2009年1月アーカイブ

チャ坊主のブログ

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最近、S水君は元気なのかな~と、竜也と話していたら「驚異的に強いですよ、コンペでは閣下は出ないけれど・・」という話になって、彼のブログがあることを教えてもらった。動画もあり、御岳などの課題の研究にはいいかもしれませんね。紹介します http://blog.livedoor.jp/hiroakishimizu/

最近は「黒坊主」なのだそうです。素敵になっていますね!

「ところで、竜也。たまにはコンペ出ろよ」というと

「オレ、出ないッしゅ」と一撃で断られました。

「ジャ、サポートやめるよ」というと

「う、それは、困るッ素?」・・でも、出ない・・

「ま、いいか、ルートセットしてくれるし、生徒の面倒見てくれるし・・」と妥協してしまった。

『チャ坊主、気合入れているみたいだし、かげながら応援するか・・』と独り言いうと

「結果出るとィイッスね」と心を読まれた感じ・・に唖然とする、ボクでした。

人間長く付き合っていると、妙なところで以心伝心なのかね~

感情表現の一つ

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何故、岩に登るのか?

そんなことを考え続けて30年以上の年月が過ぎ去っていった。、どこよりも高いこと。より困難を求めること。前人未踏こそ究極と考えること。クライミングの手段あるいはスタイルを守り抜き、その究極を求めること・・さまざまな紆余曲折を経て、1982年、僕たちは自由であることを目的として、リバテイ・クライミングスクールを設立した。僕たちはあえて、精神の究極を乾いたのクライミング方法に手段を特化させようとした。そこには、ロイヤル・ロビンスの精神としてのクライミングスタイル「ロッククラフトの基本的考え方」という書物が大きなインパクトを与えていた。どこを目指すのか、あえてアルパインスタイルというロッククライミングの方法論をすべて消去することから、リバテイは始まった。

本来は共存すべき一方のクライミングスタイルであり、僕たちが求める方法論を限定して、そこに自由(フリー)見出すことなど、論理の矛盾としか考えられなかったが、僕たちはその矛盾に、ボクは哲学で、そしてHは実践することで接近を図ったのであった。そこにいたるプロセスになんら論理的な背景は存在しなかった。ただ、何かを否定して、何かにこだわって、クライミングという行為の実現可能な究極を目指そうとした。

そこには、僕たちを進むべき方向に導く羅針盤など存在しなかった。

「とりあえず、サルの行動から研究しようよ・・ビデオ買ってさ」みたいな会話に踊らされて、ビデオデッキを買い、夜な夜なサルの行動(ありは生態)を録画して「サルは何故木から落ちないのか・・」を研究し始めた。僕は動物行動学やら身体生理学などの難しい本を読み漁り、上野動物園に通い「サル山」を眺めては休日を過ごした。

彼は毎日、体育館に行き、鉄棒運動でのトレーニングに浸っていた。

夜は、漫画家たちの楽園「トキワ荘」ならぬ、トキワ橋に通い、城壁の隙間に指を押し込んで、横移動の練習に明け暮れた。まるで黎明期のクライミングは日本の文化遺産の破壊的行動から始まった・・といっても良いかもしれない。そこにはクライミングの一流を自称するすべてのクライマーが連日大挙して訪れ、さながらクライミング界の社交場の様でもあった。

僕たちの目指す「リバテイ」という自由なクライミングスタイルの基本は岩の割れ目・・という弱点を如何について、そこに人間の軌跡を残すか・・ということを究極と考えていた。

その頃は「フリークライミングにおいて、フエイスクライミングは邪道」という概念が僕たちの心を支配していたようにも思う。

何かを否定して何かにこだわって、すべてが解決された先にはフエイスクライミングの可能性もあるだろうが、そのときはクラック、リス・・と言われる岩に引かれた割れ目を如何に忠実に登るのか・・というクライミング哲学の実践を目的として、スクールのプログラムを組み、生徒たちに実践させて喜びを分かち合おうとしていた。今思えば少々強引な思い込みでもあったが、僕たちは純粋に割れ目のぼりに、こだわったのであった。

難問はすぐに現れた、クラックを登る時の指や手のひら、あるいは手の甲などに負うリスクを如何に解決するのか・・という問題であった。

問題はそればかりではない、割れ目のぼりにいたるまでのプロセスにどんなクライミングルートをの登ったり、そのための練習を取り入れればよいのか・・という問題など、難問は多義多数に及んだ。

しかし、曖昧なスクーリングは僕たちの予想を上回り、スクールは1日6000円という値段にもかかわらず、満員御礼であった。装備もすべて持参、シューズ、カラビナ、8カン、などすべて自前、ロープは講習使用はスクールが用意する位で、交通費宿泊費食事など、すべては自己負担、さらにクラッククライミング講習を受けるにはカムロックフルセットを用意することを義務つけた。

強引な方法ではあるが、当時、文句をいう生徒は皆無に近かった。むしろオウンリスクを当然と考えていたのであった。

リバテイ・クライミングスクールの講師Hはすでにカリスマとなっていた。

仲間であり友人でもある僕も、彼のフアンであり、彼に対して崇高な憧れを持っていた。そんな関係は今でも続き、明日、彼の顔を見に行く。特にアポをとって行くわけではない。しかし、時間があればクライミング談義に時間を忘れる僕たちが25年たった今でもここにいる。

