に開かなくなった・・という症例もあるという。

しかし、一方で、バネ指になる事で、バスケットボールにおいて、ドリブルが俊敏に行われるようになった・・という一流選手も居る。

いったいバネ指は良いのか悪いのか・・今もってもわからない現象である。体操競技においては。12歳以下の選手に鉄棒や吊り輪の練習は控えさせたり、指のストレッチを日常化させたり、就寝時に指に当て木をして指を伸ばす習慣をつけさせるなど、さまざまな試みが世界的に行われていたようでもある。

手の指においてバネ指は問題を含む身体の進化といえるのだが、足においては適切な進化であると想定されているのが、現状である。すなわち足の指が強化されると、内反母指とか内反小指になりにくいのではないか・・と考えられている。

しかし、猿の指を見る、猿の手足の指はしっかりと開くし、しっかりと前後に曲がるのである。ここにもクライミングにおける手足の指の強化に必要な練習方法の何かの要素が含まれているように思われる。今のところ明言はできないが、指が開きにくくする進化は、17歳以下の選手に対しては、あまり適切ではないように思う。

剣道においてもそのような可能性があり、指導者によっては、指を開く運動を指示する人も居る。

強くなりたいと思う気持ちは、向上心を持つ選手には必然の事であるが、私はあえて・・

手の指(握力)においては、ピンチ力と粉砕力を求めない、むしろパームとハング力を求める。すなわち

指と手のひら全体で抑え込み力と軽く指を曲げてぶら下がる力を優先したい。強く握りつぶす力とはさむ力はあえて、強くは求めないようにしている。

同じ事が足の指にもいえる、立ちこむには強く足の指が曲がったほうが良いのだが、それ以外の状況では、指を上に上げたり、足の裏全体で摩擦力を上げたり、いろんな足の使い方がある。時にカカトを下ろす事による下肢、下腿の安定は上肢や体幹の安定には欠かせない要素である。よって足指に強いダウン圧力のかかる靴の選択は良いと考えない、足指においての曲げ伸ばし運動こそが強い大幹部を構成するのである。アキレスなどの鍵などにも良い効果がある。そこのところを履き違えないように、適切に指導してゆきたいと考えている。

自民党の攻防 最終章

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先ほど、最後の選挙カーが、候補者の名前を連呼しながら通り過ぎて言った。正直言ってやかましいとしか言いようがない。もうすこし、車から降りて国民に直接アピールしても良いのではないかと思ったが、ここは有権者の人口が少ないので、あんまり選挙カーもやってこない。

ふたを開けてみなければわからないが自民党に勝算は無いようである。必死で自己弁明を繰り返すが、いまさら・・と言う印象が厚い。僕の田舎では自民党への風当たりはまさに強風である。自民党の幹部が多いが「珍しいね、こんなところに来るなんて」と有権者から皮肉を浴びているが、有権者以上に幹部は必死でリストラされまいと、詭弁を使い切る。なかなかこっけいな様子が伺われる。

自民党には言いたい。確かに困難な歴史が目の前にあるが、国際的な日本の立場と国民の生活構造を目指して、中長期的な展望での政策をお願いしたい、それは野党になっても民主党のように常に批判や揚げ足を取るような発言を繰り返さず、国民の方法付けになる健全な野党として再生してほしいと思う。

民主党は、なんとなく歴史的な大勝をしそうな感じでもアル。しかしこれは関が原の合戦ではない。大勝した後の国家の方向付けをしっかりとお願いしたい。野党と与党では立場が違う。政権選択が選挙の本質ではない。争点は政策である。しかし、国民は国際的な政策より、目先の利益に票を入れるであろう。そんな有権者の票取りと治世は違う。そこのところを間違わないようにお願いしたい。

共産党は飛躍する可能性もあるが大敗する可能性もありそうだ。志位さん、ぶれのない野党として共産党は存在価値を築き上げてほしいと思う。

社民党は僕は嫌いだ。貴方たちは国民の生活支援ではなく、私たち社民党の生活支援を有権者にお願いしているように聞こえるのは、僕の偏見であろうか?

みんなの党にはがんばってほしいと思う。新しい感覚で古い体質を断ち切ってほしい、しかし、小さな政党は政治を動かせはしない、ゆくゆくは連立とか、どこかと合体する方向で考えてほしいと思う。

公明党は宗教団体の声も必要だが、それ以外の国民の声にも耳を向けてほしいと思う。今回は厳しい選挙になりそうだ。まめる事があれば、新たに目覚めてほしいと思う。

その他、超長老達の政党は引退をお願いしたい。やはり政治は若い世代に任せて、妖怪たちは引退してほしい。貴方たちを養えるほど、私たち国民(労働者)は豊かな日常生活を営んではいない。

政党の皆さんにもっとも理解してほしいのは、日本の官僚政治は優れたシステムだと思う。無駄とは官僚政治の解体ではない。貴方たち政治家の数こそ税金の無駄使いなのかもしれない。官僚との共同歩調をとれる優れた政治家の出現が日本の政治に求められる持続可能性の要素ではないかと、私は考える。

票取りサービスが政党選択のマニフエストだとは、私は考えない。国民も目覚めなくてはいけない。今、世界の現実はもっとも厳しい状況にある。20世紀の秩序としての1945年大勢の転換を考えなければ、極東地域から日本は孤立してしまうかもしれない。極東地域からの孤立は日米安全保障からの変換にもつながるかもしれない。今そこにある世界の中の日本の立場は微妙なのである。最近になって麻生さんはかなりまともな事を言っている。ただ、国民の今回の争点とはかけ離れた事をいっている感じを受けるが、国会の中で、そういう発言ができなかったのはなぜなのだろうか?早くも敗戦の悲壮感さえ漂う、関が原の合戦を前にした石田三成のような感じを受ける。それはあえてそのような戦力で今回の選挙に臨んだ、彼の戦略なのなら、蒔けたら引退しろ!と言いたい。なりたくて総理になったのだろう。

しかし、今回の選挙は天下分け目の選挙ではない。政治かも、官僚も、そして国民も、目覚めるために試練に立ち向かう、新たな始まりと、私は位置づけたい。

一方で、政治家の再就職活動選挙のような気がして、すこしこっけいな気もする。

これで、自民党の攻防は終了させていただきます。

中学陸上の記録

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たまたま、娘の同級生が全国大会の幅跳びで優勝したというので記録を聞いたら6m96との事、中学生ってすごいんだ・・と思って、その他の記録も見てみたら、100mの中学記録は10.4と書いてあった。10秒台で走れる選手も毎年10人くらいは居るらしい。

そういえば有名なカール・ルイスが高校までのベスト記録は10.7で「短距離は得意ではない」といっていたのが納得できる。日本の中学生でも10秒台で走る子供がたくさん居るのだ。アメリカの高校生だと陸上に限っても2000人くらいは10秒台で走るらしい。

では、中学で日本1になった子供がその後どうなったのか・・を調べてみると、意外と「その後」が見つからない。すなわち高校以後、名前がないのだ。

それってどういうこと?・・と考えたが、故障で走れなくなる子が多いとか聞いた。400mの選手などオリンピックに出場した選手の多くは、中学、高校では幽霊部員だった事が多い。高野さんや、浅原さんもその頃は遊んでいたらしい?

伸び白を育てる事の難しさがそこにあるのか、それとも学校などの名誉のために選手が犠牲になってしまうのか?

少なくとも、僕はそんな封には指導したくはない。大人として、23歳頃から実力を発揮できる基礎を伝えたいと思う。

でも、どの競技の指導者もそう考えているのかもしれない。そういう意味では今年の甲子園準決勝で盛岡東高校はエースを休ませた。あえて負けを選んだのではない。少年たちの招来を考えた選手起用を、監督が選択したのであったと、僕は考える。

監督として、教師として、見事な采配であった

 

昨日「アマルフイーが見たいですね」と言われて何かのお誘いかな?と勝手に勘違いしていた。アマルフイー?ナンだろう・・・ギリシャ神話の女神かな?どこかで聞いたような地名かな・・とあれこれ考えていた。そこでネットで調べてみた。イタリア南部のボンペイ近くの海岸であった。素敵な地名でまた素敵な町並み・・・いつかイタリア旅行に行ってみたいと夢見ていたが、イタリアは本当に素敵な国である。それは長い戦乱や専制君主制などさまざまな長い歴史の舞台であったから、そのような歴史的たたずまいが残っていのであろう。又、一方で商業の中心地でもあり、海運貿易など、商業も盛んであったからでもある。すべての道はローマに通じるというように、ローマが近世までヨーロッパの中心としで君臨していたことに変わりはない、又、歴史遺産と考えても、イタリアは人類の美と想像力の結集のようにも思われる。(書きかけ)

ワールドユース決勝も

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午前5時頃決勝も終わり、日本人選手は、

ユースA男子 新田君 5位

ユースB男子 津守クン4位

ユースB女子 尾上さん5位

と言う結果に終わりました、さすがに世界は手ごわいですね、多数の決勝進出者が出る事を願っていたのですが、まさに紙一重の戦いだったと思います。特に尾上さんは、表彰台まで、1手でしたね・・今後もがんばってください。参加した選手の皆さん、世界はもうすぐそこにあるのですから・・。

IFFCワールドユース選手権フランス大会もいよいよ準決勝を迎える。昨日まで400名あまりの予選参加選手がカテゴリー別に28名選出された。日本人選手は男子8名、女子7名が予選を突破したのは驚きと言うか「そんなものだろう」と意外と冷静な自分が居る。個人的には予選を突破できなかった選手に対して悔しさを抱いてしまうが、全体としては、もっとも多くの選手が準決勝に進出した国の一つが日本でもアル。

特に若い世代である、女子ユーズB(14~15歳クラス)は4人全員完登、男子は4人全員進出である、中学生はすごすぎだ!!

ユースA(16~17歳クラス)は女子1名、男子3名は完登での進出である。このクラスの男子も世界レベルと言うことになるのか、見ているだけでわくわくしてしまう。

JR(18~19歳クラス)も女子2名、男子1名が準決勝に進んだ。今日の出来次第だが、メダルをたくさん持ち帰ってほしいと思う。・・気が早いかな?

皆さん応援よろしくね、

結果は http://www.ifsc-climbing.org/index.php?page_name=resultservice&comp=09_28&cat=ICC_M_Jに更新されます。

「決勝を目標にしたい」それは拓磨の言葉だった。しかし僕は「40位くらいでいいんじゃない、リラックスしてフランスに行けよ、まだまだできない事が多すぎる」と、あえて、負ける試練を背負せたいと考えた。同じく父は「これから拓磨が背負う試練を考えると、胃が痛いです」と密かに話をしていた。昨年以上の成績を残して、オーストラリア大会以上の成績を目標に掲げていったが、やはりそこには試練があった。彼以外の代表の3人は2本とも完登で予選を突破した。やはり・・・という印象であった。彼らの持っているものに、劣るものを見付けにフランスに行ったのであった。それを考えて、新たな試練に耐え、更なる持続可能性のある練習を培う精神を、フランスで考えてきてほしいと、僕も、そして彼の父も考えていた。

あえて、負ける試練を背負う・・とは、誰の言葉であったのか?・・・中国の武術の達人の言葉であったか、スターウオーズのジェダイマスターの言葉であったかは定かではない。

全ては、負ける事から始まる。その悔しさがバネとなって、自分を鍛える。

イギリスの詩人ブラウニングは言う

私の中の何ものかを超える

さらに、ほかの何ものかがある

それが私の中で私を

槌(つち)にも耐え鍬(すき)にも耐える

強いものに鍛える

この詩はイギリスが世界の最高峰エベレストに挑んだ半世紀の記録書の中に出てくる言葉である。

大切な事は頂点に立つことではなく、そこにいたるプロセスにいったい何を抱いて立ち向かうのか・・と言うことである。エベレストの登頂は技術と資金と戦略によって成し遂げられたのではなく、精神の力によって導きだされたものである事を「エベレスト・・その人間的記録」の作者W・ノイスはブラウニングの詩を引用して伝えたかったのではないのだろうか。

ブラウニングの言った「何ものか」こそが、クライミングと言う行為によってしめされるものであって、それこそが人格の中核をなすものである・・と言う考え方です。

人格は、あえて、負けることのよって人にもたらされるものであると、ブラウニングは詩を書く事によって到達し、それを行動としてエベレストの頂上を極める事によって、詩をかけない人は心にもたらされるものなのだという事なのですかね?

