伸びしろを育てる・・というのがボクの指導の仕方でもある。今、どのくらいの難易度がレッドポイントで登れるのか、どんな高度なテクニックを子供たちが駆使するのかは、まったく感知しない。
むしろ否定することが多い。
技は自分で開発するものであり、技術は真似することでもない。
始まりは真似かも知れないが・・。
「先生、ボクの登り方は正解ですか」
という問いかけに明確には答えない。
そんな我慢の日々を7年も費やした子供たちが、最近は中学、高校へと進学している。
今日は物理だ、生理学だ、天文学だ、地理だ、歴史だ・・と、偉そうに引き出しの多さを鼓舞するかのような時期も在るが、クライミングというスポーツは万物の霊長である・・とも考える。
人間が万物の霊長なのではなく、石の存在こそが地球の歴史そのものであり、人間固有の領土として、地球は存在しているわけではない。
おそらく、人間の知で、幾ら謀を企てても、宇宙の摂理には到底及ばない。むしろ知力を駆使して勝ち誇ったつもりでいても、新たな真理がその前立ちはだかるものである。
人間の歴史は僅か700万年にしか過ぎない。
蜘蛛は3億6000万年も糸をつむいで止まない。
ゴキブリは1億2000万年もいかなる環境にも対応して生き残った。
地球の温暖化、エコ?
何が社会正義なのか、道徳とかモラルとか、自分流に「損得」で考えるのではなく、持続可能性を鏡に考えたいものだ。
古人の教えに「明鏡止水」という考え方が在る。
止まっている水は死んでいるから鏡のように静寂を保ち、意真の自分を映し出すのであろうか?
日常とは、変化を求め、あるいは刺激的な現象の事ではなく「普段」に等しいという事も考える必要性を感じる。
今日は良い練習であった。
中学1~2年の男子がこぞってオンサイトグレードを更新したのである。ある意味では辛い・・?
しかし、世界は広き宇宙である。
成果を求めるのではなく、日常を求める姿勢が、結果としての成果を生むだけのことである。
淡々と・・
常に日常を大切にして「あせらず、ひるまず。困難に直面したら帰れる基本を持つこと」の重要性を、彼らは掴んだのかもしれない。
小さな一歩であるが、されど一歩である。
今日君たちは、さわやかな笑顔と挨拶を携えて帰っていった。
もう廊下を走る少年期を過ぎ、青年期への脱皮を図っているのかもしれない。
ボクも今日は、久しぶりにすがすがしい気分で満ち溢れている。
・・さて、5本くらい練習ルートを作製してから、帰るとするか・・