真理の瞬間
少しもじって見ましたが、ルネ・デカルトの考える主体としての自己とその存在意義についての格言であったと思われます。
このような考え方は、高校の世界史として、特に名門大学を受験するインテりでなくても、なんとなく覚えている言葉の様にも思われるのですが・・いかがなものでしょうか?
宗教(あるいは神学)があらゆる学問の最上位に位置していた時代の、科学的論証方法や、科学の宗教からの独立性を促した、画期的な考え方の数々が、デカルトの方法序説などのに、ちりばめられております。
1)良識とは、もっとも公平に分配されるものであって、それは理性とか秩序の本質とも考えられる・・~
すなわち、社会にはモラルがあり、秩序も必要です。
安易な選択は、社会秩序の崩壊を招きマッすよ・・とでも言いたげです。
2)真理とは、発見者が少ないから到達できるのであって、推論者の多くと議論しても論理的な証明には結びつかない・・
言いたい者には言わせておきなさい。むしろ一人で暖炉にあたっている時こそ、真理は傍らに潜む・・。
最近の脳科学に言わせると「真理はアイドリング中に、むしろ目覚める」という感じなのですかね?
ま、難しいことはさておき、最近の大学生の麻薬汚染には驚きます。犯罪ではなく、合法的に入手できるから、試してみた・・とか、意識の低下というか、モラルが低いというか・・
大学とは前頭葉に刺激を与える最高教育機関のはずですが、経営が先なのですかね?
それとも、学生の質の低下・・と、言い切るのですかね?
今回は、特に方法序説の第3部「道徳律」でも呼んでみてはいかがなものかと考える僕って、相当おかしいかな?
それでも地球は回っている?
専守防衛と永久平和の維持とは何か?
憲法の解釈には現実との隔たりを感じを昨今でもある。
そもそも、日本国憲法が制定されたのは、1946年、現代文字ではなく、現代人には非常に読みにくい言語表記でもある。憲法記念日が5月3日であると知る由もなく連休であることのほうが重要な日本の社会。さしずめ施行されたのは1947年という事になど、感謝もその真意を考える由もない。
日本憲法も、世に言う「断崖の世代」であろうか。言い換えるなら「後期高齢者対応憲法」といってもよいような、古い考え方ともいえる。
憲法とは国家の健全な発展を担う、子供たちの未来、あるいは日本の将来の「あるべき方向性」を示唆するべきものであってほしいと思う。
「おい、俺の描いた円を壊すな!」とはアルキメデスの最後の言葉だったと云われる。ローマ軍の侵攻に対してもなお、自分の考え方を曲げなかったのであろうか?
「それでも地球は回っている」とは、ガリレオ・ガリレイの言葉とも言われているが、宗教体制への批判的な発言が、科学を生んだ基盤となったことに変わりはない。むしろ、コペルニクスが何故、宗教裁判にかけられず、肯定され(?)ガリレイだけが、言い訳をしなくてはいけなかったのか・・を考えたい。
あらゆる面において、時代を先駆ける人たちは、とかく批判の対象として、矛先に吊るされる。
元・航空幕僚長の発言は、果たして、時代のさきがけとなるのか「人の噂も、48日である」
難しい判断を強いられる言葉である。
今回の国会証人喚問については、よい機会であったように思う。
「それでも持論を曲げないのか」
「それが現実だから・・」
この時代に、アルキメデスやガリレイがいたなら、どのような面持ちで、テレビを見ていたのであろうか?
多分、世論とは関係なく、迷うことなく、自分の世界の真理を追求していたことであろうと、僕は考えるのだが・・。
勇気ある発言である。
大きな本、小さな本
昔(20年位前までは)ずいぶん本を読んでいた。幼稚園の頃だったと思うが、小鹿物語や裸の王様に始まり、ロビンソンクルーソーや15少年漂流記、失われた世界などの冒険小説、小公子や罪と罰、人形の家・・ゼロ戦の栄光と悲劇や白い雲(アイガー北壁初登攀の記録)旧約聖書から新約聖書・・など100冊を超えたのは?小学生の頃だったと思う。
中学に入ると読書の傾向は大きく変わった。推理小説の海外物はほとんど読み漁り、一方アンネの日記などの自伝的小説を読む一方、リルケ・ロルカ、ランボーやボードレールなどの詩集も読み漁った。
これら海外の文学や自叙伝などは世界を指し示し「大きな本」であるという印象が強かったように思う。その傾向は高校生になっても変わらず、図書館にない本は、本屋で文庫本を買い、読みきったような気がしていた。
少年少女世界の名作文学全集全50巻は高校時代に何度読み返したのかはわからない・・とにかくサッカー以外に時間は、本の世界か詩を欠くことに費やした日々を送っていた。
本を読む興味の本質は、僕の歴史認識を変貌させていったことに変わりない。
作家や音楽家、芸術家や科学者の自伝などを読むことで、浮き彫りになる「その国の歴史的背景」へと興味は変わっていった。
常に僕の読む本は世界を意識していたのだった。
しかし僕の世界観が変わったのは大学に入ってからであった。
すなわち僕の意識していた世界とは日本の外のことであ利、僕の考えていた世界は主にヨーロッパを指し、世界というなら北米や中南米、アフリカや中東アジアやインドなどの文献や文学、人物や歴史観などには、ほとんど興味を示していない自分に気がついていなかったのである。
