2009年2月アーカイブ

下野(しもつけ)ボルダリングコンペに、ロッククラフトから参加した育成選手についても、少し触れておきたいと思います。

オープンクラス

オープンクラスには2名の選手が参加した。どちらも高校1年生で小学校から通っている。

沼尻拓磨君は11位と健闘したと思う。元来優れた才能を持っていたと考えている。初めて出会ったときは小学3年生であった。最近やっと身長が伸びてきて160センチ位になってきた。小学生の頃は関東近県のタイトルを総なめ・・位の勢いであったが、中学に入ってからは伸び悩み(身長が伸びない)時期があり相当な重圧を感じていた事と思う。大きな大会に参加してもほぼ2年半は予選落ち・・という上古湯であった、しかし、中学3年生の後半から次第に大会での結果も出始め、昨年はなかなか良い成果であったと考える。大会での順位という成果より練習のプロセスに思考が加わってきて、高度な技術の習得より、地道な基本練習に取り組む姿勢を高く評価したい。昨年からロッククラフトの強化指定選手になっている。今年も順位という結果より、身体の構造的構成力や思考のバランス感覚を養ってゆきたい。昨年は生理学における「心臓と血管の関係」・・という講義を90分も聞いていられるようになって来たことの、驚きを感じる。

もう一人、弓田渓介であるが、中学生のときは、さすがに思春期であった。おそらく2年位は練習をサボっていたようにも思う。しかし、JOCやユース選手権などでは、見えないところにしっかりと順位を残していた。準決勝や決勝に進出すつこともあったが、地味な存在で、目立たない。そんな渓介も高校に入ってからは地道にランニングや長く緩い練習を続けている。結果としては41位であるが練習に対する姿勢は高く評価している,今後に期待したい。

ミドルクラス

ここには中学生を中心にロッククラフトからは9名に選手が参加した。テストなどがあって参加できなかった選手も居るが、8年目を迎える選手も居る。なかなか層の厚いクラスでもある。

予選1位通過は塚田遼河である。ルートには強い(ロックの中では)がボルダーのルーフ課題や、長い基本練習はは苦手、さらにボルダー独特のムーブに対しても消極的でセッション的風合いの練習にはほとんど参加しないというプライドを持っていた(と僕は思っている)彼は父母とも身長が高いので180センチを越える事を前提として指導している。先は急がない。優れた瞬間的洞察力(瞬間視力といったほうが良いかもしれない)を持っていて、時々驚かされる。また驚くべき記憶力もあり、長いルート課題もすぐに暗記してしまう。いつもノート持参で練習に励んでいる。見習うところは多い。しかし、僕の指示する練習はほとんど手を付けない・・ま、それでも良いか!と放置すると寂しがる。意外と繊細な心を持っているようだ。そんな遼河が昨年12月からボルダーの練習に取り組んでいる。それもボクが示唆している練習を自らの意識で取り組んでいる。ルート練習では圧倒的な指導的立場にありながら、ことボルダーというと「何だ、遼河、これも出来ね~のかよ」と、数手の強い筋力を必要とするプロブレムでは見る影もない・・。が、しかし、そんな揶揄を声援に変えて、皆と取り組む姿は、同級生のみならず、大人たちにも「遼河は変わった」と言わしめた。優れた才能も、練習の積み重ねなくては開花しない、すなわち「練習した通りの結果を生む」のである。昨年も一昨年も、ユース選手権やJOCで出ない結果に泣き崩れるが、ボクはいつも冷たい「練習しな通りに結果が出ただけだ、泣く意味が解からない」と突き放す。突き放しすぎて不登校(ロッククラフトでのい連取についてであるが)になっても「止む終えない」という覚悟で奮起を促したが、最近は練習のプログラムを与えるまでもなく、良い練習に取り組んでいる。それでも4月から中学2年生。これから毎年10センチ以上の身長期を2年以上も経験するのである、大きくなることの辛さも、メ向きな試練と考えてほしい。決勝では4位に後退したが、100人近い観客を3m後ろに抱えて、緊張しすぎてぎこちなかった。ま、それも経験である。

成果といえば、予選で6位とぎりぎりで決勝進出した増山貴裕(中2)はライバルの多い世代で、遅れてきた入った選手でもある。ほとんど中学2年生クラスだと小学低学年からクライミングをしている世代であるが、確か小学5年生暗いから通い始めている生徒である。もともと体操の選手で、すばらしい運動神経(科学的ではないことがであるが)の持ち主であり、マットの上で3回連続後方宙返りをしてしまう才能というか練習をつんできた選手である。速筋力は強いが20秒程度しか続かない・・。彼の体操で培った強さ速さが、クライミングではなかなか生かされない・・というじれジレンマを抱えながらの取り組みである。基本練習は間々田駅からロッククラフトまで6キロを歩く、またはランニングすること・・である。中学に入って陸上部に入ることを進めた。将来のことを考えてのことである。体操競技からは完全引退してしまった。栃木県体操協会にとっては大きな損失だったかもしれない。

しかし、常に注目されて見られている・・という環境にはめっぽう強い、ほぼ日常の連取での成果に近い結果を残せる能力がある。彼はまだ身長期を迎えては居ない。あえて言うなら体操で培った強く早く動ける筋肉の鎧を脱ぐことであるが、なかなかスムーズには進まない。あえて、緩く温く遅くしかもやわらかく動くことを指導しているが・・本人には大きな試練となる練習課題であるとも思う。

決勝では次々に課題を攻略して、能力の高さを発揮しはじめてきた。2位である、良い感じだ。今後も身長が確定するまで、伸びる動作で緩く練習中心に行なうから、覚悟していなさい。将来の為に・・。

予選4位決勝6位は早川幸太郎の得意技でもある。こちらも観客が居ると「あがってしまう」という能力を持っている。小学1年生からロックに通いうジュニアスクールの1期生(遼河などと同じ)である。母親がガスケットボールの選手であった?からか小学3年からバスケットの部活の合間にロックにかようが中学2年生の今はバスケットの練習がきつく長く・・。経ろヘロになってロッククラフトにたどりつく。小学2年生の頃から母親同意の下で自転車通学(ロッククラフトへの)をさせているが自転車で、ほぼ40分蔵の距離なのに・・最初は何処に行ったのか、何処に居るのかわからず・・肝を冷やすことが多かった。蕎麦屋の出前ではないが「今、ロックを出ました」「今、家を出ました」と母親と携帯でやり取りをすることが多かったが、そんな幸太郎も中学2年生、重圧には弱いが、練習には強い。いきなり、5.11cをオンサイトしたり、3級の課題を落としたりと・・なかなか才能にあふれている、特に彼の強さは鍛えるのが難しい足底筋の発達である。そして身長167センチ、体重43キロと体脂肪がつきにくく、洞察的思考能力は弱いが(現状)、瞬間的反射力には飛びぬけた才能を持つ・・しかし。観客に見られているという重圧、ここ一番で力を発揮できないやさしさが彼の特徴でもアル。バスケットでは今年県大会初制覇を狙うレギュラーでもある。二束の草鞋をボクは推奨しているが、最後まで頑張ってほしいものだ。高校に入ったら、クライミングに没頭してほしい・・というのが僕の希望だが・・栃木もブレックスに有名選手が入り、バスケット熱はヒートしている。

さて、野村真一郎君は4月に中学生になる、昨年12月の会議(宴会)で大ちゃんの推薦で、ロッククラフトの強化選手に決定した逸材である。彼も拓磨と同じくスポーレ(筑波のシム)で練習をしているが、ほぼ彼が始めた頃から、家族ともども仲良くしている。優れた感性と身体張力に満ちた動きは圧巻である。特に練習では強化しにくい抑える握力、バランスでぶら下がる握力に潜在的能力を発揮する。まだ身長が140センチ位と小柄だが「クライミングで登ることが楽しい」と練習することを楽しめる能力もコーチが教えられる能力ではない。いつか練習が苦しくなるときがアル。それはすべてのアスリートが経験して越えなくてならない宿命を背負っている。ロッククラフトの強化センスとしての指定大会ということで創造以上に重圧を感じたようだ。ま、重圧は君だけではない。重圧と楽しみ、重圧を声援に変えて、いつものようにクライミングを楽しむ姿勢が見えたとき、彼の才能は開花すと信じている。「結果をだせなくてすいません」なんて誤ることはない「結果を出せなかった原因を考えて、クライミングを楽しむことだ」僕はあえて選手をしかりはしない。君たちが19歳を迎えたら、今までのやさしさを覆すくらい鬼になるかもしれないけれど・・それまではやさしいから心配しないでほしい・・と思う。