ブラウニングの詩も良いですが、エベレストの本も良いですよ(笑う)

さて、明日は準決勝ですかね、ユースの日本代表の皆さん、決勝目指してがんばってください。負けることもよって学ぶ事もありますが、勝つことによって学ぶ事も多々ありますからね。

追加記事

しかし、世界への道を切り開いた若い選手の努力と思いにはむしろ尊敬の念を抱いてしまう。僕が10代の頃は、漠然とした目標としての世界しか描けてはいなかったし、実際に世界に行ったのは大学を卒業してからのことであったからだ。そう考えると、世界大会に参加している10代は素敵だとおもう。

一方で、クライミングコンペトボクが出会ったのは1977年頃のことで、まだ、手探り状態の大会であった。それから30年あまりの時間の経過が、子供達にアスリートとしてのクライミングの道を開いた。しかし、それは主催する側の意図でもあったが、参加する選手の夢を追う姿勢がなければ、こんなに発展するはずがない。クライミングを愛し、クライミングに夢を託す子供達の出現は、クライミングを思想や達成感、人類初などという概念からクライミングを解き放ちスポーツとしての位置を確立しつつある状況をいんだのだった。

世界を目指す人間がほんの一握の時代から、多くのクライマーが切磋琢磨して、代表として世界に向かう時代のさきがけを作った組織の方々や支援している両親の心労も大変なものであると想像する。

一方、JOCで頂点を目指すことなく地方大会の予選で敗退した選手の思いも、察して余りあるものがある。強いということだけではなく、人として・・という思いが嘗てエベレストの登頂を実現したように、クライミングもその行為を継続して実践することにより、人格の重要な部分をも形成する一助となることをボクは希望して止まない。

この思いは、クライミングにかかわり、ジュニアを育成し、あるいは親として支援している多くの仲間によって、成し遂げられる持続可能性であって、W・ノイス(エベレスト その人間的記録の作者)も言うように、映画や講演などによって見聞きすることによって成し遂げられるものでなないようにも思う。

また、クライミングという競技にたいして情熱を傾けてきた多くの先人達(一握りだったかもしてないが)からの長い歴史の上に成り立つスポーツであることも、忘れてはならないと思う。

 

ワールドユースでは

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昨日からフランスで行なわれている2009ワールドユース選手権では、予選第一課題を負えて、日本人選手が健闘している模様です。但し、完登者がどのカテゴリーでも多いですね、特にユースB女子は40人近くが予選ルートを登り切っています。これから準決勝、決勝と進んでゆくようですが予選の第一課題はやさしめだったのかな?

しかし、ユースA男子の拓磨くんは緊張のあまり・・・ランジポイントで、掴んだ後フットホールドを見失ったという感じらしいです。良くあることなのですが、彼の場合の、左上方にランジしたとき、右方向のフットホールドを見ていない場合がよくある失敗なのですが、詳細はわかりません、あくまで僕の予測です。予選2課題目をがんばって4人とも準決勝に進んでもらいたいものですね><? でも失敗も練習かな?

男子の成績は

ユースA男子で予選1課代目を完登した選手は21名、羽鎌田、新田、樋口は完登でした。拓は28手35位だったと思います。(参加選手82名)

男子のJRは予選1課代目の完登が26名で杉本君が完登ですね、長谷川クン、中村君の予選突破を期待しています。(参加選手70名)

ユースB、男子は1課代目の完登者は9名で村井君津守くんがトップです、新川君は11位、山内君は19位です。全員予選突破可能ですね、がんばってください。(参加選手74名)

女子は

JRで、完登者は6名梶山さんが13位、長谷川さんは22位、小川さんが31位です、

ユースAは完登者は33名で大田さんがトップ(完登)山縣さんが38位、平井悠希は51位と大苦戦ですね。2本目は開き直ってがんばってほしいです。

ユースB女子は完登者が40名で完登以外に予選突破は考えにくい状態です。水口さん、小田さん、尾上さん、安田さんの4人ともトップですね、4人とも決勝に進んでほしいと思います。本当に素敵な世代ですね、女子のユースBは・・。

 

詳細はhttp://www.ifsc-climbing.org/index.php?page_name=resultservice&comp=09_28&cat=ICC_M_Jでご覧くださいね

体験コースが好調かな?

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最近はクライミングの体験コースが好調です・・といっても毎日数名ですが(笑う)カリフフオルニアからいらした夫婦は、クリスシャーマやリサ・ランズをご存知だったようで「僕はあった事がありますよ」というと話が弾みました。また、ロサンゼルスなどのクライミングジムでの体験コースの話も聞きましたが、僕のレッスンはとても楽しかったといわれて、うれしくなりましたね(笑う)

マ、理屈っぽくて「話が長い」という批判もありますが、ロイヤル・ロビンスとの出会いや、クライミングの基本動作や考え方、どんな効果があるのか、また、どのような意識をもってクライミングをすべきか・・という哲学みたいな話も最近は好調ですね。

ま、話が嫌いな方は「そこを掴んで」「そこに足をおいて」「そうそう、うまいね~・・それからこういう風に体を返すと、こうなるよね~」なんて指導もしますけれどね?

最近は、こんな効果を求めてクライミングを体験する人が多くなってきました。

1)体幹部の強化を図りたい(コァマッスルの強化ですかね)

2)ボデイバランスを高めたい(両利き的傾向ですかね)

3)インサイドの筋肉を強くしたい(インナーマッスルの強化ですかね)

4)ナンバ歩行技術を習得したい?(二つの対角線バランスなのかな・・ナンバという歩行は知りませんが)

5)呼吸と効果の関係について学びたい

6)運動効果と意識の仕方を教えてほしい・・・

などなど、話が結構重いというか、核心を突いている感じです。

確かに、ワールドカップ(クライミング以外の競技)に参加する日本代表とか、プロ選手も来ましたね。モントリオールオリンピックへ参加を目標にしている選手も来ました。ウイスラーとかブラッコムマウンテンは20年ほど前に行ったことがあるので、少しは参考になったのかな?とか。

さまざまなアスリートがが来ます。ほぼ共通しているのは、体幹部の筋肉の強化と身体バランスのとり方ですかね、

故障しにくい体つくりにクライミング運動は効果があると考えた・・と言う選手も居ました。なかなか問題意識が高いですね。

日本代表(クライミングではない)であるにもかかわらず、僕にコーチングしてほしいといってきた選手も居ました。コーチやスタッフも居る事だし、」余計な事は言いたくはないのですが、通う・・といったアル競技のワールドカップ優勝を目指している選手の指導も行うことになりました。

・・・・おおむね共通している事は、資金不足ですかね。それは僕にとっても同じですが、選手もコーチ(僕)も夢への代償ですかね・・?

でも、引き受けるからには、結果がほしいと思いますが・・・

そんな事を考えながら、明日はどんな人が体験に来るのか、楽しみな毎日です。

そうだ、今週は小学3年生の男の子に「クライミングは想像力を磨くスポーツなんだよって、コーチ(僕)に教わったんだ。考える事ってすごく楽しいんだよ」とほめられた?んですかね?

そうか、クライミングは想像力や感性、洞察力などを磨く知的スポーツなんだ、と、子供たちに言っているんだけど、そんな言葉が小学3年生の口から聞くとは思いもしませんでしたね。

少しは、子供の心が理解できるようになって来たのかな~と思いながら、自閉症の」T君との指導に苦慮している、今日この頃でした。

 

ほぼ日記(8月24日)

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今、僕に吹く風

今、僕に吹いている風は、向かい風なのか追い風なのか、判断に迷う。逆風?それとも順風なのかがわからない。自民党に吹き荒れている風も、逆風といっているのは、マスコミと自民党だけかもしれない。自分が風に向かえば逆風であり、風に背中を見せれば追い風になる。ただそれだけの事に、右往左往している自分と自民党がだぶついておかしく思う。

ここへ来て、麻生総理の発言は謙虚になっている。しかし、鳩山さんも謙虚な感じを受ける。相変わらず血気盛んなのは、公明党と共産党かな?田中夫婦も元気そうだが、長野県知事だった田中さんも相当な風を巻き起こしているようである。この夏の天候見たいで、政局もゲリラ的豪雨なのかもしれない。

そして、局地的豪雨が残していったものがあるがままの姿である。人災とか天災とか、人間はとかくどちらかにしたがる。それは民主主義のルールなのかもしれない、共産党が民主主義のルールに反する。。という発言には驚いたが、共産主義は民主主義の上に成り立つ政治思想なにかな?

言葉の裏と表みたいな話でもある。民主主義とは民衆のための国家や政治のあり方を問う理念なのか、それとも、国家の主権者にとって民衆はどうあるべきなのか・・という国家経営戦略なのかを理解して民主主義を僕たち民衆が考えているのか、よく考えてみる必要もあるのではないだろうか?

今から2500年前にソクラテスと言う哲学者がいた。彼は民主主義についてアテネ人にといて回った罪にとわれて投獄されるのだが、民主主義(デモクラシー)とは、彼の本人の言葉なのか。彼の弟子であるプラトーンやパイトン、クリトンなどの考え方なのかが良くわからないまま、古代ギリシャ哲学の書物を読み漁った事があった。

どうやら僕は、少し、ものの見方がおかしいのかもしれない。

僕の前に吹く風・・・。僕が風に向かうか背を向けるのかで決まる事であった、風のせいではない。おそらく8月31日には「自民党に巨大な逆風が吹いた」とか「民主党に天の風が舞い降りた」とか、政権選択した有権者の声を、順が逆かと騒ぎたてるのは人間の業なのであろう。

「地球が静止する日」と言う映画が半世紀前には「地球を静止する日」といわれているように、人間の立場を中心と考えるか、宇宙の存在を中心と考えるかによって「私たちの地球」と言う表現主体が宇宙人にもなるし地球人にもなるのである。

何処を向くのか?

