2009年3月アーカイブ

5度の対決

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謙信と信玄は500年ほど前川中島での合戦で5度の引き分けに終わったといわれている。戦国時代のことである。少し遅れたがwbcでは韓日が予選から5度の対戦で雌雄を決した。最後に笑ったのは『心が折れかけていた』というイチローの活躍によってであった。

wbc2連覇は、用意されていた舞台に立つ選手によってもたらされたのである。よく名選手には舞台がある、といわれるがまさに延長の舞台裏はイチローのために用意されていた舞台といえよう。

「ご馳走様でした」と難なく答えるイチローには心が折れかけていた微塵もない。それが名選手たる所以でもあるのか、まさにイチローのすごさを改めて崇拝してしまった。

と同時期に読売巨人軍のいぶし銀といわれた土井正三のドキュメントもやっていた。幻の足といわれた本塁への突入。誤審と書かれは主審岡田は「確かにホームに足があった」というが、ビデオでは、足をホームベースに置くどころか、その前に弾き飛ばされている・・という感じでテレビをにぎわせていたのも記憶に新しい。長島は「踏んだのか」と聞く川上監督も「踏んだのか」と聞く。信玄は「およそ軍勝五分をもって上となし・・」と言ったといわれる。すなわち戒めをもって、引き分けくらいのほうが完勝よりも緊張感があり油断もできないので良い」という事なのだろうか、故人は多くの戒めを後世に残すものだ。

では、ロッククライミングというスポーツは何が勝ちで何が負けなのであろうか?

何段をいくつ登ったとか・・コンペで何回勝ったのか?「そんな事とクライミングの本質とは違う」とはクリス・シャーマの言葉である。その後いろいろ長い話もあったが、考えさせられた。

今日は体調が良くない。さまざまな疲れが鬱積しているようだ。勝てなくなったらクライミングを止める・・勝てなくなったらクライミングをすることは苦しくなる・?

それはやはりクライミングの本質とは違うと思う。そんなときは少しクライミングの世界から遠ざかり、遠くから眺めてみたらいかがなものいであろうか?

君にも才能はある。クライミングを捨てた事を後で後悔するよりも、少しはなれて傍観してみると、自分にとっての「クライミングとは何か」を、教えてくれるかもしれない。

クライミングをしないのもクライミングの練習なのである・・・。

ユース選手権結果

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http://homepage2.nifty.com/jfa/compe/2009/data/jfa_yc09.pdf に総合結果が出ています。

おかげさまで、男子ユースA拓磨が2位 女子ユースA平井悠希が3位でワールドユース出場

男子ユースB6位 塚田遼河が6位でアジアユース出場となりました。

男子アンダーユースB6位 野村真一郎という結果になりました。今年はよくやったと思います。

せっかく決勝に進出しても実力を発揮できなかったのは・・負け惜しみでしょう。予選で敗退したのも実力です。コンスタントな練習を積み重ねれば、結果を恐れる必要はありませんね。

さあ~4月29日を目指して、明日からもう一度、基礎から積み上げてゆきましょうね、ロックのユースチームの皆さん!

全体的な感想

アンダーユースBの実力は男女とも驚異的な進歩を遂げているようだ。3年前のJOCならば、5.11B~Cのオンサイト能力があれば優勝可能ラインであったと思うが、決勝に進出した選手の中には男子で5.12Cクラス(レッドポイント)女子でも5.12a(オンサイト)の技量を持ちながらも、表彰台を逃す選手もいるという現実は驚異的である。

少なくとも、今日本を代表する選手の中学2年レベル以上であるり、中にはそれを超えている選手も少なくない。特に女子選手の層と質の高さは急激な進歩を促しているようだ。男子の選手についてはほとんど名前と技量を把握しているが、女子選手については数人を除いて、まったく未知の名前である。その背景には地域での系統立てた強化が進んでいると思わざるをえない。

女子においては関東などの首都圏に一定基準を超える選手が集中しているのではなく、日本各地に才能のある選手が散在している現状は、非常に喜ぶべき現状であるといえる。男子の奮起を促したいものだ。またこのクラスは圧倒的に千葉県の強さが目立った。組織的な活動が背景にあると思われる。

栃木県においても男子の才能あふれる選手が多数出現している、気持ちを折ることなく、継続して続ければ必ず結果はついてくると思われる。女子においては新5年生になる女子がロックには5人ほどいる。まだ、どの子も5.10aクラスを楽しんでいる段階だが、2~3年後には大会に送り出したいと考えている。事ロックに関して言わせてもらうと、この世代の女子はロープクライミング、男子はボルダーにはまる傾向がある。な、好きな事を中心に、あんまり強いる事をせずに見守りたいものだ。

ユースBには、まさに天才的な力を発揮する女子選手が多数いる。おそらく参加した女子選手のオンサイト能力は5.12以上ではないかと想定される。12人と参加選手は少ないが、中学2年の野口啓代さんクラスが10人近くいる・・という印象を僕は持っている。そんな彼女たちがこぞって17~18歳へと成長した時が、良い意味で脅威である。

男子においては決勝に進出した選手のレッドポイントは5.12cクラスであろうと思われる。オンサイト能力はわからないが、22位に甘んじた早川幸太郎(ロッククラフト)でもフラッシュで5.11dをこなしている。おおむね2ヶ月以内には5.12レベルに到達しそうな勢いである。ボルダーの才能は高いが気持ちが小さくて、大会の雰囲気に呑まれてしまうが、、時間が解決するかもしれない。

日曜日の大会の翌日はおおむねレストかと思いきや、早くも練習に熱が入った子供が10人ほどロックを昼間から賑わせた。参加した選手も4人ほどきて、4月末の大会へ向けての練習に入った。おかげで僕は、午後1時から9時までほとんど休み無く練習に付き合わされた。気持ちを強く持つ事も、明日に希望を持ち常に基本運動を繰り返すことも大切な事である。機能の失敗の原因も少なからず反省し分析できるようになってきた、中学生グループもスタミナや洞察力アップの練習に打ち込む。汗をかくことと、失敗を恐れない精神は、やがて彼らの心に強いものをもたらすであろう。

僕はユースなら5.13以上を登れないといけない・・とは思わない。自分にできる事を一つ一つ積み重ねた結果が13へそして14へと向かう気持ちにつながってゆくものだと思う。一歩一歩確実に、今の自分にたりないものを積み重ねてゆく事こそがクライミングであると思う。

更なる次を目指して、練習は裏切らない事を信じて、進んでほしいと思う。

 

男子のリザルトhttp://homepage2.nifty.com/jfa/compe/schedule/info/boy_result.pdf

女子のリザルトhttp://homepage2.nifty.com/jfa/compe/schedule/info/girl_result.pdf

という事で、一喜一憂しています。

男子について

予選で惜しくも敗退?した選手の仲には、面識があったり、生意気にも指導させてもらった注目すべき選手もいる。カテゴリー別に見ても、アンダーユースもほぼ実力が接近しているが、ユースB以上のクラスだと、20位前後まで実力格差がちぢまっている様に見受けられる。このことは今回のユース選手権では20位に甘んじたが、夏のJOCなどの大会では決勝に残る可能性を感じる選手がいる・・ということでもアル。特定の選手が群を抜くという時代は終わったようにも感じられる。また、その裏返しとしては、有名選手が会えなく予選落ち・・という結果もありうる・・ということである。選手の成長は「如何に伸びしろをもって育てるのか」ということにもつながると思う。4月29日に行われるジャパンユースカップでも波乱が起きる可能性もある・・ということであるが、期待したい。以下カテゴリー別に感想を述べておきます。

アンダーユースの男子には原石がたくさんいる。ここは栃木県の選手が多くて、ジュニア育成の成果が徐々に現れているようでもある。どの子が・・というわけではないが、勝つことよりクライミングの本当の楽しさを味わうような練習をすべきであると考える。まだまだ考え方が確定していない時期でもあるし、身体の成長にどのような遺伝的傾向があるのかも未知数である。健やかに成長するやわらかい練習が今後を決めると思うので、あんまり形にこだわらず、身体に基本バランス(左右差)を是正することを心がけてほしいと思う。皆、始めて出場した大きな大会であったので、緊張したと思うが、この緊張感が大会である。緊張感と楽しめる心の育成が一番大事かな~・・。

ユースB男子には、かなりここで練習をしていた選手がいるのだが、残念ながら予選で3人が敗退してしまった。残念というのもなんだが、昨年までは参加するだけのレベルにしか過ぎなかったが、それぞれが戦えるところまで成長しているのも事実であろう。スタミナはあるが、諦めが早かったり、いい感じで練習しているのだが、大会の緊張感に常に負けて、あるいは結果を意識しすぎて、ギクシャクしてしまう選手。大会前の練習に意識が集中できずに、サボってしまった選手など、さまざまな背景が存在する。ここ3ヶ月良い練習をしたといえるのは、遼河のみだったかもしれない。しかし、3人もしくは4人が切磋琢磨して、ここまで来たのは、チームとしての連帯意識とライバル心の賜物なのかもしれない、決勝に残りアジアユース選手権参加の権利を獲得した選手には賞賛を贈りたい。しかし、予選で敗退した選手たちには、4月29日の大会もしくは夏のJOCで更なる上を目指してもらいたいものだ。このクラスには非常に強い選手が1名いて彼の独壇場だと思っていたが、大会では波乱があったようだ。

ユースA男子は非常に選手層の厚いカテゴリーでもある。決勝進出には決勝常連の一角を崩さなければいけない・・という重い圧力のかかる世代でもある。そろそろクライミングの志向性が芽生えてくる時期でもあるので、指導者は多様に考えるべきでもアル。音階のメンバーに常連の選手が数人出場していなかったが、志向性が変わったというか、コンペ以外のクライミング思考に向かうということなので、それも選択肢であると考える。いいや、むしろコンペこそクライミングの僅かな一部であって、それ以外のクライミングへ向かうということは、むしろ歓迎すべきことかもしれない。幸いにもロックにかつて通っていた2名が決勝進出したのはうれしい限りでもアル。しかし、そろそろ決勝へ・・と考えていた選手が会えなく予選敗退は必然といえばそれまでだが、JOCなどではユースB時代にサプライズを起こしていたので、あきらめず練習を続けてほしいと思う。あえて名前を挙げるなら、匠の躍進はうれしい限りである。

ジュニア男子については、栃木の選手が決勝に進出したのは非常にうれしい、このクラスも層の厚さが著しいが、地道な努力の結果であろう・・ミツル・・おめでとう。本来であればこれからが本来躍進すべき世代であるのだが、コンペ思考が薄れ行く世代でもある。自立してゆく・・というえば奇麗事の様でもあるが、もう一度基本に立ち返り出直してほしい選手も多々存在する。発達心理学的に考えるなら、前頭葉の発達期を迎えるこの時期に、安易な方向へは進んでもらいたくは無い。才能を持っているのであるから、よい意味であきらめる(明らかに見極める)思考に目覚め、もう一度奮い立ってほしいものだ。そしてもっと多くの人材で競い合って、厳しい日本予選になることを期待したい。

女子について

こちもアンダーユースBからジュニアまで、参加選手の半数以上に決勝進出のチャンスがあったように思います。比較的層の薄かったジュニア女子部門も層が厚くなり、戦える選手が多くなってきましたね、以前は参加するレベルの選手が大半を占めていましたが、確実に厚くなっています。特に西日本がすごいですね。東京、大阪、名古屋、神戸などから参加選手が少ないのは気になりますね。協会が主導して小中高校に働きかけるしかないような気がします。民間レベルでは限界があると思いますが・・?