女子で予選12位女子2位に入った五月女美元も中学1年生としては類まれな才能にあふれている。彼女のよさは闘争心の強さと練習に対する気持ちの強さであろうと思われる。あまりに強すぎるので、昨年の4月以降ボクは手を加えていない。すなわち「何も教えない」というコーチングであるが、理解すロことは難しいであろう。彼女を見たときは。小医学4年生の頃の尾上彩ちゃんを見たときの衝撃に匹敵する戦慄を覚えた。彼女の2年先輩には平井悠希(中3)が居て、良い練習相手になったことと思う。ほぼ栃木県の強化練習では男子の中学生をも勢いで制圧してるくらいである。今回ミドルクラスで決勝に残ったロックの3選手とも「美元には勝てない」と同じクラスで登るのを嫌がっていたのである。課題設定時にも、決勝に残る前提でマークしていた選手であったが、予選敗退であった。今回の課題にはさまざまな配慮があった。単なる決勝進出者の絞込みが目的ではなく、技術の総合性や選手の弱点の発見につながる課題設定をセッター人にお願いした。それが項を相したのかは解からないが、選手には良い刺激になった様でもある。セッター陣の質の高さを垣間見る思いがした。美元は尾上彩とも平井悠希ともタイプの違う選手であるので、その今後の動向には十分注意をはらいた・・と思う。

下位にも注目している選手が居るが、この場では割愛させていただく。

ジュニアクラス

参加22名中6名がロッククラフトの練習生でもある。このクラスには見えない有望な選手がひしめくが、それはロッククラフトだけの現象でもあるまい。クライミングに対して、優れた才能を持ちながら、陸上や体操、サッカーやバスケットなどの競技に転進してゆく選手も多く、今回もサッカーやバスケットの大会などや成長痛や怪我などが重なって、参加できなかった選手が4名居るがそれらの選手の潜在能力は高く、今回の大会に参加できなかった事は、僕としては痛い・・・。4名とも小学4年生から6年生の男子である。また小学4年生の女子にも才能豊な練習生が居るが、今後を待ちたい。

大会では他都県の選手の強さが目立ったが、その中で、予選4位決勝女子3位に入った沼尻千璃(中1)は拓磨の妹であり「ついでに始めた」ような感じであるが素直な登りは小学低学年の頃から目立つ存在でもあった「なにも練習していないけれど、先生が出ろって言うなら、楽しんじゃうよ」という気楽な感じでの参加であったが、思わぬ成果に本人も気持ちをよくしていた見たいでもあった。日本中にこのクラスの女子の層は厚く、なかなか上に立つ(表彰台に立つ)のは難しいかもしれないが、競争が激化すれば5年後10年後には日本国内予選の通過のほうが世界大会で表彰台に立つよりも難しい・・といわれるようになってこそ、認知されたスポーツとしての地位の確立につながると思う。なんとなくでよいから、これからも、あきらめずに楽しんでほしいと思う

予選5位決勝男子4位に入った櫻井良基も小学5年生である。彼の自宅には小さなクライミングウオールがあるが2年ほど、前ボクが課題の設定に行った。12月の中ごろであったと思うが「向井先生が本当に来てくれたんだね、最高のクリスマスプレゼントになったよ」と聞かされて、ボクの涙腺が緩んだのも記憶に新しい。そんな彼も遠いところから毎月3~4回ロックに通う夏休みなどは、ほとんど合宿状態で、平井悠希や他の中学生に混じって練習ではしごかれている。素直で芯が太く思考がぶれないのが魅力である。瞬間反射運動は少し苦手な様であるが、ボクの難しい話を驚異的理解力で飲み込んでしまう。どちらかというと感覚思考と科学的洞察能力のバランス特性にあふれているような気がする。僕の感じだと、数学者か物理学者でインデイ・ジョーンズのように彼の大人になった世界では地球外での科学的立証を行なえる素材の様でもあり、非常に楽しみでもアル。根の深い練習を苦もなくこなすが、頑固で融通が利かない・・そんな風にも見えるが、それは誤解である。やさしく協調性もあり、指導力の本質も兼ね備えている、才能豊な素材である。ほめすぎも、よくないかもしれないが、子供らしさもありボクにとっては好きな素材である。母親にとっては大変な素材であろうが・・。腕力で強く引く事や高度なムービング技術を教えては居ないので、特にボルダーの動作は、現時点では、ぎこちないが、これからゆっくりと才能をクライミングだけではなく、科学や数学に発揮してほしいと思う。

今回の大会にはロッククラフトの強化選手でありながら参加できなった選手も数人居る、ロッククラフトでは選手に一意専心を奨励しては居ない。むしろ結果にこだわらず、むしろ反省点や試練を糧として今後につなげてほしいと思う。

             こんなところで、下野ボルダリングコンペのレポートは終了いたします。

「我々はどこから来たのか、我々とは何者か、我々は何処へ行くのか」

この言葉を、何処ではじめて聞いたのかを、私の記憶は明確に答えてはくれない。しかし、私の心に深く印象に残す言葉であったことに、代わりはない。わが社の企業理念にこの言葉によく似た言い回しがある。良かったらたずねてみてほしい。

この言葉を私に教えてくれたのは1通のメールであった。

「貴方の会社の企業理念に、私の好きなゴーギャンの絵がありました、不思議な縁ですね・・」北の大地北海道帯広からのメールであった。さらに続けて「ゴーギャンの絵に『我々は何処から来たのか、我々とは何か、我々は何処へ行くのか』という絵があることを知っていますか」・・と。

そんなことを知る由もなかった。私にとってのゴーギャンとば、タヒチ・・同性愛?心身消失、脱文明・・逃避・・ゴッホの耳そぎ事件・・と、思い描く言葉は、彼の描く絵とは異次元の言葉ばかりである。夢の楽園へと旅たつも、そこにある現実に夢を砕かれ、そして又パリへ戻る・・しかし、遠きにある楽園も現実にそこにあるものは失意以外の何ものでもなく、又、パリに残した現実も、タヒチに居れば、夢の現実へと昇華されるのである。何処に居ても、何度逃避しても、現実は彼を救いはしなかったのだった。何度、自殺を決意し、幾度、貧困と病苦から逃れようとしても、取り戻すことのできない現実が彼の心に重くのしかかるばかりであった・・という。

そんな時、その絵を描いたのだと・・いわれている。ゴーギャン、失意のどん底に描く絵こそが、それであったのだ。それは画家としての遺書としての絵画であった・・といわれるが、自殺は未遂に終わる。

失意のゴーギャンの心の支えとなったのは、当時の詩人マラメルであったともいわれる。マラメルの詩とは『描けない理想と現実とのギャップをあらわすこと』であり、あるいは『詩をかけない事の現実を言葉によって描写する』という難儀な解釈を必要とする詩人でもあった。あるいはボードレールに迎合し、あるいはアルチュール・ランボーに対峙して・・・苦悩する人間そのもの、あるいは人間の根源を表現しようとした詩人であったのかもしれない。

そんなステファノ・マラメルの詩あるいは思想がボール・ゴーギャンの心の痛手を同化させ。あるいは救いの手を差し伸べたのではないのだろうかと、推察される。

どこか、ゴッホに近く、あるいは東洋的であり、理想と現実のどちらからおも逃避しようとする思想を絵画に描き続けたのかもしれない。ほとんどの作品が晩年に集中して、初期の作品への評価は低い様でもあるが、没後100年たってその輝きは排除された現実感がそうさせるのか、現実的であるがゆえに幻想的で、夢や理想を描くものには現実が突き刺さる鋭いまなざしを感じるのは私の思い込みのせいであろうか・・。

おそらく、ゴーギャンには苦悩する現実と疑心暗鬼する人間そのものが、かぐわしく匂うのである。彼の作品を私は百科辞典でしか知らない・・しかし、鮮烈な印象派の一旦と19世紀の苦悩する社会と人間像が描き出されている。

彼の絵は、ある者には病的でもあり,幻想的でもある。見る人間の心の位置によって、映し出される現実と理想が交差する作品であることには間違いない。

北の大地からの1通のメールがボクに画家ゴーギャンと詩人マラメルを結びつけてくれた。

あるいは会社の理念とゴーギャンを結び付けてくれた。

人生とは永遠に習い事、練習の積み重ねの様な気がしてならない、今日この頃である。

ありがとう・・布施さん

 

ゴーギャン.jpgボストン美術館所蔵 ポール・ゴーギャン 1897-1898

「我々は何処から来たのか、我々とは何者か 、我々は何処に行くのか」

県内選手に関しての感想

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下野ボルだーリングコンペにおいての栃木県内およびロッククラフト所属選手の動向についても少し触れておきたい。

オープンクラス(44名・県内17名)

オープンクラスには県内の優秀な選手がほぼ参加したのではないかと思われる。申込書を見ている限り、当初はユザワ君と平野君の争いになりそうな予感は派していたが、途中からレベルの高い選手が多数参加してきたので、上位進出は難しいかもしれない・・あるいは紙一重でのしのぎあいが予想された。結果としては、決勝進出を逃したが、コンデイションが悪い中、惜しくも決勝進出を逃した家泉君の豊富な経験力には敬服した。調整がうまく言っていればの話だが、なかなか良い感じであった。決勝に進出した湯澤君は当確としても、4位に入った芝田君の最近の躍進には目を見張るものがある。昨年末のクリスマスコンペ(ロッククラフト小山店主催)でもオープンクラスで優勝を飾り、近年隠れた存在からその存在感を十分にアピールし始めている。プレッシャーに」弱そうな気配ムも薄れてきた。いい感じで成長している。試合後に少し話す機会があったが、反省点を確実に認識しているようでもあった。近年、野立ち岩の開拓が終了して、県内の選手には近隣に高度な課題が豊富に存在するという条件と、ジムが増えた・・という観点から、一気にボルダーの人口が増えたようにも思う、新しい世代と新しい人材の更なる躍進を期待したい。