クライミングは感情表現の一つであり、難易度は単なる目安以上の何ものでもない。しかし、世間の評価は如何に困難を。如何に前人未踏を・・を評価の物差しにする。僕たちはそんな輩も相手にしなければ、プロとしてのクライミングは存在しない・・という世間の波にももまれていたのである。

経済が伴わない、経済を伴うのを待てば、僕たちは老化してしまう・・困難はどこにでも存在していた。

そんな彼と昨年の12月に会い、ボクは彼の思わぬ言葉に身を震わせた。

「もう一度、一緒に仕事がしたい」

それはボクにとっては夢のような言葉でもあった。

何故1992年にリバテイ・クライミングスクールを封印し、1994年にロッククラフトを立ち上げたのか、

それは彼の復帰まで、その名を封印するための手段でしかなかったのも、隠された話である。

クライミングは感情表現の一つにしか過ぎない

評価が目的ではなく、より困難が評価の基準でもなく・・・そんなことを思いこさせたのであった。

それは小山田大氏の今日のブログのコメントを読んだ後に感じた感情でもあった。

クライミングの感情表現の一つ・・として

2009年3月22日 ロッククラフトはアメリカからクリス・シャーマを招く。

迎えるのは平山ユージと小山田大である。

この3人のコラボレーション実現はボクの発想ではなく3人の発想である。

ボクは、彼らに3人にクライミングの休日を与えてみたかった

3人がプロとしての自分を捨て、僅か数日間、クライミングの愛好者として、自由な空間と時間を共有してもらいたかった。

そんな瞬間が、もうすぐ、ここにくる。

プロとしてのクライミングを脱ぎ捨て、3人の楽しい日本での休日の1日がロッククラフト小山店ですごせることを、ボクは希望する。

何を演出するでもなく・・・

そう30年くらい前、静かだった御岳渓谷で、H谷とすごした柔らかなひと時のような・・・休日のクライミング

そんな穏やかな、休日のクライミングをロッククラフトで共有できれば、3人のコラボレーションに1年以上も時間を費やした僕も、君たち3人も報われるのかもしれないな~と考えている。

 

楽しみな一瞬が、もうすぐそこに迫っている

 

 

 

 

ひまわり

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この言葉を聞くと思い出す映画がある「ひまわり」である。ぼくには連想力が何かも知れない・・と思ってしまう。時は第2次世界大戦、イタリア人のアントニオは招へい?冬のロシア戦線へ向かう。美しい妻ジョバンニとの分かれがたい別れがなせるのか、ところかまわず二人は、わずかの時間で愛をむさぼり、確かめあう。確か16才頃の自分いは、強烈なシーンが続いていたと思う。

アントニオを含むイタリア軍は戦争の終結に岐路を急ぐが、ロシアの冬は厳しく深い。食べ物も尽き果て意識も記憶も失い、1000キロの岐路の途中に倒れてしまう。

帰りを待つジョバンニは、帰還兵の乗る列車や船着場を彷徨う。ジョバンニの写真を片手に、そして生存を信じて・・・一途な愛の形がここにある。

どれくらい月日が流れたのだろうか、帰らぬアントニオを探すため、わずかな情報を元に、彼女はロシアの大地に向かう。そこには多数のイタリア人がロシア人となって暮らしている現実に、愛する人の生を確信する。

どれだけの時間を費やしたのか・・あきらめる事を知らないジョバンニは、彼の生を確認するまでイタリアの帰ろうとは思わない。

ついにアントニオらしい男の家を見つけるが、そこには洗濯物など家庭のにおいが漂う・・・躊躇し戸惑う自分に気がつくが、それでも愛の行方を信じている、典型的なイタリア人女性がそこにいる。

洗濯物が少し動いて・・美しい娘が現れる・・・戸惑いながらも彼女に近づき、写真を見せる。

ロシアの娘は何かを察しているかのようでもあるが、ジョバンニを家に入れる・・・。

小さな男の子がいる「ボンジョルンの~」とたどたどしいイタリア語で彼女に明るィ笑顔で挨拶をする。確信に近い現実を感じて、足が震え涙が止まらない、子供の名前は・???え~っト、そうだかチューシャだから、女の子かだ。記憶があいまいである。

6時15分・・汽車の汽笛にロシア女とジョバンニは駅に向かう。そこには記憶を抹殺したアントニオそのものがいた。いたたまれない悲しくと苦痛が全身を包み込む、彼女はそのまま、汽車に飛び乗り、悲しみに咽び泣く。其の激しさは、列車の乗客をも巻き込み、戦争で引き裂かれた愛の傷と現実を露呈する。

イタリアに帰る、新しい生活が始まる。

ところどころに、車窓を彩る「ひまわり畑」が風に揺れ。激しい夏、あるいは過酷な運命のあり方を印象つけるかのように、揺れ惑うさまは、見事な演出である。

少し戻るが、ジョバンニがロシアを訪れた最初の地には、戦争で亡くなった幾千人のイタリア軍人の白い墓が咲き乱れる、まるで冬のロシア戦線を彷彿させるがごとくである。確かそこも、今はひまわりが海のように果てしなく揺れ、広がり、たくさんの太陽に抱かれた地中海の海の波頭のようにも、写り見えるのであった。

もう、記憶の影に忙殺されたかのように月日を重ねるジョバンニの所に、突然アントニオが現れる。会う積もりもない、記憶の影にも存在していなかった・・アントニオの匂いが彼女の脳裏をよぎる。

やがて、二人は心に強い愛情を感じながらも、切なく別れる。ジョバンニには息子がおり名前はアントニオ・・・『ぼくの名前かい?』という問いにジョバンニは無表情で答える「いいえ、聖アントニオよ、勘違いしないで」・・・・

ひまわりが風に揺れる風景とヘンリオ・マンシーニの曲が、甘く切なく、ぼくの心を打つ・・

これは強い反戦の映画である。大国の意思や思惑に翻弄され運命さえも引きちぎられる。

戦争に対しての強い反発と意志を感じるのだが、そのように「ひまわり」を見る人がいるのであろうか?