特にリード壁の設置には莫大な費用がかかりますので、現状の民間レベルでは到底無理です。

さて、本題に入りましょうか

女子アンダーユースBは全国から17名の選手が参加しました。僕が名前を知っている子供は4人位です。決勝に残った子供でも3人くらいしか名前の記憶がありませんが、10名を超えるくらいが紙一重という印象を受けました。3年くらい前なら、1名のずば抜けた選手を5人くらいが団子状態で追う・・という感じでしたが、層の厚さを感じます。このまま地域のレベルを数的にあげてほしいものです。ロッククラフトにも小学4年生(心5年生)の女子が5人ほど居ますが、おおむね5.10bレベルまで来ています。続けてくれれば成果も現れる・・未来の原石ですかね。

女子ユースBはかなりハイレベルで強い選手の多いカテゴリーです、参加選手は12名ですが、そのほとんどが5.12レベルのレッドポイント能力以上を持っています。むしろこのクラスの決勝進出する男子と同等以上のレベルと言っても過言ではないような気もします。このまま順調に伸びてゆけば、オーストリア以上の選手層になりそうな気配を感じます。特にリードよりボルダーのレベルは全日本クラスともいえると思います。本人たちはまだ半分子供ですが、大きな期待を持てるカテゴリーだと思います。

女子ユースAは女性としての成長期にあたる層ですので、体が成長過程にあると急に運動能力が落ちたりする年齢ですので、特に注意して育成したいところです。おおむね7人くらいの力が拮抗していますが、能力がありながらも大会に出場できなかった選手が多いのもこのクラスの特徴でしょうか?多少技術に癖というか得意系か否かで順位がめまぐるしく変わりそうなカテゴリーでもあります。バランスの取れた体つくりに指導方法をシフトできると、さらに層の厚くなる世代になるような感じを受けますが・・・

女子ジュニアは、ほとんどが高校生から本格的にクライミングを始めた世代だと思いますが、2年前にはサンカするだけだった選手が確実に成長しています「高校生からクライミングを始めたのでは遅い」と思われがちですが、彼女たちの成長はその考え方を否定する画期的なことだと思います。何事も本人のやる気と熱意を受け止める環境があればこそだと考えます。おおむね大学進学など新しい人生を歩むわけですが、クライミングの環境にも彼女たちを支援できる土壌ができることを期待したいですね。僕個人としてはこのクラスの女子は一番尊敬に値する世代だと考えます。

 

明日はユース選手権である。おおむね11歳から19歳までのユース世代の日本1を決める大会の一つであろうと思われる。ロックからも8名の選手が参加する。

それぞれ胸に描く事は違うであろうが、勝つ事が全てではない。君たちは発展の途上にいることを忘れないでほしい。

勝って官軍になるよりも、負けて目覚める事のほうが重要である。

勝たなくては意味が無い・・というクライミングは、クライミングの本質ではない。この言葉はクリス・シャーマが残した言葉である。

Good Climbing・・そんな感じが、良い感じかな?マ、がんばってね!

強化選手の皆さんへ

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ミストラルで練習があります

人数 5名

日時 4月1日(水)

集合 午後1時ロッククラフト(午後8時ロッククラフト帰着)

開場 ミストラル

用意するもの クライミング用具一式、食事飲み物など

主に5・11以上のオンサイト能力のアル、小学6年生以上でスクール受講生

不明な点は

 体組成測定検査開始

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体組成測定とは、身体の基礎代謝量、BMI、体脂肪率、筋肉率、水分率、骨率などの測定により、頭部を除いた各部位(四肢、体感筋肉量、左右バランス)を上腕、前腕、上肢、下肢、大腿、下腿、体幹などの各部位ごとの左右値を㎏単位や割合を%で導き出しで、現状の身体バランス測定数値に置き換え、個々人の身体の組成をどのように補正すべきかという事を科学的に検証する検査であります。

この検査を受けますと、身体のバランスを構成するに当たっての練習方法や意識すべき基礎訓練の方法が科学的根拠を元に検証できます。

主な対象者は、今後クライミングアスリートを目指し練習している選手か怪我や病気などで身体のバランスを崩している一般の方です。

測定結果は日常の基本練習に活用いたします。

その他不明な点がありましたら、お気軽に向井までお問い合わせください。

対象年齢  16歳以上

費用 1500円

測定場所 おばら鍼灸接骨院

 

 

 美意識について

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何がクライミングの本質なのかを議論するというか、考えるとき、ふと『美意識』という考え方にたどりつ事がある。クリスとアエラを囲んでユージさんと大ちゃんがそんな話で盛り上がっているのを考え深く思った。それはクライミングの方向性とか未来とか夢目標と言われるものとは違う次元の話ではあるが、彼らは、そんな会話をごく自然にしているのである。まるで日本文化論における「つつましさ」とか「粗相」とかあるいは・・と考えていた矢先クリスが「侘び寂びって・・どんな意識なんだろうか?」と唐突な質問をしたときの驚きに似ていた。それをユージさんや大ちゃんもすんなり受け入れて、千恵さんに質問していたが、なかなかわかりにくい言葉の形而下での真理をこんな場所(宴会)で話し合うなんてボクにとっては、正に想定外の心境であった。

彼らがクライマートして共通点を持っているのは、もしかしたらそんな美意識に対して発生する共通点なのかも知れない・・とその成り行きを見守っていた。

クリスは畳という文化がもしクライミングにあったなら、クラッシュパッドは畳だったかもしれない?

いいや違うな、クライミングという文化が日本発祥なら、畳が文化として皆が持ち歩いていたかもしれない、クラッシュパッドがクライミング文化を特定の方向に仕向けてしまった・・というような奥の深い話をしていたようにも思う。

クリスが言った「ボルダーというプロブレムの限界」についての話も非常に興味深い話であった。

彼が現在住む、スペインの在る地域には、彼が美意識を感じるプロブレムが散在しているという。すなわち精神を刺激する・・というプロブレムのようだ。彼はパッションという言葉で、そのことを表現していたが日本的には「侘び寂び」を感じる課題なのであろうか。例えを変えるなら「禅によって導き出された境地を感じる課題:」ということなのかもしれない。

箸の使い方が非常に匠であった。まるでクリスは日本人の箸を持つという文化を心得ているかのごとく、刺し身をつまんだり、蕎麦を啜った・・のであった。「おいしい・・」という彼の言葉には確かに社交辞令的な文言ではなく、感性に訴えてくる経を読むかのような精神が言葉の端はしに感じられた。

ボクは幸福であると感じた、3日間もこんなに楽しく日本人クライマート時を過ごすくリスがここに居ることに・・。

クリスとアエラを囲む5人の日本人クライマーとの心の交流は、新たなクライミングの方向性を示唆しているような感覚をボクに与えた。

具体的には9a,9b±だのもしくはそれ以上という課題の難易度ではなく、彼らはいかなる美意識をもって岩という作品に向かうべきかを語り合う、後期印象派に画家たちのように純粋に新たな淘汰の可能性をさぐる芸術家の集団のように思えたのボクの錯覚なのだろうか・・・そんな、意義深い3日間の出来事であったと思う。

久々恩師との再会・・

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久しぶりに名古屋にも寄ってきた。10数年ぶりの名古屋は恐ろし位に道路網が整備されていて、名古屋インターが判らず、驚いた。我が学び舎「愛知学院大」はおんなじ雰囲気でもあったが、郊外というより、名古屋の中心に聳え立つ・・という雰囲気であった。

ボクがすんでいた名古屋市名東区本郷3丁目は地下鉄本郷駅から歩いて3分の小高い丘の上であったが、ものすごい高層ビルやら高速道路のジャンクションが入り乱れていて都会のど真ん中の様でもあった。勉学?と部活(クライミング)の合間に僅かに思い出されるのは、懐かしい恋かな~・・?そんな彼女もいいおばさんなのだろう・・か。そこから先生の自宅までほぼ20分という至近距離であったが為に、大学時代は部室と研究室の往復、そして部活が終わると、先生の自宅通いの毎日であった。先生が学会などで京都や東京出張のときは(毎週最低2回)は名古屋駅までお迎えに行く・・。そして朝は先生の自宅で朝食・・奥さんが居ないときは晩ご飯つくりもした。懐かしい~思い出がたくさんある。先生の自宅もビルの谷間・・というか、あの頃は、広い空き地のなかに、ぽつんと数件の家があっただけなのに、通りは車で密集し、一方通行だらけで、たどりつけないかと思いきや、薄れ行く記憶はしっかりと残っていて、懐かしい門の前にたどりつくのにさして時間はかからなかった。インターフオンを押すと奥さんの懐かしい声がした、この門をくぐるときはいつも心臓がバクバク言っていたが、今もあの時と変わらない。一時は体重が45キロをきっていたという先生は意外と元気であった。それはボクもおなじである。2年前には52キロまで体重が落ちてしまった。毎日毎日、先生に殴られるためにくぐった門が今ここにある。しかし、あの時と違うのは、少し年老いたやさしい先生が居ることである。ボクの病気と先生の病気はほぼ同じ時期であった。お互いに「また、生きて再会しょう」とは少し大げさであった。8年前に会社を立ち上げる少し前にも先生と喧嘩?して「あんたがどちらに行くか決まったら、僕は何処に行くかを決める」とわけのわからない言い合いを下のを思い出す。すなわち『死後、ボクは先生とは会いたくないから、先生が天国に行くか地獄に行くか決まってから、ボクは自分の行く場所を決める』という話である。お互い「いい歳」して何とか元気だったのだろう。

そんな先生も歳をとった。今僕の前にいるのは、創造できないくらい「やさしすぎる先生」であった。

「時々は遊びに来い、そして今度皆で会うときは、お前たちが還暦を迎えたときだ。その前にオレが死んだらお祝いだからな」と元気を取り戻した先生が居た。「お前たちの頃は一番楽しかった。今は単なる先生と生徒の関係だ」とボソッとつぶやいた。「お前たちを殴った頃が一番楽しかった」と人生を振り返る先生。3卒業して30年。変わったものもあるが、変わらないものがあることも、改めて思い知らされた。

巷ではWBCに日本が沸いている時間である。

 

ただいま~

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久しぶりに長い旅をしてきました。現地集合だったのですが、クリス、平山さん、大ちゃん、保科、堀君等のすごいクライマーたちと一緒でした。詳細については、大ちゃんやユージさんのブログを見てください。ともかく22日のイベント以来楽しい3日間でしたね。スペインの話はすごかったし、スライドショーやクリスの人柄とも十分接することができました。こんなすばらしいクライマーと一緒にセッションした皆さんやチームロッククラフトのジュニアチームはどんなエキスをもらったのでしょうか?クリスがつれてきたアエラさんも5.14を登るすごいクライマー(スペイン女性)です。性格もやわらかいし、品格も備わったすばらしい女性でしたね。

クライマー5人と取材スタッフなどこんなにこんなに大勢(18人)で新規のエリアに居ることは不思議な気分でした。写真などの公開はしばらく差し控えますこともご了承ください。

平山さんのブログにもありましたが、クリスは「こんなところに課題があるの」みたいな所にラインを発見していましたね。すごいエリアです。いくつか開拓をして、大ちゃんの3段も拝見しました。堀君や保科も開拓していましたね。どの岩も素敵なラインが明確にあったり・・です。平山さんも日没近くまで熱くなっていました。

夜は皆でパーテーでしたが、堀くんだけが未成年で水を飲んでいました。クリスを囲んで5人のクライマーは夜半までクライミング談義に花を咲かせていました。クリスは日本文化に非常に興味を持っていて「わび、さび・・って、どんな文化?」とか難しい質問をしていましたね。意外と日本人のほうが「わびさび・・」という刹那な日本文化とか宗教(仏教)的な心の姿勢(アテーナ)などの意味や考え方などは意識していないかもしれませんね。

クリスはここ3年くらいクライミングジムにでの練習はしていないようですし、ボルダー課題はまったくトライしていないようでした。しかし、ここの岩場は特にお気に入りのようでした。岩も一緒に過ごしたクライマーもすごい人たちでしたから、楽しかったのでしょう。ロッククラフトでも「Good zim・・Good event ・・」とつぶやきながらロックのジュニア選手と楽しんでいたのが印象的でした。

しかし、新エリアの岩場での目線は、さらに輝きを増していましたね。公開が待たれます。

お酒もかなり飲めるようで、桜島という焼酎をがんがん飲んでいました。それは皆も同じか!

