2008年8月アーカイブ

木内マジックに思う   

今年の高校野球茨城県大会も3年連続常総学院が制した。
なんということだろう。監督に復帰したかつての名称も77歳になったという。しかし、その采配や威光に衰えはなく、蛇ににらまれたカエルのように対戦相手は萎縮してしまい、本来の力を発揮できない・・それとは対照的に、常総の選手たちははつらつと戦う、采配もさることながら戦術もことごとく勝利に導く・・県大会では圧倒的な存在感と強さを示す。

しかし、3年連続出場にもかかわらず甲子園では、勝手が違うようだ。今年も、ここぞと言うときの采配が裏目に出る。
今年こそは、ベスト8位まで、と期待していたのだが、関東一の気迫あふれる攻撃にエースが集中を欠いていた。
ふと、思ったのだが、選手は木内采配に絶大な信頼を寄せている。それは、学校も父兄も、県民も皆同じではないのだろうか?私のような隣の県民で野球フアンでもないのに、木内常総学院の試合は気になる。
信頼の厚さ・・が底にある。
それに対して、関東一の気迫はものすごかった。テレビからも『野球は選手がするんだ!!』
という声が聞こえてくるような気がした。

木内氏は選手をほめない・・という。見方によっては理不尽に叱り飛ばし、暴力的な言葉を吐くこともあると聞く。しかし、選手を初め関係者の信頼は圧倒的に厚い。
ボクも信者に一人である。今の世の中の常識に反しているようにも思うが。なぜか彼を受け入れてしまう何かを感じる。

しかし、一方で関東一の選手の自主性は、高く評価してもいいのではないか・・とも思う。

僕自身が目指す指導者とは、選手の自主性と自らの気迫によって試合を組み立て、苦難を自ら乗り越えてゆく選手に育成である。
教えたように練習する生徒は面白くもないし、教わる側も楽しくないのではないか・・とも思う。
選手(アスリート)には高い能力が必要である。
それは感性と洞察力を天秤にかけて判断する技量のことである。

コーチは選手を育成して手放すことが仕事である。
巣立てない選手ではいけないのだ。
子供はいつか成長して親元から巣立つ。

いつまでも自分のかわいい子供ではいけないのだ。

しかし、手放しても、帰ってくる子供には、いつも手を広げて迎え入れなければならない・・といったのは、ボクの先生である。

あきらめなかければ、夢は続き

生徒を手放す度量。
「たずねてきたら、どんなに忙しくとも生徒との時間を優先すること・・」
簡単なようでなかなかできない、

指導者としてのあり方を問う、常総学院と関東一の試合であった・・と自分は感じていいる。

夢の続きは・・

  
常総学園の甲子園での戦いぶりについては、以前触れたが、さすがに名称木内といえども、復帰1年目から成果を出すのは難しい状況があったようだ。
過去3回も全国優勝した経験を生かすには、生徒たちの気質の把握も重要な要素といえる。
昔の木内氏を知る人は「かれは生徒をほめなかった」「やる気がないならやめろ」とか厳しい言葉しか言わなかった・・という。ほめてやる気を発揮させる、ボクのやり方とは大きな違いがあった、と思っていたら、最近の子供たちは、叱られるとか責任の重い仕事(ホジション)は嫌がる傾向にあるようだ。
才能を引き出すためにあえて、苦言を呈すると、やめてしまう・・とも言う。
僅か5年のブランクで生徒の文化に大きな異変が生じていることに、木内氏も気づかなかったようである。浦島太郎を感じたのかもしれない。
「甲子園とは、そんなに甘いところではない」とは試合後の彼の言葉のようだ。
しかし、一方で「夢はあきらめたらだめなんだ、あきらめなければ、夢は続く」とも行ったとか・・
さすがに知将、77才の年齢を感じさせない情熱を感じる。
甲子園にはたくさんの大器が眠る。
地方大会で敗れたたくさんの優れた素材もいる。
しかし、無名ではあるが、優れた指導者としての監督も多数排出されているようにも感じる。