風の方向は、風を見る人間の思考方向によって相対的である事が真実なのであろう。・・・?となるとやはり、相対性という考え方は物理においてのみ取り上げられる概念ではなく、文学表現においても重要な思考概念なのかもしれない・・と、ふと、思ってしまった。

事をクライミングに置き換えると

「ばね指は良くない」とは病理学の概念であって、クライミング学においては有効な「指の進化」といえるのかもしれない。足の裏に3方向のアーチが形成される事によって二足歩行を可能にしたように、クライミングによって、手足に3方向のアーチが練習によって形成される事は、人類(クライマー)のクライミング化といえるのかもしれない。

手と足という概念から離れて、4足(手を前足と認識して、足を後ろ足と認識する事)で歩行が可能になる天井歩行技術こそ究極のクライミング技術なのだとしたらバネ指は今後バネ手へと進化して、足と同じような効果を生む可能性を、適切な運動による身体の進化・・と考えてもよさそうなものである。

聞くところによると、水泳選手には、手の指の間に水かきがあるという・・・

しかし・・・

今のところ僕はクライマーにおけるバネ指は「良い進化」とは考えていない。

同じように、どちらの政党が与党になったとしても、それを2大政党体制とは考えない。

まだまだ、日本政治はそこまで進化をとげていない。いいや、そうではない。民主主義という体制が地球にとって有効な種としての人類なのかの裁定が下されるのは、人間が下すたいていではなく、地球の人間以外の生物が、あるいは、われわれの地球と考える宇宙人が下すべき裁定なのかもしれない。

自分の未熟な知能では判断に苦慮する事ばかりが、毎日僕の風当たりを左右しているのが現実である。

優勝報告・・(ついか)

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ユーチューブに拓磨の決勝シーンがあります。ごらん下さい()http://www.youtube.com/watch?v=94xBYNopGEA&NR=1

 

今日は、拓磨が優勝報告に来た。初めてjocのクリスタルトロフイーを手にした。ずっしりと重かった。鮮やかな緑色が素敵な透明感をかもし出していた。こんな風に大気圏内から地球を見ると、数十年前は大地が緑色だっただろうと、30年前のヒマラヤ山脈から地球を見たときの事を思い出した。

そういえば夕陽に輝く、真夜中のエベレストも、至上の美しさをたたえていたな~と、ふと思い出した。日本ユースチームはあさってフランスに立つ。750名くらいの選手が世界中から集まるようだ、クライミングの世界大会もスケールが大きくなったものだ。昨年宅磨は23位だったと思う。目標は決勝進出と言うが、僕は「今は勝たなくて良い、かれる準備はできていない」と伝えた。まだまだできていないものがたくさんある。次に身に着けなくてはならないものがなになのか・・・そういう話をしながら、1日が過ぎていった。自己管理の方法、特にセルフボデイケアについて専門家を招いて綿密に、今伝授できる事を教えてもらった。「ともかく、怪我を押しても勝ちには行くな」が僕のフランス大会への提言である。

常に僕が教えているわけではないのだが、エッチな事から運動生理学まで、出会ってから8年、いろんなことを伝えてきたが、何を身に着けたのかはわからない、小学5年で加須大会で優勝したとき以来、久々に二人で記念写真を撮った。

数々の苦労も、こんな一瞬があることで全てを忘れさせてくれる。しかし、拓磨だけが今回の世界ユースに参加するわけでもない。ここでクライミングを始めた選手はほかにも数人居る。彼らの成長を僕は一番とおくから見守りたい・・と思っている。

フランスに行く前の最終練習は終わった。

しかし、これは新たな試練の始まりにしか過ぎない事、クライミングはコンペのみではない事などなど、口うるさい事を彼は我慢強く聞いてくれた。妹は「相変わらず、小言が多いね・・」とすっかり大人びてきた。「ばか、お前も世界に向かって練習をするんだぞ!」というと「ウン、だらだらとね」と着ろ返された。千も小学1年から見ているから、同じく8年か?人間的な成長が伺われる。

んん・・、成長していないのは、僕だけか?とふと、さびしくなるが、マ、それは避けられない事実でもある。ゆうき、あや・・フランスを楽しんできてほしい。

ちなみにモンマルトルの丘に沈む夕陽はきれいだったよ・・25年前の事だけどね!

モネの「印象・日の出」もきれいな夕陽だったよ?

 

100万年の歴史体験

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岡山県王子が岳には自然が作り出した奇岩の景勝地がある。まさに絶景である。そんな記事がネットにあったhttp://sankei.jp.msn.com/life/trend/090823/trd0908230501000-n1.htm

そこではロッククライミングやパラグライダーでの空中散歩も楽しめるである。クライミングはまさに自然が歴史に刻んだ100万年を素手で体験できる唯一のスポーツなのかもしれない。

岐阜県恵那市に小山田大氏等によって開拓されたクライミングエリア笠置山(かさぎやま)にもそんな歴史ロマンを僕は感じた。なぜこのようなクラックが数百年間も、人間に発見されすにここにあったのだろうか・・と、しかし、それは間違った考え方である。そこには人間と自然の共存が見られた。すなわち笠置山周辺は里山だったのである。あるいは戦国時代には城壁つくりの石切り場だった可能性も考えられる不思議な環境がそこにあった。もともと歴史学科だったので、調べてみたい欲求に襲われたが、仕事もあるので歴史検証は保留にした。

まさにクライミングは素手で地球の歴史を体感するスポーツといえるのかもしれない。それは特に選ばれた人にしか体験できないものではない。

そんなことをふと、考えてしまった。

 

8月22日の日記

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今日は夏休み最後の日曜日なので、暇だと思う。そもそも8月はそれほど忙しくはない。暑さの生なのか?ほかに理由があるのかはわからないが・・・。今日はJOCで優勝した拓磨くんが来る予定になっている。もうすぐ世界ユース選手権フランス大会である。がんばってほしいと思う。

7月まで好評だったボデイケアも8月は予定が多いせいか参加者が少ない。もうすこしアピールしないといけないと思う。気持ち言い意から、受けてみましょうね!

最近、少し怒っていることがアル・・とはお客さんの話である1)世界陸上の「もうすぐって、何時間後なのですか?僕は日本語の意味がわからなくなってきた」とはG君の話だ。すなわち「もうすぐ、100m決勝です」とか「次は200m決勝です」とキャスターが言うので見ていても、2時間たってもまだ走らない・・結局、決勝は明け方だったらしい・・という事である。「この後すぐ、って、5時間後の事なのですかね」と怒っているのであるが、僕も納得してしまう。昨日のマラソンのスタートも5時45分から見ていたが、スタートしたのは7時前くらいだった・・正直言って「待ちくたびれた。4×400M決勝も「この後すぐ・・」って待っていたけど、いつの間にか寝てしまった。もうすこしわかり易く説明してほしい・・テレビ報道にもマニフエスト(指で指し示すくらいわかり易く)が必要かもしれない。

報道といえば、連日、有名女優に麻薬報道の空白の1週間ばかりが取り上げられているが、僕にとっては何の興味も湧かない。それより報道すべき情報はたくさんあるようにも思う。芸能ニュースは通常の報道では取り扱わないでほしいと思うのだが・・ここにもやはり視聴率という魔法がかけられているのかな?

少し元に戻るが、ジャマイカとボルト選手はすごい、陸上大国アメリカを凌駕している。ボルト個人としても、2年連続、世界新で3冠だそうだ。しかし・・その経済効果は3000万円? 陸上競技はこんな偉業を達成してもこんな経済効果しか生まないのか?

ゴルフ、野球、サッカーなら100億年くらいの効果であろうと思うのだが

なんとなく世の中が釈然としない。昨日のコラムではないが「地球が静止すればよい」と思ってしまうのだが、それは僕の偏見なのだろうか?

地球が静止する日・・

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「貴方たち人類は、地球をどうしようとしているのですか? ここは私たちの惑星(地球)です」宇宙から来たエイリアンの言葉である。なかなかシビれる言葉であった。

「私たちの地球?・・ここは私たちの地球であって貴方たちは侵略者です。侵略者にそんなことを言われる筋合いはない」とは日本の国防を預かる長官の言葉である。

宇宙人は「私たちの地球を、破壊している地球上の唯一の邪悪な生物として人類」と言う種としての人類を認識している。

しかし人類は「宇宙人は侵略者」として攻撃の対象としか考えていない。

かれら宇宙人の科学技術にしてみれば、地球人類の持っている科学技術は原始的過ぎて、攻撃の対象としては考えにくいものなのである。

この映画は1951年に「地球の静止する日」のリメイク版として2008年劇場公開された作品である。何処と無く、日本のアニメ映画やSF作家アイザック・アシモフを彷彿させたり、時にはシュワチャン(たーミネイター)を思わせたりと、良い趣向ではあるのだが、なんとなくストーリーがやっつけ仕事のような気がして少し残念であったがB級娯楽映画として考えるなら007シリのように、単に楽しめば良いのだろうが、人類は宇宙人ではない・・と言うような天動説的発想がユニークであり人類を皮肉っているようで素敵な映画でもあった。であるから、楽しめたが少し残念でもあった。

昔、スターウオーズ映画が発表されたとき、僕は国際線の飛行機の中で見ていた。ジョージ・ルーカスは、オリジナルの脚本を書いたといわれていたが、僕はアイザック・アシモフが基準になったと思っていたが「隠し砦の三悪人(黒澤作品)」は参考にしても、アシモフは読んだ事がない・・といっていたという。さらにおかしかったのは、黒澤明にスターウオーズの作品の印象をルーカスは聞いているようだが「音楽は必要なときに使うのであって、いつも音楽なうなっているのは映画じゃない」としかられた・・?と言われているが、果たしてこの話は真実か否か?

むしろエドガー・ライズ・バローズ(類猿人ターザンの作者)やエドガー・エルマー・スミス(EEスミス)のススカイラークシリーズやレンズマンシリーズとか、フランク・ハーバード(砂の惑星は知っているかな)などは参考にした・・といわれている。これらの宇宙オペラ(叙事詩)的な雰囲気は「地球が静止する日」には見当たらなかった。

もうすこし、シナリオを練ってみれば、気の利いた台詞が多いだけに「おしい・・」と僕は考えてしまったのだった。

売れる映画をCGを駆使して作り上げるのではなく、人間と宇宙という自然の生業に、人間本位ではなく、自然宇宙的な立場から、文学的な接近がなされていた脚本であったなら、名作の仲間入りをしたのではないかと、僕は偉そうに考えてしまったのである。

宇宙の使者が私たち地球の人類に言う「私たちの地球を、貴方たちは、何処へつれてゆくつもりなのか? 私たちは地球に、あるいは、地球のその他の生命に多大なる損失と打撃を与え続ける、人類の功罪を許すわけには行かない」

そういったテーマがありながら、あるいは文学がテーマの根源にありながら、それを表現しきらずに、娯楽映画にした功罪は大きいと思う。

もう一度、私たちは地球人でもあるが、宇宙人と言う立場から、私たちも地球を眺めてみると、なぜ宇宙人と遭遇できないのか・・とう宇宙物理学の謎への接近できるのではないか?と思う。

宇宙物理学者ブライアン・グリーンは言う「宇宙とは何かを究明できるのは、今後のブンガク(文学)のあり方による」と・・・。そう、物理学も少しは数式や実験から離れて文学に接近してみてはいかがなものだろうか?