何度見た事か・・おそらく「鎌田行進曲」「スターウオーズ」の次くらい何度も時代を超えて見ている映画のひとつでもある、

 

立ち居、振る舞い

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昨日の朝青龍の相撲は見事であった、立ち居振る舞いが日本の伝統文化「相撲の横綱」として「いかがなものか・・」という評論家もいたが、僕にいわせれば「そんなやつ、くそ食らえ!!」てある。

とても痛快で熱くなる一瞬であった。彼はモンゴル人としての文化人である。相撲が伝統文化であり格闘技でないのなら、彼の立ち居振る舞いは見事なモンゴル人の文化具現者として賞賛されるべきであると思う。

もう一つ、すごいレースがあった、大阪女子マラソンでの渋井陽子選手の冷静な試合運びである。彼女は2001年の初めてのマラソンで初マラソン最高記録で優勝した。しかし7年間の苦節を味わったのである。すなわち、2009年1月25日の大阪女子マラソンでの優勝までまる7年間優勝していなかったのである。このことはすごいことである。あの頃・・21歳だった彼女が29歳になっているのである。人生で一番輝く季節を苦難で塗りつぶしていたのである。

しかし、昨日の優勝が彼女の20代を華やかに飾った。同じ栃木県民として、同じ時期(2001年)に会社を設立して、苦節の7年を味わっている自分にとっては、彼女は輝く星となった。僕の会社も彼女の勝利にあやかって、少しは苦節や試練から這い出したいものだが、僕の大学時代の恩師が言っていた通り「試練とか逆風こそが順節(追い風)なのだ」・・・ま、どう転んでも、さいころの目は6個しかないのである・・意味不明な言い回しかな

いずれにしても昨日の二人の行き方は、僕の脳裏に一生焼きついて離れないことであろう・

ユース選手権の日程

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日程 3月28日(土)29日(日)
場所 千葉県 幕張総合高校
募集 130名程度

その他詳細は
http://homepage2.nifty.com/jfa/compe/schedule/info/yc09.pdf
からダウンロードできます。
こちらも早めに参加申し込みしましょう、
参加の最低年齢は1997年生まれです。よろしくお願いします

ジャパンカップの男子は受付終了しましたが、
女子は1月末日まで受付中です。
申し込み用紙は
http://homepage2.nifty.com/jfa/compe/schedule/info/bjc08_apli.pdf
からダウンローで来ます。
さあ、迷わず、自分に力を確かめてみましょう!

登れた・・?

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登れた・・?昨日の昼頃だったと思う、大ちゃんから「登れた・・」と転落があったが、あの感じからすると「不可能プロジェクト」のことだろうとは思いながら、自分の忙しさに忙殺されて、気のない返事をしてしまったような気もした。
昨年は大ちゃん自身としては、久しぶりに成果を感じない1年のように感じていたようだが、今年はいい感じで成果が上がりそうな気がする。
ともかく、おめでとう・・いかなるプロジェクトを成し遂げても、あんまり反応がない大ちゃん(シャイなのかな?)が千恵さんの口からでも伺えるほど感情が伝わってくるような気がした。
まだまだ、山のように日本での課題が山積しているようだし、3月21日からは平山さんとともに、クリス・シャーマとのコラボレーションもあることだし、お互いに刺激しあって、それぞれがもっと先の「世界的な偉業」に向かって気持ちや目標,夢などを膨らませてほしいと思う。
そんなことを感じた昨日でもあった。ボクは娘と病院へ検査に行っていた。いろいろ懸案は多い。

しかし、今日友人でもあり、ダイナウオールの社長でもある、H氏と1時間以上も℡で話し手、勇気をもらった。
勇気をもらった・・といえば、一昨日はK君(保険代理店)との話でも刺激を受けた。
何事もうまくは行かない・・しかし、うまく行かないから実現したときの喜びは大きいのだ。
いつも生徒に言っていることを、友人や後輩からのアドバイスでかみ締めている今日でもある。
「歴史という礎があってこそ、今日がある。アメリカの歴史も過去の戦争でのいきさつがあてこそ成り立つ」
「歴史を踏まえたうえで、あえて明日の困難に立ち向かって行こうではないか」
・・と、そうオバマ大統領は就任演説で語っていたような気がする。「単なる夢や希望だけでは、現実に国家が直面している困難を踏み越えることはできない」
「変革には痛みが伴う、私たち自身の国家の未来、あるいは子供たちに未来のために、私たちの歴史が歴史の今に何を残せるのか・・ともに、民族や宗教、あるいは国家の理念や人種などの壁を踏み越えて、新しい未来の歴史の礎を、私たちはともに構築してゆこうではありませんか」・・・と言っていたようにも思う。

登れた・・
大切なことであり、不可能が可能になるには長く苦しい時間との対話が必要なことを、歴史はいつも教えてくれる。

1月20日には、そんなことを考えていたようにも思う。

長いこと品切れ状況にあった「関東百岩場 関東編」が改定されて1月27日に発売されます。新規エリアとして、「神流町 長座との岩場」「秩父吉田 柴崎ロック」の2箇所を採用、さらに話題の「塩原ボルダー」を完全収録。「神戸」や「裏御岳」のエリアも収録され、必見のないようです。

出版元「山と渓谷社」編集北山真・・です。内容の熱さに、注目ですね!