特に日本の近代文学はほとんど未知の部分でもあった。
興味を日本文学や歴史へと向けさせたのは「午後の曳航」という小説であったようにも思う。
そして梅原猛の「考える楽しさ」という本を、大学時代の先生の書斎から盗み出して読んだ頃から、哲学や思想、物理学などの本も読み漁るようになっていった。
一方で専門?である日本史、あるいは裏面史の考察に対してもlyぷみをそそられた。特に森克己先生の「満州事変の裏面史」は学会へも参加して、興味をそそられたのを思い出す。正史に対する位置にある歴史観の重要性は、フランスのアナール学派などの歴史考察手法である「歴史人類学」への興味となって現れたが、大学では否定された。
僕のとって世界は大きな地域であり、宇宙は無限であった。
対照的に日本は小さな地域であり日本の歴史観は小さな歴史であって小さな事は意味の薄いことで興味の本質ではなかったが。簿君読書の傾向は1980年頃から大きく変貌を遂げ、今では小さな地域、あるいいは考え方の概念であるが「小さな本」に興味をそそられる。
それは、あえて変化を促したり、ベストセラーや賞をねっら物ではなく、自分の等身大で考え付いたことを書き綴る・・という書物の重要性である。
そういう意味では堀田良衛などは好きな作家の一人であった。
大江健三郎や司馬遼太郎の作品も好きではあるが、本の質が大きくて「大きな本」を感じてしまう。
今は読みかけであるが「士道に背く者あり(松尾隆久著 日本文学館 840円)は小さな本である。
幕末の混乱期、世界を目指した幕末の志士たちがいた。
一方、幕府にそむき「この国の行くへ」を案じ、死した者たちもいた。そのものたちの死は大きな死であった。
そして、図らずも生き残ったものたちは、政府を開き、西欧の、大きなうねりに飲み込まれる道を選んだ。そのものたちの生き様は「小さな歴史」であるはずなのに、大きな影響力を与えた人々であると、日本の歴史教科書はとどめている。
何が大きくて何が小さいのか・・そのことを僕に初めて教えてくれたのは「アンネの日記」であり「二十歳の原点(高野悦子)」であり「みんな同じ夕陽を見た」などの高校時代以前にに出会った小さな本の影響のである。
本人の意思とは別に世論や社会が彼らの小さな心の軌跡が、当時の社会心理に与えた影響の大きさをかんがみる。
それは「プラハの春」であり「フランシーヌの場合」でありあるいは「ジャンヌダルク」に追尾した民衆の力の存在である。
近年では1989年のベルリンの壁の破壊にかかわった民衆の力であり、天安門事変?で戦車の前に横た、無名の人の生き方でもある。
あるいは湾岸戦争で流出した石油にまみれた、真っ黒く佇む海鳥の残影でもある。
何が大きくて何が小さいのか?
有形の財産としての偉大さより、路傍の石、あるいは道の途上に佇み自己を見つめることの大切さを痛感する、今日ごろでもある。
本は、事の大小にかかわらず、自分に大きな影響の影を落とすものである。
明日に木を植える
タケシは自然を崇拝し、人間のおろかさを恨んだ・・とは、ボクの知人の言葉である。
タケシは釧路川で「去年はこんな大きなイトウを2本も釣ったのに」と両腕を広げた・・
そんな話がテレビで流れると、僕の遊び場(根釧原野と釧路川)は内地の釣り人で埋め尽くされた。
僕の知る限り、イトウという魚を釣ったものは一人しかいない。大きすぎて僕たちのつり道具では吊り上げられないのだ。ボクの友達は語った「僅か50センチのイトウを吊り上げるのに、1時間半もかかった」と
「あなたは、明日に木を植える人ですね」とはタケシの辞世の句である」・・と、ボクの知人Tは言った
「ボクは詭弁を駆使する作家は嫌いだ」と断定た。今からほぼ20年前のことである・・と思う。
タケシの「裸の王様」は現実を直視しない大人社会を、ある意味では揶揄していたのかもしれない。
しかし「作家は現実に生きない。言葉は巧みだが、大きなイトウが釣れればよいだけなのだ」
とボクの語気は荒かった。Tはそれでもタケシを擁護していた。僕に同調するでもなく、しかし、無慈悲にタケシを賞賛するわけでもなく・・微妙な会話が深夜にも及んでいた。
其のタケシとは開口健のことである。しかも、健はTの幼馴染・・ということで、ボクは驚きを禁じえなかった。
Tは言った
「タケシの辞世の句は、ボクに残した最後の言葉なんだ・・」と
さらに続けて
「あなたは、明日に木を植える人がボクである・・といったが、私は単なる商人であって、明日に木は植えない。この言葉は、むしろ、君に送りたい・・」と
その夜、ボクは眠れなかった。T氏の自宅には宿帳があって、宿泊者は宿帳に言葉を残す仕組みになっていた。その宿帳には有名な作家などが記帳していた。
「皆、勝手に書いてゆくんだが、君にはぜひ、言葉を残してもらいた」
そういわれて、言葉の重さを痛感していた私が、夜を眠らせなかった。
夜の底が白くなってゆく頃(雪国風であるが)ボクは、こう言葉を紡いで、その宿帳に書き記した
たとえ明日に
地球が滅びようと
私は、今日手にした
1本の樹を植える人・・でありたい
・・・・と。
明日に樹を植える・・・そんな生き方を、今でもボクはしているのであろうか?
我、思うが・・答えは風の中・・・道、途中である