会員のT安さんはすごい、と言うかすごすぎだ。ほぼ半世紀に亘ってヨーロッパアルプスの巨大岸壁に挑んでいる。後一つ登れば3大北壁制覇となる、時々新聞にも紹介されているが、その情熱は衰える事を知らない。

長年の彼のアルプス6級以上のルート(岸壁)の登攀に対してこのほど特別賞がフランスより送られるようだ。もちろんこの賞は日本人として初めての事である。その賞受賞者は、全て世界的に有名な登山家に送られている。しかし、彼は「登山はあくまでも個人的な探究心にしか過ぎない」ときわめて謙虚である。そこが彼の魅力でもあるが・・、しかし、世界的に有名でも日本ではまったくの無名である。ただし栃木県では僕以上の世代では知らない人は居ないと思う。ただし・・が付く「アルピニズム」という登山思考をもってクライミングをしている人のみにおいて、彼は知られている・・という事である。

僕の心の中にはアルピニズムという思想が流れている。より高く、より困難で、そして常に前人未踏を目指す。と言う思想である。

しかし、この思想を持っていても必ずしも成果が伴うわけではない。成果があっても必ずしも人に知られる(有名になる)・・と言うことでもない。

あくまで登山とは個人的な人生の夢である。有名になりたいから・・とそんな登山をする人も居る。むしろ有名だから登山家だ・・と思い込む人も居る。

1970年代の後半は長谷川恒夫の3大北壁に日本は沸いていた。「北壁に舞う」という彼のグランドジョラス出の成果は映画にもなった。僕の先輩のT氏はそのときカメラを抱えれ撮影していた・・・。

その頃既に「グランドジョラス、には20回以上登ったかな」といっていたがどの山を登っても彼は発表しなかった。

同じように、その頃、3大北壁より難しいといわれている壁(ドロワット北壁)を冬季単独初登攀(登りきる)したS氏もいた。フランスでは長谷川以上の快挙といわれながら、彼が帰国したときは、わずか20万円くらいのお金しかもって居なかった・・・という。世界は評価しているのに、。日本ではまったくの無名であった。彼の帰国と報告会は、御在所岳の日向小屋で数人の仲間で行われた。私はその末席にいて、彼の話に夜を徹した。T安氏S氏などとはそれ以来30年くらい細々とお付き合いさせていただいている。

どのように前人未踏がなされるのか、誰からの支援も受けず、ただ「あくまで個人的な思想の表現」として彼らは、アルピニズムを追求し続けている。

そんな彼らから、決して、人前で話す事ないだろう秘蔵の話は山ほど聞いた。そんな話を伝えたのだが、登山は100名山ツアーとスポーツとしてのクライミングの特化されようとしているのか?

今こそ登山史に着手すべきだ・・とは登山専門誌のもと編集長のお話でもあるが、なかなか話す機会がない・・と言うのが現状であろうか。

幸いにして僕は、若い頃都内有名な登山店に勤めていた(店長もしていたのだ・・少し自慢)おかげで、有名な登山家でお亡くなりなった方とは個人的にいろんな話を拝聴できた。

植村直樹氏(マッキンレーに消えた)との電話・・の話・・。加藤保男(エベレストに消えた)との飲み会。まったく口を利いてもらえなかった長谷川恒夫氏(ウルタルに消えた)のこと。ヒマラヤ鉄の時代を切り開いた小西正継氏(マナスルに消えた)・・などなど、有名登山家とはずいぶん個人的に御付き合いさせていただいた。それは僕が愛知学院大学山岳部出身でY浅先生の教え子であるから・・と思い込んでいたが、今年の3月にY浅先生とお会いして話をしたところ、先生は植村直己氏を除く、ほとんどの方と「親交はなかった」と言い切っていたのでびっくりした。「彼らの話は、みんなお前から聞いた話だけだよ」と・・・。

思い込みとは不思議なものだ。先生の教え子であるから、それらの人と知り合いになったとばかり思い込んで居たのだが「僕はお前を彼らに紹介したりはしなかった、むしろ口も聞いた事がないほどお互いに敵対していたかな?」と鮮やかに笑っていらしたのが印象的であった「むしろ敵対していたかれたの現状をお前が報告してくれたので、そうか・・と言う感じかな・・」と言っておられた。

しかし、今でも手の汗握った思いでは、植村直己さんが確か成田空港から先生の自宅に電話してきたのを僕が受けとった事である。植村さんは僕を先生と間違えて、一気に話し始めたのには驚いた。この話も、いつかどこかで話しことがあるのだろうか・・・・?

そんな事をT安さんの表彰の話を聞いて、さまざまな30年にわたる思い出が僕の脳裏を駆け巡ったのであった。

ふれあいネットの取材?

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明日は「ふれあいネット」というローカル番組の取材が入りました。詳しい事はわからないのですが、僕の宝物とか、MYブームとか、思い出の写真などをテーマにして話をするらしいのですが、クライミングのシーンも取りたいとの事です。もう、年ですから、映像的にトークのみでよいとは思うのですが、少しはがんばってボルダーでもしてみようかと考えています。取材時間は1時間程度で放送は5分くらいらしいです。

JOCも終わり、受験モードかな?と思いきや、成果の出なかった、中3コンビが早速練習に来た。「お前らはすごいよ、大会前に2ヶ月間の練習がほとんど週1回で、あんな成果が出せるなんて」とほめているのか、皮肉っているのか?そんな話にもめげずに、練習に励んでいる。まさに戦艦大和の伝説ではないが「負けて目覚めたのかな?」と言う幹事であった。

今月末には、ワールドユースフランス大会がある。ロックからも沼尻拓磨(男子)と平井悠希(女子)がユースA(16=17歳クラス)に参加する。やはり大会に向けて・・と言うより、将来の可能性を考えて練習は対処的ではなく、スタミナ中心で行うようにと指示するが、やはり成果をほしいと思うほうが自然なのかもしれない。しかし、今強いのではなく、大人になって世界に通用するクライマーに育ってほしいと思う。ロッククラフトも公式な世界大会に選手が参加するのだから、生徒に恵まれていると付つくづく思う。

世界大会といえば、バラグライダーの世界大会日本代表のM(女性)もロックに体感力アップの練習に来た。彼女の成果が日本のパラグライダーの未来に重要な事のなる・・と、メーカーのUさんは言う。ロッククライミングはパラグライダーの空中バランスにも良い効果があるらしい・・

そういえば、来年のモントリオールオリンピックを目指す選手も時々ロックに来る。体幹バランスの強化にロッククライミングという運動が効果がある・・と言うのは本当の話なのか?僕にはよくわからないが、選手が言うのだから、そうなのかもしれない。

さらに、ハンドボールの選手も最近通っている「シュートが高い位置で打てるようになった」と言うが・・僕的にはそんなに早くは効果が出ないと思うのだが、選手がそう思っているのなら(選手ではなくコーチがそういっていたそうだ)それでも良いのかもしれない。

いずれにしても、もうすこし継続して練習してもらわないと。僕は納得が行かない!!

納得といえば、今日、小学3年生のK君に「僕は先生の指導が優しいから好きなんだ」とおだてられて、舞い上がってしまった。6年生のSクンにもそんな事を言われた、2重のよろこにであった。

そうこうしているうちに自閉症のI君が8時過ぎに来たが、課題だった2日のプロブレムが登れたようで大喜びだった。Iクンも来年は中学2年生になる。体幹部がしっかりしてきたと支援学校の先生は言うが、確かに確実に彼の能力は上がっている。それは間違いない。

そういえば全盲のWクン(小学4年生)は症状が悪化しているようだ。耳も聞こえないし、伝達能力も低下しているのか・・気になるが、も少し時間をみてきていただきたいと考えている。先天的な3重苦は大変な試練であるが、一緒に乗り越えてゆきたいものだ。

最近、テッペイ君の友達であるダイヤ君(小学3年)の調子が良い。今日は初めて5.7を登ったが、まだ5回目くらいだ。モチベーションが高く、一人で自転車に乗ってくる。いい感じで成長しそうだ。

サッカーやバスケット、相撲、陸上、野球などと併用している子供は夏休みはなかなか練習にこれないようだ。小学生も大会続きで疲れているようだ。

さて、明日はどんな1日になるのであろうか、お盆を過ぎて、すっかり夜長は秋の気配である。今夜も世界陸上を見ながら、自分の夢と現実に、眠れぬ夜をすごす事だろう・・・?

 

 

JOC総合優勝決定

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男子総合優勝  沼尻拓磨

女子照合優勝  尾上 彩

おめでとうございます、大会リザルトは4時頃には出ると思います(出次第アップします)

 

JOCジュニアオリンピックに参加している、沼尻拓磨クンユースA(男子16歳~17歳クラス)で優勝しました。正直言って驚いています、ユースB時代は決勝にもなかなか進出できなかったのみ、努力の積み重ねって大事ですね ><? ひとまず速報でした。

尾上彩もユースB(女子)優勝ですね、この二人はそれぞれ小学3年生のときから知っているのですが、すごい性能ですね。小さいことはよくロックに遊びに(練習だったのかな)来ていましたね。二人とも総合優勝も狙えるようですが、まだ、試合は続いていますので、もうしばらくお待ちください。

後は悠希ユースA(女子)と遼河ユースB(男子)が決勝で何処までがんばれるかだが・・

なぜか、みんながここでクライミングを始めた数年前が懐かしく思い出されます。カテゴリー優勝さえ夢のまた夢だったのに、こんなに決勝に残れるなんて、選手の豊かな才能には驚きます。

なんとなくロック先生としては、大きな仕事を成し遂げた気分です。今回も参加したけど結果が出なくて、決勝に進出できなかった生徒もたくさん居ます。開業当時は「JOC参加」が目標でしたが・・3年前に平井悠希がユースB女子で優勝したときは、それも夢のような事でした。それから3年で、みんながさらに上にたどり着くことも可能性はあったとしても、全国のレベルがこんなに上がっている現状では、考えにくい事でもありました。

練習するという努力を惜しまない事と練習の方向性についてはすっぱい話をたくさんしたのですが、選手のみならず、両親の心労も大変だったと思います。ぼくも継続は力を生むんだ・・と力説しても、なかなか子供たちに伝える言葉を捜すの、小さな苦労を重ねましたが、そんな事はたいしたことではありません。

今回参加したロックの選手のなかなかには「練習はしたいんだけど・・・」とさまざまな背景を持っている子供達もいました。しかし、報われないからといって止める・・という安易な選択はしてほしくはありません。

ロックの正式な生徒ではありませんが、練習に来てくれた生徒は東北や岐阜などの遠方からもあり、また、また父の転勤などで遠くにいってしまった子供もいます。

今回も、気になる子供はたくさんいますが、そんな子供たちの結果については、本日の決勝が終わり次第、時間をかけて書かせていただきたいと考えています。

しかし、みんな強くなったものだ!!

何回も、ちびっ子合宿に参加して夏はプール遊び、花火大会肝試しなど、小山田大さんと一緒に遊んでいた本の少し前の子供たちがこんなに大きくなっているなんて、不思議な気分です。

銭湯で走り回ったり、ォちんちん見せあったり・・時には筑波宇宙センターで人工衛星カグヤの見学に行ったり、川遊びやつり、キャンプ、そして筑波山や那須などの山歩きをしたこともありましたね・・・。

そんな日々が走馬灯のように僕の頭の中を駆け回っていますよ

今日8月15日は二つの側面を持っている。お盆であり、終戦の日である。終戦の日は1945年8月15日の敗戦を紀に執り行われる行事でもアル。靖国信仰に基づき、大戦で戦死した霊を祭るが、それはある一面では敗戦を美化しているとも取れる。8月15日は微妙な位置にある。

私は52歳である。父は20歳で終戦を迎えた。父の夢は戦艦大和か武蔵の乗組員になる事であった・・と聞いた。しかしそれは、乗船と同時に覚悟の戦死を遂げる・・という夢でもあった。淡路島出身の父としてはそれが男として、あるいは日本人として最良の死であり、生き様としての生の全うであり、日本国家への畏敬でもあったのだろうか? 今となっては過去の人であるので、その真意は想像を離れない。

父は3年前に亡くなったが、最後の7年間は痴呆や糖尿病のさまざまな合併症との戦いでもあった。

父の晩年に、父の生きてきた心の歴史を聞いて見たかったが、それはかなわぬままの他界であった。親孝行なる言葉が老子の教えとしては知っていても、なかなか実践する事はできないままの永訣であった。

そんな思いを抱きながら、8月15日と向き合っている人も多いのではないかと思われる。

夏の祭典

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19歳以下の子供たちの夏の祭典「JOCジュニアオリンピック」が今日から3日間、富山県南砺市で開催されている。この大会はクライミングをオリンピックの正式種目にしようという趣旨と19歳以下のクライマーの健全育成をかねた全国大会である。回を重ねる事12回。当初から今日までほとんどボランテイァで運営している大会関係者の尽力には頭が下がる。