ロッククラフトでも扱っています。

坂の上の雲・・の様

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「坂之上の雲」とは司馬遼太郎の長編歴史小説である。とても長く複雑で、なかなか若い頃は読むにいたらなかった。正岡子規だの軍人秋山兄弟の人物像なや四国松山などの歴史や風土などの予備知識がなければ、チンぷんかんぷん・・であった。むしろ「竜馬が行く」や「菜の花の沖」や「国取り物語」のほうが解りやすかった様にも思う。

坂之上の雲・・とは、いまだ時代が封建体制化にある日本の現状ととしての、上り詰める坂の途中とそこに渦巻く利権や思想、あるいは夢などが交差する複雑な時代背景を差す言葉として理解できるようになったのは、おそらく40代の後半の事であり、其の上にたなびく雲は届きそうで、実は坂とはつながっていない、非現実的な当時の時代背景を憂う対象物として掲げた、文明開化の象徴として受け止められるようになるのも、50代に差し掛かってからの事のように思える。

司馬遼太郎の小説は、私にとってはあまりにも複雑で、今でも鬼門のように思えるのである。

今日は、アメリカ大統領としてはじめて、アフリカ系アメリカ人のオバマ氏の就任演説がるのである。今回の大統領就任は、歴史的に見てもさまざまな幻想を抱かざる終えない背景に理性を失っている自分を感じる。それは、彼の言動や彼にいたる道程に、リンカーンやケネデイ、あるいはキング牧師の魂の存在や、彼らが暗殺された歴史的事実などを未来に同化し、ありえない・・現実を予測している自分の感情に対しての驚きでもアル。

起こりえない・・といったのは、オバマ氏に対してのテロ行為の現実化に対する未来予測をしてしまう自己の存在の確信的予測をも含むめた考え方の存在にである。

変化・・とは、予測しえないところに存在する歴史的未来事実である。おそらく、正岡子規にいたっては自分が結核?で30半ばにして寿命を全うしてしまう・・という、結果としての事実を、存命中(特に22才頃から)認識していたのだろうか・・また、日露戦争に至り大国ロシアに刃を振るった、明治の中庸の日本民族の自己の過大評価(ロシアに勝てるという認識のたっての交戦だったのか・・という点)にいたっては、いまだに納得が行かない。

それは、後の朝鮮半島への侵略や満州国建国、あるいはアジアの石油資源などを求めた第二次世界大戦にいたる、文型開化(明治以後100年にわたる)政治的判断に人間的理性が存在したのか・・という疑問に対して、日本は、民族として時刻の歴史を正しく検証しているのであろうか?という疑問の存在である。

この道(近代国家への導線)の、坂の上に続く先に、雲(理想や夢)は存在してはいない・・・。司馬遼太郎はそんな事を考えながら、可能な限りの歴史的資料を読み漁り、当事者(正岡子規や秋山兄弟の生き方、あるいはロシアへの開戦、そして昭和天皇の最終意思の本質)を私たちに文学上から警笛を発してみた・・のではないかと、最近は思うようになってきたのである。

アメリカのみならず、20世紀をリードしてきた大国は経済の非現実的現実の把握や予測に油断して、まさに世界秩序はオバマ氏の言葉を借りずとも、今日とは、新しい秩序の創世記に差し掛かっている事に、代わりはない。それは数百年続くのか、あるいは一瞬(数年)内に結論を導き出せるのか・・私にはまったく予測不能な状態が続いている。

今から25年ほど前に南アフリカから一人の「黒いクリスト」が出現して、近代先進国文明の秩序をことごとく変革させる救世主の出現を題材にした小説を書こうと考えた事があったが、まさに、私が抱いた、その空想が、今、そこに現実として立ちはだかっているような現実を感じる。

しかし、それは「坂の上の雲」ではなく、アフリカのサバンナに「突然聳え立つ入道雲」のごとき感覚を私に与える。

夢ではなく、現実の雨・・それは、確実に恵みの雨・・に思えてしまうのである。

歴史はいつも事実を覆い隠そうとする。英雄なき歴史は存在せず、残虐な偽善者あるいは独裁者さえも、時間の雨は歴史的事実を、偶像かのように真実とは遠いものに塗り替えてしまう。

現実の黒い雨はかぐわしい香りを漂わせるだけではあるまい。

おそらくこれから、人類は過去100年~200年に亘って経験した事もない現実に出会うような・・そんな予感に、私はさいなまれている。

オバマ大統領の就任演説のことばの中に、歴史的言葉の発見を喜ぶより、彼の行動と攻防によって導き出された事実としての新たな世界秩序の確立に向かって、私たちは誰からの意志に導かれるのではなく、自らの意思によって変革に参加する勇気を持たなければならないのではないかと、思うのである。

後、1時間あまり・・彼は英雄としてアメリカ大統領に就任するのではなく、彼の行動がやがて歴史に事実として残すものに、過剰な期待を抱かず。私は、そのまま受け入れる勇気をもった、人地の地球人として、見守りたいと思うのである。

 

さて、家に帰って,明日の準備に取り掛かるとするか・・

 

 

 