クライミングに架ける情熱は、心に持つものが繋がっているなら言語や宗教やそのたの文化や生活習慣が違ってもクライミングという共通文化が彼らを親密に煮して、理解しあいそして楽しい時間の共有や独特の空気が伝わってくるのだな~とおじさん(自分)は思いました。

平山さんを中心にして、何かが始まりそうな気配を感じましたが・・

最後にクリスと別れる前にとった写真がこれです。

ここでの公開写真はこれだけにしてきます。

いざ.jpg チームロッククラフトと.jpg も理亜柄.jpg 最後.jpg

プロジェクトも含めて

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遠くからお越しの皆さんも、ボルダーワールドカップに出場する選手も、ただ見るだけのお客様も・・皆サン楽しんでいただけたようです。シャーマ、ユージ、大ちゃんも含めて皆で作った課題を残しました。3月26日(木曜日)には、それらの課題を楽しめますので、皆さん是非ご来店ください。特にクリス・シャーマのジム課題は日本初のようですし、彼自身が「最近は、クライミングジムに行かない」と言っていましたので、貴重な課題になると思います。特にプロジェクト課題はユージさん曰く「かなり難しいや」という課題のようです。ボクは色々追われていて、何もできませんでしたが・・。

明後日は、また3人と集合して、僕は、石磨きに参加します(課題を作ったりして?)集合時間に間に合うかが少し不安ですが・・・。

今回のイベントにはイボルブスポーツのYさんには特にお世話になりました。改めて御礼を申し上げます。ま、明後日お会いしますが・・。

何も写真が無いのですが、皆で飲んだ「これいける」・・エナジードリンクを紹介しておきます。

追伸  redbull.jpgT君、ボルダーワールドカップ頑張ってください、皆が応援していますよ!

ユージさん、大ちゃん、ありがとう!

ひとまず、先ほどイベントは終了しました。サイン会まで充実した時間であったと思います。ちなみにまだ、仙台チーム、山形チーム、栃木、茨城各チームと大ちゃん、ユージコーチが、シャーマの残した課題などを楽しんでいます・・というか、さらに熱に入った、練習をしています。BWCに向けた練習かな!

忙し過ぎて写真一つも撮っていません。しかし,シャーマは『楽しいイベントだ」といってくれてのが幸いです。

詳しいこは後日・・・です。今日は多数来店いただきまして、ありがとうございました。

心が折れかけていた・・

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あのイチローがそんな心境に立たされていたなんて、想像もできなかった。イチローも人間なんだと改めて思った。精彩がないので、ボクが監督ならイチローと福留をはずしてキューバ戦に望んでいたかもしれない・・などと勝手なことを考えた。ボクにとって福留もイチローも必要な選手であるからだ。そして、もしキューバに勝てたら二人に喚起を促せるかもしれない・・と。しかし、イチローは立ち直った・・と思う。決勝トーナメント行きは確定したので明日は軽く韓国を7回コールドでたたいて置く。韓国も明日は軽く流すのだろうが・・。

そんな勝手な予想をしている自分がおかしいが、ボクもいろんな意味で「開き直りガ必要なんだ」と思う。韓国チームの日本への闘争心は群を抜く。見習わなければならないだろう。

今回のイベントで(クリス・シャーマ来日)一番緊張しているのは、ストーンマジックの店長と社長なのかもしれないな~と、ふと思った。後3日後か・・

ま、もろもろのことは忘れて、明日は思いっきり侍ジャパンを心から応援しよう・・と、思った。

さて、話題をクリス・シャーマの話題に移す。ひょっとするとクリス・シャーマも人間である。噂によるとクリスは平山ユージさんにあこがれてクライミングの世界に身を投じた・・とも言われている。事の真偽は定かではない。しかし、もしそうだったとするなら、クリスも緊張しているのかもしれない。ロッククラフトの良さはローカルな環境にある。いいやそれしかない!であるとするなら、リラックスするような環境を提供できれば最高のもてなしになりのではないか?

あんまり遠くの存在と考えず、カリフオルニアから親日家であり、仏教も含めて日本文化に親しみをもつクライマーが遊びに来た・・というような、おもてなしができれば最高なのかもしれない。

硬く考えずに、やわらかくお迎えしたいと・・思うのだが、できるであろうか・・不安は募る。昨年、リサ・ランズが来日したときもロッククラフト川越でお迎えしたが、彼女も相当疲れているようであった。また参加下さった皆さんも遠くから眺めていることが多かった。もう少し近くに、僕たちが心を開いて、歓迎しようではありませんか!

 

 

ワルキューレ?

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意味不明な言葉が、一昨日の話題であった。ワルキューレとヒトラーの暗殺計画との因果関係が解からず、調べること、調べること・・。ヒットラーの暗殺計画についてはたくさんの仮説がある。おおむね42回位の暗殺計画が国の内外であったようである。4年位前にもそのような題材の映画があったようにも思う。僕は確かBSで見たのだと思うが「ヒットラー 最後の12日間」はかなりリアルな感じでどきどきしながら見たような気がする。結構長い映画であった。同じように史実に忠実な映画としては「ミュンヘン」も手に汗握って見た記憶がアル。アポロ13も同じであった。「シンドラーのリスト」はユダヤ人の「カラーパープル」は黒人の人種差別を扱った映画であった。なるほどと思えることが多くて、映画であるという印象より、こんなことも歴史にあったのかと深く考えさせられる映画であった。そのような映画は「キリング・フイールド」や「エレファントマン」「ジョニーは戦場へ行った」などさまざまな差別や倫理感を問いただした映画や小説は数え切れない。

おそらく日本においても文学は軽くなったのは「なんとなくクリスタル」あたりからのような気もするが、いつの時代にもそんなことはあったのかも知れない。重い歴史を軽妙にかきおろすのも文学だし、重いまま書き綴り、その真意を民衆に問いただすのも文学の仕事なのかもしれない。

歴史の重さ軽さについては堀田善衛の文学に多くあらわされる言葉でもある。ボクは「インドで考えた」から「ゴヤ」「日々の過ぎ方?」「歴史の長い影」「路上に人」あたりが記憶にある。

話が頓挫してしまった。ところでワルキュールとは、どこかの神話(北欧)の神様の名前のような気がして、皆と話していたが、どうも今度封切られるトム・クルーズ主演の映画の話のようだ。42回もの暗殺計画から逃れて、43回目の暗殺計画によって、ヒトラーが暗殺された・・というフイクションかな?という勝手な詮索は見事に打ち砕かれた・・シナリオが新しくない!!せめての救いはトム・クルーズが主演ということか?話題ばかりが先行するが、歴史をノンフイクションタッチで攻めるのか、あくまで娯楽としてフイクションで行くのか・・最近の映画は妙に非現実的な映像技術にお金をかけすぎているようにも思う。演技事態で人をうならせる・・そんな映画は半世紀前に置き去りにされてしまったのかな?

マ、いずれにしてもキリストに教化される以前の北欧ならびにゲルマン民族の古典的な神話の世界に視線を向けさせる効果は大きいと思う。単にヒトラー暗殺計画(戦死者を選ぶ者)という意味の言葉として理解するのではなく、その深遠にあるものを考えることになるといいのだが・・単なる娯楽映画でないことを、祈るのみである。

何を質問しようかな?

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クライミング界のスーパースター3人がロックにやってくる日が近づいてくる。緊張感でいっぱいだ。こんなことをしてしまってよかったのだろうか?と悩んだことも多々あった。しかし、今日からは開き直っている自分を感じる。普通に・・自然体で彼らの何を引き出せるのか・・自信は無い。進行はほとんど平山さんにお任せにした。僕では荷が重過ぎる。21日(土)のストーンマジックではどんなハプニングが起きるのか?そして、順調にそれらはロッククラフトに引きるがれるのか?又、イベントに来店したお客様たちには満足感を与えられるのか?不安はいっぱいである。しかし、見えない未来におびえていても仕方が無い。ここは腹を括らなければ・・と、一気に開き直ってみる。

幸いにも大ちゃんとは毎年お会いしてさまざまな話をある程度は忌憚無く話せるようになってきたが、それでもやはり緊張感はある。

ありきたりの質問だが、

1)クライミングを始めたきっかけは何ですか?

2)そして、ここまでのめり込んだのは、クライミングに、どんな魅力があったからですか?

3)普段はどんな練習をしているのですか

4)練習で一番気を使うことって何ですか

5)目標とか,夢とか言うことを設定してここまで来たのですか?

6)今の自分をどう思いますか?

7)昨年の成果を自己分析してみてください

8)今年、もしくはこれからの目標にしていることはありますか?具体的なこと、あるいは夢のようなことでも、お話していただけませんか?

9)3人はそれぞれのクライマーをどのように見ていますか?

など、いろんなことがツギから次へと出てくるが、3人を前にして「白けてしまったらどうしょう」でも、千恵さんも居るし、その辺はうまく行くだろう????

一番心配なのことは・・こんなスターたちをロッククラフトに呼んでしまったことに対する、罪悪感のようなものがボクの心の中にあることだ。大それた事をしてしまった。

しかし、大それた事は過去にも多々ある。技術や体力経験も無いのに・・

1)初めての海外登山は未踏峰が良い、とか。2回目の遠征はエベレストだ!とか決めてしまった。

2)始めて参加した岩登り競技会で偶然にも優勝してしまったこと

3)インド登山財団に直接電話して、日本人未踏の山の登山許可を取ってしまったこと(かなり先生に叱られた)

4)ネパール政府の観光大臣S氏に「初めてお会いできてうれしい」という言葉をネパール語で話して意味不明の挨拶をして困惑と爆笑を与えたこと。どういったのかは、倫理に反する言葉なので、ここには書けません

5)ネパールの新聞に「400ドルで1日ジープをレンタルしたバカな日本人」・・と書かれたこと(そのくらいお金があれば、1日ヘリコプターのチャーターもできたらしい)

・・などなど、数え上げたら、きりが無いほど、失敗談には事欠かないボクである。

ま、そうやって50年も生きているのだから、いまさら訂正した人生はおくれない・・と思う。

失敗といえば、子供の頃には、すごい失敗がたくさんあったことを思い出した。

1)小学校2年生のとき、工事現場からダイナマイトを見つけてきて、秘密の場所に隠したこと・・それから2年位は、爆発しないかと心配であった。

2)小学4年生のとき銭湯の湯船にウンチを落としてきて「3丁目の坊主はウン子たれ坊主」と町中の人に揶揄されたこと(もっとも恥ずかしい事件であった)

3)小学5年生の時、転んだ拍子に記憶喪失症になった事、これでボクはさらに有名になってしまった

4)小学6年生のとき、バイクに無免許で乗って(あたりまえだ)町に一人しか居ないおまわりさんに現行犯で捕まったこと。このときは刑務所に入れられると思っていた。

いろんなことが思い出される。今となっては楽しい思い出である。

楽しい思い出といえば

1)初めてキスされたのが中学1年の3月の終わり頃であった・・顔が破裂するのではないかと思われるくらい、熱くなり・・いたたまれないほど恥ずかしかった。しかし、これは相手の方が上手であった・・ということだろう。

2)中学2年のとき、1週間に4通のラブレターと3件の告白を受けた・・人生での絶頂期だったのか?あらから女性には縁がない?

3)中学2年のとき、感情が切れてしまって(理性を失って)2階の教室から窓枠を投げ捨ててしまった。おかげで校長室に呼び出され、校長先生と初めて対談?した。校長先生は「元気がいいな」と一言だったような気がする。この話には後日談があるが、ここでは内緒にしておく。

こう考えると、僕は結構やんちゃだったのかもしれない、少年時代のエピソードは、こんなところにしておく。つまらない話を書いてしまったが、飾りの無い事実である。

2009年3月22日(日)は、いろんな意味で楽しみな日でもある。

参加される皆さんも、何か質問を考えてくるといいですよ!?