12年前はほとんど参加選手も無く、一部のジュニアクライマーの交流のような感じであったが、毎年右肩上がりで参加選手が増え続け、昨年からは、県予選を勝ち抜いた選手によって大会が行われるようになってきた。ここ3年間は参加選手枠に規制が設けられ、年齢」制限ができたり、育成目的の13歳以下クラスは廃止されたりとか物議をかもし出しているが、逆に言うと、それだけ選手層が厚くなっているともいえる。

今年は総勢240名(男子140名、女子100名)が14~15歳クラス、16~17歳クラス、18歳~19歳クラスの分かれて、それぞれの年齢別日本一と総合日本一を争うのである。

選手実力もそうとなレベルにあがっている。僕が見学した5回大会暗いまでなら、男子で5.12クラスを登れれば間違いなく決勝進出は可能であったし、女子は5.11c程度であれば優勝も可能であったが、今はそのくらいのグレードは予選で振り落とされるグレードになったしまったようだ。

ロッククラフトからも数人関東地区の予選を勝ち抜いた選手が参加するが、中学男子で5.13bクラスをレッドポイントする子供もいる。しかし、このレベルでは決勝に進出する事が美妙である事も間違いない。選手の層の厚さと技術の向上には驚きを禁じえない。

女子でも中学生で5.13レベルを登る選手も居る。まさに中学生クラスは素材の宝庫といってよい。しかし、新星はいつ現れるかわからない。むしろ新たな星の誕生を密かに願う気持ちも大きい。

一方、観客のマナーについてはさまざまな物議をかもし出している。それは大人たちの心無い言葉に傷つく選手も居る・・と言うことである。それは世界的な傾向になる。ブーイングも許される野球やサッカーなどとは違い、テニスやゴルフは常にスーパープレーへの賞賛であることが好ましいのだが、心ない日本人フアンの言動に優勝した選手が心を痛めている・・というニュースも多々ある。

クライミングもできれば、テニスやゴルフのように紳士的マナーに支えられたスポーツでありたいと思うのは、ぼくの妄想であろうか?

それとも、サッカーや野球のようにアイtrチームの選手に観客が圧力を加える事も大切な要素であるのか?・・・そんな事を考えながら、昨年からJOCへの見学には行かなくなった・・ばかりか、ほかの大会も見学しなくなってしまった。

熱くなるのは子供たちや選手の闘志であってほしい。親や監督は冷静に子供たちが実力を発揮できるよう、全ての選手に平等に声援を贈る事を心がけてほしいと思う。これはクライミングに限った事ではない。小中学生の体系の応援にまるでプロサッカー並みの罵声が跳ぶのは、本当にいただけないし、同じ大人として心が苦しくなる。こんな日本の現状は、昨年の北京オリンピックのマナーをとやかくはいえない。

昔の人は言った「人の振り見て、わが振り直せ」

精神が豊かになる事と平和と有効がスポーツの原点ではないのだろうか?

今年も夏の祭典を見た。世界水泳、甲子園、ゴルフ、テニス、もうすぐ世界陸上も始まる。

もう一度、観客としてのマナーも育成してゆこうではないか・・と、思った。

JOCでも豊かな声援を期待したい!

今日はお盆と言う感じの一日であった。夕方からはまったくの閑古鳥である。されば書きかけのコラムの加筆などをしようと考えていたが、相変わらずまとまらない。自分の文才の無さにあきれてしまうが「貴方の書くものを楽しみにしてしている人も居ますから、がんばってください」というお客様がいらしたので、調子にのってあれこれ書いてみた。もともとは「歴史を1000年・・」ではなく、ギザのピラミッドのオリオン座説。クフ王のピラミッドは何年で作られたのか・・を考える。オスマントルコのスレイマン1世の女性問題。世界宗教と日本の古来進行(ロック先生の伝承科学論)。歴史心理学を考える。などなどの書きかけ秘蔵原稿をドレから手がけるか・・で、あたまが混乱してしまって、こんな風にまとめてしまった。

書きかけ原稿を書きかけのまま、忘れてしまうと、復旧不能になってしまうのは惜しいので、なんとなく頭の奥底に記憶する手段として僕はコラムを残しているのである・。

僕の夢は小さい頃から多義にわたる。冒険、登山家、小説家などであるが、小説家は無理そうなので、随筆家位は70過ぎには残してみたいと、今でも真剣に考えている。

20年以上も前なら原稿用紙であったが、10年前位にはワープロになり、今はブログにその原案を書き綴っている。原稿用紙のものは、ほとんど消失してしまった。フリッピーのも再生不能になったものが多い。ブログもやはり同じ道をたどるのかもしれないが、一番大切な事は僕の記憶の中に保存する事である。ブログが喪失したとしても、記憶から引っ張り出せるものを20年後に書き綴れればよいのである。

僕のブログ読者は100人なのか200人なのかはわからないが、楽しみにしている人に僕は文字を通して自分の考え方を伝えてゆきたいと考えている。

僕のブログのフアンは素敵な人だと思う。本当にありがとうを伝えたいが、誰かはわからない。しかし、3000人以上の方がお気に入りの登録してくれている事実もあるから、それが今の自分を支えてくれているのも事実だ。

皆さんの魂に、改めて「ありがとうを伝えたい」8月14日である

歴史心理学者ハリ・セルダンは天才的に未来を予測をする数学者などといわれている。彼はアイザック・アシモフのSF小説の人である。僕はあんまりSF小説は好きではなかった。しかし、アシモフとであって、SF小説の古典?といわれるものはほとんど読み漁った。もともとSF小説はそんなに古くからあるものではない。おそらくジュール・ヴェルヌあたりから始まったと思われるので、SF小説の歴史はまだ200年に満たないのである。

歴史学とは「今ある現実を後世に伝える事である」とは森克己先生の言葉であった。歴史検証とは、1年、10年、100年単位で残された歴史的事実から想定される事を指す事とは、大学時代にどこかの講義で習った言葉だと思う。

そんな考え方を、アシモフはハリ・セルダンなる人物に1000年以上を一つの単位として、未来を検証して、更なる未来を1000年以上の単位で予測して、未来の人類の持続可能性を示唆したのが、長編SF小説「ファウンデーション Foundation 」シリーズであると考えた。SF小説には多くの場合科学者が主人公として登場するが、歴史心理学者なるものが、歴史学のご法度である未来を予測する・・という奇想天外な発想に、僕は打ちのめされて読み干してしまったのだと思う。

この発想は、人類の歴史を考える上で、僕的には新しい発想であって新鮮な思考でもあった。

今から3000年以上も前に建造されたギザのピラミッドがいったい何個の石で構成されて、何年で建造されたのか・・と考えたり、オスマントルコの最後の王スレイマン1世が撫ぜ十字軍の遠征に対して刃を剥き、古代イスラエルの建国の王ダビデ子供ソロモン(アラブ語ではスレイマンと言う)の再来と自らを名乗ったのか、と言う疑問へと投げかけられたり、果てには地球が誕生してから銀河を何回公転したのか・・などというばかげた計算をしてみたりする発想につながった、優れたSF小説である。

古来、日本にも千年万年思想と言うのがある。いまだ仏という神が日本に存在しなかった2000年ほど昔の話であるが、そのような話は世界中何処にでもある。それは旧約聖書に書かれている事が実は事実であるという歴史的検証であったり、イスラム教もユダヤ教もキリスト教も原点には旧約聖書があるように、もともとはそれらの宗教は4000年~5000年前までは一つの宗教だったのかもしれない・・という疑問へもつながっている。

セルダンは言う「銀河帝国に散らばった人類は、いったい何処を起源として銀河に広がったのか」と

数万年先の未来には地球と言う星は死語になっていたのである。

「地球を探し、そして私たち銀河帝国の起源を発見する事で、銀河帝国の未来のあり方を考えようではないか」と・・・。

しかし、その旅は困難を極める。新しい資源によって導かれた科学文明もその効力を失い、一部の星では、化石燃料に頼らざるを得ない現状も存在していた。宇宙には科学では予測不可能な現実がまさに星の数ほど存在していたのである。

科学的根拠によって示唆された方向性は科学技術によって否定される現実が数万年先の未来に存在して居る事など、地球人であることを起源としている未来の銀河系人にとっては想像の、いかなる現実をも超えていたのである。

それは、このSF小説に登場する人類が自分の寿命をはるかに超える未来予測を是とは考えていなかったことに由来していたのかもしれない。

それは今の私たちにも言えることである。未来への持続可能性とかエコとかいう言葉の本質(起源)を考えることなく、豊かさを求める姿勢に同一化しているのかもしれない。

豊かさとは、一定の経済力をもって想定される貨幣経済の究極の到達点を指し示す言葉であるのか、それとも地球の全ての存在に均等に分け与えられてのみ到達する位置なのか。はたまた、ハリ・セルダン曰く(アイザック・アシモフが考えた)銀河帝国全体の持続可能性をもって、宇宙全体に平等に分け与えられるべきものなのか・・。

豊かさの本質とは、いったい何処にその規準をおくべきなのか、いろんなことを考えさせられる小説でもある。

私は地球号という宇宙船に乗るたった一つの生物としての人間である。それは窓の外塀に絡まる蔦とも、なんら(一つの生物としての)違いはない。あるいはウイルスという生物(生物学的には非生物。微生物学においては卵生においては脊椎を持った生物とも考えられている説もアル)が人類の敵なのか味方なのか・・という疑問とあまり代わりがないようにも思うのである。

20世紀の歴史を考えるとき、第二次世界大戦は人類においてせかいのあり方を国境と民族などによって分類した画期的な世界戦略であったが、その行使手段は戦争によって成し遂げられたといえる。

しかし、秩序を構築するにあたって、人類は常に戦争を秩序つくりの手段として選択してきた6000年(あるいは4000年)に及ぶ歴史をどのように考えているのか、もう一度、人類史を1000年単位に置き換えて検証すべきときに直面していると考える事はあいまいな考え方なのであろうか?

地球の歴史においても46憶年を10000年以上の単位で考えてざるを得ない過去もある。いいや2000万年くらいは1単位として考えなければ、理解しがたい現実もアル。

そんな事を考えさせるアイザック・アシモフとは偉大な歴史学者として僕の中で成熟しつつある。彼を単なるSF小説の偉人にとどめておくべきではない・・と考える僕は彼の思想の1信者なのであろうか・・。

なかなか読み応えのあるSF小説でもあるので、お盆の期間に読んでみるといいと思う。

うまく、まとめ切れなかったが、なんとなく察してくださいね。

8月13日(ほぼ日記)

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東名高速道路は15日に復旧するという、恐ろしい速さだ、日本の土木建築技術は相当なものだと感心している。

関心しているといえば、ゴルフ界には新星が次から次へと出現しているようだ。適切な指導者が長期に渡り指導している成果が、このような新星を次から次へと出現させる背景にあるのではないかと考えている。

一方で、フットサルと並んで、バスケットの普及もずいぶん進んでいるように思うのだが、世界との距離はますます遠くなっているようでもアル。何処にその原因があるのだろうか?