スラックライン入荷

スラックラインの次期入荷は5月中旬になります。ご予約の順番渡しとなっておりますので、よろしくお願いいたします。ご不明な点はお気軽に向井まで問い合わせください(4月16日加筆)

ドイツ・ギボン社の公認スラックライン(簡単に言うと綱渡りゲーム)が入荷しました。
50mm幅で15mの長さです。どこにでも張ることができて、バランス能力アップになるようです。
発祥は15年?位前、アメリカのヨセミテ渓谷をクライマーが綱渡りしたのが始まりとか言われています。ボルダーラー」クライマー、サーファー、スケーターなどに人気があります。
消費税送料込みで・・13440円で発送(送料別)しますよ!
ロッククラフトではバランス練習に随時セット予定です。

お試しください

 

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早速マイブームかな

 

早速マイブームかなロッククラフトの室内にスラックラインを設置しました。
今日は風が強くて外でバスケットができないので、室内で盛り上がっています。
結構楽しいかもしれません!!

 

 

 

 

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ピエール君が

 

ピエール君が結構うまいです、不良中年君、グレイシー君など挑戦中です

 

 

 

 

 

 

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大変好評です

 

この調子ですと、1月中には在庫(メーカー)がなくなりそうな勢いです。
巷の情報では、トラックなどの荷紐(スラックライン)でも同じだ・・という説がありますが、それは間違った考え方です。
ギボン社のスラックラインはスポーツとしての使用を目的として作られていますので、ラインの性能にもっとも大きな違い(伸縮性がアル)があります。
また、ラインをただ歩く(綱渡り)だけでなく、トランポリンのような性能を出せるのは、ギボン社製のスラックラインのみかもしれません。
長さも15mあるので、さまざまな遊び方に対応できますよ!

ということで、よろしくお願いします  向井

ノースフエイスカップの公式ブログが開設されましたね、これからどんな情報が公開されるのか、楽しみですね
http://ameblo.jp/thenorthfacecup
覗いてみてくださいね

クリス・シャーマとは

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クリス・シャーマとは

おそらく、世界でもっとも、その動向が注目されているカリスマクライマーの一人であろう事は疑う余地もない。
しかし、クライミングというスポーツを認識していない人にはなぞの人間でもあろう。
彼は必ずしも人前で登る事を由とはしていない。あえてコンペ(大会)での成果をクライミングの本質とは考えていないような言動も目立つ。しかし、ひとたびコンペに参加すると観客を圧倒的なパフォーマンスで魅了してしまう。
其のクライミングスタイルや思想などには独特の世界観を感じるのは私だけではあるまい。
そんなシャーマも昨年ひとつの仕事(クライミングの成果)を達成して、新たな目標を模索する日々を送っているようだ。
彼の来日については、1年間くらいの複雑な交渉を強いられた。
日本で、平山ユージ・小山田大とのプライベートな出会いを演出できないか・という両氏との話から、3月の来日への導線が引かれたわけであるが、昨日「来日を楽しみにしている」というメールをいただいても、私としては半信半疑な状態である。
ショーとしてのクライミングではなく、3人の思想をぶつけ合うようなクライミングを期待しているが、果しでどうなる事やら・・?
楽しみではあるが、複雑な心境でもアル。
今回の来日では3月21日には神奈川相模原市の「ストーンマジック」
3月22日にはここ、ロッククラフト小山店への来店が決まっている。今回の来日は、平山ユージ、小山田大とのプライベートセッションが目的であるので、一般の前に顔を出すのはこの2箇所のみである。
3人が、どのような事をするのかは、当日を待つしかない。
楽しみな3人のジャパンセッションでもある。

写真はクリスシャーマ(イボルブスポーツUSA提供)

一気に忙しくなる・・

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年が明けて、あっという間に2週間が過ぎた。
今年の前半はイベントやコンペが多い。
川越も大変だろうが、小山店も大忙しである。
年末のクリスマスコンペはほのぼのとした感じであったが、2月22日(日)の下野(しもつけ)ボルダリングコンペは、小山店としてははじめての公式大会である、事前準備や近隣への挨拶、駐車場や公民館の利用、協賛メーカーへの挨拶や商品協賛など、大会の運営や課題設定などの段取り以外にも膨大な仕込が必要である。

さらに~3月22日(日)には、ロッククラフ小山店にクリス・シャーマが来店する。
それだけではすまない・・
平山ユージさんと小山田大さんも来店するのだ!
こんな大物が3人もそろうのは、まさに奇跡に近い事でもあるが、しかも小山店・・にである。
アメリカと日本とでどのような事をすべきかあるいはスポンサーの意向やプロとしてのさまざまな条件をクリアしなければならないので,しっかり骨がおれる・・。

3月22日のイベントの詳しい内容は追って、公開しますが、おおむね18歳以下の若いクライミングアスリートと会員向けのイベントにしたいと考えている。
シャーマ来日の23日以降の行動は伏せさせていただきます。
詳細については、専門誌に取材を任せて、何があったのかは
紙面上での公開にしようと考えています。

こちらの準備も大変です。
シャーマは「皆さんと会うのをとても楽しみにしています」
と今日メール伝言がありましたが、彼の言う「皆さん」とは平山君と大ちゃんの事だと思います。