オープン女子クラス(10名・県内2名)

オープン女子クラスの闘いは充実ししていた。選手の力が拮抗していて、私たち栃木県の選手には大きな刺激になった。まだまだこのクラスの選手層はないに等しいが孤軍奮闘する細野さん、大木さんももう少し・・というレベルに達しつつあるように感じた。細野さんはまだまだ若いので、今後の躍進を期待したいし、大木さんもベテランに収まらず、精進を重ねてほしいものである。少ない人材ではあるが、今後後輩の育成などにもつながるような刺激を与えてほしいものだ。

ミドルクラス(28名・県内17名)

このクラスは参加28めいちゅう24系が高校生以下であり決勝進出者も5名が中学2年生以下という若手の台頭が著しいクラスであった。予選を紙一重で勝ち抜いても決勝はまた紙一重で順位が入れ替わる・・と言うくらい層の厚さを感じたクラスでもあった。今までのボルダー大会とは違い予選でも100名近い観客が3m後ろに控えている・・という重圧を感じながらの闘いは熱気に満ちあふれていた。セッション形式である利点を生かした子供もいれば重圧と感じて思うように結果を出せない選手もいたが、それもまた「良い経験」と考えてほしい。このクラスは栃木県の選手が3人決勝に進出して観客にとってはもっとも盛り上がったクラスであろうと思われる、そのうちロッククラフトの選手は3人いたが、お互いに切磋琢磨して、更なる上を狙ってほしいと思う、まさに」未来の人材の宝庫のような感じを受けた。このクラスにも栃木県には優秀な人材がいる、結果より自分の弱点や欠点のや良い試練と受け止めて、更なる躍進を期待したい。試練こそ自分を磨く・・前向きに考えて」ほしいものだ。期待している。

ジュニアクラス(22名。県内9名)

このクラスはほとんどが小学生であり男女比も6;4くらいと均整の取れたクラスであった。決勝進出者も4:3と半々の男女比である、しかし、この年齢だと女子の能力がおおむね男子を上回っている。優勝した波田君は別格としてやはり紙一重で小学5年生から中学1年生がひしめいていた。昨年まで普通の練習生でった生徒が急激にアスリートになってゆく現実に自分の教え子でありながら成長の著しさに目を見張る生徒も多数いた。教えて強くするのではなく、楽しんでいるうちにアスリートの変身する・・そんな印象を深く感じたクラスでもアル。特に目の輝きが普段の練習では見られないほど輝きを増している生徒には驚きを感じた。一方、大会の雰囲気に飲まれてしまって弱さばかりが目立ってしまった子供もいるが、僕も大会には弱かったので、安心してほしいと思う。クライミングとは必ず結果を出さないといけないものではなく、岩に向かう姿勢とプロセスが大事だということを付け加えておきたい。「結果を恐れず・・」の精神は、やがて結果を導く、強くなることより、うまくなることより、練習を続ける精神の重要性を伝えたいものだ。

 

ロッククラフトの教訓

1)苦しくなったら声を出せ

2)人と自然の調和を考える

3)一見無駄・・と思える繰り返しの中に真実がある

以上の言葉をかみ締めながら、1日1日を大切に生きて、そして成長してほしいと思う

その1

今日は京都からその道の世界的権威?という偉い先生がボクの主治医のところに、お越しになり体組織筋肉バランスなどの基本データを測定していただきました。

ロッククラフトのクライマーも上レベル1名、中レベル1名にも参加していただいて、計測していただきましたが、いろいろ驚くべき結果がすぐに浮かび上がってきました。先生のお話だとクライママーは一般的に前腕の強さばかりか左右の筋肉バランスが3%以内と驚くべき均整が取れている。そのバランス能力はオリンピックで上位入賞する選手のレベルにかなり近い・・ということでクライマーの身体能力も十分理解しているようでもありました。今回計測した3名は40代2名、50代1名(私)でした。

私の筋肉両は50歳代としては普通、体脂肪も普通、肥満度も普通。

下半身の左右バランスは大腿四頭筋量、大腿四頭筋最大筋力、体重支持指数とも左右完全一致(50VS50)という驚くべき結果でした。しかし、自分的には右のバランスが左に比べて悪いように感じていますが、数値はまったく均等ということです。

四肢体幹筋肉量は体幹部筋肉量バランスが右に対して左が弱い(右が強すぎ)。同じく上腕部も同じで、肩の故障を抱えていることもデータにより証明されました。

体脂肪は1年半前には9.5%でしたが今回は体重で12キロアップの65キロ、体脂肪率20.5%、脂肪重量13.3キログラムと予定どおりの数値でした。今の私はクライマーではなくコーチという仕事をしているため、特に上腕部と後背筋に大きなストレスが左右非対称にかかっていて上半身の体幹バランスを著しく壊している・・という結果を、同じく数値が証明した形となりました。この身体で「体重を57キロ以下に落とすことは是か非か」と聞いたところ「もう52歳なので57キロは限界数値でそれ以下は自殺行為だ・・」ときっぱり断言されました。なかなか鋭いご指摘でありましたので「グ~」の音も出ませんでした。さすがに世界的権威?自称その道の第一人者(単にボクが彼を知らないだけですが)先生の五次的は、練習の仕方、鍛える方向性など自分が描いていることと酷似していましたので、なぜか先生の厳しいご指摘は、逆にうれしい自信につながりました。

2名の会員の身体も「不良中年」君はオリンピックのトップアスリート級で現役の選手だと間違えられました・・彼は全体のバランスが3%未満でした。このように「全身のボデイ筋肉バランスが3%未満ということはオリンピックでメダルを取った選手でもそんなに多くない」といっておりました。

筋肉の特定部位、または深層群のとくて筋肉バランス(屈筋、伸筋群など)についての計測については各大学の研究機関のデータが出揃っていないので今のところは裏づけできないがこの測定方法では、深層筋肉のバランスを特定で来るくらまで機能は確立されている・・と自信たっぷりでした。なかなか良いお話・というか講義を聴けました。その間、会社を放置してしまってすいませんでした。

今後は、このようなデータも取りながらロッククラフトの若手選手の指導にもあたりたいと考えています。おおむね有名大学の体育学部、人間工学部、医療リハビリセンターなどで数値的裏付けが取れ次第、学会に発表するようです。科学ってすごいですね、感心しました。

マ、ボク的には自分が指導していた方法が科学的に立証された・・という感じで捕らえています。

その2

昨日は、其のデータを下に、なぜそのような結果が出て、ぼくの体幹部と上腕部の筋肉バランスが著しく均衡を崩してしまったのかを検証してみた。検査当日は僕のフイジカルトレーナーの小原先生と自然育児相談所の伊東先生も同席していただいた。伊藤先生は子供たちの身体の発達段階を心因的側面からバックアップしていただいている僕のブレーンの一人でもある。彼女(伊東先生)の指摘は「ほら、いつも言ってるでしょう、コーチと選手の両立はできないって・・職業病なんだから、アスリートに戻りたいなんて、其の都市で考えない事よ。総合的に見て、身体の構成構成比が、それだけ無理な日常生活を送っていても普通である・・という事が驚異なんだから・・」続けて「背筋や上腕筋のバランスがそのように崩れているって事も、職業病。思ったとおりノバたんすの悪さね」って指摘がまったく凡人である僕には理解できてはいなかった。しかし「そうですね」とわかった振りをしてしまった。

彼女は京都大学・・・・を卒業しているので、僕とは知的レベルが違いすぎて、彼女の話を理解するのに10時間ぐらい時間を要したのである。

この道の権威であるA先生は、僕のトレーナーせある小原先生の大学時代の学部長の1年先輩である事も判明。彼の診断?は体組織測定データを見ながらの解説ではなく。僕の歩き方やしぐさを瞬間的に洞察した上での所見であり「データはあくまでデータであり、経年変化を見ている主治医の触覚感覚のほうが優先される」という指摘も的を得ている。その後の話によると、A先生には1万人以上のデータがあり、マラソンで昨年引退した有名女子選手もとも契約をしてアドバイスしていたという。「ではなぜあのような結果になったのか?という質問にも的を得た答えが返ってきた」この件についてはここでは話せないが、一般的にトップ選手は、データを解析する能力があるとはいえない。また、数値データを練習課題やメニューに取り組む能力もコーチに要求さえれる要素であるが、大会の結果が全て・・という、断末魔では、冷静な判断を下す事が非常に難しいのも、コーチングの難しさの現状でもある。なかなか選手はコーチの意図を汲み取りにくいし、選手の追い込まれている心因的現状をコーチが洞察しにくい・・という事もいえると思う。

今日も小原先生とこの件について1時間以上も議論し洞察し推測しながら、今後のトレーニング方法についての話をしたが、簡単に答えの出る事でもない。むしろ、今後、若いアスリートが15歳前後でどのような体組織バランスを持ち、17歳前後までに、どのように其の特性をはぐくみ、19歳以後の成熟したアスリートに育つための基礎身体バランスを育成でできるのか・・という視点にたった育成プログラムの作成と指導を行えるのか、について作業を推し進めてゆこうと考えている。