ロッククライミング(フリークライミング)の全国大会が8月14日~16日まで富山県南砺市で行われる。今年も多数(男女合わせて240人)の各地区の予選を勝ち抜いた精鋭たちが熱戦の火ぶたを切る。なんとなくではあるが、才能を持った新星が現れるような気がしてならない。ゴルフほどではないが、クライミングのスポーツとして、バスケットくらい認知されるようになりたいものだ。

 

8月11日のほぼ日記

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今朝起きたら、濁流に呑み込まれビルが崩壊する映像が飛び込んできた。東名高速道路が通行不能になっていた。台風もあるが地震もあったらしい・・。僕たち(地球に生きる生物全て)はこの環境をどのように考えているのだろうか?・・と、ふと考えてしまった。地球環境を劇的に変化させているのは、地球と惑星のたった一つの種としての人類なのだろうか?それとも地球自身が地球環境を再構成しようとして環境全般に何らかの手を加えているのだろうか?・・それとも、地球の生命体の総意のもとに、人類がその多くの部分をになっているのだろうか?あるいは生命体とは言いがたい微生物(ウイルスなど)が僕たち生命体に対して攻撃を仕掛けてきているのだろうか?もしかしたら、ウイルスなどは本来、地球の古来種ではなく、地球外から飛来した地球外生命体なのか?・・と、訳のわからないことをニュースを眺めながら考えていた。

僕たちの直面している真の問題は、いったい何なのだろう?

そう思いながら、テレビに映し出される災害を自然災害なのか人為的傾向をもった災害なのかと考えていた。

お盆の最中(初日かな)の現実である。もし、メデイァ無き、あるいは通信手段が文字や口承伝承に頼る以外に手段が無かった、ほんの100年前ならこんな事を知らずに、日常を生きていたんだろうと思う。それは、イスラム世界において、十字軍がなぜ進行してくるのかわからなかった900年前のような、いくらソクラテスがデモクラシをといても、何のことかアテナイ人には理解できなかった2500年前のような。あるいは降り続く雨が地球に海を形成したノアの箱舟を笑い飛ばした、今から6000年以上前のような・・今、ここにある現実が非であると考えても仕方が無いような現実が、今ここにあるのだった。

それは、湾岸戦争がテレビゲームのように見えたり、9.11が映画のように思えたりした現実となにも変わりは無いのかもしれない。

ある彗星が地球に衝突する・・という妄想。真昼に太陽がかけて行く、皆既月食が魔術師の仕業と考えた、ほんの200年前の庶民のような、そんな非科学的な思考が僕の脳裏を駆け巡っていたのであった。

いったい現実とは何なのだろうか?

今回の災害は、居る、いらない論争の的であった第二東名高速道路は少なからず必要であると、人は考えなおしたようでもあったし。震度6でも崩壊家屋がほとんどない静岡の現実に耐震構造の重要性と改修は必要であると考えた人も多かったのではないかと思う。

一方、雨災害に対しての日本の都市構造の弱さは何処から来るのか・・とか、もし、東京に都市災害が起きたなら、いったい都市はその構造で何処まで耐えられるのだろうか・・という不安に襲われた人も居ただろうと想定される。

私たちは便利になった社会の恩恵に対して、それは当たり前のことではなく、あるいは感謝しあるいは協力して対応しなくてはならない・・と、考えはじめた人も少なからず居た野ではないかと、僕は考えた。

利己主義へと資本主義は変貌をとげているようにも思われる20世紀の資本主義経済至上主義的考え方に改めて、構造改革の重要性を、考え直した人や道州制の議論を地方政治と中央集権体制の議論であって自分たちの生活とは関係ない・・という考え方に、少しはメスが入ったのではないか、と考えた僕の思考は、走りすぎた思考なのか?

本当にさまざまな事を考えさせられる。

経済成長無しで、人財成長を考える事も、地球の一員として僕たちが未来に持続可能性を見出す手段なのではないないだろうか。

先月から4回も読んでいる1冊の本がある「あなたが地球を変える日」セバスチャン・カリス=スズキが1992年6月11日、ブラジルの国連地球サミットで、当時12歳だった彼女の、わずか6分のスピーチの事である。

冒頭でかの上は言う「エコとはエンバイロン・チルドレンズ・オーガニゼーションの略です(ECC、the Environmental Children`s Organization)・・・」興味のある方は読んでみると良いです。何処の学校にも図書館にも必ずおいてあると思います。

では、良いお盆の休日をお過ごしください。また、JOCに参加される皆さん、悔いなく戦ってください。

 

1973年10月22日、イチローは愛知県西春日井郡で生まれた。小学校では既に120Kの速球を打ち込んでいたという。

ほぼ4歳ころから、プロ野球の選手になると自分で思っていたらしい。彼の才能をプロで通用すると考えたのは、オリックスの三輪田勝利というスカウトだった。彼以外にイチローのセンスや才能を感じたスカウトは居なかったようで、彼は伝説のスカウトと呼ばれている(なくなられたが・・)

センスは練習によって培われるものであるが、センスはもって生まれた才能でもアル。これはいかなる努力を積み重ねても勝ち取る事のできるものではない。

しかし、多くの優れたセンスを持っている人は、その才能を生かすことなく普通になってしまう。それは誰よりも練習するという努力を怠るからである。

以前4000時間のルーチンについて書いた事があったが、基本練習は技術が上がっても怠ってはいけないものだ。

ロッククライミングというスポーツは、さまざまな側面を持っている。

1)たった一歩足を進める事に、どうしてこんなに多くの思考を伴わなければならないのだろうか・・とか

2)一見、思いつきのような軽い感覚的な動作が、意外とセオリーだったり・・とか

3)強く、指の力でつかむ事だけでは問題を解決できない・・とか

4)一見、ゆっくり動いて見える人のほうが、頂上に速く着くように見える・・とか

さらに

1)目の見えない人が登れる・・とか

2)筋肉隆々の人より、運動音痴を自称する人のほうが、高く登れる・・とか

3)天井を移動するような壁を、小学生が悠々と登れるのを見て驚愕する・・とか

4)70歳くらいの老人が登っているので・・しかし、まったく登れない不思議・・とか

見方を変えるなら

1)力を抜かなければ登れないんだよ・・とか

2)足の指で石をつかむから、登れるんだよ・・とか

3)生卵をつかむくらいの握力で登るんだよ・・とか

4)筋力ではなく、バランスで歩いて登るんだよ・・とか

目から鱗の話になるんだけど

1)ダンベルやバーベル、鉄アレイではクライミングの筋肉は育成できない・・とか

2)腹筋が6つに割れるのは、トレーニングの成果ではないんだよ・・とか

3)目では見えない筋肉を鍛えるんだよ・・とか

4)右でも左でも、ボールが投げられるようになるんだよ・・とか

訳のわからないことが目の前で起きるのが、くらいみんぐ・・というスポーツなんだよ。そしてこんな話も、飛びさしてくる。

1)やせないよ?(体重は練らないよ)。でも、細くなるんだよ

2)筋肉を大きくする事はできないんだよ・・?

3)ナンバ歩きのような?そんな走り方もできるんだよ?

4)学力が上がるって、オーストリアでは言ってたよ!

5)ピアノを弾くことと同じ効果があるって、フランスでは言ってたよ!

6)洞察力を磨くスポーツって、オランダでは言ってたよ!

・・・とか、不思議な話がたくさん飛び出します。

さらに

1)オリンピックを目指している選手が、結構、取り組んでいるんだ・・とか

2)プロバスケットや大リーガー、格闘家などが基本練習に取り入れているんだよ・・とか

どう解釈してよいのかわからない話が、いろいろ聞けます。体験した人は、こんな僕の話が楽しかったと言ってくれます。

しかし・・「ロック先生は、しゃべりすぎ」と時々生徒に言われます(叱られます)・・とほほ・・

しかし、僕はクライミングを体験したり、練習する人の、その人にしかないセンスを考えています。

だから、

「ロッククラフトの教へ」とは

1)苦しくなったら声を出す

2)自然と人の調和を考える

3)一見、無駄と思えることの繰り返しに・・・真実が見えてくるのです。

長々と読んでいただいて、ありがとうございます。

 

 

 

 

8月10日の日記

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昨日はなかなか面白い一日であった。JOCに向けての練習の方向性の間違いを気が付いたK君は修正を図ろうと必死で、新たなメニューに取り組む。1ヶ月以上もまえから行っているのだが、気が付くのが遅かった。しかし、気が付いたから良かった。今年のJOCは無理でも来年にはつながると思う。

東京から大学生3人組が練習に来た。なんとハンドボールをしているようだ。僕の息子とも中学時代に試合をしたようでもある。体幹部の強化とバランス育成プログラムに取り組むが、会うのは初めてだが、近親間もあって僕も気合が入ってしまい。閉店時間を大幅に超えてまで、意識の仕方を熱く語ってしまった。いつもの事でしゃべりすぎは顧客を逃がす・・という法則にはまってしまったかな?と思いきや全員会員登録をして帰った。なんともうれしい誤算である。夕方に「最近は登って見せてくれないね・」・と、年配のお客さんに言われたが、正直言って右肩は直っておらず、左腕も慢性的に痺れがあり、登れないのが現状であるが、あえて簡単なルートや動作の基本演技をしたら、感動してくれて、調子に乗ってしまったのだった。間、若者に乗せられたのであるが、親子ほどの若者と一緒にクライミングを楽しむのも「たのしいな~」と感じた。

「まだまだ上を狙えるぞ、日本代表を目指してがんばれ」というと「組織の壁があるんです。でも、好きだから、もっとうまくなりたいんです」と少し複雑な側面も見せる。彼らの一人もJOCのジュニア強化選手になっていたらしいが、組織の流れに沿わない方向に進んだようだ。僕の息子もそうであった。

うまくなり、スポーツを楽しむ事と日本の代表を目指すことはまったく違うことを知っているのだ。「大好きなハンドボールを好きなままでいたいから、日本代表とかは考えません」と大人の回答である。

「たいしたものだ」と感心した。

熱帯風の雨

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昨夜の小山の花火大会は、あいにくの雨の中での決行であったが、わずか6キロしか離れていないロッククラフトからもまったく見えなかった。花火大会直前の6時頃に、すごい雨が降ったので、中止かな~と思っていたが・・・美妙な雰囲気で、大会実行委員会は大変苦慮したと思うが、いつものような渋滞ではなかったようだが、お酒を飲んでしまったので会社に泊まった。

雨は美妙な雰囲気で、ゲリラ的に降ったり、熱帯風のスコールのようだったり、今にも蒸発しそうな感じで白くやわらかく降ったりと、なかなか不思議な天気である。聞くところによると台風9号が日本近海で発生したとか・・甲子園も2日間連続での中止のようだ。荒れているのはお天気ばかりではない。

自民、民主の戦いが栃木県では美妙な火花を撒き散らしている。みんなの党を立ち上げた渡辺さんを自民党栃木県は応援する気配を感じる。小山市では白鴎大学学長と言う知名度のほうが高い森山さんは、自民の公認を断ったとか??引退説が出ているが、僕としては白鴎大学の学長として、文化への貢献をお願いしたい。各党の政策論争もなんだかわかりにくい。特に農業政策は民主の政策はぶれているとしか思えないが・・僕の地元北海道は親戚一同、みんな農業関係者である。中川さんへの厳しい声を投げかけているようだが、果たして民主に追い風は吹いているのか・・僕の感じだと

道東に民主の追い風も無いが自民にも厳しい声が多いのが現実のようだ。要するに選挙公約をどのように有権者に伝えるのかとか。票取りのための有権者への説明会をわれわれは望んでいないのだ。

もっと解りやすき言うなら、政権交代のための選挙を国民は望んでいないように感じる。有権者の声は不在で政党の論理で選挙が進んでいるようにも感じる。

旗声だけではない内政では景気対策、雇用促進、農業政策(漁業も含み)、生活安定、社会保障と高齢化対策など問題は多い。国際関係でも、日米関係の強化もあるが、極東の安定に向けての努力。飴と鞭(対話と圧力)政策からの転換も必要に思う。憲法9条の解釈を明確化するか、改定する事も必要に思う。国際的に評価されている事は、国民にも公表すべきだし、日本国民もアジア人としての自覚が必要であろう。教育や宗教文化によって民族意識を保つ時代は終わったようにも思う。

日本の社会構造においての、構造改革の機運は何処にいってしまったのか?豊かな経済的背景があると熱くなり、経済に不安材料があると対蹠的な政策に転嫁してしまっているようにも思う。道州制についての議論も、やっつけ議論だったのか?国政を担う国民の代表者である議員諸氏の政治家としての精神のあり方を誰か説いてくれないだろうかと、不安になる。

政治家諸君、政治は職業ではない。あなた方の麻痺した感覚は、清純はタレントのスキャンダルとたいした相違はない。

改めるべきは改め、自分の利権のための政治ではなく、国民のための政治をお願いしたい。

ついでに付け加えるなら、。日本の官僚は高度な知識と能力を持っている。官僚政治をぶっ壊すのでナは区、官僚の描くきビジョンとあなた方政治家が描く製作の融和こそが、これからの政治には必要な要素だと思う。

また、憲法を守る事ではなく、国際情勢にあわせて日本の進むべき道筋を世界に指し示す事こそ大切な事ではないのだろうか?