なんとなくロックのお客さんも相当楽しみにしているような気配を感じますね~

という事で、ロック先生は4月いっぱい超多忙ナのです。

23億人の移動

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中国では春節(日本でいう新年)の事であり、2月19日頃をさすが、きしくもその日は僕の誕生日でもある。
元来日本も中国暦を使用していたので、むかしは旧暦で正月を迎えていたのだろうが、そのような時代にぼくは遭遇してはいない。
日本でも年末年始には2000万人位がお正月を故郷や行楽地で迎えるための大移動があるが、中国ではその人数たるや半端な数ではない、なんと23億人の大移動・・といわれている。
日本なら人口1億2000万人に対して、その2割程度が移動するのであり、納得できない数ではないが、中国では人口13億人に対して、23億人が大移動するのである。視線を変えれば地球の人口の1/3あまりが中国国内での移動を行うのである。
物理的に納得するには、中国の人口の概念を60億人以上に変換してみないと納得ができない数字のマジックでもある。
しかし、中国の人口も果たして13億人ですむのであろうか?という疑問もここに存在する。
もしかしたら、中国の人口は既に60億人に達しており、そうなると地球の人口は既に100億人を超えている・・という可能性だって考えられないのか?と思ってします。
現在世界が抱えている食料や代替燃料(ガソリン以外の燃料)の問題も事実の誤認から発生しているとは考えられないのだろうか。
ヨーロッパにおける天然ガスへの依存はロシアに対して20%もあるようだ。ロシアとウクライナの関係悪化がハンガリーやブルガリアのエネルギー危機を生んでいる。
キナ臭い危機はイスラエルと周辺諸国にも及ぶ、しかし、世界の審判アメリカは笛を吹かない。
民族の大移動は中国の春節のみではなく世界が直面している危機をなんとなく示唆しているようにも感じるのは、ぼくだけの気のせいかな

松尾さんからの書き込み

この掲示板で向井先生に度々紹介していただいている松尾です。
過去を学ばずして明日の展望なし と私は常々考えておます。例えば数年前、米映画の硫黄島からの手紙の公開によって 大平洋戦争における硫黄島の激戦が人々に知らしめられる、という胸を締めつけるような出来事がありました。私は歴史好きであるためか、栗林中将の卓越した統率力、バロン西の奮闘、米軍の死傷者が日本軍を上回る死闘であったこと、沖縄防衛の為に第二御楯隊と呼ばれる三十数機の特攻部隊しか援軍がなかったことなどの事実を知っていた。しかし教科書はそれを伝えない。個人の葛藤や感情はそれぞれであったにせよ、日本軍死者二万八千名が国の為に尽くしたことに変わりはないはず。それをあろうことかハリウッド映画によって再認識させられるとは・・・胸が痛い。
大平洋戦争は軍部の独走によって引き起こされたと教科書は書き記す。しかし、その独走を許したのは果たして誰か?争いを恐れて軍部に迎合し、財界と癒着していった政治家の腐敗こそが根本ではなかったか。
悲しいことに、金と政治、官僚政治の文字ばかりが浮かぶ現代とあまり変わらないように思えたりもする。切ないことである。
明治維新以来、名もなき漢(おとこ)達の死によって成り立ってきたこの国は、いつしか政治に何ら期待せず、関心すら示さないようになってしまった。
漢がいない。きらめく人物がいない。
さて、忘れもしない昨年の四月十日、私はロッククラフトに出会った。以来、一時間半かけて週二回以上は通っている。ガソリンが異常な値上げを続ける中、何の為に小山に向かっているのか、を自問自答する日々もあった。
だが、ロッククラフトには漢がいる。年齢、性別にかかわらず、きらめく人物がひしめいている。それは目にした者でなければわからない。
まさに愉快、痛快。きらめく人間のオーラは周囲の人々をも感化する。
事実、拙書『士道に背く者あり』を出版するという無謀なる勇気は、ロッククラフトとの出会いから生まれたのだ。
恐るべきはロック先生、なのである。

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そんなことはないけれど・・  muklai

確かに、歴史はいろんなことを教えてくれますよね。
僕は確かに大学で歴史学を学んだのですが、最初の先生は「過去の教科書に書かれている歴史を捨てて、心に感じるものを、新たに検証してみないか?」というようなことをいわれました。
過去の歴史的事実といわれているものは学習によって知識として脳に刻み込んだものでしたが、それを捨てる、あるいはリセットして検証しなおすまでには、長い自分史が必要でした。
登山とであったのも、その登山行為の究極といわれるアルピニズム(あるいは岩、雪、氷からの登攀と、その思想)に疑問を抱かせたのは、大学で出会った二人の先生との出会いでした。一人は一昨年大学を引退した、Y浅先生で法人類学の立場から私をヒマラヤ、それも未踏の山岳へ導いてくれました。彼の考え方、あるいは思想はわたしの中で悶々としていた歴史真理の究明への、さまざまな思考的方向性を示唆していただきました。
毎日毎日、殴られるために先生の研究室た自宅への訪問の日々は今でも新鮮に、しかも鮮やかにわたしの心層に深く根ざしている重要な時間の積み重ねであり、わたしの思考を支配する重要な自分史であったと考えます。
また、同時期に文化人類学者で登山家であったK野先生(現、金沢大学副学長)との出会いも、わたしの脳の思考を大きく変換させたすばらしい先生でした。
ネパールヒマラヤ、ロルワーリングヒマールでのフイールドを何十時間もK野先生から伺いました。
歴史学に文化人類学意的思考の重要性を示唆してくれたのは、k先生にほかなりません。
この二人の先生は会議の席では議論を繰り返し、はらはらするような過激な言論による闘争を繰り返しているのですが、あるとき3人で御在所岳(鈴鹿山脈)へ岩登りにいくことになり、岩の上で語り明かした時間は、今でも、とても鮮明に
覚えています。
「議論することは必ずしも敵対することではない」ということを学んだようにも思えます。

