続々・・というわけでもないが入ってくる。この季節は卒業と入学、さまざまな移動が行なわれる時期でもある。1年間楽しんでいた人が進学や転勤でこれなくなったり、舞い戻ってきたり・・と忙しい。
ボクは少し体調を崩してしまった。昨年末からの忙しさの生だったかもしれない。2年前の病気も影響があるのかもしれないが,あの頃よりはず~っと体調は良い。少し無理ができる体にはなったが慎重に行きたいものだ。4月は生徒たちも落ち着かない。進学して新しい環境に直面する。それは誰にもあることだが・・神経質になったり、希望よりも不安のほうが大きいようだ。
最近は体操関係のクラブやサークルに入っていた子供たちのクライミング体験がなんとなく多いようにも感じる。一方団体競技での人間関係に疲れた・・というか、小さな反抗期に直面して自分でも心の制御ができなくて反発する子供も多く発生する。親の心配も大きいようだ。
クライミングは個人競技であり、心と体と思考のバランスを育成するスポーツでもある。練習は全体練習ということはほとんど無い。自分のできるところ、楽しいと思えるところから始めればよい。
競技志向を持つことも任意である。難しい課題を制覇できたからすごいということでもない。自分の力にあった緩やかな変化であってほしいと思う。
しかし、スポーツだけでなく社会人になるとやはりいろんな形での競争が始まる。それは人間だ毛ではない。すべての生きとし生けるものに均等に与えられた事でもある。
金融経済がすべての上位に属する・・というわけでもないが、儲かることが勝ち・・というような社会になってしまったのは少し残念だが、そういうことに反抗して自分の生き方や自分が持つべき文化とは何か・・を考える人を育てたいと、生意気なことを考える。
ボクの教育方針は「教えないこと」である。
たとえば以下の問題に答えよ
三角形の内角の和は幾つであるか?
1)180度 2)180度に近い 3)180度ではない
この問題は、どの答えも正解なのであるが、その考え方に至るプロセスを大切にしたいのである。
単にそう教えられた・・という答えは解とはいえない。たちえ文部科学省が認定した答えだったとしても、選択する理由が大事なのである。それはある意味で失敗を恐れない・・という気持ちの強さや心理追求へのこだわりに趣をおきたいからでもアル。
ノーベル物理学賞を受賞された益川先生は「真理とは、空想や、そうあってほしい・・という願望では究明できない」といっておられた。宇宙人が居てほしいとか、居るはずであるという合間ナ考え方ではなく、何故、宇宙人が人間とコンタウトを取らないのか・・ということが証明されれば、その存在は否定され、そこにある確立の破れを証明できれば実在する。・・ということのようだ。
あるいは時間を移動する原理(タイムとラベル)は物理的に存在しない・・とか、彼の考え方には一定の方向性がある。
また、彼は「存在はアンバランスの中に存在する」と宇宙の存在を自ら証明した理論を元に説明する。
クライミングにもバランスは大切な要素である。ボクは常に「バランスを考えろ」というが、逆説的にいえばバランスの調和が崩れていることが現実である・・ともいえる。
バランスとアンバランスとは常に隣接する関係にある。お互いを否定はできない。
たとえば文学的に数学を証明するには「数学とは非現実の証明をも含む論理」であり物理学とは「存在を論理と実験で証明するものであって、仮想では物理にはなりえない」ということであろうか。
しかし、アインシュタインの考え方には仮想も含まれるし、曖昧な答え(あるいは思考)を数学的に証明することも可能なわけである。
もう少し話を戻すが、益川先生は「数学は物理学の論理を証明する手段ではない」とも言う。すなわち何事もかかわりあって存在しているわけで、労働者が下等で経営者が上位に属する・・という考え方も存在しないのである。
また、日本は順位付けは差別にあたる、というが子供の能力を数字や記号に置き換えて偏差値的評価をすること事態がまた、差別ではないのか?・・など、さまざまな思考にはバランスとアンバランスが共存する。
宇宙が100億光年前のアンバランスによって成立したのであれば、バランスは取れないのである。常に存在は乱れ、破れ、混沌とするのである。そのことが秩序であると日本書紀には書いてあるのだが、そう考えると文学もまんざら「捨てた門」じゃないと思う。
なんか、理屈っぽい事を書いてしまったが、軽く読み流してほしいものだ。