 

 

 

今日のネットで、「松坂は逆球を使った」というコメントを見た。逆玉とは逆の玉の輿かな~と、ちんぷんかんぷんなことを考えてしまっていたのであったが、クリックしてみてその理由がわかった。すなわち「捕手の構えた所とは違うコースに投球する」と言う事だったようだ。たいしたことでは無いようでもあるし、確かに試合を少し見ていたら、捕手の位置とは逆のコースにボールが来ることがあった。素人の僕には「荒れているのかな」という印象しかなかったが、あえてそのような事を時々していたようでもある。むかし巨人に堀内と言う投手がいたが「彼はコントロールが悪い」と言うのが定説であった。逆に阪神の小山(たしか?)という投手は「針の穴を通す技術}を持っている・・と言われていたが、どちら本人もそのことを避退していたように思う。その真偽は定かではない。いつも200球近くの球を投げて、はらはらの完投をする堀内は危なっかしくて見ていられなかったが、しかし、その頃はよく野球を見たいた。その「はらはら感」が良かったのである。対照的に小山は1試合で100球も投げずに完投してしまった。小さかったのであまり記憶には無いが、あんまり面白い試合ではなかった。

むしろ村山の悲壮感漂うザトペック投法とか江夏の目にも留まらぬ快速球で打者をばたばたと三振にとるすごさのほうが印象に深い。

しかし、針の穴を通すコントロールと言えば星飛雄馬「巨人の星」でしょう。非現実の世界での出来事(漫画)をまるで自分でも可能にできるではないか・・と思ィ、毎日200球の投球練習をしていた今日学校の頃を思い出す。しかし、6年生の夏休みの最後の公式戦では僕ひじは壊れてしまった。いわゆる野球肘だったのだろう。整骨院で治療を受けながら、治療の痛さと悔しさで涙が止まらなかったのを今でも覚えている。当時の監督(南三チーム)は「試合は向井で行くからな」と明るく見送ってくれた。1回戦13対2くらいで5回コールド負けが僕の公式戦デビューであった。しかも野球はそれが最後の試合であった「練習は僕を裏切った」とその当時は信じていた。

翌年、南三チーム(北海道本別町南三丁目野球チーム)は地域大会で初優勝をした。南三チームのエースナンバーはボクにとっては誇りであり、永遠の憧れであった。祝勝会には僕も呼ばれた。昨年のエースとして・・しかし「去年はまったくだめだったのに、今年はすごかったね~感動した」という大人の酒宴での発言に、僕は心を硬くして『もう2度と野球なんかするものか』と心に誓ったのであった。ボクの怪我を知っていたのは、家族と監督だけである。昨年以上に僕の心は傷ついたのだった。中学1年生のときだった。

余談が多いが、それからボクは、サッカーと剣道に打ち込んだ、スピードスケートは半分あきらめていた。しかし、右ひじが伸びない僕は剣道からも見放されたのだった。

そんな事を、松坂の投球を見ながら考えている自分が不思議であった。野球は僕を裏切った。練習も僕を裏切った・・というそのときの感情は、今は何処にもない、あえて言うなら「練習は裏切らない」といつも生徒に言っている自分がここにいる。裏切るのか裏切らないのか?それは心の位置の問題なのだろうと、今は確信するが、子供たちには教える事の難しい心の問題でもある。

ロッククラフトは生徒の能力が高いので、(ロック先生の能力は低いが)やがては気づいてくれると信じているのである。

人類が月面に始めて立ったのは1969年の頃であった。正に夢の実現である。とうじ12歳だったボクには「月のウサギ」のほうが現実だったのかもしれない。それから数年して、再び月に向かうウサギではなく人類の挑戦が始まるのである。さまざまな紆余曲折があり隊員の選考は難航したようでもある。アポロ11号が初めて月に降り立った時、船長のアームストリングは「わたしにとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩だ」というような言葉と共に月面に降り立ったような気がする。その冬にボクは月面着陸船の模型を買って眺めていたのを思い出す。

ありえない現実は、正にその数年後に起こった。正に最先端科学技術の粋を結集した宇宙への旅がそのプロローグ(序章)にて、ありえない困難に直面したのである。確か月のもっとも大きなクレータに着陸して、地球の成り立ちの原因を探る・・という壮大なテーマがそこにあったのだが、エンジントラブル?などでアポロ13号は宇宙の塵になってしまう・・という現実に直面するのである。ありえない失敗がそこにあったのである。そのことをいち早く検証した本がある。僕としては辛口の政治ジャーナリストであまり好きではなかった立花隆の「宇宙からの生還」である。この本は胸をわくわくさせて読んだ記憶がある。いままであんなに嫌いだった立花隆が大好きになった瞬間でもあった。本人には失礼な話であろう。これほどの洞察力を感じたのは「隠された十字架・法隆寺論」梅原猛著以来であった。

人類の探検史には利益を度外視したさまざまな試みが行なわれている。北極点や南極点へのたびやエベレストなどの高峰への旅などのそれに属すると思われるが、エベレスト登頂にいたる悲運と栄光の旅より、ボクは「世界最悪の旅 悲運のスコット南極探検」は当事者ではないがガラードの卓越した想像力が史実として刻み込まれている名著であると考える、立花隆の「宇宙からの帰還」もそれに匹敵するノン・フイクションであると。ボクは評価している。

アポロ13号の場合も「ありえない生還」と言い切れるのではないかと思う。映画では広島に単身赴任している1995年に見た記憶があるが、手に汗握る映画であった。大気圏に突入する角度を目視で図るシーンが特に印象深い。船長のジム・ラベルを演じるトム・ハンクスがさらに好きになってしまった。良い演技だったと思う。

時として、ありえる可能性を模索して、わたしたちは岩壁を見る。そこにはありえない可能性が見出されるときがある。人類の歴史とはそんなことの積み重ねであったようにも思う。幾ら科学が発達しても人間を超える人工知能はありえないと思う。思考の柔軟性や未確定な要素を含みながら、建設的な思考的発展など、機会には託せ無い。曖昧でどこかに不安材料があり、未確定で予知できない現実があるから、人生はむしろ、楽しいのである。

ボクが始めて「挑戦」という言葉を認識したのは「かもめのジョナサン」を読んでの事であった・と思う。ジョナサンという名のカモメが正に猛禽類のごとく、滑空訓練を自分に課す。その映画がボクを冒険へと導いたのかもしれない。それは、えさをとるための手段としての滑空から、空を飛ぶ、という行為市のものに対して価値観を持つ、ということへの挑戦であった。ボクにとっての、それまでの挑戦は、単なる遊びで、少しの冒険性に対する本能的衝動であったようにも思える。ただ、もう少し成熟した人間として、この本を読んだとするなラ、多少はオカルトチックでもあり、抵抗感をもって読んだかも知れないが、あの頃は(高校生だった)、単に自分の不甲斐なさを払拭する手段を模索していたので、画期的な作品であった。当時の流行作家五木寛之の翻訳・・とお言うことも大きなインパクトだったのかもしれない。

ありえない事は人生にの常に隣人として、わたしたちの傍らに居る。もしくは自分の中に住み着いているのかもしれない。ケーテの「ファウスト」のメフイストーフェレルの存在のように、一見ありえない存在が、実は人生や自分を支配しているのかもしれない。「若きウエルテルの悩み」はぜひ読んで頂きたい作品だ。又、手塚治の作品に「百物語」「ネオ・ファウスト」などがあるが、ゲーテの影響を色濃くのこす作品である。手塚の作品にはどこか全体が「ファウスト」として括れる様な、そんな一連の流れを感じるのは、やはりボクの思い込みのせいなのであろうか。

コロンブスの発見にも立ち会えず、南極点やエベレストなどの到達にも立ち会えなかった。ボクらの世代にとってはアポロ13号の生還は、同時代的な体験として、ありえない人類の生還であり、事実である。今後人類の英知と科学の発展は、月や宇宙空間での基地の建設に移り、火星やその他の惑星への旅も始まるのであろう。宇宙人との接触もマジかに迫っている・・と言えるのではないか。

ありえない生還、。人類はまだまだこれからも、ありえないことへの挑戦をし続けるのであろう。と、ふと思ったのさ・・(><?)

 

 

 

心を鍛える

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試練はいつもトップを目指すアスリートの傍らに居る。正に隣人(試練とは隣人)といってもいい。1960年代圧倒的な強さで世界選手権を5度制覇した鈴木恵一というスケート選手は、オリンピックでは成果を上げることはできなかった。同じように1980年代圧倒的な強さと美しさでスケート界に君臨していた黒岩彰も同じであった。その頃アメリカにはダン・ジャンセンというスプリンターも居たが彼もオリンピックでは常に魔物に取り付かれているように、成果を出せずにいた。3度目のリレハンメルでも、500mを終えたときには、すべての希望は消え去ったような感じであった、という。それを救ったのは黒岩彰の一言だったと言われている。ジャンセンは後に言う「勝者には多くの友人ができるが、そんな友は、敗北と共に消え去る。ボクが本当の困難に直面しているとき、ボクを救ってくれたのは黒岩彰の一言だった」と。

同じようなことを黒岩彰も言う「勝つことが宿命である、といわれている自分が勝てないと、マスコミはこぞってボクを非難した」と。その頃黒岩は、激しい練習をある意味では捨てた。眼を閉じ瞑想にふける。それをマスコミは「練習もせずに、ただ寝ている」と揶揄したのである。彼を世界の頂点に立たせる後押しをせずに・・。

このようなことはトップアスリートには常に付きまとう試練でもある。それはトップであるがための試練でもある。

アスリートはピッチの上ではライバルであるが、憎しみの対象ではない。むしろ多くの信頼関係の上にライバル関係は成立する。

サラエボの敗北後、黒岩は「心を鍛えた」・・という。何度も何度も、オリンピックの舞台で「最悪の環境を想定したイメージつくりに励んだ」という。すなわち、4組アウトスタート・・という想定である。彼にはそんな舞台が2度用意されていた。それまでのオリンピックでの勝者は3組以内、すべてインスタートであった。

このイメージ戦略はコーチと築き上げたものではない、むしろ彼のコーチは1984年サラエボの責任を取ってコーチを辞めていた。黒岩はたった一人で心の戦略を練ったという。

盟友ダン・ジャンセンとは今も固い友情で結ばれているという。

札幌オリンピックの後、鈴木恵一も、リレハンメルオリンピックの後、黒岩もたった一人で靴を脱いだ。もうはくことも無い・・盟友である、スケート靴を・・それは厳かな儀式でもあるかのように、私の目には焼きついている。その後黒岩は「コーチは靴を脱ぐ」と言っていた・・と記憶する。ボクにとっては印象深い言葉であった。コーチが教えるのは自分の滑り方ではない。そう黒岩は確信していたのであろう。その黒岩が昨シーズンからスケート界に帰ってきたようだ。彼は再びコーチとしてスケート界の舞台に立つ。期待したい.。

コーチとは、多くの理論に精通し、あるいは膨大なデータ分析に優れているとか、多彩な練習メニューやプログラムを持っている・・ということではなく、多くの困難と試練を携えてこそ、選手の心が見えるものなのかもしれない

 

タケシは自閉症だ

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卒業その1

タケシは自閉症である。かなり多動的傾向にある。ほぼ1年彼を見守っている。皆が来る時間帯のときは大変であった。特にボクと二人になることを最初は嫌ってさまざまな悪さをした。1時間以上も碁石を投げあったこともある。僕と二人にするのが怖いのか、母親は道の向こう側でこちらの様子をうかがって居たこともある。養護学校の先生と来るときは、比較的落ち着いているが、それでもだめなときは大変だった。その彼も今春中学に進学する。大きくなったものだ。このような子供はおおむね思春期を迎える頃から、又、大変さが増す。体の成長に心が追いつかないのか?いろんなジレンマを抱えているのか?定かなことは解からないが、今日は小学校の卒業を知らせに来たのだ。

午後8時頃からの練習だと、体が眠いのか?落ち着きを欠く、一方、パソコンに使い方はすごくて、あっという間にぼくのPCで「機関車トーマス」を探り出す。初めて使うPCを、そのすばやい洞察力で使いこなす能力は、正に神業である。もう一人の自閉症の子供、ヨウヘイ君も同じである。彼はものすごく明るい子供だ。はきはきしていて「はい」という返事もさわやかだ。

比較的午前中は心が安定しているようで、一生懸命に登る。きゃっきゃ言って登る。その背中がたくましくなってきた。しかしこのような障害を抱えた子供が、一方で中学生以降にロックに通う事は極端に少なくなる。男の子は力が強くなり母親には制御できなくなる。養護学校の先生との協力関係が無ければクライミングは続けにくい。しかし、タケシは登る。元気よく楽しそうに登る。確かな成長を感じる、始めた頃は満足に壁に立つこともできなかった。

