2008年11月アーカイブ

我思う、ゆえに我あり?

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真理の瞬間

少しもじって見ましたが、ルネ・デカルトの考える主体としての自己とその存在意義についての格言であったと思われます。
このような考え方は、高校の世界史として、特に名門大学を受験するインテりでなくても、なんとなく覚えている言葉の様にも思われるのですが・・いかがなものでしょうか?

宗教(あるいは神学)があらゆる学問の最上位に位置していた時代の、科学的論証方法や、科学の宗教からの独立性を促した、画期的な考え方の数々が、デカルトの方法序説などのに、ちりばめられております。

1)良識とは、もっとも公平に分配されるものであって、それは理性とか秩序の本質とも考えられる・・~

すなわち、社会にはモラルがあり、秩序も必要です。
安易な選択は、社会秩序の崩壊を招きマッすよ・・とでも言いたげです。

2)真理とは、発見者が少ないから到達できるのであって、推論者の多くと議論しても論理的な証明には結びつかない・・

言いたい者には言わせておきなさい。むしろ一人で暖炉にあたっている時こそ、真理は傍らに潜む・・。
最近の脳科学に言わせると「真理はアイドリング中に、むしろ目覚める」という感じなのですかね?
ま、難しいことはさておき、最近の大学生の麻薬汚染には驚きます。犯罪ではなく、合法的に入手できるから、試してみた・・とか、意識の低下というか、モラルが低いというか・・

大学とは前頭葉に刺激を与える最高教育機関のはずですが、経営が先なのですかね?

それとも、学生の質の低下・・と、言い切るのですかね?

今回は、特に方法序説の第3部「道徳律」でも呼んでみてはいかがなものかと考える僕って、相当おかしいかな?

 

それでも地球は回っている?

専守防衛と永久平和の維持とは何か?
憲法の解釈には現実との隔たりを感じを昨今でもある。
そもそも、日本国憲法が制定されたのは、1946年、現代文字ではなく、現代人には非常に読みにくい言語表記でもある。憲法記念日が5月3日であると知る由もなく連休であることのほうが重要な日本の社会。さしずめ施行されたのは1947年という事になど、感謝もその真意を考える由もない。

日本憲法も、世に言う「断崖の世代」であろうか。言い換えるなら「後期高齢者対応憲法」といってもよいような、古い考え方ともいえる。
憲法とは国家の健全な発展を担う、子供たちの未来、あるいは日本の将来の「あるべき方向性」を示唆するべきものであってほしいと思う。

「おい、俺の描いた円を壊すな!」とはアルキメデスの最後の言葉だったと云われる。ローマ軍の侵攻に対してもなお、自分の考え方を曲げなかったのであろうか?

「それでも地球は回っている」とは、ガリレオ・ガリレイの言葉とも言われているが、宗教体制への批判的な発言が、科学を生んだ基盤となったことに変わりはない。むしろ、コペルニクスが何故、宗教裁判にかけられず、肯定され(?)ガリレイだけが、言い訳をしなくてはいけなかったのか・・を考えたい。

あらゆる面において、時代を先駆ける人たちは、とかく批判の対象として、矛先に吊るされる。

元・航空幕僚長の発言は、果たして、時代のさきがけとなるのか「人の噂も、48日である」
難しい判断を強いられる言葉である。
今回の国会証人喚問については、よい機会であったように思う。
「それでも持論を曲げないのか」
「それが現実だから・・」

この時代に、アルキメデスやガリレイがいたなら、どのような面持ちで、テレビを見ていたのであろうか?