日本と言う鎧を脱ぎ、あるいはアジア人として、さらには地球人として、いかに立ち居振舞うかが日本の将来を指し示す事になりはしないのだろうか。

おそらく20~30年先には、誰が宇宙人なのかという話も浮上してくると思う。私たちは宇宙の片隅に住む生命集団としての人でもあるが、宇宙と言う視点から見れば、宇宙人の端くれでもアルことに変わりはないのだ。

 

あれこれと、取り留めなく書き進めてしまったが・・最近の自分のストレスを脱ぎ払うほどは、本音を書いていないのかもしれない・・と、少し自己嫌悪に陥っている。

 

スノーボードの選手が、数人ロックにも現れている。本当にまれにだが・・今日たまたまネット上を,はいかいしていたら、アルペンスノーボードの竹内智香選手が、スイスのダボスでクライミングの練習もしているという記事(写真)を見付けた。

本人曰く、極度の緊張感と集中力を磨くのに良いのだそうだ。 oth0908042252016-p2.jpg成果をきたしたいですね

がんばってください。

 

小学5年生のKちゃんは、毎週1回の練習である。ほぼ3年やっているが、最近からだのバランスが極めてよい。正直言って素敵な体に仕上がってきた。均整の取れた体である。足首も細くアスリートを思わせる感じである。学校の体育の成績もオールAになったという。母親は「私の遺伝子を考えると、考えられない」というが、まったりとした練習ではあるが確実に全体の構成が良くなっている。

小学4年生のTクンは、幼稚園の年少くらいから月3回~4回来ている。不思議な事に、箸は左手で持ち、字は右手で書く。小さいことからスキーをしているが、今年から野球をやっている。ボールは左で投げて、打席は右だという。本人に聞くと「とっちでも良いんだけど、なんとなく先生みたいに、なりたくて」と言う。確かに僕は右利きだけど、左手でもボールを投げれる。ほとんど同じくらいに。サッカーをしても右でも左でもボールをけれる。「クライミングは両利きジャナイトうまくはなれないんだよ」といっていたのが、良かったのか?Tくんは僕の言葉を信じて、どちらも練習していたようだ。

同じような事は小学3年生のHクン、5年生のKくん、Tチャンなどにも言える。彼らはサッカーをしているのだが、利き足でボールをける傾向が少ない。しかもボデイコンタクトされても転ばないのだという。

左右差が少なくなる傾向はクライミング運動の重要な一つの傾向だと思う。

最近はスラックラインの練習も取り入れている。バランスのよさは飛躍的に向上しているようにも思う。俊敏になり、なかなか転ばないのはそんな練習の成果なのかもしれない。

そのほかにもさまざまな傾向が見られるが、親の意見としては「うちの子供は怪我が少ない」と口をそろえる。クライミングの練習はだらだらと行っている。ゆるく、遅く、やわらかく・・動く事を示唆している。

強い運動はなるべく避ける。強い運動が好きな子供は筋肉が早く行く育成される傾向があるが、骨の成長が咲きなので、強く激しい運動を好む子供には、あえてストップをかける「もっと遅く動いてごらん・・」と

成果の上がる子供は、練習量が少ない。しかし、それはクライミングの難易度が上がるという訳ではないが、ボデイバランス、聞き手、軸足などの左右差は少なくなっているように思われる。右足でも左足でもジャンプできる子供もいる。

とくに男の子は集中力がない。それは性差によるもので、能力が低いというわけではない。10歳まではおおむね落ち着かないのがオスの特徴でもアル。

反面、女子は僕の言葉を理解しようとする。そして考えすぎて思考と行動に不一致が生じてしまう。それも女子の性差がなせる業で、能力は低いわけではない。

男の子と女の子では、年齢は一緒でも、発達段階に相違がある。また、そのことは個人によっても大きな差が生じる。

子供たちは、大人の知らないところでいろんなことを試行錯誤している。同じ話をしても受け止め方は10人十色である。

基本的に、ロックの中学生以下は複合スポーツを奨励している。一意専心は良くないと言い切る。

練習にのめり込んでほしいと、いらいらする時もあるが、おおむねゆるく、を心がける。教える側にはさまざまな葛藤があるが、教わっている子供たちにも同じくらい葛藤があり不安もあり、大会前には緊張感もあるのだ。そんな事を踏まえて、あえて熱くならず冷静に指導する。

練習時間の短さは、全国1かもしれないな~とときどき思うことがある。JOCに各県の代表で出場するにもかかわらず、週1回のクライミング練習のペースを守る子供は、心が強く、未来を見据えているのかもしれないな~と、思ってしまった、のだった。

魚になるまで泳げ!!

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この言葉は、8月2日にローマでお亡くなりになった古橋広之進さんの言葉のようだ。まさに感動を呼ぶ名言である。彼は最近の才能アル水泳選手が練習をしない事にずいぶん苦言を呈していた。俺は毎日2万メーターは泳いでいた、最近の選手は半分の泳がないんじゃないかな・・とか、我慢が足りない、たいした練習をしていないのに、全力を使い果たした。これが今の自分ができる精一杯の結果です・・とか、優等生の回答ばかりだ!と怒っているようでもあり、やさしいおじいちゃんのアドバイスのようでもある言葉を残していたようである。

今回のローマ世界水泳での成果は、3年後には更なる飛躍の試金石になりそうなすばらしいものであると、僕は考えている。平井コーチの指導項目も理にかなった方向性を持っていると思う。

金メダルをとった古賀は「練習が足りなかった」と素直に認める。

銀メダルをとった入江は「自由形へも挑戦する」という

銅メダルの松田は「まだ、やり残した事がアル」という

豊かな才能を持った選手が理にかなった長期的展望に立った体幹部とスタミナ、バランスの育成と強化が図れ、なりふり構わぬ闘争心をむき出しにして、チーム内で戦い、安住の地を離れ、あえて苦難と直面する事による強さを持ったとき、水泳大国日本といえるのだと思う。

豊かな才能は今回の日本代表の外にこそ多数存在すると思う。

優れた素材の伸びしろを見付けるのは、やはりコーチの技量であろう。努力しても練習に壊れる体と精神では、3年後は望めない。

まずは壊れない体幹部(シャーシ)を育成する事が重要であろうと思う。それは、単に水泳のみにとどまらない。もうすぐ始まる甲子園においても、ベルリン世界陸上においても同じことが言える。

若い選手が自分の限界を超えるすスピードに対応できる基礎体力を持たなくては、強い負荷に体幹部が破壊されてしまうのである。この事は機会工学がF1でも宇宙でも実証している。

魚になるまで泳げ!!

魚になれる体幹部の育成こそが、人間が記録に挑む世界大会であろうと思う。

改めて昨年北島康介が行った「泳ぐのは(水着ではなく)選手だ」と言う言葉が重く響き渡る。

クライミングにおいても同じ事がいえるのだろう、練習する事を誇りと考えてほしい

古橋広之進さんは、さまざまなエピソードを持っている方であった。初めて日本選手権に出場するとき、静岡県浜松市から各駅停車の汽車で大阪まで向かったという。水泳の大会に出場するのにスイミングプールと言うものがどういうものかは解らなかったので、貯水池とか防火用水のようなところだろうと思い、夜中にそのような場所に潜入して水泳の練習をしていた・・とかいっていた。

初めてプールを見たとき「水が透明で驚いた」とか・・なんともユニークな発言である。

100m~1500mまで全ての自由形で延べ世界記録を33回も更新したとか??

第2次世界大戦で世界水泳連盟から除外されていなければ、さらに世界記録を更新していた可能性もある。復帰した1949年のアメリカ選手権ではあまりに群を抜く速さのため、フライングフイッシュ、(空を飛んでいるようだ)と形容されて、フジヤマのトビウオといわれるようになったとか言われている。今回の日本代表チームの愛称はトビウオジャパンであったと思う。

また、曲がった事は許さない性格もさまざまな議論の的となった。彼の言動が曲がっているようにも感じられたこともあったが、死ぬまでフジヤマのトビウオを貫きとおした生き様は、まさに日本の誇る空跳ぶ魚であった。

かつて、ミュンヘンオリンピックでバレーボールを世界一に導いた南将之と言う選手が居たが、僕の彼と同じように、僕の記憶に新たな感動と生き様をさらけ出した神なるアスリートであったと、改めて思う。

現役を退いても、1952年から昨年の北京オリンピックまで全ての大会に役員として参加した姿勢は、猪瀬直樹が批判するものではなく、一貫して選手の見方であったと、むしろ賞賛すべき現実であろう。

日本が世界に強国として君臨するには自由形の強化が命題でもあろう。国際紛争を解決する手段としての戦争放棄、憲法9条は、スポーツにおいて強国を誇れるようになる事でも十分世界に対応できるのでないかと・・・・話が飛躍するが、考えてしまった。その鮮やかな死に様も何処と無く臼淵の「負けて目覚める」を彷彿させる思いである。

 

 

 

 

太一が電車でやってきた

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宇都宮の少し先に住んでいる、小学4年生の太一クンが歩いてロックにやってきた。驚いて「お母さんは」と聞くと「一人で電車に乗ってきた」という。「え~何処で下りたの、駅から歩いてきたの」と聞くと「先生(僕のこと)がおーバスに乗ると付くよ、って教えてくれたから、オレンジのバスに乗ってきたんだよ」という。そんな話をしたようなしなかったような・・?しかし、子供ははっきり覚えていて、全て自分で聞いてここまで来たようだ。たいしたものだ。送り出した親も、一人で電車とバスを乗り継いできた子供も・・である。

そういえば、中学3年になるK太郎はここから4キロほど離れたところにすんでいるが、小学1年から自転車でやってくる。初めの頃は「今家を出ました」「いま、ジムを出ました」と母親とのやり取りでずいぶん気づかれした記憶がある。初めの頃は道に迷い、1時間以上も道に迷っていた事もあって、車で探しに行った事もあったが、何事も無く今日まで来ている。

高校2年になるケイスケも小学6年生から電車を乗り継いでロックに来ていた。埼玉県の鴻巣市殻である。バス、東武、JR,と乗り継いでくるのだが、初めの頃は大宮に行ったり、池袋や熊谷などそこらじゅうを探索していた。ほぼ1日行方不明だった事もあったが、何とか来方を学習したようだ。今は毎日6キロ位、駅から走ってここまで来ている。ザックを背負っての走り方も板についてきたようだ。JOCまで10日間の合宿中でもアル。