彼の姿は正に「風に立つ光」のようでもある。神々しくも感じる。これからもロッククラフトは卒業しないで、時々はクライミングしに来てほしいものだ。

桜の花が咲く頃は、いろんな意味で、小さな灯火が風に揺れる季節でもある。

卒業その2

ほぼ昨年からであるが、ロックの生徒も中学から高校進学を迎えるようになった。8年間の歴史がそこにあるような気もする。クライミングスクールの第1期生も今春には中学2、3年生になる。あっという間に成長してきた。この子たちは幼稚園の年長から小学1年生で始めた。山登りに連れて行ったり、宿泊合宿したり、夜中中騒いだり、花火大会、肝試し・・焚き火やBBQや魚釣りに行って魚をさばいたり、川で泳ぎに行って、近所の人に叱られたり・・と、たくさんの思い出がある。まだ、大ちゃんが来ない頃に野立て岩にいって外岩体験をしたり・・ハイキングで遭難ごっこをして青ざめたり(ボクがわざと道を間違えて・・)大騒ぎの連続であった。そんな子供たちが突然大人に見えるのである。言葉使いやら挨拶など、いつの間にか普通にできている。以前はアンナに「廊下を走るな。ジム内でボールをけるな」とボクは一人で騒いでいたような気もする。

しかし、4時半~6時半のジュニアクラス(小学生以下のクライミングスクール)は相変わらずである。ボクも少しは慣れたのか、相変わらず叱るが、気持ちにはゆとりがある。真剣に練習などできなくて良い。腕白におてんばにクライミングしながら、英知を養い遊ぶことの本質を楽しんでもらいたい、昨日も5歳対決があって、勝った一人は喜び、負けた子供は泣いて落ち込んでいた。どちらもへろへろになるまで6mの頂上を目指していた。そんな子供のうち誰かが、いつか、8848mの地上の頂点を目指し、あるいは、世界選手権などの大会を目指し、あるいは、平山ユージさんや小山田大サンが打ち立てた金字塔に挑む時代が来るのかもしれない・・という期待感を僕は抱いてしまう。

あせた無くてよい、しっかりと自分の行く末を見極めながら、今日一日の最善を尽くすことも大事なことだ。いっぽう、緩やかにサボりながら気持ちを整理する時間も大切な練習でもある。自分を極めること、自分を許すことも大切な練習である。

卒業その3

教育とは何か?問いに一つの回答を見出すことはできない、教育とは子供たちを数値に置き換えることではなく、子供たちそれぞれにある世界一を引き出すことであると、最近のボクは確信するようになってきた。時々思い出す言葉がある。マーサ・グレアム「血の記憶」の言葉である。「貴方以上の他人は居ない、自分を信じないで何を信じるの」というような言葉である。彼女はダンサーであった。確か、1991年頃亡くなった、20世紀最高のダンス教師とも言われている。

「多くのことを子供たち、あるいは生徒に教えることが教師の宿命ではない。むしろ、どれだけのことを生徒から教わることができるかが、教師の本質である」それは僕の先生の言葉である。

卒業おめでとう・・と言う言葉より、ボクはむしろ、ここに居てくれて「ありがとう」という言葉を君たちの贈りたいと思う。

また、一見、統合されていないように見える子供たちの行動には、実は調和を目指した、もろもろの力の統合性を考量した本質が見えるような気がする(調和し得ない緒力の束)

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風に立つ光の話

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何処で聞いたのかは思い出せないが、おそらく大学時代に永平寺に参禅に行った時の館長の言葉の中にあったのだと、僕は思い込んでいる。「風の中に立つ光は決して揺れる事は無い。いいや、光とは風だけで歯なく、何事にもゆれないのだ。人間の心はいつも揺れる。まるで灯火のようでもある。仏の教えとは、風に揺れる心を正すものではなく、人間とはそういうものだと言うことを知ることにある・・」記憶違いだったかもしれない。

風の無いところに立つ灯火は揺れない。これはヨガの教えである。人間の体はいつもゆれていてとどまることを知らないが、それは心が揺れているからに他ならない。心と体を一つにする事によって、人心は一体化して風の無いところに立つ灯火のように慣れるのである。そのような心境を見出すための修行で一番大切なことは呼吸である。呼吸を整えることこそ、ゆれない灯火のような心を体に宿す行為である。

同じような言葉でもあり、まったく対照的な言葉でもある。

私たちはいつも神と仏の間に生活している。端的に結うと祝い事は神に祈り、弔いごとは仏にすがる。要するに自分にとって都合の良いところに助けを求める。

いつの頃から、このような文化を、私たちは携えてきたのだろうか?ふと考えることがあるが、皆さんはいかがであろうか。

因果という言葉がふと脳裏をよぎった。仏教でいう因果である。原因があるから結果を招くのである。そんな簡単なことを知らずして、あるいは知っていながら、人は常に煩悩とともに生きる。煩悩とは心を乱し迷わす心の動きであり、推定108あるといわれている、除夜の鐘は煩悩を滅する為に撞く(つく)といわれているが、そんなことを知る由もなく、我々は大晦日の鐘の音を聞く。

ヨガの起源は定かでは無いが、紀元前2500年くらい前にインドのモヘンジョ・ダロ遺跡に、座法を組み瞑想する神々の像がすでに存在していた。これは歴史的事実の最古であろうと思われる。ヨガとはもともと「馬にくびきをかける」という言葉で、馬を制するように人心も制御しようではないか・・というところあたりから始まったのではないかと推測される。

日本においてヨガを始めて伝えたのは、おそらく空海という僧侶が806年頃、唐より仏教とともに日本に持ち込んだものと思われる、すなわち真言密教である。・・と言ったが曖昧な記憶でもうしくわけない。仏教が成立するはるか以前、であるから、キリスト教やその他の宗教など、ほとんどの世界宗教はヨガの弟子のようにも思えてしまう。

確かにヨガは国境や民族、文化による隔たりを持たない。また民族の対立を生まない。それは正に「風の無いところに立つ灯火」のようで、民族対立や戦争などの混乱の源にはならない。

インドが一見不合理に見えて、」6000年近くも安定した国家であり民族意識を持っているのも、ヨガの教えに追うところが大きいのかもしれない。しかし、インドには多くの混沌や矛盾が控えていることも、見方を変えれば、もう一方の事実でもある。

すなわち、風が吹けども光は揺れないのである。

このように見て行くと、風に立つ光がゆれないのも理だし、風の無いところに立つ灯火が揺れないのも理である。見方を変えようが、事実は事実、理は理なのである。

大会を前に心が揺れるのも理、大会を前に心を集中してよい練習ができるのも理なのであろう。

しかし、修行せずに理には近づけない。練習もしないのにうまくはなれないのも理である。下野ボルコンでは「うまくなって日本選手権に出場したい」とか「世界選手権に出場したい」という若い選手のインタビューが聞かれたが、それは大きな夢であり、実現不可能な未来の現実ではない。ボクも嘗ては世界の頂点を夢見ていた。そして今も、その夢に変わりは無い。

ただ、僕自身がその夢に向かうには、少し年をとりすぎたし、曲折が多すぎた。

一蓮托生という言葉があるが、今の僕は、その夢を君たちの人生に注ぎたいと考えている。去るものは追わないが、ここに来るものは何人も拒まない。そう考えているのだが、なかなかうまくはゆかない。いつも迷い、戸惑う。

いつになったら、風に立つ光となり、あるいは、風の無いとことに立つ灯火に成れるのか、皆目見当が付かない。

しかし、そんな人生の途上に、君たちと共に過ごせる時間があることには、この上ない幸福を感じるのである。それは、毎日あっている人にも、あるいは、たった一度しか会えなかった人にも、おなじ感情がここにある事が、事実であろう。

 

 

 

人生52年生きてきて、これほどの緊張感を味わったことが無い。それはクリス・シャーマの来日とあわせて、平山ユージさんと小山田大サンがロッククラフトに来るという現実にである。何処までが現実なのか、何処からが夢なのか・・皆目見当が付かない状態に僕の心はさいなまれている。この重圧はとても大きなもので言葉には表せない。何を聞くべきか、何を効いても良いのか、あるいは失礼なことを言わないようにするにはどうしたらよいのか・・皆目見当が付かない。

これは始まりなのか、それとも終わりなのか・・というような心境でもある。開きなおれ無い自分が歯がゆくもあル。それほどの緊張感である。

あるいは、魔界の浄玻璃の前に立たされている自分を感じるし、しかし、誰が魔界の大王なのかも検討が付かない。自分の弱さをこんなに感じることってあったんだ・・と、妙に納得してみる。あるお客さんが言っていた「ロッククラフトにとって、歴史的なこと」「2度と起こりえない奇跡」・・。そう言われて見て、なんとなく合点がいくようでもある。

少なからず、今回のイベントには反応がある、しかし、大きな反響というわけではない。そこら辺もボクの緊張感を高める背景となっているのかもしれない。

正直言って「逃げ出したい」というのが本音でもある。

ボクが始めてであった登山家は大学時代の恩師でもある湯浅道男であった。大学2年の頃だったと思うが、恐ろしくてとても近づけなかった。先生の気配を感じただけで、逃げ出したくなった。

それは今でも同じである。先生と言われる人にこれほどの恐怖と緊張感をボクは30年以上も抱いているのだが、その先生が最近、妙にやさしいことにも、とてつもない緊張感を感じるが、その原因はいまだに不明である。現実になってこそ、その緊張感の原因もしくは真実が消えてくるのかもしれない。

それとおなじことが、3人の来店に対してもある・・という現実は見えない恐怖としか言いようが無い。それほどボクは彼らを尊敬しているのであろうか?それとも、たかがロッククラフトがこんな大それた事をしてしまった・・という現実に、いまさらながらにおびえているのであろうか・・?

そこ答えは、22日にここにやってくる。ここまできたら、冷静にそのときを待つしかないのであろうが・・その心境を言葉に代えるなら

たとえ明日に

地球が滅びようとも

今日手にした1本の木を植える・・?

という心境であろうか・・。

そこまで冷静に地球が滅びた明日を想定して、木を植えるなんて、普通の神経ではできないことだ。この言葉は開口健の時世の言葉と、誰かに聞いた。開口健とはボクにとっては憧れの童話作家であル一方釧路川からイトウという魚を幻にした張本人であり、にくき天敵であった(勝手の彼のことをイメージしてのことで、直接の知り合いではない)

昔はこんな大きなイトウがここ釧路川で1日に2匹も釣れたのに・・というテレビCFが流れてから、静かで平和な僕たち子供の遊び場である、釧路川の様子は一変したのである。本州から押し寄せる釣り人たちに、僕らは叱られる日々となったのである。ここは僕たちの遊び場で、あなたち本州の人間の釣り場ではない・・しかし、大人たちは僕たちが釧路川で水遊びをする事を誰もが叱ったのであった。子供心には意味が解からず、ボクは本州から押し寄せる釣り人たちに怒りをあらわにした。1970年頃、釧路湿原はそんな釣り人のタバコの不始末から、焼け野原となった。山火事は3日3晩続き、無残な黒い景色だけをそこに残したのであった。そんなことを覚えている人間は、今となっては釧路にも少ないと思う。しかし。僕の父は営林署の職員として、最後の焼け野原となるまで、湿原の消火に携わっていた。帰らぬ父・・という言葉が,あの頃のボクの耳元で、一瞬ささやいたのであった。

湿原は多くのことを僕たちに教えてくれた。僕はそこでドジョウを焼いて食べたり・・・危険である場所は冒険への序章となって、やがてボクを山登りに導いたのであった。

本でしか知らなかった植村直己や加藤保男との小さな語らいの場も、アイガー北壁ダイレクトルートを拓いた鬼の遠藤二郎氏との出会いも、すべては湯浅道男先生との出会いが無ければ、ここまでは来なかったのである。人生にはいつも不思議な瞬間がある。しかし、大学時代に大好きだった彼女と結ばれないまま別れたのも、ボクの山に対する情念が、彼女との別れを示唆したのである。山登りをあきらめクライミングスクールを立ち上げようと考えていた矢先の」檜谷清との出会いも、山を続けていたからこそのの出会いでもある。

人生とは、いつも奇跡的な出会いの繰り返しである。しかし、それは別れとの出会いでもある。加藤保男氏も植村直己氏も、雪山に消えた。

消えるのが登山の美学なのか、生きてこそ登山の美学なのか・・?そんな問いかけを30年以上も交わしているが、いつもボクの山は目して語らない。

ボクはここで多くの同胞とであった。それは誰しもが無名であり激しい登山を営む必然性には追われていない。なんとなく楽しんでる。特に子供たちのクライミングは登山思想(アルピニズム)とは無縁である。声を大にして「登山とは」とは、今は語らない。限りなく実践することより、限りなくクライミングが楽しい・・と思える人(3歳から70歳まで)とのそれぞれとの山との語らいが好きである。むしろぎらぎらとした野心に満ち溢れていた、あの頃の自分より、今の自分の山に対する考え方のほうが好きでもアル。嘗てのボクは、山で出会った人よりも、山で失った人のほうが多かったのかもしれない。しかし、今はスポーツとしてのクライミングを楽しむ人たちとやわらかく楽しめる自分を感じる。