多分、世論とは関係なく、迷うことなく、自分の世界の真理を追求していたことであろうと、僕は考えるのだが・・。
勇気ある発言である。

大きな本、小さな本

昔(20年位前までは)ずいぶん本を読んでいた。幼稚園の頃だったと思うが、小鹿物語や裸の王様に始まり、ロビンソンクルーソーや15少年漂流記、失われた世界などの冒険小説、小公子や罪と罰、人形の家・・ゼロ戦の栄光と悲劇や白い雲(アイガー北壁初登攀の記録)旧約聖書から新約聖書・・など100冊を超えたのは?小学生の頃だったと思う。
中学に入ると読書の傾向は大きく変わった。推理小説の海外物はほとんど読み漁り、一方アンネの日記などの自伝的小説を読む一方、リルケ・ロルカ、ランボーやボードレールなどの詩集も読み漁った。
これら海外の文学や自叙伝などは世界を指し示し「大きな本」であるという印象が強かったように思う。その傾向は高校生になっても変わらず、図書館にない本は、本屋で文庫本を買い、読みきったような気がしていた。
少年少女世界の名作文学全集全50巻は高校時代に何度読み返したのかはわからない・・とにかくサッカー以外に時間は、本の世界か詩を欠くことに費やした日々を送っていた。
本を読む興味の本質は、僕の歴史認識を変貌させていったことに変わりない。
作家や音楽家、芸術家や科学者の自伝などを読むことで、浮き彫りになる「その国の歴史的背景」へと興味は変わっていった。
常に僕の読む本は世界を意識していたのだった。
しかし僕の世界観が変わったのは大学に入ってからであった。
すなわち僕の意識していた世界とは日本の外のことであ利、僕の考えていた世界は主にヨーロッパを指し、世界というなら北米や中南米、アフリカや中東アジアやインドなどの文献や文学、人物や歴史観などには、ほとんど興味を示していない自分に気がついていなかったのである。
特に日本の近代文学はほとんど未知の部分でもあった。
興味を日本文学や歴史へと向けさせたのは「午後の曳航」という小説であったようにも思う。
そして梅原猛の「考える楽しさ」という本を、大学時代の先生の書斎から盗み出して読んだ頃から、哲学や思想、物理学などの本も読み漁るようになっていった。
一方で専門?である日本史、あるいは裏面史の考察に対してもlyぷみをそそられた。特に森克己先生の「満州事変の裏面史」は学会へも参加して、興味をそそられたのを思い出す。正史に対する位置にある歴史観の重要性は、フランスのアナール学派などの歴史考察手法である「歴史人類学」への興味となって現れたが、大学では否定された。

僕のとって世界は大きな地域であり、宇宙は無限であった。
対照的に日本は小さな地域であり日本の歴史観は小さな歴史であって小さな事は意味の薄いことで興味の本質ではなかったが。簿君読書の傾向は1980年頃から大きく変貌を遂げ、今では小さな地域、あるいいは考え方の概念であるが「小さな本」に興味をそそられる。
それは、あえて変化を促したり、ベストセラーや賞をねっら物ではなく、自分の等身大で考え付いたことを書き綴る・・という書物の重要性である。
そういう意味では堀田良衛などは好きな作家の一人であった。
大江健三郎や司馬遼太郎の作品も好きではあるが、本の質が大きくて「大きな本」を感じてしまう。

今は読みかけであるが「士道に背く者あり(松尾隆久著 日本文学館 840円)は小さな本である。
幕末の混乱期、世界を目指した幕末の志士たちがいた。
一方、幕府にそむき「この国の行くへ」を案じ、死した者たちもいた。そのものたちの死は大きな死であった。
そして、図らずも生き残ったものたちは、政府を開き、西欧の、大きなうねりに飲み込まれる道を選んだ。そのものたちの生き様は「小さな歴史」であるはずなのに、大きな影響力を与えた人々であると、日本の歴史教科書はとどめている。

何が大きくて何が小さいのか・・そのことを僕に初めて教えてくれたのは「アンネの日記」であり「二十歳の原点(高野悦子)」であり「みんな同じ夕陽を見た」などの高校時代以前にに出会った小さな本の影響のである。
本人の意思とは別に世論や社会が彼らの小さな心の軌跡が、当時の社会心理に与えた影響の大きさをかんがみる。
それは「プラハの春」であり「フランシーヌの場合」でありあるいは「ジャンヌダルク」に追尾した民衆の力の存在である。
近年では1989年のベルリンの壁の破壊にかかわった民衆の力であり、天安門事変?で戦車の前に横た、無名の人の生き方でもある。

あるいは湾岸戦争で流出した石油にまみれた、真っ黒く佇む海鳥の残影でもある。

何が大きくて何が小さいのか?
有形の財産としての偉大さより、路傍の石、あるいは道の途上に佇み自己を見つめることの大切さを痛感する、今日ごろでもある。

本は、事の大小にかかわらず、自分に大きな影響の影を落とすものである。

 