いつも言うことだが、17歳以下の若いアスリート予備軍において、大会における成果とは、1位になる事ではない。むしろ自分の弱点の克服と身体バランスの育成がもっとも重要な要素である。この事はA先生も言っていた。しかし、現状、このようなデータはオリンピックや世界選手権などの代表選手においてのみ計測されるデータと分析であり、それ以前の選手(17歳以下)には施されないレシピ(処方箋)でもあるようだ。

まだ、このような高価な測定機械(数百万円)の導入を決定したわけではないが、何とか、そのようなプロセスも導入しながら多角的に選手の育成に、今後も着手してゆきたい・・と思うのである。

また、この機会は、選手自身が抱えている、未確定症状(MRIやレントゲンでは確定できない症状)の予測判定への座標にもなる可能性が高いと考えられる。A先生は「各大学や研究機関での科学的データが分析されれば、必ず座標になる、と確信しているが現段階ではわからない・・としかいえない」といっていた。なるほど、科学とは人間の感覚では立証できないものである事も改めて考えさせられた。

 

 

大会を総括して

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下野(しもつけ)ボルだリングコンペ2009

主催 栃木県山岳連盟

共催 ロッククラフト 小山店

後援 栃木県教育委員会 栃木県体育協会 小山市教育委員会 下野新聞社 ㈱とちぎテレビ

協賛 ㈱アルテリア ㈱ロストアロー アルゴアクテイブ㈱ (有)ネルソンクライミング・ジャパン

    ㈱ケーイーエム ㈱ICI石井スポーツ宇都宮今泉店 ㈱サンダンスアウトドアーズ

    ダイホールド 大塚製薬 イボルブジャパン アサナホールド クレープ「マルシエ」

    おばら鍼灸接骨院 中華料理「好好(ハオハオ)」

協力 利根コカコーラボトリング㈱小山支店 大橋農場 まつや歯科医院 柄澤ボルト㈱

    エビスヤ食堂 日東レンタル㈱

総括と総評として

今回の下野ボルだリングコンペの準備は昨年の11月くらいから始まった。12月23日にはクリスマスコンペはあるし、3月22日にはクリス・シャーマの来日を控えた交渉や準備に追われるなかでの、開催決定であった。「ま、やるときはやるしかない」というような心境でもあった、クリスマスコンペの準備とルートセットをしている矢先に「ジャパンカップ」の話も舞い込んできた。「ん~NN」やはり「やるときはやるっきゃない」と決意を新たにするが、体が3ッっ位ほしかった・・というのが本音である。

下野ボルコンのカテゴリー決定やセッタの手配、協賛メーカーや駐車場の確保など、難問は山済みであったが、終わってみると、おおむね良い大会であったように思う。100名以上の選手と100名近い観客、40人を超える連盟とのコミュニケーションはなかなか難しかった。お互いにこんなに大きな大会は初めてのことでもある。特に当日の進行や運営にはどのようなハプニングが潜むのかは解からない。準備期間で特に注意と時間を費やしたのは、選手のためにどんな課題構成でルートを作製するのか・・ということであった。幸いセッター陣はボクの1次希望通りに確保できて、一安心であった。コンペに実行委員であり、競技審判長としてさまざまな難問をセッターに要求したのだが、立木孝明氏はボクの意図を汲み取っていただき、満足のできる状況を作り上げた。試登、は主にオープン課題は保科宏太郎と斉藤竜也が精力的に上りこみ、細かなホールドの位置関係や角度は何度の何度も繰り返し、皆で議論しながら完成度を高めていった。

ジュニア・ミドル・オープン女子のセッション課題などは小菅雅之を含む4人体制で臨んだ。特に注意を払ったのは、ジュニア・ミドルクラスのリーチの問題であった。おおむねジュニアクラスは小学生、ミドルクラスは中学生に成人男女が1割程度加わるという状況になり、リーチ課題は極力少なくした。最低でも5課題は完投できる・・という条件を読みきり、課題の難易度を設定するには詳細な選手の能力の把握は必要不可欠な要素でもあった。幸いに「ホールドの感触や配置をなどを見に来ました」と大会前の下見の選手も多数来店し、選手の技量把握は申込書だけではわからない部分まで踏み込ませていただいた。それぞれの選手が普段練習しているジムなどに通うお客さんからの情報も非常に役に立った。しかし、若い選手の技術の向上は驚くべき速さで表現される場合も多い。すなわち「伸びしろ」の把握である。最終的には、大会運営上のタイムスケジュールに沿った形で、ほぼ、想定時間内に試合は終了した。さまざまな直面するトラブルも何とか総務がクリアしてゆく。思った以上のできばえだったと思う。

特に選手に好評だったのが1ラウンド10課題50分2ラウンド(合計20課題)の予選と決勝を2階のみに限定した点であろうか。これはチーフセッターである立木が最終判断し私が了承したが、このアイデァは見ているものにとっても臨場感があり興奮を生んだようだ。しかし、選手の一部には極度の緊張を生み、予選の様に葉からだが動かないものもいたが、それも良い意味での経験であろう。100名に観客が3m後ろにひしめく・・。この位のプレッシャーは大会では当たり前と考えてほしい。

課題の難易度については参加カテゴリーでの再会の選手でも最低4課題はクリアできる、やさしめの課題の設定から、決勝進出6名を厳密に選手でき、順位付けできる・という条件も結果的にはうまくいったように思われる。

また、決勝の国体方式の変形である1課題4分、4分のインターバルで4課題の設定、ベルトコンベアーで行なわれる大会形式も観客には観戦しやすかった様でもある。間延びして飽きてしまうかな~という懸念はなく、最後まで熱気と興奮を感じられた。

総括として、チーフセッターの立木孝明の挨拶も大王(愛称)とは思えない謙虚な気持ちを表していて好感が持てた。

私も審判長として「人生は習い事、練習は裏切らない」と言ったとか?・・その言葉が、子供たちの心にどのように映ったのかは、彼らの「人として生きる、これからの人生」が私たちに教えてくれるものだと信じて止まない。

私が言うのもおかしいが、栃木県山岳連盟はよくやってくれた。又、選手の親であり、ジャッジなどのスタッフとして協力していただいた方々には、改めてお礼を申し上げます。このご恩は生徒の指導で代えさせていただきたいと思います。

参加いただいた選手、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

                               文責 大会実行委員 審判長 向井康宣

 

 

大会リザルト

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下野(しもつけ)ボルダリングコンペ結果報告

ジュニア・二ドルクラスの表彰は男女別3位までに表彰状が授与されます

決勝(KESSYOU.pdf)
ジュニア予選(Book1.pdf)
ミドル・オープン女子・オープン予選(Book2.pdf)

軽く諸表を混ぜて、各クラス3位までの成績を発表いたします

ジュニア女子  1位同着 比企千織 是永つぐみ 3位 沼尻千璃

なんといっても千織ちゃんバランスのボデイバランスの良さ瞬間的判断力の適切さには驚かされました。小学5年生ということですので、これから将来が楽しみです。すがらしい感覚の持ち主だと思いました。クライミングを楽しんでいる様子がとてもよく表現されているムーブでしたね。

ジュニア男子  1位 波田悠貴 2位 古畑和音 3位 瀧谷翔太 

エナジー軍団の頭領?のような風貌と物腰、すでに風格さえ感じるすばらしい素材です。彼も小学5年生で、男女とも5年生クラスは原石の宝庫のような感じです。大人たちに混ざってセッションしているすがたも自然で、とても将来が楽しみですね。これからもさらに上を目指して楽しんでくださいね。

ミドル女子    1位 山田明香 2位 五月女美元 3位 西島サキ

高校生に挟まれて一人検討した2位の美元がやはり中1と素敵な素材です。1年前よりずっと大人に見えました。やたりこのクラスですと小学校からクライミングを始めた世代は、さすがに強いですね。強くなりたい・・というよりクライミングを楽しんでいる感じが、すごく素敵でしたね。

ミドル男子    1位 是永敬一郎 2位 増山貴裕 3位 上田健人

このクラスも大人対13歳クラスの対決なのですが、子供の強さが際立っていますね。思考の柔軟さとセンスは大人になってからクライミングを初めても、追いつけない距離を感じてしまいます。それだけクライミングが子供たちに浸透してきたのでしょうか?

オープン女子  1位同着 榊原祐子 尾上彩  3位 目次容子

さすがにジャパンカップの1週間前・・という感じで、10人と少ない選手数でしたが、レベルの高い戦いを披露していただきました。スーパーファイナルまで進みましたが決着が付かず、審判長の独断であえて勝敗を決めませんでした。エントリーした選手のほとんどがジャパンカップ前の調整的感じでのサンカでしたので・・・。ま女子のレベル個人の能力に依存しているだけでなく、世界を目指せる領域に到達できる可能性を感じました。「練習は、裏切りません」でも恋も大切な時間かもしれませんが・・?