山との、始めの出会いは死との対面であったが、今の出会いは日常である。

日常とはつまらないことではなく、とても大切な「時の積み重ねである」ということが、少しづつ解かりかけてきたようにも思うのである。人生において「つまらないときなど、ひと時も無いのだ」と先生は言っていたが、そんなことを50を過ぎてから、やっとすこしづつわかりかけてきたようにも思う。

そんな人生の、積み重ねの途上に3月22日があるような気がしてならない。

それがボクにとって「とてつもない緊張感」を感じる背景となっているように感じている。

もう少しでそのときが来る、その日が終わったら、友人と一緒に、先生としばしの語らいのときを過ごしたい・・と思う。

いずれにしても人生とは「一筋縄では行けないものなのだ」

でも、まだ、よくわからない自分が、ここに居る。

調和を生む原理

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政治の世界では、国家人民の意識の調和を図るために「飴と鞭」政策がしばしば活用されている。この考え方は戦後社会や企業経営のあり方においても多様な活用を強いられた言葉でもあろう。人とはやさしさや妥協では心を一つにはできないものであり「心性の欲求には段階があり、人心を掌握するには方法論がアル」といったのはアブラハム・マズローの人間性心理学がはじまりであるといわれている、彼は欲求段階説を唱えた。

このような考え方は、オリンピックや世界選手権制覇を目指す各種スポーツにおいても近年までとりいえられていたようにも考えれれるし、一方では選手自身が過酷な練習を自身の精神や肉体に強いる事によっても、同じ事が行われているようにも考えられる。

脳科学の進歩はさまざまな恩恵を私たちに科学的データとして示唆してくれるが、だからといってトレーニングの基本が大きく変化しているとはいいがたい現状もある。野球においては、高校生の70%がひじや肩にサッカーでは膝や足首に損傷や怪我を抱えているようだ。クライミングにおいてもジュニアオリンピックのアンケート結果でも50%くらいの選手に指やひじ間接の怪我の履歴があるという結果が出ている。

身体の成長過程に合わせたバランス練習をユース世代の選手に施す事は、ある意味では勝つという成果を捨てる事にもなるので、指導者においても選手においても、なかなか取り入れにくい要素でもある。

選手の育成には「試練あっての成果」ではなく「体の成長に合わせた、バランス力の向上」を練習の主目的とできないのだろうかと、迷う事は多い。一方。若くして成果が出てしまうと、むしろ精神的な重圧との戦いが若い選手の心を蝕んでしまう事も少なくは無い。

若くして才能を持つ選手の本当の能力が向上して、成果を発揮するのは、17歳以上からで宵のではないかと、私は常々考える。

あせらず、じっくりと育成する。そこに心身の調和が保たれるときに、良い意味でのスイッチを入れてあげる。それが調和を生む原理になるのではないかと思うのである。

人間としての心と体の調和は19歳~25歳頃までに確立されると発達心理学は提言する。確かに脳科学でも前頭葉の発達と調和は19歳から21歳頃が活発になると言われている。

それまで待たずして、早く才能が開化することが良いのか、人間として脳のバランスが確立してから世界を目指すのが良いのか?

僕はあえて後者を選びたいと思う。

スポーツアスリートは、調和の取れた人間にのみ与えられる最高の心の勲章であると考えるからである。

 

ユース選手権に向けてなのか、4月に行なわれる栃木クライミングカップに向けてなのか?中学生の練習に熱が入ってきた。下野ボルダリングコンペでの良い成績に気を良くしたのか?その詳細は不明であるが、よい練習をするようになってきた。JMFの月報にもあったが、スポーツクライミングはまだまだ万人が認知するスポーツとはいえない。北京オリンピックでも公開競技にもなれなかった。また、JOCでのアンケート結果にもあるように、50%以上のユース世代の選手に故障が目立つ様でもある。成果を急がない・・という練習は非常に難題でもある。日本の教育制度による継続的な長期にわたる体つくりを伴った練習は、なかなか評価されない・・という一面のあるからなのだろう。毎日、密度の濃い練習を行なっている。4月からは中学3年生になる連中が特にいい感じである。ま、その感じがゆっくりと続くことが大切である。

一方、クリス・シャーマの来日もマジかである「歴史的一瞬ですね」とか「どうして、こんなことがあるのですか」とか、ローカルなここ周辺でも、小さな反応が現れてきた。ストーンマジックの店長の話によると「結構、問い合わせが多い」とか・・。ここ栃木は関東1のローカル県である。そんな空気は読めないのが現状でもあるが、今日は久しぶりにジムが盛り上がって、スーパースター3人の来店への空気も盛り上がってきているが、3月22日が来なければ、何も見えない・・というのがボクの素直な心境である。わくわくしているのは、ボクだけなのか、微妙な感じである。

しかし、小山ケーブルテレビは下野ボルダリングコンペの映像を毎日流してくれているし、とちぎテレビもクリスの来日の件も放送してくれるという。そう考えると、ローカルな盛り上がりもあるような気もする。

ボクの体にもスイッチを入れて、何とか3月を乗り切りたいものだ。今回の3人の来店にでもトークショーにはボクも参加させていただいて、いろんな話を引き出したいものだ。

ボクの今日があるのは、やはり平山ユージさんにあこがれた・・ということが始まりかもしれない。1994年にロッククラフトを創設したのは、世界から取り残されていた日本のフリークライミングを、世界に押し上げた、たった一人の天才平山」ユージサンにあこがれたからなのだ。もし、あの時、平山さんの空気をかげなかったら、今のボクも居なかったかもしれない。

それは、1994年にさかのぼるが、ボクがエベレストに行っていた頃、小山田大という人間の能力を終えた次元にいる天才クライマーの出現によっても、助長されたのだ。100年に1度の天才が僅か10年にも満たない近距離に2人も日本が生んだ、という事実は、ボクがクライミングスクールを小学生以下まで下げようと思う大きなきっかけになったことも間違いない。そんなに親しくは無いが、平山さんも大ちゃんも僕の名前を覚えてくれていることには、感動している・・というのが飾りの無い僕の心境でもある。

もし、あの時、二人(平山さんと大ちゃん)が「進化したシャーマとあってみたい」と言わなかったら、こんな話はありえない歴史・・と勝手に考えていた。ほぼ1年くらい前の話である。

偶然にもイボルブスポーツのY田さんとも意外と古くからの知り合いであったようだ。「あわせて見たいですね、可能ならば・・」そう、可能ならばあわせてみたい。そしてその瞬間に立ち会ってみたい・・と、ボクは勝手に舞い上がったのであった。

3人を岩場で合わせる。それも日本の誰も手をつけていない岩場で・・という、ありえない現実をイメージしての長い交渉は、幾度も暗礁に乗り上げた。まだ、実現したわけではない。

しかし、そんな現実が「いま、そこにある」

今年はフリークライミング全体が盛り上がっている。愛好者も増え、アスリートも増えているようだ。

いろんな意味で、スイッチが入ってきたような・・そんなクライミングの世界を感じる今日のほぼ日記である。

クリス・シャーマの来日に向けての、いろんな下準備はほぼ終了した。平山さんと大ちゃんとのコラボレーションが楽しみで、わくわくしている。当日はどちらの会場も午後3時からで参加料金もほぼ同じにした。混乱が無いように・・といゥ事であるが、参加者がどの程度集まるのかは、予約を取っていないので皆目見当がつかない。こんな怖いイベントも無いであろう?

一方、さまざまな個人的な懸案もある。その一番は、私の恩師とお会いする・・という話が浮上して、友人のS木さんと二人で会いに行くのだが、いろんな憶測が心の中で揺らめく。それは先生の健康状態の事でもある。先生とは以前「今度お会いするときは、告別式のときですね」と冗談を言ったつもりが『馬鹿、元気なうちに呼ぶから」と叱られた事を思い出す。

「これないか・・」と先生に言われたのは3週間前のことだった。電話の向こうの先生はとても元気で、とてもやさしく、やわらかく、昔の面影は無い「もう年をとりすぎたよ」と、やさしく笑っていた。1時間位の長話になった(奥さんとは30分くらい)・・であった。

故事に倣えば「百聞は一見」であろうか、久しぶりに学生時代のように「馬鹿馬鹿・・」とまるで僕の名前が馬鹿であるがごとく、馬鹿を連発してほしいのだが・・楽しみでもあり、少し不安でもある。

3年前に父を亡くした時も「そういえば中学2年生頃から、お前とはあんまり話さなかったな・・」とポツリという、病床の父が居た「オ、康宣さん、今日は・・オ珍しい・・」と父の老いと向き合ったときは、どのように答えて良いのか解からず、動転して、ただ、笑っていた。

複雑な心境がここにある。遠きに在りても、たとえ近くに居たとしても、同じ事かもしれないが・・フ複雑な心境がここに居るのは事実であろう。

追記(3・10)

そういえば元気だった父が突然脳出血で倒れたのが72歳のときだった。ロッククラフトを創業した始めの年である。2度目の出血であったが、実感の無いまま、時が過ぎた。「2週間目が山場です」と医師に言われたが、あまり心配はしなかった。多少はぼけていたが、元気な父が居た。なんとなく、老いて行く父が少し優しくなったのか、子供に帰ってゆくようにも思えた。

なそれから、数年後に3回目の脳出血である、医者の見解は二分した。脳外科の先生は、3ヶ月暗いかもしれないという、循環器関係の主治医は痴呆的傾向は進むがまだまだ長生きする、という。母は長生きするという説を信じて、自宅をバリアフリーに改造してしまった。150万円もかけて・・その完成を待たずに、父は昏睡に陥った・・それから2週間後の12月24日に他界した。死ぬときはあっさりとしたものだ・・とボクは感じた。通夜があけ、葬儀が終わりいよいよ出棺というとき、ボクは自分が誰だか解からないくらい動転していたようだ。「送る人」である僕は理性を失っていたのである。そして、人生でたった一度だけ、父に涙を流したのであった。

もう少し、話をすればよかった・・と、できないことを悔やんでみたが、後の祭りであった。

そんな思いをしないように・・先生が元気?な内にあっていただけるなら、会いたいと思う。

そんな心境をぶら下げながら、ホールドの洗浄やら取り付けに精を出す。少しづつ練習も再開した。さて、何処まで戻れるか・・ゆっくりと体を作ってゆきたいものだ。

 

 

そこに山があるから

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「なぜ貴方は、困難を承知でエベレストを目指すのですか」という質問に「そこに山があるから」(Because it is there)と答えたという。マロリーとう登山家は1920年前半からイギリスの国威発揚の命を受け・・あるいは自らの意志の基に8848mという大地の頂点である、その山を目指したのである。少なくとも、私が小学校のときから大学入学までは「そこにある山」とはエベレストをさす言葉であった。

その意味が意外と多方面にわたっていることを教えてくれたのは、今西錦司の「そこに山がある」という随筆であった。そこにある山がエベレストという特定の山ではなく、自分自身の山(あるいは人生)にこの言葉を使用しても良い・・という考え方を教えてくれたのは、この本であった。

小学4年生の時、2組の担任の伊藤先生が「エベレストにいった」という噂は小さな町のすごい噂であった。それは伊藤先生がエベレストが見える丘まで行った・・という事実が「エベレストの頂点に到達した」あるいは「エベレストを征服した」という言葉に摩り替っていたからである。おなじことは1994年の僕にもいえる。「エベレストの頂上はどんな世界ですか」と聞かれて「あまりにも遠くて、どかない夢のような所かな」と素直に「ベースキャンプ(5400m)までしか行っていない」といっても「すごいですね~」という、どこか勘違いしているような言葉が返ってきた。