歴史とは、あるいは政治的対立、思想的対立、宗教や経済的対立を生み、それらの対立からの回避行動が国家の形成を生み・・しかし、国家の概念の未成熟な人類の2000年(あるいは4000年)の歴史自体が国際紛争の源となっているのも歴史的事実でありましょう。

概念だけでは何も生まれない?
しかし、概念が無ければ哲学は存在せず、今日の科学的発展も無かったのではないでしょうか?
人類にとって、果たして「宗教は必要か」といったのはB・ラッセルの言葉でもありますが、今日の国際情勢を鑑みますと、人間のエゴを感じてしまいます。
こんな時こそ動物行動学者K・ローレンツがいった伝説の「ソロモンの指輪」が必要なのかもしれませんね。
おそらく人間以外の生物には、利害も打算も金銭欲もなく、ただ在るがままに生きる理性がそんな辞しているような気がしてなりません。
脳科学によると理性と学習は人間に与えられた特権のように提起されていますが、理性とは自然の摂理に従うこと・・ではないか?・・と、ふと、思うことも多くなってきました。
地球の歴史(おそらく46億年)においても、宇宙の始まり(ビックバン)の存在においても、真実よりも人間の論理的思考のほうが優先されていると思われる人類の錯覚からの脱出こそがこれか他の地球秩序回復へ向けての大きな課題であるような気がします。

人間の歴史など、地球の歴史から比べれば「風前の灯火」にしか過ぎないのです。
もう少し「真実を真実として純粋に見極められる」人間を育てる必要性を感じますね。
開口腱の「裸の王様」が懐かしく思われます。

「士道」とは日本人の古い概念ににしか過ぎませんが、スターウォーズではありませんが、理力をもったナイトの出現のために、わたしたちは日常を信じて生きてゆこうではありませんか。
日本はとても恵まれた国です。この国には理性が存在します。
そのすばらしい文化をもっと新たな世界秩序確立にむけて、貢献できる日本人の育成こそが、政治や教育にもっとも求められることでは在りませんか?

日本人には士道は存在するのです。
そんな素敵な日本人であることに、多くの日本人が気がつくとき・・世界は少し、変わるかもしれないと・・僕は考えます。

相変わらず支離滅裂?な文章ですね、察してください。

栃木トヨタ自動車の

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栃木トヨタ自動車の お客様向け情報誌「The Circle」の2009年新春号の表紙をロッククラフトが飾りました。
栃木トヨタ自動車様、ありがとうございます。
今年は良い年になるといいですね。
そういえば30年位前、ネパールヒマラヤへ海外遠征に行くとき、トヨタ自動車本社に協賛の依頼をしに行ったことがありました。20代前半の若造でしたが、快く協賛していただいたことを今でも鮮明に覚えています。
おかげさまで・・というか、あいにく未踏峰ガウリサンカール(7125m)の登頂はなりませんでしたが、スポーツ交流、3600mの高地に軽量鉄骨の橋を架けること、陶芸技術指導などの国際交流は無事に済み、ネパールと日本の国際交流の架け橋になったのは、皆さんのおかげでした。
日本で初めてのネパール展も名鉄デパートの協力によって達成しましたし、「ヒマラヤにかける橋」というドキュメント番組も名古屋テレビをキイ局に1981年の成人の日の特別番組として放映されましたね。
あらからほぼ30年ですか?あの時、青年だったボクもすっかり親父になってしまいましたね。

あの時は本当にありがとうございました。


30年後のボクですが?

30年後のボクですが?あの頃はこんな仕事をするなんて、想像もできませんでしたが、50歳を過ぎてもこんな風にルーフをクライミングできるのですから、継続って素敵ですね!
こちらは「THE CIRCLE(栃木トヨタ自動車)」の記事として取り上げられた部分です。
黄色い因果ブランドのクライミングウエァーに身を包み、クライミングしているのは、なんと私です。
あんまり、皆さんの前では登りませんが、多少は登れるのですよ!

箱根の剣

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お正月の恒例行事に『箱根駅伝』がある。
今年も多くのドラマを生んだが、圧巻であった。
まず第一に挙げなければいけないのが、東洋大学の初優勝であろう。不祥事により出場さえ危ぶまれた環境を全員に意識と練習で高めた完全ゆうしょうであった。
前半はやはり5区を走った柏原君の激走であろう。
神の宿る登りで、監督のアドバイスを無視しての速いペースで区間記録を更新する走りには感動してしまった。
後半(復路)での早稲田大学との一騎打ちは手に汗を握り、感動の涙を生んだが、前半での5区の奇跡がなければ、あのような劇的な展開は見られなかったと思う。
柏原君は言う「奇跡は信じるものではなく、勝ち取るものだ」という言葉は、今年の名言にすでにノミネートされそうでもある。
また、監督の緩やかな包容力のある指示はコーチとしてのあり方を新たに示唆してくれたような気もする、自由にそして「強さの源は、練習によって生徒自身が勝ち取るものだ」
という言葉には、控えめで、しかし温かく強い意志を感じた。
まさに箱根駅伝には日本人が歴史のどこかに置き忘れてしまった「武士道」があるような気がした。
参加22チームで唯一タスキを繋げられずにクリア上げになってしまった城西大学に石田君の走りも感動を呼んだ。
低血糖症に陥りながらも、繋げられなかったタスキを握り絞めての走りは、彼の今後の人生に大きな勲章というタスキをつなげることになったと思う。