明日に木を植える

タケシは自然を崇拝し、人間のおろかさを恨んだ・・とは、ボクの知人の言葉である。

タケシは釧路川で「去年はこんな大きなイトウを2本も釣ったのに」と両腕を広げた・・

そんな話がテレビで流れると、僕の遊び場(根釧原野と釧路川)は内地の釣り人で埋め尽くされた。

僕の知る限り、イトウという魚を釣ったものは一人しかいない。大きすぎて僕たちのつり道具では吊り上げられないのだ。ボクの友達は語った「僅か50センチのイトウを吊り上げるのに、1時間半もかかった」と

「あなたは、明日に木を植える人ですね」とはタケシの辞世の句である」・・と、ボクの知人Tは言った

「ボクは詭弁を駆使する作家は嫌いだ」と断定た。今からほぼ20年前のことである・・と思う。

タケシの「裸の王様」は現実を直視しない大人社会を、ある意味では揶揄していたのかもしれない。

しかし「作家は現実に生きない。言葉は巧みだが、大きなイトウが釣れればよいだけなのだ」

とボクの語気は荒かった。Tはそれでもタケシを擁護していた。僕に同調するでもなく、しかし、無慈悲にタケシを賞賛するわけでもなく・・微妙な会話が深夜にも及んでいた。

其のタケシとは開口健のことである。しかも、健はTの幼馴染・・ということで、ボクは驚きを禁じえなかった。

Tは言った

「タケシの辞世の句は、ボクに残した最後の言葉なんだ・・」と

さらに続けて

「あなたは、明日に木を植える人がボクである・・といったが、私は単なる商人であって、明日に木は植えない。この言葉は、むしろ、君に送りたい・・」と

その夜、ボクは眠れなかった。T氏の自宅には宿帳があって、宿泊者は宿帳に言葉を残す仕組みになっていた。その宿帳には有名な作家などが記帳していた。

「皆、勝手に書いてゆくんだが、君にはぜひ、言葉を残してもらいた」

そういわれて、言葉の重さを痛感していた私が、夜を眠らせなかった。

夜の底が白くなってゆく頃(雪国風であるが)ボクは、こう言葉を紡いで、その宿帳に書き記した

 

たとえ明日に

地球が滅びようと

私は、今日手にした

1本の樹を植える人・・でありたい

・・・・と。

 

明日に樹を植える・・・そんな生き方を、今でもボクはしているのであろうか?

我、思うが・・答えは風の中・・・道、途中である

 

 

 

12月1日(月)は早起きして「おはすた(12チャンネル・午前6:45~7:30)」を見てください。ロッククラフトが子供たちと共に出演します。

 大貫さんとおやき君のユニット「高田コーポレーション」がジュニアスクールに1日体験しました。
撮影は述べ7時間(2日間)くらいでしたので、5分位は映りそうですが、なんともいえません。初日の撮影には、多数の見学者がいらして、ボクは相当パニックうをおきしてしまいました。
10Pくらいの台本もあり、NGを連発してしまいましたが、子供たちや父母の方は相当楽しんだようです。
2日目の撮影は7時間の貸切で行ないました。
細かい点の取り直しや新たな展開のシナリオでした。
おやき君は相当疲れていたようです。
内緒ですが大貫さんは、初め6mの壁に挑戦したときはマジになってしまって「タレントがマジで怖がってどうするんだ!」とデイレクターに叱られていました。
タレントって素と演技では、まったくがうのがよくわかりました。
とても人間的に良い人でしたよ。 

では、12月1日午前6:45から12チャンネルでお会いしましょうね!

 このショットは、撮影終了後でした。その後サイン会、撮影会で1時間ぐらい盛り上がっていましたね。

初めて・・ではないけれど「ロッククライミングは初めてじゃないけれど・・といっても2回くらい体験したかな?」と、自動ビレイで6mの高さに体験!

「やる気が沸いてきた!!」
と、いきなり14mのルーフにぶら下がる、女性2人

「箸しかもったことがないのじゃあ~」
という僕の制止を振り切り、いきなり『がぶり』と天井に食らい付く!!