そこに山がある

そこにエベレストがあるのなら、登ってみたい・・そう考えたのは1977年のことである。我が愛知学院大学山岳部がパキスタン・カラコルム山脈のブロードピーク(8047m)に史上で2番目に登頂した頃にそう考えたような気がする。最初に園山に到達したのは、ヘルマン・ブールである「8000mの上とした」は僕たちの聖書でもあった。当時のボクにとっては夢の世界であったが、ボクの同級生には「未踏の尾根から登るんや!」と強い意志を持っている男が一人いた。なんとなくであるが「あいつならいつか登るであろう・・」と思いながら、それでもボクにとってはそれが現実になった1994年の頃も今でも、あれは夢のままである。「エベレスト登頂」という本も確かあったが、今は無い、僕の書棚は本が消える書棚でもある。エベレストの本は多々あったが僕にとってのこの1冊は「エベレスト、その人間的記録(W・ノイス)」である。また「処女峰アンナプルナ(エルゾーク)」も古典的秀書であろう。少し硬いが読んでみるといい。

そこに山があるという言葉が抽象的になり始めたのは、この1994年の頃からである。すなわち「どんな山(裏山)であっても、山は山である・・ということと、1994年は商業エベレスト登山の幕開けでもあった。すなわちすべての準備をツアー会社が行なってお金を出すだけ(代金を支払う)でエベレストの登頂権利を購入できのである。そんな登山を仕組んでいたのが登山家ロブ・ホール氏であったが、数年がエベレスト登頂後、衰退したお客さんと共に、頂上直下でその命を失った。

1994年頃はさまざまヒマラヤ登山史上の憶測が、あるいは事実か否か問われている時代であった。この話は又、時間があれば書いてみたいが・・・今は時期早々かもしれない。

ヒマラヤの山を登るには精神に「アルピニズム」が存在しなければいけない・・というボクの概念が覆された年でもあったから、11994年とはとても重たい1年でもあった。

たかが山登り・・とはボクの先生がいつも独り言のように口ずさんでいた言葉でもあるが「されど山登りなんだよ」と怒りをあらわにして、真剣にヒマラヤ登山を考えている先生は、怖くもあり、しかし純粋でもあり、人間的であり、狂気でもあった。その頃からボクは先生とは一線を欠くことになるのだが・・

しかし、先生に内緒で始めたロッククラフトという活動・・会社を辞めて、その活動を仕事にしようと考えている矢先にも先生は「何を考えているんだ、会社を辞めてすることではないだろう。お前は自分をわかっていない。バカ野郎!!」と突然自宅に嵐のような電話がかかってきたりしていた。いつ何処で、ボクの企みを?を知ったのか?いつも先生の存在は謎であった。会社を設立したときは「開店おめでとう」と電話があり、花束も届いたが「如何に困難化、思いすれ!」とやはり怒っている先生がそこにいた。

そこに山がある・・裏山も山、エベレストも山、山には変わりない・・どちらがすごくて、どちらが劣っている・・ということではない。そんなことを先生は教えてくれていたのかもしれない。そう思うようになったのも、最近のことである。概念や理念に束縛されることより、純粋に山を楽しむ。それは具体的な行動としての登山行為を行なわない山登りだって、尊敬に値する行為なのである・・ということを教えてくれていたようにも思う。

スポーツとしての登山やアスリートとして世界の頂点を目指す登山(クライミング)も一つの文化になりうる可能性も今の登山界には存在している。むしろ若い世代には「精神」という一見重そうな言葉は不似合いでカッコ悪い。さらりとスポーツ、もしくはコンペ・・と考えた方が受け入れやすいのかもしれない。

そこに壁があるから登るのだ

その壁は、必ずしも自然の岩をさしてはいない、人工の工作物であったとしても、クライミングはクライミングなんである。たかが人工壁クライミング。しかし、されどクライミングである。

この「されどクライミング」を否定していたら、今日は無かったかもしれない・・そう思うことで自分の概念の矛盾を払拭しようと試みる自分がいる。理屈ではないことを100も承知していながら、理由付けをしたがる無能な才能がボクの頭の中にはあふれている・・のである。

こんなことは、いつの時代にもあったことである。新しいことを否定する一方、新しいことが古いことを凌駕して行くのである。しかし、古い概念や文化が深く人心にとどまるものも多々あるのである。

夢であった、アノ頃。1977年頃の自分にはすべてが夢であった。エベレスト登山もフリークライミングがスポーツとなりうる可能性も・・ましてや小学生がクライミングで遊ぶ時代が来ることなども、アノ頃のボクにとっては夢そのものであった。それは夢とは「実現し得ない現実」という考え方に支配されていた自分の思考では実現不能の現実である、という意味における夢であった。

Dream come realization(夢の実現)という意志を持つことの大切さを、山というか岩登りはボクに教えてくれたようにも思う。

1977年はさまざまな出会いと、眼から鱗(うろこ)の年でもあった。今で言うクライミングコンペが日本で始まった年でもある。僕もその末席にいた。何度の言うが中央アルプス、天狗岳で行なわれた岩登り競技会は確か50mくらいの岩を登って懸垂下降して着地するまでの時間の速さが勝敗を分けた。檜谷清の出現(優勝)はセンセーショナルであった、今となっては小川山といえばフリークライミングの日本の聖地のようであるが、その頃確か、廣瀬憲文が小川山クラックを登ったのが日本人史上初の5.9である。その頃の5.9は最先端の難易度であったのだ。その翌年、ヨセミテからすごい日本人クライマーが日本を訪れた。鈴木マンモスサンであるが、三重県鈴鹿山脈御在所岳藤内壁で行なわれた大会にエキシビションで登って、驚くべきクライミングを披露してくれたのが世界のフリークライミングを見た、初めての衝撃は大きすぎて、言葉にもならなかったが今でも心の映像に焼き付いている。その頃のクライミングコンペは登山靴、ハイキングシューズ、地下足袋、などが主流でクライミングシューズなどの存在はほとんど知られてはいなかった。同じくカムロックなるものをスイスのスネルスポーツから友人が買ってきて「どのように使うのだろう」と議論していたことを思い出す。フリークライミングがよちよち歩きをしまじめた時期である。記憶としては「とても新鮮で、楽しかった」しかし「手の上に足を乗せて登るな、3点支持の基本動作がなっていない」などと叱られた「速く登れって行ってたのに・・(優勝しても叱られた)」のだった。マ、その時のボクのレベルは、今の小学校の低学年レベルであったと思う。スポーツとしてのクライミングは1991年頃からの人工壁の日本での導入1998年頃からのボルダーにおけるB-セッションの導入をへて、ここ10年で恐ろしく進化したのである。今は日本も世界のトップレベルに居るといえるのではないかと思える。それほど層も質も個人の能力に依存していた1990年代前半までとは大きく変わったのである。

そこに山など無くていい

そこに石があり、クライミングジムがあればよい・・という感じに岩登りのイメージは大きく変化していったと言えるのではないのだろうか。

やがては「そこに大岩壁があるから」・・と2000mを越す、あるいは7000mを越える高さでのフリークライミングへと夢を育む若い世代のフリークライマーの出現も近い将来には、日本でもありうる・・のではないかと考える私の思考は、やはり飛躍のしすぎ、反社会的なのであろうか?

ヨーロッパと北米ではクライミングの文化に違いを感じる。そこにある風土のなせる業か、人間の持つ本質の違いなのかはわからないが、これからもう一度「そこに山があるから」と難易度の競争のみでなはく、違う意味での記録や記憶に残るクライミングに着手する人材の出現も、一方では待ち望まれる。そしてマロリーから100年の近い将来、違う意味で「貴方は何故そのような岩壁を登ろうと考えたのですか」という問いに「Because it is there」といとも軽く英語で答える日本人が生まれることを私は待ち望む。それを聞いた記者はその英語をどのように訳すのであろうか・・楽しみである。

さて、されど山登り・・しかし、たかが山登り・・山への思いも上り方も・・何もかもが変わってゆくが、眼に見えない本当の事はいつまでも変わらないと信じている。Dream come realizationである。

 

青い眼のワタル

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久々にワー君ことワタルのことを書く。彼はもうすぐ5年生になる。随分大きくなったものだ。4歳くらいで角膜移植?によって左目が光の強弱を解かるようになり、小学3年生頃には色や形などを識別していたようにも考えれれたが、最近は角膜がかなりにごってしまって、光のみを感じるようになってしまったようだ。しかし、青い、赤い・・そして白い光は識別できるようで、ほほえましい。生まれてきたときから全盲であったが為に、次第に見えなくなる現実には何の感傷も見受けられない。

昨年の夏の終わり頃からロープクライミングに挑戦するようになり、ロープにぶら下がって空中を散歩するような感覚が楽しかったようだ。あんなにロープを怖がっていたのに・・である。

今年になって、トップロープで6mの高さに自らの力で登ろうとする気力が生まれてきた。その成果はすぐに現れ、2月上旬には何とかへろへろになりながらも頂上にたどりつくようになってきた。最近はロックンロール(動く壁)にも積極的に挑戦して汗をかく。そして仕上げはロープクライミングだ。

今日は今日は初めて3回連続に挑戦させたのだが、2回目を終えてから、かなり抵抗していたが、頑として許さない僕に折れたのかしぶしぶ気力を振り絞り、3度目の挑戦をした。途中で投げ出すことも無く、涙を流すことも無く、のたうち周りながらも頂上を極めた。

大きな感動を母親とボクとワタルで分かちあったが、練習は、まだまだ先へと続くのだ。

そんなワタルの成長をいつまで見守れるのか・・センチメンタルになっているのは私だけであるが・・・。

さあ。登るぞ.jpg 2手ごわい.jpg 真ん中.jpg もうすぐだ.jpg             

ボルダーワールドカップ

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4月11日(土)12日(日)の両日に渡り開催される、ボルダーワールドカップ加須大会への参加日本人選手が決まったようです。JFAのHPに発表されています。http://homepage2.nifty.com/jfa/compe/ic/ic09.htm#kazo_bwc_jp

参加日本人選手は

男子 杉田雅俊 堀創 杉本怜 竹内俊明 渡辺数馬 伊東秀和 保科宏太郎 安間佐千         瀬戸啓太 大山史洋 松島暁人(補欠 茂垣啓太 村岡達哉 清水敦 小澤信太)

女子 野口啓代 小林由香 尾川智子 高橋恵 小川弥生 戸根木麻衣(補欠 萩原亜咲く 榊原祐子)

となかなか渋い選手ですね、新鮮な感じもしますね。補欠選手も日本開催なんだから出場させちゃえばいいのに・・と思うのはボクの偏見でしょうか?

 

 

世界からはどんな選手が来日するのでしょうか?また、日本人選手の動向は??興味がわきます。前売り券はチケットぴあで3月11日から発売されるようです。予選1000円 決勝2000円ですね

クライミング界にとっては売り切れ必死の?プラチナチケットですね。楽しみです

ボルダーワールドカップHPはhttp://www.bwc-kazo.jp/BWS.jpg

とちぎテレビの放送決定

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とちぎテレビでも放送されます。3月12日(木)、多分「イブニング6」(18:00~18:55)のようですスタジオにクライミングシューズとホールドを持ち込んでの半分ドキュメント?なんっかな~マ、楽しみにしていてください。又、3月22日に来日するクリス・シャーマの件も放送してくれるようです。

ありがたいことです。

小山ケーブルテレビでは

2月22日(日)に行なわれた「下野ボルダリングコンペ」の模様が、3月9日月曜日から「ふれあいネット」(6時~、12時~、17時~、22時~) で一週間放送されます。楽しみにしていてくださいね

DVDもできました、良かったらコピーしてお渡しします(版権元小山テレビ了承ズミです)

ユース選手権への道

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毎年、参加選手の数が増え続けるユース大会であるが、今年も盛況にようである。ジュニアからユースBまで、男女とも参加選手の名前に迫力と力強さを感じてしまう。なんとなく参加する・・という趣味の延長から選手権としての地位を確立しつつあるようにも感じる。ユース世代の強化を呼びかけた、JFAやJMFの尽力と地方の指導者の熱意の賜物のようにも感じるが、実は若い選手にクライミングアスリートとしての遺伝子を最も強く感じる。

自らの意志でクライミングに取り組み、練習を楽しみ、そして世界を目標に切磋琢磨する・・。遅れているのは中高校での部活での対応のみのような気もする。しかし、野球やバスケット、バレーボールや柔剣道がなどの既存のスポーツが強くなったのは国策としての戦後の国体の組織的運営によるところが大きいが、水泳やサッカーの体操競技の急激な躍進は、むしろ民間施設や育成するコーチの忍耐の賜物かもしれない。門戸を開くには膨大な布教の精神が必要なのであろう。