下妻に住む、R河も自転車でここまで来た。中学2年生だから大丈夫だと思っていても、やはり気になる。初めてきた時は予定より1時間も遅く付いたが「道に迷った」とあっけ羅漢としていた。

子供たちにとって夏休みは冒険の季節なのかもしれない。

太一とお姉ちゃん(小6)は今週末、名古屋まで新幹線に乗って2人旅をするという。親の肝っ玉が据わっているというか、子供たちの自立心が旺盛というか、なかなかすごい親子である。

そういう僕も、小学5年頃からは親戚の家に電車やバスを乗り継いで訪ねて回った。不安とあるが冒険をしているようで楽しかった事を思い出す。

まだまだ日本にも子供たちを送迎しない親が居る事に少しはほっとする気分であるが、一方、おやは自分のアッシー(送迎車)だと思っている子供も多いようだ。

小学56年生の悠くんはおじいちゃんの付き添いがいやで「爺と喧嘩してきた、これで僕も一人で遊びに行ける」と複雑な心境を明かした「爺は大好きなんだけど、僕にかまいすぎるんだ。もうすこし子供の自主性を尊重してほしい」と大人のような悩みを話す。

子供たちはしっかりと社会を見据えている。大人が下手な技巧で子供扱いしても、子供は真実を見抜いているかもしれないのだ。

真実を見抜くといえば「@せんせい、お母さんは携帯でいつも遊んでいるのに、なぜ子供は遊んじゃいけないんですか」って質問には的を得た答えを出せなかった。

駐車違反をしているのに「していない、民事訴訟で訴えるよ」と警察官にすごむ母見て「まったく、家の母親はいつもこうなんだから・・」とあきれている子供もいる。

「私(小学3年生の女子)の母は、いつも障害者用の駐車するんですけど、空いていてもだめですよね、恥ずかしいから、母に教えてあげてくれませんか」と言う子供もいる。

やはり、子供は見ているのだ

むしろ大人が自分の子や孫から自立できていないのかもしれない。甘やかして育てたから・・と、子供のせいにするより、子供に甘やかされずに大人としての行き方を探りたいものだ。

とそんな事を考えてしまった。

JOCに向けての、調整なのだが、なかなか足並みがそろわない。ほとんどの中学生は部活とクライミングを掛け持っている。バスケット部のK太郎君は県大会の最終日まで試合があって、7月29日までほとんどバスケットオンリーであった。今日は3級の課題を何本ゲットするか・・というアップ練習で既に前腕がパンプアップしてしまい、なかなか機能しない。陸上部T君も昨日の練習がハードすぎたのか、前腕がかちんコチンである。R河クンはマイペースかな~。主に11台を中心のオンサイト、もしくはフラッシュ対応の練習であったが・・・・?である。

大会まで後8日間くらいしか練習ができないが、決勝まで進むと仮定すると、3日間連続で登らなくてはならないのだが、1勤3休の練習が板についている連中に今年のJOCはきつそうだ。

ま、高校に入ってからの伸び代を考えると、こんなに練習していないのに全国大会に出場するとは、ありえない才能?ともいえる。

口は強いがハートの弱い連中ばかりなので先が思いやられるが、大会までの1週間を,いかに過ごすかで、能力は飛躍的に伸びることもある。

そこのところを考えて、明日も練習に来ると良いのだが???

それにしてもミストラルhttp://www.gym-mistral.com/のメンバーは素敵な人が多い。雰囲気の良いジムである。オーナーの人柄なのかな?ボクも見習わなくてはいけないな~

今日のミストラルは女性が多かった、メガネを忘れたのを悔やんだが、一人素敵な女性から声をかけられてびっくり・・YFクラブのAさん(女性)だった。http://www.yfclub.org/climbing_start_program.htm

確か会社は葉山あたりだったと思うが、10年くらい前はよくどこかであっていたのだった。懐かしい話に花?が咲いたかな~。子供達にもクライミングを教えているようだ、Aさんのボルダーの強さには脱帽である。栃木県の古賀志山でもクライミング講習をしているようだ。興味のある方はHPをご覧ください。

来週(8月12日水曜日)もミストラルで最終練習するぞ~と、ボクは気合を入れているが・・・。

 

謝罪した・・

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北朝鮮に拘束されていた、2名の米国人記者はアメリカ政府の対応を飲み開放されたという。

うわさによるとクリントン元大統領が金正日総書記に謝罪した・・という。ネットに掲載されている写真を見てもクリントン氏には低姿勢で謙虚な感じがうかがわれる。

一方、金総書記は語気高く、何かを主張しているようにも伺われる。

日本の北朝鮮外交も対話と圧力では無く、友好と対話のへの路線変更が必要ではないかと考えてしまうがいかがなものか。

アメリカは核廃絶に動き出している。核兵器を作らせない圧力とそれを行使させない、兵器による防衛では無く、民間での生活支援協力や政府としての食料支援などで、友好を深めてゆく戦略を考えるべきだと思う。アメリカは中国やインドなどの市場開放に向けて経済協力を呼びかけている。そこにはアメリカの苦悩が伺われるが、戦争で勝ち取る平和はつかの間である。友好で勝ち取られた平和は永遠を示唆するように思うのだが、いかがなものだろうか?

日本での衆議院総選挙も8月を迎えてさらにトーンアップしているのかと思いきや、7月のような国民の関心は見当たらない。民主党の政権公約も毎日120万件を超えるアクセスがあったようだが、国民の意識とは裏腹に、現実的ナ内容とは思えなかった。

政治とは国民の支持を仰いで、国民の意思に沿って動く事ばかりが優先ではないようにも思う。国民の支持を仰ぎながら、国際社会での日本の位置を明確にしてゆく必要もある。

日本の官僚の能力も非常に高いものがある。彼らと争う事ばかりが政治とも思えない。

また、国民生活を最大公約数的に保護する事が政策の本位とも思えない。

政権公約を踏まえて、立候補者の超えに耳を傾けて、誰が政治を行おうとしているのか、国民一人ひとりが判断して票をいれ、その総意を考慮して公約を修正しながら、国家のあり方を未来に問う政治を実現してほしいと思う。

クリントン元大統領の訪朝は事前協議の元に行われた外交であると思う。速やかで、しかも、したたかで、そしてなんといっても、北朝鮮の立場を立てて、謝罪する。

自己主張、自己の正当性を鼓舞するだけでは、日本の政治もまとまらない。1票にこめられた国民の声を聞ける政治家の出現を望みたい。

北京オリンピックの余韻を、わずかに引きずっている感じを受けながら、新しい選手の胎動を感じる今回のローマ世界水泳選手権であった。印象的だったのは、背泳ぎの2人である。松田キャプテンの活躍も賞賛に値する。ポスト北島を狙った2人は、閃絡で失敗したのか?

また、自由形での日本水泳の健闘もあかるい材料のような気もする。オリンピックイヤーの翌年は記録が低迷するものだが、新型水着の威力はすごいといえる。一方で、来年から繊維水着以外はノーになるようで、選手の実力が勝敗をきめる本来の姿に戻ることも、新たな期待感である。

一方女子競泳人とシンクロは元気が無かった。何処に問題があったのか十分検討して対策を立ててほしいと思う。

私の見た目では、体幹部の筋力アップとスタミナのある筋肉のバランスが重要な気がする。

もうすこし解りやすく説明すると

1)体のねじれたわみをうまく使う事ができる伸びる筋肉群と左右のバランスアップ

2)長期的展望を元に、水に浮きやすく、しかも持久力のある筋肉養成メニューの作成

・・と言う事かな?技術分析は十分なような気がする・・などとえらそうな事を書いてしまったが、

水着が記録を生むのは今年でおしまいである。しかし、選手の素材としては十分な質量を持っている日本競泳の人材豊富さを感じさせた。

時下のオリンピックまではあと3年ある。十分な身体の基本構造のアップを図るには、単に泳ぎこむだけではすまないような気もするが、日本水泳界には優れたコーチが豊富なので、その動向を、1フアンとしては見守りたいものだ。

 

社会体験?

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毎年、恒例のように中学生の社会体験がロッククラフトでも行われる。今年はR河君が1日店員でがんばっている? なれない挨拶、なれないクライミング指導、用具のつけ方を教えたりで・・少しは緊張しているようでもあったが・・・挨拶が甘いな~と言う感じです。

今日は夕方から子供達も来るし、しっかりビレイもしていただこうかな!!

今日の小山は最高気温31度くらいですね。ただいまの気温は29・9度ですか・・熱いといってもそれほど暑いとは感じませんね。エアコンのないエコな生活に慣れてきたからかな~

しかし、練習はなんとなくだらけてしまいますね。昼間からJOCに向けての練習はきついですね。昨日は最高気温25度暗いでしたから・・・。

夕方から熱が入るかな~、ケイスケもR河も・・幸太郎は自宅で昼ねデすかね・・貴は来るのかな~

小学生は暑さにめげずに?がんばって汗かいていますね。夜は7時半からサッカーの練習だって・・最近は小学生もナイター照明付きで練習しているのですね。エコではないような気もしますが、熱中症に弱い子供も多くなったようですから、仕方がないのですかね?

子供達と向き合う

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ボクの教え方は一様ではない、一人一人対応の仕方が違う。ロックにかよう子供達はすべてがクライマーを目指しているわけではない。むしろクライマーを目ざしている子供は一部である。

目が見えなかったり、自閉症であったり、引きこもりぎみであったり、いじめにあっていたり、不登校であったり・・自分の居場所を探して、ここにたどりついた子供のほうが多いかもしれない。

物質文明が豊になった反動をまともに受けてしまった、繊細でやさしい子供達が多いのだが、見方を変えれば、協調性がない、自分勝手である・・などろレッテルを貼られてしまっているようでもある。

高度に成熟した文明社会は、社会に適応する子供達を育てたいと考えているようだが、子供達のすべてが社会適応性を持っているわけでもなく、社会が要求する子供になることを目標にしているわけでもない。

物事の考え方が一様であることが良いことでもなく、イエスかノーかが判断の基準でもない場合もある。

もっとも大切なことは、未来の人類あるいは子供達を取り巻く地球環境全体における持続可能性が何処にあるのかを判断する適応的思考こそが重要であるように、私は考える。

今日はこれかラ、自閉症といわれる子供が来るが、その子にとって自閉症という概念は何の意味も持たない。それは目が見えない子供にとっても、視覚障害という概念が役に立たないのとおなじことである。我々にとっては判断の一部の基準にはなるが、それらの子供(不登校やいじめにあっている)にとっては、客観的事実ではなく、彼らが直面している事実に対しての我々の対応であって、規則にあった対応は、子供達の求める対応ではないような気もする。

ある不登校で引きこもりになった子供を育てた母親が言っていた「出たくなければそこにいなさい。居たいだけ・・」と無理に部屋から引き出すことはしなかった、という。5年も歳月をかけたが、通信制の高校を卒業してイマは立派な社会人になっている。

ある子供(女性)は、中学では全国レベルの記録をもって将来のオリンピック候補とうたわれながら、高校2年で肩を壊して、家出して行方不明になり・・・しかし、今は27歳で幸せな家庭生活を営んでいる。将来設計もしっかりしている。

ある子供'女性)は、小学5年生から部屋に引きこもった。中学3年間もほとんど同じ状態だったが、高校進学と同時に学校へ通い、、イマは大学2年生になった。

同じ様に、今も不登校の子供も居る。原因はいじめの様でもあるが、自分に自信がもてないことも原因のようだ。

さまざまな悩みは、子供に限らず、親にも大きなストレスを巻き起こす。社会は、さまざまな闇の部分も抱えながら発展してゆく。普通じゃない子供はいない。あるいは片親の家庭だって普通の家庭なんだと実感させられる毎日でもある。

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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