「ん・・ねえ、体が・・どうなっているの!」
「エ、ここは何処!」
精悍な顔になる

「んん、御主たち・・やるな!」

なんと、体験講習が、いきなり天井歩き・・「まるで蜘蛛がコウモリ担った気分よ!」
と盛り上がる~

最近の若い女性は気持ちも強い!

初心者、天井歩き体験講習会(ただし」女性限定)

なんていうのも、楽しいかも知れませんね

人生で初めての経験

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人生で初めての経験ロッククライミングとはかなり抵抗感の在るスポーツである。それは数百mの弾劾絶壁を素手で登る・・といイメージが日本人の深層に根ざしているからなのかもしれない。しかし、それは水泳とはドーバー海峡を泳いで渡るものだというイメージと大して違いはない。水泳にプールをイメージして「安全」と考えられるようになるまでには、戦後(1947年頃からでも40年くらいの時間を必要とした。ロッククライミングの練習施設が、関東に出現したのが1991年、Tウオールやパンプなどのメジャーな施設が設立されてからでも10年と少ししか経過していない、というのが現状である。戦前の話になると「フジヤマの飛魚」と歌われた古橋広之進さんが水泳の練習をしていたのは、用水池、消火水池、河川湖水であったという。日本選手権で初めてプールというところで泳いだ・・語っていた・半世紀以上も前の話である。今日プールは全国に6万箇所を越えるといわれるが、イギリスには55箇所しかない。大学の数と同じくらい・・との事である。我が日本は大学の数だけでも400を超えるし・・なんと豊な国であろうか?習い事の定番は「とりあえずスイミング」となったのは近年である。クライミングが欧米の学校教育に採用されて久しいが、日本では非日常体験的なスポーツなのである。

今日は在る中学校の若き母(昭和の少女)たちがクライミングを体験学習に来た。
準備体操をしている姿には少し引いてしまったが、なんと達成率は偏差値に置き換えると80を超える勢いであった。
まだまだいける・・そんな感じを受けた。
参加者全員が中学生の子供を持つ母親である。
しかし、子供のようにあるいは向きになって、あるいはこわごわと、壁のぼりを楽しんでいた。
「人生で初めての経験でした」と皆さん口をそろえるが、あと40年先には、プールに入った事のない穂とがいないように「クライミングジムに行った事がない」人は少数になる時代も繰るのではないか?という予感を感じさせた。
なかなかの「はしゃぎっぷり」は、見事である。
明日・・?あさっての筋肉痛はやはり「人生で始めての経験」になるかもしれないが、心地よい経験となってほしいと思う。

話は変わるが、今回の壁の工事は通称「ホッチ組」に請け負ってもらった。ボクと堀地(ほっち)の付き合いは古い・・構成員の大工、大王はカリスマコンビである。
今回の壁の施工には「口を出すな」とは組長の第一声であった。依頼主が壁の形状やニュアンスの件で口を出すな・・とはさすがにホッチ組である。
ボクは意地でも自ら口を開かなかった!!
「話をするXXさんもおかしいけれど、しゃべらないムカイサンもおかしいよね」・・とは堀地が大工さんにいった言葉である。
どうもしゃべらないムカイは人生で初めてのことだったようである。
先ほど工事が終わり帰っていったが皆で食事をすることにした。当然支払いはボクの予定であったが「向井さん今回はボクに払わせてください」とは堀地の言葉であった。
人生50数年生きてきて、堀地に飯をご馳走になったのは、ボクの人生にとって始めての経験であった。