オープン男子  1位古川 慧 2位 渡辺数馬 3位 平野正行

驚きは古川君の仕上がりのよさでしょうか?順当といえばそれまでかもしれませんが、こちらのクラスもジャパンカップ前の調整的要素が多く見られ、非常にレベルの高い闘いを披露していただきました。オープン女子決勝もすばらしい闘いでしたが、このクラスも本気モードで非常にレベルの高いパフオーマンスを見せていただきました。観客も2階に入りきらないくらい(100名以上)の見守る中熱戦が繰広げられ、熱気で熱いくらいでした。古川君もこの優勝を糧に更なる上を目指していただきたいものです。又、女性でありながら会えて男子クラスに挑んだ2008年ワールドカップ総合チャンピオンのの野口啓代さんの決勝進出での闘いは、さすがに見事といえました。男子でも3段~4段クラスが参加するこのクラスに挑むモチベーションの高さにはさすがに世界の高さを垣間見た思いがしました。観客の熱気がそれを証明していたでしょう。彼女を女近くで見たのは啓代ちゃんが中学2年生の時以来5年ぶりのことだと思いますが、まだまだ無限の伸びしろを感じさせてくれます「ひらめく感覚」の高さではなく、緻密に加え繊細ささえ加わってきた・・という感じを受けました。

下野ボルダリングコンペは昨年栃木県の育成選手をきめるあくまでローカルな大会として昨年ロストキャニオンで始まりました。今回は他と都県にも門戸を広げ、県内のレベルアップには高度な日本のトップ選手の参加も促してみては・・という発想で冒険的に見切り発車してしまいました。計画の段階では暴走的自爆?とも考えましたが、数馬君、アキヨちゃんや祐子ちゃん、彩ちゃんなどのトップ選手とのコンペには多くの収穫や未来への夢も感じさせてくれました。

チーフセッターである立木孝明氏のとの打ち合わせも多義に渡り、しかし、何とか我々の想像を超える収穫を与えてくれたました。アシスタントセッターとして試登を繰り返して、いやな顔一つ見せないでなんどもやり直し・議論しあった保科宏太郎くん、斉藤竜也君にも「ありがとう」を贈りたいと思います。栃木の誇るセッター小菅雅之君も体の不調にもめげず、頑張っていただきました。私たち栃木県山岳連盟としましても、多くの収穫を得た1日でありました。参加していただいた選手の皆さんや引率ご家族なの皆さん、1日本当にご苦労様でした。改めて御礼を申し上げます。

ありがとうございました

一部順位に間違いがありました、お詫びして訂正させていたきます。正式リザルトと写真はは本日改めて掲載させていただきます。(2月26日)

 

 

 

 

完成?

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課題のセットも、試登も終わり、テープを張っています。深夜には終わると思います。なかなか良い課題がたくさんできました。みんながんばっています!

準備も後1日・・

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下野ボルダリングコンペの準備も後1日を残すのみとなりました。今日はほほ60%くらいの課題の設定と試登を終え、ほっと一息・・で、セッターと中華料理を食べながら、明日の打ち合わせを済ませて、みんなはお風呂へ行っています。明日は細かい導線の確認とを山岳連盟のスタッフと打ちあわせなど、最終作業はまだまだ沢山ありますが、かなりジムの雰囲気が変わりました。大会の後も楽しみにしていてください。

大王も保科も竜也もヘロヘロ、かな・・、明日はセッターが4人体制なので、最終確認もしっかりできそうです。

ジャッジには不慣れなスタッフもいますが公平な審判をできるようにしっかりと打ち合わせをします(1番心配なのは審判長かな?)

1週間後には、ロッククラフト川越でジャパンカップも開催されます。男女合わせて13人の日本代表を目指す選手が下野ボルダリングカップに参加します。加須市民体育館で行われる、ボルダーワールドカップ(4月11日~12日)の出場権を目指してがんばってくださいね!

という事で、今夜はそろそろ帰ります・・。明日も13時間の準備が待っていますから・・

選手や引率の皆様、22日にお会いしましょうね

思考の方向性について

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最近、自分の考え方に志向性が芽生えてきたような気がする。大学を卒業してから、何を学び、何に向かって発信し。あるいは、自分が何処から来て,何処に向かって進もうとしているのかがわからず。模索と挫折を繰り返してきたが、なんとなく何処にいくべきか、あるいは何処に向かうべきなのか・・という骨格(frame)が見え隠れしてきているのを感じる。

ほぼ。15年前Liberty climbing schoolの挫折を味わい、何に対してエネルギーを傾けようか・・と模索し苦しんでいた頃が、懐かしくも楽しくも思われるこの頃でもある。

「いったん、Liberty climbing schoolを封印しよう」そういう結論に達した挫折感は、喪失感にもにた感覚であった。『ひとまずエベレストへでも逃げ込もうか』と、まるで社会学者エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」のように、新たな秩序つくりににはフアシズムの台頭さえ寛容に迎え入れなければならなかった20世紀の社会構造の闇のプロセスを、自己の精神に隠喩させるがごとく、ぼくはエベレストで考えた。

文化とは何か?人類とは何か?・・それは堀田善衛が「インドで考えた」文明と文化の、あるいは高度な社会と混沌とする身分社会の共存での社会の葛藤にも似た感覚であったのかもしれない。

日本に帰ると、すぐに娘が生まれた。自分の血をつなぐ最後の生命の誕生であった。『もう、お子様はできないと思います・・」といった医師の顔が目に浮かんだ。

思えば、ぼくは、ヒマラヤの高峰を目指した1975年からアルピニズムという思考の呪縛から逃れられないでいたのだった。『どんなに逃げても、ここに戻る」むしろ逃げられない宿命から逃げられない宿命へ逃げ込む・・とい発想に気がついていなかったのかもしれない。ぼくにアルピニズムを教えてくれたのは、湯浅道男という人だった。私の大学の法学教授であり、山岳部の部長でもあった。彼はとの出会いは、山岳雑誌に載っていた「ヒマラヤ登山の必然性と可能性」という小論文であった。しかし、当の本人が私の大学にいるなんて事は夢にも思わなかったのである。偶然が必然性を生んだのであろうか?

当時の東海地方が優れた登山家はひしめいていた。氷河研究の第一人者樋G敬一氏は日本山岳会当会支部の支部長。ザイル切断事件や屏風岩登攀記などの石岡先生も現役であった。日本人としてはじめてヨーロッパ三大北壁を登った高田光政氏もいた。高所登山のィ第一人者である原真先生も目の前をあるいていた。ナンダデビの縦走登山を実現し、後に8000mの縦走登山を成功させた文化人類学者鹿野勝彦先生(現・金沢大学副学長)も名古屋に着任してきた。何処を見てもすごい人ばかりである。さらに進化論に『すみわけ理論』を提唱し、霊長類研究などの先駆者今西錦司先生や、第一次南極越冬隊隊長でもあった西堀栄三郎先生などともお話する機会などにも恵まれた。私の青年期は今もっても驚くべき出会いの渦中であったと思われる。

これらの先生方の論理や思考・・あるいは議論のプロセスをさながらリアルタイムで同じ席(の末端)で聞くことができたのは、明らかに偶然が生んだ、千歳一遇のチャンスであったとか思われる。

それら全ての場にぼくを同行させていただけたのは、湯浅先生のおかげなくしては語れない部分である。

ぼくの登山思考の其の大部分は人間『湯浅道男』との歴史そのもののような気がしてならない。初めての出会いから30数年を経た今、しかし、いまだに鮮明に先生の言葉やしぐさ、先生の奥様のやさしさは心の糧となっている。・・・そろそろ脱皮しなくては・・と思いながらも逃げられない宿命、超えられない先生という壁の高さを感じずには居れないのも、ぼくの置かれた現状でもあろう。

大学時代にはさまざまな登山家とも直接出会い、あるいは一緒にお話をする機会をえた。鬼も身を引く怖さ・・と小西正継氏に言わせた遠藤二郎氏エベレストに消えた加藤康男氏、冬のマッキンレーに消息を絶った植村直己氏なども、普通では会える事のない、本の世界の人々である。

しかし、ぼくにとって大学時代に出会ったすばらしいクライマーといえば、一人はフリークライミングの檜谷清であり、氷壁のスペシャリストである鈴木 惠滋の二人であるともいえる。この2人とは、あれから30数年たった今も一番親しい友人として(彼らはどう思っているかは解らないが)お付き合いさせてもらっている。

後のアルピニズムから絶縁してクライミングスクールを創設するには檜谷の力なくしてはなしえなかった事でもある。そういう意味において、彼がクライミング界から身を引く事を決断した1991年、Liberty climing school は私の一存で封印してしまったのである。

しかし、歴史は不思議な縁を私に与えた。エベレストからの帰国直後に フリークライミングというスタイルでのクライミングを提唱した、ロイヤル・ロビンスと会う事になるのである。・・まさに、千歳一隅?であろうか。

前置きが長くなってしまったが、フークライミングにおける思考や動作、運動の行動様式や練習プログラムなどについてのぼくの方向性が見えてきたような気がするので、これからそんな論文を綴って見ることにしようと考えている。

15年前には「Deveropment essey of  tha  relations revolution(スポーツにおける業態の変貌を促す思考的行動)」と題して1200字の原稿用紙80枚程度の論文を書いたが、その第2弾ともいえる作業に入ろうと思うのである。