IFFCの世界戦略にもさまざまな紆余曲折があるが、国際スポーツとしてオリンピック化が前提であることも遠因として考えられる。

一方、夢をつなぐにはスター選手の出現も必要不可欠な要素でもある。

クライミングアスリートなら誰しもが平山ユージ氏を先駆者とみなすであろう。彼の世界デビューは1989年と20年前にもさかのぼる、あたしいようで、意外と歴史の根は深い。

それから、小山田大氏の出現は10年を待たなかった。平山氏にあこがれてクライミングの世界に飛び込んだ世界のクライマーの数は星の数ほどに膨らむ・・とも言われている。アメリカのクリス・シャーマや小山田大もそれらの星に属するようだ。平山ユージとはそれほど偉大な星でもあろう。

ほんの10年に満たない期間にこんなに世界に通用する選手を輩出するようになるなんて、僕には創造もできなかった。リード競技の安間佐千、小林由香、ボルダー競技では、堀創、や、すべての競技種目にその類まれな才能を開花させつつある野口啓代も輝く星となりそうな勢いである。

彼らはクライマーとしての優れた遺伝子を身にまとい、類まれな感性と洞察力、飽く無き練習の虫となり、夢の頂点を目指す・・あるいはもうすでに手に入れているのかもしれない。

其処に続く者たちの闘いが3月28日(土)29日(日)の両日に渡り、千葉県幕張総合高校のクライミング壁で開催される。高校の敷地内にこんなに大きな壁を作る千葉県の心意気の強さには敬服するばかりである。

昨年末には北海道札幌市にリードからボルダーまで幅広くクライミングを楽しめる民間施設も誕生した。あまり知られてはいないが、日本でいち早く人工壁を設置したのもサッポルであった。北海道は着眼が早い・・うらやましい限りである。

首都圏ばかりに集中する民間施設のボルダージムも地方に飛び火している。10年前には全国で20件に満たないクライミングジムも100件を超えたようだ。特に西日本~九州方面は層の熱さを感じる、歴史的にも血の熱い地域である。多くの商圏人口を抱えている首都圏にも、もっと強い熱気を感じたいのだが・・関西~西日本方面に押されているような印象を受けるのは、私の思慮の浅さであろうか?

個人の豊な才能に依存していたクライミングというスポーツも組織や地域、あるいは国家や国民の支援の下に育つスポーツとして発展する兆しが、やっと芽生え始めたようなきがする。

まだユース選手権には早いが、頑張れ、若き天才たち!

栃木クライミングカップ

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4月26日(日)は栃木県クライミングカップの日だ!ルートクライミングの大会として今年も開催されます。ジュニア~エキスパートまで、幅広く参加できます。ぜひ予定に入れてくださいね!

大会要項は 栃木クライミングカップ要項.pdf

申込書は 申し込み用紙.pdfです。よろしくお願いおいたします。

今日は下野ボルダリングコンペの反省会であった。ジムは休み出会ったが、昼間は秘密の出張があり、なんだかんだと忙しい。夜は反省会で10時過ぎまで話は盛り上がった。年内のジュニアの育成やらなんやら~で、酒も飲まずに頑張っている栃木県山岳連盟もすごい!

マ、自分ももう非と頑張りだ、22日(日)のイベントの件もある、体が3個あると少しは休めそうな気もするが・・良い方向に話が進んでいる。3月の後半は秘密の逃避行?で、4連休です。残念ながら「恋の逃避行」ではありません、大学時代にお世話になった先生の所に遊びに行くのですが・・それだけではありません?

少しづつ、夢・・が広がってゆくような感じです。今日も良い出会いがありました。

今日は娘に頼まれた、鉛筆とキャップ、シャープペンシルの芯を買って、これから帰ります。こんな時間に変えるのは僕にとっては早い方なんですよ

暫定的であるが、自分の記憶が消えないうちに少しだけ、この言葉を記録しておこうと思う。

この言葉は詩人アルチュール・ランボウが自信の思索に対する考え方を表現した時に用いた言葉だと記憶している。しかし、近代ポストモダン、あるいは構造主義などを語るとき(1980年代前半頃から)しばしばこのような言葉が近代思想や哲学、社会学、あるいは記号論などを言葉で表現するときに用いられてきたようにも思う。擬似理論や反社会的表現としての官能表現・・それは,ランボウのみにとどまらず、詩人マラルメ、ボードレール、ホイットマンなどや日本では中原中也や宮沢健治などの詩や文学研究などのおいても、このような思考が不可欠であったようにも思う。

「調和しない緒力」という概念はクライミングにおいてその行動や運動方法を魔術的あるいは非日常的、あるいは懐疑的であり非科学的運動であり、疑似科学的とも捉えられているような気のする。すなわち、クライミング経験のないものにとっては、非日常的な行動様式、あるいは非科学的運動と考えてしまいそうなスポーツであると言えなくもない。

非科学的、あるいは非現実的と考える背景には「垂直を登る」とう概念を認識できないスポーツの非日常性が思考の概念に根深く存在するからに他ならない。

それは、クモが天井を這い回ったり、ゴキブリが壁を駆けぬけるような、あるいは蟻が意識を持って集団行動を行なっている可能な錯覚を覚えることと何も差異が無いようにも思う。

まして、天井をクモの様に這う・・という行為を目撃すると、まさにクライミングは悪魔的でありサーカスのような感覚を植えつけてしまい。非現実であると思考が帰結してしまうのかもしれない。

其処に介在するのは、昆虫はその行動様式に意識や思考を伴っては居ないが、人間がその行動様式を見ると、其処に社会構造の意識が介在してしまうという錯覚を覚えてしまう・・と言う事から起きる現象でもある。人間とは、他のすべての行動様式には思考や学習認識が働いていると認識してしまう思考回路が脳に内在しているからに他ならない。最近の脳科学の発展にま目覚しい成果が見えるが、その行動様式を機械工学に置き換えて、人工意識から人工知能へ科学を発展させるには、まだまだ、何も手立ても見えないのが現状でもあろう。

人間と、その天井に広がる大岩壁の間に調和という概念は存在しないのである。

そのような概念を作品に残し、自分の人生や思考意識そのものを芸術の領域に昇華しようとした芸術家も居る。池田満寿夫はそのような心の領域の矛盾、すなわち調和し得ない緒力を自分の作品(あるいは自分の人生そのものを作品)として記憶に残した芸術家であったのかもしれない。彼の生き方はすべてがエロスに支配されていて、家庭に飾るには抵抗感を感じる作品やテーマが多いのが一般的な考え方であろう。

そういう言う意味においてクライミングというスポーツ文化も、日本人の文化的思考概念では「調和し得ない緒力の束」となってしまうのかもしれない。

文学において、当初、ランボウやボードレール、あるいはマラメルやホイットマンなどの詩は懐疑的でありあるいは直接的な文字による性描写であり社会に同化しえない文学と考えられていたようにも思える。マラメルはいう「何故、言葉で詩を表現できないのか」・・という概念と人生のほとんぞの時間を向き合った詩人でもある。

調和し得ない現実としての文学の出現は、近年に始まった事ではない、日本書紀においても混沌であることの秩序性を、あるいは因幡の白兎という伝承文学における、差別や自衛、排他と共存など考えれば限がないほど、その中にある混沌とは、正に難解な秩序である。

近代思想を考えるとき、ドルーズの哲学やガタリの統計学的思考との融合が構造主義やポストモダン主義を巻き起こし?あるいは現代の管理主義を招いたのかもしれない。個人の守秘義務を尊重しながら、町には監視カメラが氾濫する現在は、正に人間の行動を機械的に制御できるかのように共存させようと人間社会に侵食しつつある。それはロボット玩具に愛着を見出したり、ペットと同じような感覚で愛情を感じ育てようとする人間意識の曖昧さ、あるいは思い込みの強さという幻想に近代科学は寄与していると言っても良いような気がする。人間は自然から遊離して機械化学と結合しようとしているのであろうか・・さまざまな疑問が沸き上がってくる。

科学の発達も個人情報の保護?とはかけ離れた「緒力の束」となって逃れられない現実に束縛競れているような気もする。科学や文明という、あるいは便利さという文明に身体の能力だけを「見えない剣」として身にまとい無謀な挑戦をするクライマーの行動の非現実性は、安全思考の現在では、やはり「調和しない緒力の束」となっているようにも感じる。

 ロボット工学の先駆者であるA氏(歩行するロボットの下肢を1983年に実証した)は「思考を伴う人工知能を有するアトム(手塚治虫)は工学上ありえない概念である」と言い切る。それは人間が思考による思い込みであって、知識や経験によって学習する知能を機会では作りえない・・という考え方でもある。

クライミングという行動様式は、非現実的な人間の行動様式の認知意識に根ざす、特定な思考であって、非現実的な現象でも魔法でもなく、人間が成し得る事実である。

ゴキブリは気圧や風を体毛センサーで認識し、無意識に全速力で走る。その気は思考は介在しない・・と動物行動学者は定義している。蛾のオスはメスのフエロモンを認知するとメスの行動方向に追随する。其処にも脳の思考は伴わない。又、蟻は壁を登るとき、脚の先から粘液を噴出して、壁から落ちないように行動できるように仕組まれている。其処にも脳の思考は伴わない。あるいは水面に張力を与えることによってアメンボは水面に浮く仕組みを持っているが、ここにも訓練による脳の意識は存在しない。

人間の脳は25億以上の脳細胞で制御されている。しかし、昆虫の脳には10万個ほどの細胞しかない。その数は成人した人間が1日に失う脳細胞の数(20万個)の1/2ほどにしか及ばないのである、しかし、クモは3億6千万年、ゴキブリは5億年も生息しているのである、人間の700万年と言う歴史など、川面の泡沫であろう。

生物の進化の歴史をたどるならウイルスには及ばない、さまざまな説があるので、どの位の歴史をウイルスは持っているのかは皆目見当がつかないが、地球において最初のプルームの冬が31億年前だったとすると、ウイルスはそれ以前から地球に存在していたと思われる。ここでウイルスの概念ついて説明するが?、生物学上ウイルスは生物ではない・・のである。

身体において人間の日常生活を混乱させる背景にはさまざまなウイルスが存在するが、一方ウイルスの存在を確認しその対策が科学や医学を発展させたともいえる。あるいは生物の進化を決定付ける要素として、今後はウイルスの進化の過程をもう一度検証することも必要であるような気もするが・・・。

クライミングにおいて調和しえない現実として、強さと軽さ、速さと重さの概念がアル。強くありたい・・と追う概念は、過度の練習によって、筋肉量を増やすことによって実現されるが、クライミングという行為は重力によって、あるいは力学的エネルギーによって支配されている。この現実には軽いほうが有利である。一方落ちる前に掴めとか、落ちる前に上がる・・という概念には速さ(クイック・ファスト)という考え方が有利とも考えられるが、遅いとか緩いとか言う概念には到達できない人間の思考の錯誤が其処に介在している。すなわちスローとかスタテイックという速度認識のことである。それは体内を循環する血液が60秒で10万キロメートルも進むとか、月が時速2500キロの速度で軌道を周回しているとか、太陽系が2万5000キロで銀河系の軌道を回っている・・と追う現実?を認識できないことに由来する。人間とは科学的認識より感覚的認識による行動や感情表現に左右されやすい・・といことでもあり感情や感覚認知は非科学的ではあるが間違った考え方ではない・・という思考も重要な科学的究明のキーワードなのである。

すなわち、緒力との束という現実は、一見、非科学的あるいは非現実的ではあるが、其処のある現実こそ事実であり真実なのである。

「浄玻璃(じょうはり)の鏡(まったく曇りのない鏡)」に写せば、すべてが究明されるのかもしれないが、科学が幾ら進歩したとしても、浄玻璃の鏡に勝る純粋な透明度は作りえないのである。

練習は成果として筋肉の量の増大、あるいは測定数量の増加などを生むが,その代償として質量の増加を生む。すなわち体重が重くなると登りにくくなるしスピードは遅くなるのである。調和の難しさが其処にある。

           この文は次回、さらに書き進めます、  ひとまず。。続く・・(3月3日加筆)

 

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