う=ん、人生にはいつも「初めてが」付きまとうものである。

一昨日娘(中2)と定番のテレビを見ていた。
ボクは大嫌いな番組なのだが、娘とは唯一毎週見る約束をさせられた番組である。
男女がバスに乗って、世界を旅する・・というか恋愛ごっこをする、僕にとっては苦痛の30分番組なのであるが、娘との唯一の「テレビ鑑賞指定番組」である。
其の中で「私、チエリーなのもう19歳なのに・・」
「エ、私は22歳なんだけど、いまだにチエリーなの」
「え!!Xさん私の先輩なんだ」
とボクにとっては「訳のわからない会話」が続くのだが、娘は大うけで腹を抱えて笑っている・・
其の姿を見て娘がボクに「ねえ、面白いでしょうこの番組」というが、「このわけの和歌来番組を見ていて笑っているお前を見ていることが笑える」と僕はいう
「チエリーガールは19歳じゃ遅すぎるんだ」
という意味ありげな娘の言葉にボクは意味不明の表情を浮かべる。
「んええ、チエリーガールってどんな意味なの『チエリーボーイ』なら聞いた事が在るけれど」
とまじめに聞くと、見下したような顔で僕を見る。
「こんな話、まじめな顔して娘に聞く親がどこにいる」
と怒る娘・・

平行線の会話の最後に娘はボクに
「マジで、知らないの・・じゃ教えてやる『0000経験ないんだよ』」
「魚絵~、そんな話、親とする娘がどこにいる!!」
「なに言ってるの、知らないから教えたやったんだよ!」
とこんな話でけんかをする・・なんとも楽しい?人生初めての経験話・・であった。       おしまい・・。

写真はクライミング研修の記念撮影です
皆さんお疲れ様です。


PTAのクライミング研修

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今日は午前9時半頃から、PTAのクライミング研修会があります。
アル、中学校の計らいで行なわれるのですが、このようなボランテイァ活動は多義にわたります。
小中学生の社会化活動、教育委員会のスポーツ研修やら企業の従業員や役員啓発のためのセミナーなどにも、講師として出陣したことはあります。
意外と知られていないのですが?僕はスキーも結構うまくって(自称)アル協会のスキー指導員研修での講師も数年務めたことがあります。
ラジオやテレビ番組にも出演したことがあるんですよ~、1時間アドリブでアウトドアーの話をしたこともあります。
しかし、先月の「オハスタ」の延べ7時間に渡る撮影は、結構緊張しましたね。特に2日目の見学者がいなかった時は、すごく緊張してしまって、自分のふがいなさに愕然・・でした。
今年は俳優の三田村邦彦さんや清水省吾さんとの対談や撮影はなかなか楽しかったです。
もちろん「オハスタ」の撮影で、大貫さんとおやき君(高田コーポテーション)の二人と子供たち30人位(父母など40名の見学者)を囲んでの和気藹々の撮影も、楽しかったですね。特にボクの横にしがみついて、撮影の邪魔をしまくった右京君は、物怖じしない良い子でしたね(かなり甘えん坊ですが)
最近だと、涼くんがかなり慣れてきて、スクールに入って3ヶ月めでやっと、明るい笑顔でになり楽しんでいます。盲目のクライマーワー君(小4)も6m登れるようになったし・・楽しい日々を送っています。
この時期ですと、もう師走・・という感じで1年をギリシャ人風に振り返り、向かい合ってみるのがボクの信条となっています。
12月22日からのクリスマスセッションも楽しみです・・では又

壁の工事も

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壁の工事もいよいよ佳境に入りました。
今は外の壁の増設の基礎工事で大忙しです。
今週末には工事は終わりますので、しばらくご容赦ください。

種を蒔かざれば

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古の格言に「種を蒔かざれば、実は結ばず。物あれば、影を落を差し。煙あれば火は起きる・・」という話がる。英語に置き換えるなら、さしずめSustainability(持続可能性)であろうか?


この中で、私たちが認識している言葉としては「火のないところに煙は立たない」である。
「火のない・・・」は最近の相撲疑惑に例えられている言葉であるが、真理とは裁判で立証されるものではなく、心に訴えかけられる『なんとなく、感じる事』のほうが正しいということでもあろうか?
いかに近代科学が発展しても、古人の知恵には到底『及ばざる・』が如き・・であろう・・。


さて、話は、われらが拓君ことに移る。

アジアユース選手権にて、ユースB男子クラスで2位に輝いた。
8月のワールドユースでは22位?であったので、もう少しでアジアの頂点であった・・という悔しさもあるが、うまく運命に諭された・・と言えばよいのか「少し悔しい・・くらいが丁度よかった」のではないだろうか、とも思う。