地方の無名高校だから、甲子園は「見果てぬ夢」とあきらめないことが希望へと続く。

栃木県でも名門作新学園は江川卓の時代は遠い過去のでき音のように、県大会の1回戦で姿を消した。
一方、小山南高校(ロックのご近所)は準決勝まで進み「奇跡の夢(甲子園出場という)」を皆で分かち合った。
「夢ではないかもしれませんね」と小山南航行初代野球部主将のIさんと熱い話が弾んだ。

そう、初出場、初優勝だって90回の歴史にはあるのだ。
ボクの田舎、釧路地方でも、20年位前に中標津高校が甲子園に出場した。夏でも最高気温が25度をこえることが少ない地方である。
昨夜、ラジオで松山千春も言っていたが、暑さのレベルが違う・・のである。

冬のオリンピックにジャマイカのチームがボブスレーで参加したことがあったが、それと同じようなところに甲子園はあるのだ。
地元出身者だけで、甲子園という舞台に立てることも、あきらめない精神が夢につながるのかもしれない。

クライミングの夏の祭典、JOCジュニアオリンピックが8月15日から富山県南砥市で始まる。
8月8日からは、北京オリンピックでもある。

今年の夏はアスリートの熱気が温暖化させているのかもしれない。スポーツの祭典に政治や商業主義を持ち込まないような配慮が、大人たちに問われているような気もするが・・

北京オリンピックに思う   

日本選手団の団結式も終わり、注目種目の選手は早くも北京入りしているようだ。今回のオリンピックでは、380個あまりの金メダルを狙って、世界から11000人あまりのアスリートが集結する、という。
日本からは500人以上の選手が参加する。
治安の問題、テロ対策で、夜になると、まるで戒厳令下のように、街には自動小銃をもった兵士が立つ。

時期早称という意見もあるが、近代オリンピックは国際政治や経済効果が優先されているようで、純粋なスポーツの祭典とは言いがたい状況下にあるようだ。

しかし、参加する選手のほとんどは純粋に自分の頂点を極めようとしている・・と考えたい。

中国は1000人以上の選手団で参加して、メダル総数は200個以上(内金メダル100個)を狙っているという。
参加選手の10人に1個のメダル(その色は別にして)という確率と、そういうレベルの選手が競うわけである。日本は570人の参加選手であるから、50個くらいのメダルが取れて当たり前・・と考えるのは、行過ぎた考え方だろうか?

今回のオリンピックは、私たち一般観衆も純粋に競技を楽しめる状況を感じない。少し不安を感じる。

参加する選手、役員の皆さんも同じかもしれない。
しかし、メキシコもミュンヘンも、あるいはロサンゼルスやモスクワ大会もさまざまな憶測が乱れ飛んでいた。

また、スポーツの純粋性より選手も経済効果を考えてしまい不適切な薬品の使用も後を絶たない。

はらはら、どきどきしながら、4年に1度の祭典を見守る。
古代オリンピックは、開催期間中は国際紛争はしない・・という良識を持っていたようだ。
あれから2000年も経過したのに、人間の文化や良識は進化したといえるのだろうか・・と、ふと考えてしまった。

JOC、クライミングの全国大会も8月15から3日間富山県の南砥市で開催される。11才位から19歳まで選手が競い合う。ここでは親の言い分より、競技の純粋性を貫いてほしいと思うが・・・。
子供たちのよい見本となる応援をしたいと考えるのは、私だけではあるまい。

心の技術   
オリンピックを初め、さまざまな競技の全国大会が催される8月を迎え、指導者は、競技や勝つための戦術を選手たちに施している時期でもある。
大会に出場する選手は、新たな夢の舞台に向けて気持ちを引き締め、参加する以上の位置(優勝)を夢見、描いていることだろうと思う。
しかし、大会に出場できる選手は、ほんの一握り。多くの選手は道半ばで夢を見失う。
参加するチームにおいても、ベンチに入れる選手は僅かで、
場合によっては応援にさえ行けない選手も出てくる。
栄光を掴んだチームの背景には、選出されなかった多くの選手もいることに、現場の指導者は目を向けられない現実もあるのだろう。

競い合うことによっておきる、競争社会の、いわゆる勝ち組には、その先が与えられ、其処に至れなかった者には、現実の壁が要される。
昨日まで、ほぼ同じグラウンドで競い合っていた隣人が、遠くに行ってしまうのである。