年末に娘と見た映画「恋空」で君の空になって、いつでも君を見つめていたい・・と死んでいった彼の言葉・・。
その行き詰まりの恋の終焉を迎えるラストの30分を泣きと落ちている僕を、娘は冷たい視線で「ばっかじゃない!」
といったが、泣ける自分と泣けない娘の歯がゆさを感じた映画でもあったが(娘は本で読んでいたので、客観的に見れたようだ)、その感動よりも、淡々と、しかも淡々の中にある真実んもドラマのほうがよりいっそう僕を感動の渦に引き込んだ。

報われようとする努力より、全力を尽くして淡々と行う日常の・・しかも一見つまらない練習の積み重ねこそ、若い時にしか共有できない体験であろうと思う。
派手で、華やかで、しかも美しい・・とは、結果としての理想かもしれないが、僕はむしろ、タスキをつなげられなかった城西大学の陸上部にエールを贈りたい・・と思う。
参加22校あればこそ、そして、予選で敗退して参加できなかった多くのアスリートや関係者、そして応援する観衆があってこそスポーツは士道(日本人としての文化意識)につながるのである。

大切なことが何処にあるのかを、淡々とこなす毎日の日常練習に感じるようになるのは、いつの日のことであろうか・・と、僕にとってのクライミングスポーツを見続ける毎日は、これからも、ただ淡々と続くばかりである。

今年は、良い箱根駅伝であった。

ロッククラフトの初練習も、良い「登り初め」であったと思う。

士道に背く者あり

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士道に背く者あり 新春から難しい言葉が飛び出しましたが、これは松尾隆久氏の短編小説「士道に背く者あり」のタイトルであります。
彼は看護士として勤める傍ら、毎日せっせと歴史小説をしたためる・・というつわものであります。
おそらく彼と出会ったのは1年ほど前のことであります。
ボクも詭弁の使い手として(勝手に自負)文学部物理学科と嘯いておりますが、大好きな科学者は元ハーバート大学理論物理学者トマス・クーンや元雑誌ニュートンの編集長であった、竹内均氏、最近では養老猛氏などの文学的物理学は大の好物でもあります。
ちょっと(かなり寄り道ですかね)話題がそれましたが、本来は文学部歴史学科で中世史が専門でありましたが、文献の少ない中世の歴史を研究するのは、文献の少なさと検証方法に限界を感じて、もっぱらは幕末~現代を雑学的に考えるのが好きであります。
特に科学不在の幕末に医学や理学を用いて、時事を検証しようという流れには重さを感じます。歴史とは文学のみにて検証を可能にはしません。
むしろ養老猛氏の説で考えれば、X軸(文学)とY軸(科学)との融合こそが重要な時代へと突入しているような気がします。
単なる詭弁と想像力だけでは歴史の事実は検証できませんし、科学だけでは、事件の科学的証明に帰結してしまい、歴史的人物の心の内側はないがしろにされてしまいそうです。
史実のみでは心に残るものは生まれませんよね・・?
特に幕末の鳥羽伏見の闘いから函館戦争への数ヶ月のドラマには多くの犠牲と思想、さらには科学的歴史の解明が急務の様でもありますが、そのほとんどが、文学者の創造性にゆだねられている・・というのも事実でしょう。
司馬良太郎やその他の歴史文学から削除された、僅かの瞬間、海臨丸での北上中の武揚や歳三の心情を大胆に仮説し、歴史的事実と組み合わせて検証し文学の域に高めようとした、松尾氏の心情には並々ならぬものがあったようにも考えられます。
ここにある文学的事実には、深い洞察力を必要とする考察力や構成力が問われますが、一般的な読者には、難しい局面の歴史観を要する小説でもあります。
「もっと長くは書けなかったのですか?」という問いに
「予算の関係上・・」と現実的な答えが返ってきました。
私の想像ですが、彼は膨大な資料を元に自分流の幕末史を検証したかったのでしょう。
特に、かつての日本人が武士道に抱く強い執着、あるいは現代日本人が喪失してしまった、減日本人の理念を回顧的な考え方で現代に問いただしたかったのではないのでないのだろうか?という疑問さえ抱かせる短編でもあります。

日本人とは・・という疑問を、その固有の文化(士道としての固有文化)をどのように検証し未来に伝えるべきなのか、または現代日本文化には武士道なる理念も伝統も戦後の高度成長期に押し流され、消失してしまったのではないのか?という疑念を文学に問いただしてみたかった・・のではないかと、私は思うに当たりました。

人間とは、理想に生きることのみではなく、同時に人間として人間臭くいくなければならないものでもあります。
文学に美学を求めるなら、人間の持つ醜悪を文学作品に昇華させるには高度な文学的才能と感性が必要でしょう。

もう少し時間、あるいは原稿用紙があれば、彼の言わんとする部分も浮き彫りになったのではないかと、私は考えました。
難しすぎる文明開化の一時期に、これほどの英傑を多数配した日本の歴史も、もう少し多角的に検証する時代が、いつの日にか来ることを、切望して止まない自分がいることに気づかせた・・という点においては力作であったのかもしれません。
しかし、これほど軽く、しかも軽妙に、醜悪な人間の本性に迫ることなく、短編として帰結することこそ、松尾氏の狙いであったのかもしれません。

興味のある方は、ご一読ください

新春に、幕末から維新への文学論を書くことのなろうとは、自分でも及ばないことでした

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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