彼とは小学3年頃からの、長いというか、短い付き合いでもある。中学入学時には、一番小さなサイズの学生服をさらに仕立て直して小さくして・・それでも少し大きめの学生服が、なかなか似合わなかった・・そんな彼が、今春には高校に入り、親(母親)似の現代用語で言うなら「イケ面」へと変貌していった。
しかし、ボクの脳裏には、小学校3年の時の印象が7年たった今でも付きまとう。
それは「クライミングをしたい」と尋ねきたときの、彼の決意、あるいは印象の強さに圧倒された自分が今でもここにいるからに、他ならない。

彼に「天才の名」を与えたは良いが、中学入学と同時に成果の出ない日々が続いたのも事実である。それは3年間と長きに亘った。

彼を頂点に、彼に憧れ、彼を超えることは至難とさえ思っていた、同時期を過ごした子供たちに共通する驚きでもあった。「僕がタックンより上にいるなんて、創造できない」と、彼に試合で勝った子供たちが口をそろえた。                                       彼を抜いた奇跡なのか、それは試合中思い込みによるムーブ選択の失敗に起因するのか・・いずれにしても、話題には事欠かない拓クンがいた。

しかし、神が与えた試練は、彼を成長させるのか否か・・「継続すれば、必ず答えは見つかる。迷うことなどない」と彼と僕部屋で、何度二人で話し合ったことか・・


ここだけの話だが、母親が泣きながら電話をしてきたこともあり、父親が仕事に手に付かず、不登校ならず不出勤症?になり、ロッククラフトの鍵を預けたこともあった。

「拓磨には、クライミングしかない!」と叱咤することが返って悪循環を繰り返す結果になったのではないかと思い悩む日々を、両親とともに僕も共有していたようなきがする。

偶然の出会い出会ったのか、それとも母親の「ひらめき」であったのか、ロックの創業時には、さまざまな生徒との出会いがあった。
偶然の出会いは必然のだったのか、細菌学者パスツールやゴッホによれば、原因は必然の中に存在するのである。

それ以来数人の生徒とは「付かず、離れず・・追わず、引き止めず・・」の難しい手綱捌きを強いられた7年間であったような気もする。それぞれの生徒には、指導者にも恵まれ(ボクではない)にょきにょきと才能を開花させる子供達もいるが、相変わらずなんとなくのまま結果の出ない子供達もいる。

そんな時、こんな格言がボクの耳元でささやいたのだ。
「種を蒔かざれば・・」
あの時、絵画で言うなら、ミレーの「種を蒔く人」の絵の前で、たたずんでしまったような・・そんな絵画の心も知らない僕なのに、偶然、優れた絵画の前で佇んでしまったような、そんな素材の出現に目を疑った。しかし、それは私の心がそのような方向に動いていたに過ぎなかったのかもしれない。
出会いには、いつも偶然を装う必然の存在がある。

ボクにとって生徒は拓磨一人ではない。かつて「リバテイクライミングスクール」の講師であった檜谷清は言っていた「ボクにとって、すべての生徒が生徒であって、その一人が、たとえ世界選手権で優勝したとしても、ボクはどんな生徒とも同じ距離で『生徒にとっての教師でありたい』」と・・

物ある所には影が差す
影という言葉を、もし『試練』という言葉におきかえれるなら「若いときの試練は金を払ってでも買え」とはボクの恩師湯浅M男にいい続けられた言葉でもある。
「辛く苦しい風は、順風である」
恩師は、そうも言っていた法人類学者でもあった。
彼は、ボクにとっては、登山教師ではなく、人生の師であったのだ。
毎日、彼の研究室に通い、夜は自宅の書斎で待つ日々・・「先生に今日はどんなことで叱られるのか・・」と苦しい日々が今でも脳裏に折り重ねられる。

試練は昨日に過ぎた事ではなく、明日に試練を順風として見出す心の強さを磨くのは、これからの君の試練でもあるのだ。
試練とは「試み練り上げること」であって、それを怠れば、もっと大きな挫折感に出会うであろう。