タイトルは「Smart Shift」序説は「Frame a theory of climbing」という感じで進もうかと考えている。

マ、個人的な人生の中間点でのまとめなので、15年前の論文と同じように公表するつもりはないのだが、これから20年くらいの時間をかけて「Smart Shift(融合される変革)」についての考え方をまとめてゆきたいと考えている。

注)今回は個人の了解無しに実名を記載しました。故人においてはご遺族の意思も尊重しますので、不適であると判断された場合は削除いたします。    (文責 向井康宣)

最近、どこに何を書こうか?いろいろ迷うことも多い。それで、新しいカテゴリーを追加することにした。日記というほど書く自身もないし、なんとなく日々感じることを、まった~りと独り言のように書きつづるって感じで、いろいろタイトルを考えていたが、なかなか決まらない。

でひとまず「ほぼ日記」で進めることにする。記念すべき第一号は「エナジーに占領されて・・」ということで、昨日の出来事をつづりたい。

昨日はロッククラフト公式HPカレンダー上では、2月8日(日)まで休日」となっていた。「祝日は営業ですよね」って問い合わせがある一方「水曜日は定休日ですよね」って随分聞かれたが、別段深くは考えていなかった。ところが日曜日の深夜(倒れる前)にHPのカレンダーを見たら「ガがが??ん。祝日が休業になっている~~」と驚いて急遽水曜営業に書き換えたのだが、お知らせも何もしなかった。

「マ、たまには営業しながら休業するのも良いかもしれない」と開き直っていたら、なんと埼玉ナンバーの車がざくざく??(大げさかな)。本日晴天、来店者5名・・と、決め込んで、ホールドの洗浄日と決めていたのだが、状況が変わってしまった。

ェ「エ、エナz-・・エナジーですか」と聞きなおしてしまった。総勢9名とは・・ロックにしては大所帯での参入であった。来週に行なわれる「下野(しもつけ)ボルダリングコンペ」の下見などをかねて、お見えになったのかな?それとも社長に当てたメールの効果かな??と思いきや、みんなの総意であったようだ。エナジーも綿H社長とは親しくはないが?長い付き合いでもある。彼のいろんな話を作って話した(本当は真実の物語)が、エナジーの皆さんは大喜びであった。調子に乗った僕は「クライミングの真髄(綿引著)」東京新聞ならぬ、ロッククラフト理論を展開してしまった。楽しかったか、迷惑だったかは解からない・・でも素敵な40代~11歳までの世代を超えたグループであった。暇なロッククラフトを、ほぼ貸切状態で、ほぼ1日くたくたになるまで遊んでいた。

遊んでいた・・というのは、ロッククラフトにはバスケットゴール、インラインスケート、スケートボード、竹刀、カヌーのパドル・・最近ではスラックラインの体験コーナーも常設という変わったジムでもある。

休憩はスポーツで・・なかなか楽しいエナジーな仲間たちであった。又来てね~

やっとの思い出うちに帰ると、娘がチョコ作りに励んでいる「悪いけど、お父さんの分はないからね!」と粋な計らいである。「ねえ、これからトリュフを作るから、味見して」「エ、トリュフって作るのか?土の中に埋まっているんじゃないのか」「なにそれ!それってキノコのトリュフじゃないの?」「ん・・トリュフtって、キノコじゃないよ、あれはね・・」と説明しようとすると「難しい事は止めてよね、私的には、トリュフってチョコレートなんだから」「そうかあ~、チョコなんだ」「でも何で、キノコをチョコに名前にしたんだろうね」って言うので「多分、土の中では白いんだけど、掘り出したら黒なって丸くて・・そんな形からそういうようになったのかな?」と推察をめぐらした「そうかもしれないね、マ、調べておいて、ちゃんとね」と娘に宿題を与えられた。「お父さん、本物のトリュフって食べたことあるの」と聞くので「何度かあるけれど、食べたとい記録にはあるけれど、味の記憶はないな~」というと「味な言い方するね」とほめられたような・・?

そんな昨日の出来事であった。ただ言えるのは。チョコのトリュフはボクの記憶のトリュフとはまったく違う味だったような気がするが・・どちらでも良いような気もする」

ちゃんと調べて帰らないと、今夜は娘に叱られそうだ・・?

志を見極める時期

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最近の脳科学の進歩は著しい。特に心理学的側面(発達心理学)との融合研究がイギリス、ドイツ、カナダ、アメリカなどで盛んに長期的な研究成果が発表されていて、私は注目している。日本では、というと医学的研究傾向や、サルなど行動の研究(動物行動学)からの接近は見られるが、脳科学と心理学との融合研究は、はまだ発展途上と言えるのではないのだろうか。人間の自発的行動(随意運動)を制御しているのは、主に前頭葉と頭頂葉の間には運動野が存在し、小脳や海馬などの身体的運動能力や本能的運動能力を意識的運動として制御しているものと思われ始めている。これらの仕組みや行動システムを工学的(特に自然科学)と人類学的(文化的遺伝や思考)などを総合的に判断し研究しようと試みが、日本における人間工学の研究の大きな課題であり、宿命と考えられる。早稲田大学などはそのような試みにメスを入れた画期的な研究機関の一つなのかもしれない。しかし、そのような動きは必ずしも、順風に行なわれたわけではなく、私が知るところによると、1980年代に早稲田大学の学長を務めた、西H先生(専門は法学)の尽力に負うところが大きいと認識している。

発達心理学上では、前頭葉の発達もしくは方向性が決定付けられるのは、19歳から21歳(エレン・ウイナー、イギリス)もしくは19歳頃から25歳前後まで、段階的なプロセスを経て行なわれている(エレン・フィッシャー。アメリカ)などの発達心理学者などが10年から15年の長期的定点観測(幼年期から青年期までの長期的研究)の元に、実証されつつあるが、彼女たちは「いまだ何もわからないことに変わりはない」・・とも、それぞれが答えている。

日本における脳の発達プロセスの研究を最初に手がけたのは、今西錦司氏による霊長類の研究が始まりであろうと考えられるが、生物の進化のプロセスを動物行動学から解明しあるいは「住み分け」により、環境に適応するという考え方も今日の遺伝子工学の発展から考察すると、ダーゥインの進化説と同じように、論理的な仮説的に過ぎなかったのかもしれない。

しかし、一方、いかに科学的根拠を用いて実験的論証(あるいは確証)を得たとしても、それは人間における脳の理解認識のレベルにしか過ぎず。自然や宇宙の原理や根本を確認したという域には到達してはいない。い擦れにしても科学は常に途上であることは、トマス・クーン(アメリカの物理学科学史学者)の「科学革命の変遷」を読めば明らかなのかもしれない。

人間の探究心はとどまることを知らない。人間の探究心をもっとも刺激する教育機関は大学であるべきで、それは前頭葉の発達と非常に密接な関係を持っていることに変わりはない。

人はどこから来て、どこにいて、そしてどこに行くのか・・その位置と方向性に座標軸を確立し羅針盤をなすものが、教育の本質ではないのだろうか?

それを志を持つ(立志)という意味において、大学や教育機関の責務は大きい。しかし、人として、もっとも大きな責務とは立志の座標と羅針盤となる人の存在、あるいは出会いなくして志を見極めることは更なる困難へと直面するのも事実であろう。

立志には師の存在と出会いが不可欠であるような気がする。

「三国志」おける出師の表のようにいざ出陣する・・という意思を表す言葉は、志をもって社会に出陣するということと、ことの大小はあれ同じことなのかもしれない。

志を持ち、志の方向を見極め、その指針となる羅針盤が人(師)との出会いであり、方向性を強く示唆するのである。

出会うべくして人は人と出会い、出会いなくして人は人に足りず。しかし、人(師)と出会えば出師を表すべきである。その時期は前頭葉の確立期(19歳~25歳)であることが望ましい。

志を持たない人生と、志を持って生きる人生と・・君たちは、どのような人生と向きあいたのか・・という指針を導き出す手段の一つが教育であり教育機関の責務であろうと考えられる。

志を持つこと、志の方向性を見極めることは、更なる困難の上に立つ道でもあるが、困難が糧であるとするなら、人生は豊かさを増すことは間違いない。

本当の楽しいさとは、より多くの幸福の先にたなびく雲ではなく、多くの困難の傍らに僅かに目を出す、路傍の草木のような気がするのだが、いかがなものか・

青年よ、大志を抱け、そして、出師を表せ・・と言いたい

 

クライミングトレッドミル(電動式動く壁?)がついに治りました。今回の治療には骨が折れました。しかし、北海道帯広市にあるカクイチ 5条店http://www.kakuichi.com/KVsport/index.htmlサンの協力で、フランスから部品を個人輸入するリスクを回避できました。本当にありがとうございます。帯広は気管支炎だった少年時代、入院していた厚生病院や藤丸デパートや家事のビル、スポーツハウスで運動具を買い、インデアンカレーでカレー食べて、ヤングセンターでスケートをした。父と初めて食べたお寿司も、「はげてん」というお店でした、本当は天丼が旨煮のですが、ボクはおすしが食べたかったのです。

そんな40年以上も前の楽しい思い出をも思い出させてくれました。

いつか帯広に立ち寄ることがあたら、寄りますので、覚えていてくださいね!!