こと野球において、高校に特待ではいる生徒は、毎年4000人を超えるという。4000以上のいチームがあるのだからそれぐらいは普通のことなのかもしれないが・・しかし、その4000人の内、さらに上に進む選手は100人に一人位であろうか。プロに進む選手は、ほんの一握りであろう。プロ選手になったとしても、1軍のグラウンドに立てるものは、砂漠に落ちた針を拾うこうな確率になりそうだ。
全国で野球を楽しむ生徒が10万人もいるとするなら「野球に専念するだけの、高校生活を送る」ということはどういうことなのだろうか。

甲子園に出場する選手は全国で1000人にも満たない。
僅か1%の生徒に栄誉を与え、残りの99%の生徒には、何かを与えて高校としての教育が施されているのであろうか?

たかが野球だけの話ではない、バスケットやバレー、テニスなど、その他の部活動も含めると、その数は膨大である。

今年、定員を割った大学が、全国で47%もあるという。
競うことなく進学が進むのか?

全国大会に行ったもの、が、あるいは勝者で、地方大会の緒戦で敗退した者は敗者なのだろうか?

少なくともスポーツの精神は勝者を生むことではない。
人としての「心の技術」を身に付ける事がスポーツの精神であり、スポーツの文化への貢献ではないのだろうか?

優れた技術も、優れた人格の元に育まれなければ、単なる狂犬である。

昨今の動機なき犯罪は、社会全体の構造の中で、見過ごされてきた背景の根底には、多くの問題が提起されているようにも考えられる。

私たちは、もっと敗者に目を向けるビ期ではないのだろうか?
「私は大会が終わったとき、敗者の下を訪れる。勝者にはたくさんの人が取り囲むが、もっとも偉大だったのは、最後に負けた優れた敗者がいたからではなのだろうか。だから私は敗者の元に賞賛の言葉を送りたい」とは、誰の言葉であったか。

武道において「心・技・体」という言葉があるが、その言葉の意味は「武とは・・体を鍛え、技を磨くのは、心の技術を高めるための道である」と聞こえてくるのだが、私の単なる耳鳴りにしか過ぎないのであろうか・・と、考えてしまった。

なでしこジャパンの引き分けはすごかった。
しかし、昨夜の男子サッカーは『やはり』という印象をぬぐえない。野球の星野監督は「0-1じゃ言い訳が出来ない。1-2ならまだしも・・点を取りに行くというより、フアール狙いの様な気がして、お前ら勝ちたいのか!!」といいたい、といっていた。鋭い着眼点だったと思う。
あたらめて、深夜に日本の闘いと、オランダVSナイジエリアの試合を続けてみたが(熱くて眠れなかったから)何かの違いを感じる。死のリーグといわれるが、オリンピックに出るのなら、どことあたっても同じだろう。紙一重で勝つには、星野監督が言っていたように「本気で店を取りに行け」である。奮起を期待したい。

オリンピックに出場するには、いずれにしても狭き門をこじ開けなければならない。
陸上女子の10000mも見ごろ菜国内予選であった。柔道にもさまざまなドラマがあった。水泳でも「泳ぐのは選手だ」という名せりふが生まれた。
何をやっても才能が無い・・そんな選手が努力の末に勝ち取った代表・・競歩やトライアスロンやヨット、テコンドーなど、注目されない競技もあるが、彼らの努力も見習いたいものだ。

努力は才能を凌駕する

ジュニアのクライミングの大会も来週から、富山県南砥市で行なわれる。悠希には新しい技術を2つくらいは身に付けさせたかったが、肩の不調で次回に持ち越す。でも、昨年はまったく登ることも出来なかった5.12台が毎日1本は登れるようになった。多い日は3本。
ロックから参加する12人の選手にもチャンスはある。
アジアユース選手権の参加を目標に、見失いかけた夢に向かって、まい進してほしいと思う。