試練という言葉を高度な技術という言葉に置き換えると、なおさら解りやすい事象も多い。       
たとえば、試練を困難な鏡面と考えれば、なおさらのことである。

とかく人間は高度な技術におぼれてしまう。それは医療界に於ける矛盾を提起した山崎豊子の「白い巨塔」や遠藤周作の「海と毒薬」などに代表される、人間の心の葛藤や富や名声への執着などにも現れてくる。

神の手を持つ男といわれる脳外科医の言葉を借りれば「困難に直面したら、あせらず、ひるまず、常に基本に忠実に」である。困難に直面したら、可能性を導き出すものは、基本の深さであると、いおうとしていたようにも考えられる。


しかし、君たちの道は、今、半ばである。
いいや、論語に習えば『志始めた所』にしか過ぎない。

影が立つとは、宿命である。困難とは常に人間を奮い立たせるものでもある。
影は自分そのものの一部である。影なき物の存在は理論物理学にゆだねる・・として、
君には(あるいは君たちには)クライマーとして、あるいは人として、更なる高みを目指してもらいたい、と思うのである。


テレビ東京(12チャンネル)で午前6時45分~7時半放映の子供向け番組「おはスタ」に

ロッククラフトが子供たちとともに出演します。

放送日は12月1日(月)午前6時45分から

タカダ・コーポレーションの大貫さんとおやき君と楽しんだ、あのひと時を、

楽しみにしていてくださいね!!

もう10年以上も前のことだったと思うが「クライミングはピアノを弾くことと同じ」といった人がいた。

フランス人のコーチだったと記憶しているが定かではない。

謎のような言葉でもあるが、なぜかひきつけられてしまう言葉でもあった。

近年、脳科学とか発達心理学の研究は加速化して、人間のさまざま行動様式が科学的に究明されつつある。

その中でも、イギリスの発達心理学者エレン・ウイナーとジュラーブの研究に興味を引かれた。

すなわち、彼らは、天才を生む可能性と必然性の原因(遺伝子的な傾向)と後天的な教育システムnとの因果関係を知的障害者や天才少年少女、あるいは人間社会から隔離されて育った少女における発達障害などを、脳科学から分析し検証しているのだが、その中に以下のようなデータが提示されていた。

天才的な能力を備えた、4歳の少年ピアニストの、脳の発達段階の経年調査なのであるが、

小脳の発達が通常の2倍以上のレベルにあること。脳梁も同じく、2倍以上の発達を遂げていることなどである。通常小脳は運動脳とも言われその発達は、運動(スポーツ)アスリートで高いレベルの人にのみられる現象として、小脳の神経細胞が通常2億個程度であるのに対して、4億個以上にも発達して、さらには通常の人間のすべての脳(大脳、中脳、小脳、脳間、延髄など)の全神経量(数)に匹敵する量の神経細胞が、僅か脳全体の10分の1しかない小脳に存在する点。また、右脳と左脳に識別されている脳機能の橋渡しをする機能を備えた脳梁も、2倍以上に発達して、運動能力に身体の左右差が少なくなり、右利きとか左利き的な傾向が、ほとんど見られなくなっている・・という点に、僕の目は止まった。

すなわち、ピアノを弾くことは、運動をすることによってのみ発達すると思われていた小脳の発達を促す・・ということを証明したと言うのである。

このことは、私の心の中で発芽していた『クライミングはピアノを弾くことと同じ』といった人の言葉の解が脳科学と心理学の融合によって結実したと言っても良いのではないのだろうか・・ということである。

さらにジュラーブという心理学者は、もともと音楽家であったが『ピアノを弾く』という行為の行動様式に興味を持って、大学へ進み心理学の学位を取得した・・という変り種でもあるようだ。

 

このようなことは(ジュラーブのような転進)、は他分野でも垣間見る子ができる。SF小説家のアイザック・アシモフやアーサー・C・クラークなどの作家も大学で物理学を専攻していたり・・歴史学を専攻していながら物理学の学位を取得したりと、世界にはさまざまな達人がいます。

日本でも、もう少し、自分の専門分野に固執することなく作用は30年代まであった科学者たちの自由な楽園『地価学研究所』のようなあるいは手塚治虫や赤塚不二雄などの漫画家を育てたトキワ荘

のような楽園があても良いのではないかと、ふと思った。

 

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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