                  布Sさん、三Uさんへ              ロック先生でした

初めて乗った救急車

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一週間前から胃腸の検査をしたほうが良いかな~と思いながらも、忙しさに忙殺されて、なかなか検査に行く機会がなかった。先週の木曜日に糖尿病の定期健診にイってそのときに言えばよかったものを、・・と伸ばしたことが裏目に出たのか・・k昨夜は気力がなくって『早く帰ろう、病院で検査して・・』」と思い、深夜の12時前(それはボク的には早い帰宅)に会社を出た。うちに帰るなり、お風呂に入り、夕食を食べていないことに気が付いたので、1時前には軽い夕食をとったころから、おなかが痛くなった。便秘ぎみだったので、これはしめた、軽い下痢かな~という感じで、トイレに駆け込んだが、ベンが出ない。おなかが痛いが便意がない???頑張っても、頑張っても・・頑張らなくても、ベンが出る気配がない。1時間くらいうなっていたのか、酸欠にならないように『フウ~フゥー、は、は~』みたいな感じで過呼吸にならないように心がけていたのだが、おなかの痛みは増すばかり。背中や腰の辺りを後ろからたたいたり押してみても、どこが痛いのかか解からない。心因性からくる潰瘍かな~と臍の上を押してみても、痛みがない・・しかし、このおなか全体、しかも中からくる居たもの箇所が特定できない。強いて言えば小腸全体が痛むようでもある。すい臓でもなく、胆嚢でもないよな気もするが・・結石が膀胱を・尿管かな・・・とあれこれ考えるよりも痛みは増す。あたりが暗くなる・・電気は付いているはず・・ゥゥゥゥゥ、いてて~~声も・・出ね~。こ・・これは尋常じゃね~・・1,1.9・・

自分で電話をかけたが、声が出ない・・う~ぐ・・・『どうしました、どこにお住まいですか?お名前は?」と話し声が電話の向こう???救急隊員に抱えられながら・?救急車に乗ったのか・・何を話したのか・・『娘を一緒に・・」と言ったようないわないような・・

どれくらい時間がたったのか・・明るい部屋に居て、何かをされている。きれいな先生?なんと2人、ここは産婦人科?ボクは出産・・という感じで、錯乱している。あられもないすがた・・。

ウンチが・・勝手に・・でる~・・と言ったような、言わないような・・指先がしびれる・・ああ、手のひらまでしびれてきた・・足の指が・・右足の親指が冷たい・・痛いいeィイ・・・

『スースー・・はは・・すす・・はは・・はい、力まないで、ここに手を置いて・・おなかに手を置いて・・だめなた手すりにつかまって・・」と聞こえる。ボクは出産しているのか・・という錯乱状態であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・少しずつ、目が見えてきた、目の前にいたピンクの衣装を着たやさしい天子は女医でも、若い看護士でもなく、ボクより年上のおばさんであった。げげ~~~ここは。「ハイ、ウンチが出ているけど、大丈夫よ。。気にしないでね・・ソsロソロ、出るかな?」     「やっぱりボクは出産???」

どれほど時間がたったのか、我に帰ったときは、午前3時を過ぎていた。ひとまず打ちに帰り、明日検査に来る旨を伝えて、タクシーでうちに帰る。泣き続けていた娘に「お父さんは鉄人だから、絶対死なないよ」と笑ったが、強がりだったかもしれない。

又、神に生かされたような感じである・・そんな大げさなことではないかな?

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苦しくなると思い出す人がいる。今日は久々に先生と電話で長話をした。

自分たちを苦しめた病気のこと、お互いに健康を取り戻しつつあること、ボクが先生の「古希を祝う会」に 出席できなかったこと。そのとき先生は「何故、向井は来ていないんだ」と怒ってしまったこと・・ボクの病気のことも知っていたが・・「あれが最後かな・・馬鹿といったのは。お前はいなかったけど」・・懐かしい声が電話の向こうにこだました。奥さんとは30分以上も話していたようで、隣で先生は「はやくかわれ・・」を繰り返していたようだが、奥さんとの話でも盛り上がってしまった。30年まえは毎日、先生に叱られるのが日課だった愛知学院大岳山岳部時代 。今も遠い話ではなく、ここにある。元気で何よりだ。近いうちに名古屋に行けそうなので・・というと「そのときは  都合をつけて会いに行くよ」と丸くなった先生がいる。先生が死んだらボクが先生の自伝を書いてあげる。という約束も、「生きているうちに書き始めようかな~」という心境に駆られている。

本のタイトルは「湯浅道男 ーその人間的軌跡-」  にでもしようかな・・。30年以上の長きに 渡り、僕を支えた師である人間・湯浅道男のボクが感じた心の軌跡を書いてみる・・そのくらいボクは先生とお付き合いさせてもらっていることの幸せを、感じずにはおれない。マ、ボクの心の中にあるクライミング思想は先生から伝授さらた、人としての行き方の軌跡そのものなのかもしれない。

今日の電話の最後に僕は先生に言った「先生が、登山界も学問の世界からも、古希を境に引退したが、僕は73歳まで登山という世界に生きて、先生を抜くから・・」と

なぜか先生は「ははは~~会いたいね」と笑っていた。心が熱くなり瞬間でもあった。

湯浅先生の、健康上のいろんな噂があるけれど 、結構元気なんですよ・・と、皆さんにはお伝えしておきます。  

毎年、笑える現実・・という感じで、自分の身の危険を感じながらも楽しんでいる、第一生命のサラリーマン川柳である。

他人事ではない現実のほうが、感動を呼ぶというものなのか?   事実は小説よりも奇なり・・というが俳人より、一般庶民のほうが切れ味鋭く現実を歌う。

まさに現代の万葉集のような趣を感じる。読み人知らず・・こそ歌人である。

クライミングの世界にも、クラーマー川柳なる投稿ページがあると面白いかもしれないな~と感じる今日この頃である。山と渓谷社あたりのR&Sで『クライマー川柳』なる欄を作ると投稿者が増えて、クライミングの現実が風刺されるような気がするのは私だけかな?

今日は仕事・・で編集長と話をしたのだが、ついつい硬い話になる。ボクは本来はやわらかいのだが、一応経営者という仮面をかぶっって、演技する。社長業って格好辛い・・サラリーマンの時方が、自由に忌憚の無い意見を放っていたようにも思う。

登れるの 登って見せろと 言う生徒    口先生徒

薄被り かぶったままで 抜け出せぬ    経験不足のクライマー  

先生は 口だけなんだよ  という生徒    現実主義児      

登ってる  驚く生徒の  目が光る      自慢の生徒

ウチではね 仮面の良い子・・と言う生徒   仮面の良い子

上がれ 上がれと  叫ぶ父          薄給パパ

足決めろ 足の決め方  知らぬのに     声援迷惑児

そこはキョン きょとんと下目で 聞く新人  意味わかんネエ

あれ~あれ~と 言われる声援 気が抜る  初国際人

頑張って  足っていう意味  イタリア語? 帰国子女

 

くだらないことを書いてしまいましたが、子供たちの言動には驚かされます  

 

09モデルのマッドロックが入荷した。昨年のクリスマスコンペ(12月の22日頃)で実は日本初公開であったらしい?大ちゃん、智子さん、保科くんとマッドロックチームの3人がロッククラフトにそろう・・ということもあったのか、ボクの「忘年会をしましょう」というお誘いの乗ったのか?ネルソンクライミングジャパンのT社長もお越しいただいて、参加選手ともども、ニューモデルには熱い視線を感じていた。

そのときは、サイズが見本である事もあって、ボクは少しニュートラルな感じで見ていたのだが「ぐう」とくる感じを受けていたのであった。偶然・・というか、そんな情報をかぎ分けたのか、ロスキャニやガンズ(どちらも栃木県の宿敵ジム!)の強力スタッフも参加していて熱い視線を送っていた・・と感じているボクが居た。『心を明かしてはいけない、やつらは敵だ!』という思いが強かったせいか、「そう~不運」という感じを装ったのだが、入荷した商品を見て『しまった、これは熱くなるべきだった!!』と公開の叫びを心に発してしまった。

ボクはあんまり靴のことは公にはコメントしない。主観でプロダクツを判断することは間違っていると・・と妙にErgonomics(エルゴノミクス)的発想で、客観視することを心がけて居るのだが、これらのモデルにはHuman Factors(ヒューマンフアクター)的な要素で心理的感動を抑えることができない・・。

何を言ってるのか解からない方は早稲田大学の人間工学科で講義を聴いてみると、少しは理解できるのかもしれない。マッドロックは人とクライミングシューズの融合へと向かっていような気がする。人間工学的発想で言うなら「ヒューマンインターフエイス」とといったほうが解かりやすいのかもしれない。人とクライミングシューズの融合という意味でのヒューマンインターフエイス・・ということである。IT技術によってコンピューターの使い勝手を考える・・という工学と使い勝手の融合という意味でのインターフエイスではない。

どのような流れを経て、このような革新的なシューズへと変貌したのかは、わからないが、単なるクライマーとかデザイナーという領域でのプロダクツ開発ではなく、自然科学と人間の感覚の融合の軌跡が垣間見えるような感じを受けた。まだまだコストの件で妥協せざるを得なかった部分への不満も多少残るが、商品とは、売れる視覚感覚も必要だし、流行心理的側面と価格均衡の妥協点での融合も必要な考え方であろうと考える。単に金融工学的な側面がクローズアップされてしまうと、大きな破綻へとつながってしまうので、企業のサステイナビリズム(持続可能性)を感じずにはおれない。

素直にボクは驚いた・・ということである。商品としては、コンセプト(14700円)を最も高く評価したい。

コンプリクト(14700円)には流行心理が働く。こちらも優れた商品であり、そのクオリテイの高さは、十分表現されているようにも感じる。

ルックス的には、普段着の用であるが、ムゲンテイック(14700円)も実用向きで、初中級者から使え上級者においても、ジムでのオールラウンドな練習に不足のない製品となっている。むしろ一番お勧め・・といいたい商品である。人間工学的表現をするならユニバーサルデザインといえる。

ロッククラフトでは4月以降の入荷になるが、スリップオンタイプのコンタクト(13650円)は御岳などオーソドックスな外岩からインドアのルーフまで幅広く対応できるタイプで流行心理学的に表現するなら、スタンダードタイプになりうる要素を強く感かんじる。

いずれにしてもマッドロックはどうしてこんなに進化したのであろうか。その背景を知りたいとも思うが、シャーマと大ちゃんが来店したときに、聞いてみたい所でもある。しかし、商品の価値を決定する最も重要な要素は売れる・・ということでもある。哲学と経済は成り立たないものかもしれない。今後のユーザー動向を見守りたい。

今回はマッドロックの新作の話をしたが、次回はイボルブについて少し触れてみたいとも思う。

こんな日本ランキング?

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相当くだらないのか、画期的というのか?ボクの日本ランキングが載っているHPを偶然発見してしまいました。僕はそこのランクによると全国5769165位ということです。ちなみにそこのランキングは1300万位くらいまであるので、僕は日本人としてはランキングは平均くらいなのでしょうか><。

喜んでよいのか、もう少し頑張った方が良いのか?  しかし、頑張りようが無いランキングでもあるのも事実です。ちなみにボクは栃木県でのランキングは120471位ということで、こちらではかなり上位です。う~NN、でもやはり微妙です!

何のランキングかというと「珍しい名前」のランキングで、このHPによると、ボクの名前は栃木県では1名だけ、そして全国でも1名しかいないのだそうです。喜んでよいやら、悲しむべきなのか?さっぱりこの状況がつかめません。しかし、ということは僕の名前は世界に一つ・・ということですかね?

ゥ~ん、責任の重さを感じています。・・ということで、今日の日記は終了します。南瓜と蓮根をかって帰らねば・・主夫の責任の方が重たいような気がします・・が気のせいでしょうか?

100年目の孤独

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100年に一度の大不況といわれ、世界経済は混迷の底が何処なのかを模索して、いまさらのように実情をさらけ出す。まるで堰をきったような状況を横並びにさらす。昨日まで(昨年の前半)は今年の景気予想を増益と見込んでいた大手が、数千億円単位で、下方修正を繰り返す。

エコノミストもアナリストも『こんなに急に・・」と絶句状態である『底は見えない・・』のか?

それとも『底が、これから始まるのか?』・・(中略)

何も解からないまま、彼はカリブ海の小さな村に生まれた、女系の家系で、兄弟はすべて女、彼は生まれながらに孤独の中に居た。

最初に衝撃を与えた文学は・・と問われると、彼は迷わず「フランツ・カフカの『変身』だ」と答えたという。確かにボクも中3の頃その作品を読んで、衝撃を受けた。エドガー・アラン・ポーやコナン・ドイル、ェラリー・クインなどの猟奇的あるいは推理小説の系統と考えて、本屋の書棚からピックアップしたのに、そこには(小説の中)自己の存在を自己確認できない自分の存在への心の葛藤がうごめいていた。アイデンティテイ・・不可思議な英単語とであったのも、その頃であった。

カリブ海で生まれた男は、祖父母に育てられたらしい。1度、2度の世界大戦を経験した。祖父母の話は、彼にとっては魔法であり、呪術の様でもあり、悪魔的でも、さえあった(そのように感じた)。ガブリエルは幼少であるときから、文学を目指した。ダコダ大学法学部は文学を目指すものの登竜門でもあった。コロンビアでは文学を目指すものは法学を目指すのが慣例となっていたのだ。日本なら、文学部であろうか、ボクも文学部を目指した(関係ないか)。ガブリエルは17歳から執筆活動を行なっていたという。まさに当時でも、今でも、天才的な創作文章能力を持っていたと思われていたが、実は「祖父母から聞いた話を、ただ文学に置き換えただけだ」と答えたという。やはり天才である。

血の記憶は逃れられない現実。ガルシアは、そう考えてひたすら祖父母の講和に聞き浸ったといわれている。ボクが「100年の孤独」とでったのは、ほぼ30年位前であった。欧米北欧・・日本文学を自分では読み漁り、読み干して新たな刺激を、中東やインドに向けていた矢先に、中南米・・への無知から、ガルシアを見つけた。100年の孤独は、猟奇的な推理小説であると錯覚して、書店に書棚から抜き取ったのだが、カフカのときと同じように『そこには猟奇的架空の世界が存在していたのではなく、日本的に言えば『因幡の白兎」とか「浦島太郎伝説」のような、逸話とか童話では済まされない深い時代背景と文化認識を必要とする、ボクにとっては未知の世界が広がっていたのである。

それは思いもしない衝撃であり、三島由紀夫の「午後の曳航」とか「金閣寺」のような、あり得る文学的現実、ではなく、あり得ない事実を感じてしまったのである・・(中略)

話は100年目の孤独に戻る。

企業の存亡をかけた必死の繕いが一気に現実化したのである。アメリカ経済のサブプライム~自動車産業のいきなりの危機という解釈は成り立たない。起こり得るべきしておきた現実がここにあるのである。危機とは、突然起こるべきものではなく、前提と秩序の中に起こり得る現実なのである。

第一次世界大戦など、中南米の近代史に、どのような影響があったのか?など、ガブリエル・ガルシア・マルケスの小説を読むまでは、蚊帳の外の世界(中南米は戦争とは関係ない地域)と私は勝手に詮索していたのである。

事実は常にそこにあるのである。たとえば「夜間飛行」なる小説を、サン・テグジュベリが書いたことも、たとえば2億5078万・・・(記憶違いかもしれないが)このような数字の羅列が、第二次世界大戦の加害者の国民総数を差し、3本のバオバブの木は日独伊三国同盟を差すなどという発想を初めて読んだ「星の王子様」からは想定できなかったのである。むしろ数字の羅列は目視できる夜空の星の数(天体望遠鏡を含む)か太陽系が銀河系を一周する公転時間の可能性ではないか?とさまざまな天文関係の書物を読み漁っていたのであった。あの頃は(あの頃までは・・といったほうが正解)こんな時間を楽しいとは思ったが、苦痛とは感じなかった。

同じように、今ここにある経済的な未曾有に危機(100年に1度の危機)が特別な経済危機とは感じない自分に、むしろ驚く。

それは、現実が空想ではなく、単なる現実認識の積み重ねにの上に存在する形而下の問題で、それを形而上に持ち上げて考える必要性を感じない自分を感じているからに他ならない。

少し・・随分表現が難しくなってしまったが、適切な言葉が見つからない。文才のないのがネックだ!

私たちは今、何を基準に考えなければならないのか。

企業とは、国家とは、宗教、民族、皮膚の色・・とか、何を基準に成否もしくはアイデンテイテイを見出すべきなのか?

我々がほぼ100年にわたり築き上げてきた、貨幣あるいは金融中心経済、自動車産業中心の生産社会のあり方を、何を基準に考え直すべきなのか・・ということである。

よく聞かれる質問がある「貴方は何故、クライミングジムを始めたのですか、それは産業がいつか儲かるからですか、そしてその先駆者になりたいからですか」と、ある意味では厳しい質問ですが、僕は簡単に答える「文化にしたいからです」

文化の意味は遠く深い、大学時代の文化人類学の先生は「人たれば、文化を持て」と難しい言葉をボクにナがかけてくれた「それが勉強の意味なのだよ」と・・彼はK沢大学の副学長に居る。30年くらいお会いしていないが、ボクのことを覚えているだろうか?

いいや、そんな事はどうでもいい、彼の言葉が今でもボクの耳元でささやく事が大事なのだ。

大学時代の法学部研究室はボクの日課であった。文学部でありながらボクはY浅先生の研究室に毎日通っていた。

ガブリエル・ガルシア・マルケスに習えば「文学を志すなら法学部」がセオリーである。となると今の自分があるのは、法学部の先生と文化人類学の先生のおかげではないのか。それは決して、回り道ではなく、普通の道(たどるべきプロセス)だったのではないか・・と、くそ忙しいさなかに、自分の考えの原点である、師の教えに問いただす・・由、と先生は考えてくれるのであろうか?

金融経済においても、普通の道であるということかな?

 

                 久々のコラムでした

 

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