急ぐより、回り道をして、じっくりと基本技術とスタミナの向上を図りながら、年1度くらいは全力を尽くしても、良いのではないのだろうか

自分を見つめなおす   
自分はどこに行きたいのだろうか?
どこまでうまくなりたいのか?
楽しいだけでは上手くはなれない。
厳しいだけでは、続かない。
具体的な目標、いきたいところ・・そこはどこなのかを見つめなおすのも、練習の一つなのかもしれない。
北島康介が世界を目指したのは、15歳を過ぎた頃だったと言われている。
伝説の陸上選手、カール・ルイスは大学に入学してから・・とも言われる。
いずれもコーチが示唆した可能性に向かって、ひたむきに、我慢強く、練習を重ねた結果である。
朝原(100mの選手)は大学を卒業する頃だったという「世界を目指して見たい」と思ったのは・・。かれはコーチはいない。その頃の自己ベストは10.62?位で、サークル感覚で陸上を楽しんでいた。むしろ走り幅跳びがメインであったという。
カール・ルイスも大学に入学したときは、100mを10.68がベストだったという。
才能が開花し始めたのは、23歳ころ・・朝原の自己ベストは35歳であったという。

大会は自分を見つめ直す機会をでもアル。自分が全国で、どこにいるのかを計る一つの基準でもある。
別にあせることはない。
結果が悪いことは、世界1になった選手でもよくあることだ。
結果が出なかったことには背景がある。

君たちは未だ未完成である。たくさんの問題点があり、できない動作や技術もある。スタミナや思考力もまだまだ発展途上にある。

そんな自分を、この機会に見つめなおしては、いかがなものか?

敗れる・・ということは、あきらめることではなく、さまざまな問題点を浮き彫りにしてくれる、むしろ歓迎すべきことではないのだろうか。

「あきらめる」とは投げ出すことではなく「明らかに、見極める」という意味でもある。決して忌むべき事でもない。

一方、結果が出なかったことに対する悔しさは、両親やコーチより選手自身が、一番感じているものだ。

夏休みの宿題も相当たまっているのかもしれない・・しばらくクライミングを忘れて、リセットするために、自分を見つめなおすことも大切な時間の有効活用でもアル。
北京オリンピックでの女子マラソン、金メダル最有力候補野口の欠場は重たい判断でもあった。
しかし、欠場を決断せざるを得ない、局面も併せ持つものでもある。
加齢とともに、疲労の回復力は遅くなる。
大会1ヶ月前に高地練習は血液の酸素摂取量を上げるためには重要な練習でもあり、このような理論は、1970年代に紹介され、1980年代の前半には、特に女子マラソンにおいては、常識化されていたが、ここのところ、高橋尚子の失敗といい、諸刃の剣の様相を呈している。
諸刃の剣になる可能性を避ける手立てはないのだろうか?
負荷と過負荷の分岐点を、もっと科学的に判断できないのか?
さらに、選手が感じる体感的な効果的負荷と選手が感じない過負荷をどのように判断すべきかは、確かにコーチに責任のいったんはあると思う。

北島康介の成果に対してのコーチの発言は思いのほかクールであった。
「私は何もしていない」すなわち対案や考え方を説明するが判断は選手個人の体感にゆだねるという風に、私は受け取った。
男子選手をコーチするには、男性であるコーチの判断はある意味においては適切であろうと思う。
しかし、ロックでも同じようなことが今年は発生した。
平井悠希のJOC不参加を私が彼女に示唆にしたのは、7月の前半であったと思う。
さまざまなシュミレーションを重ね、文献を読み漁り、あらゆる可能性を探りながら、JOC不参加を回避する手段を探した。
私が関与する残りの練習は明日、明後日の2日間である。
私は今回、JOCには引率しない。
その決断も、7月上旬であった。
そこには、選手に自立を促す意味もある。

今回はロッククラフト関係での参加選手は12名ほどであるが、まったくロックに練習に来なかった一部の選手を除いては、おおむね口答で、自立への足がかりを伝えてある。
JOC参加選手の年齢が12歳から17歳となった今、継続してコーチングもしくは付き合った年数は5年を超える選手が主である。
参加選手との付き合いがもっとも短い選手でも3年以上の定期的な経年変化を経ている。
多い生徒との練習時間は4000時間を越える。

オーパートレーニングは思春期の14さいころ、青春期の17歳ころ、そして19歳から21歳の前頭葉の確率時期に集中する。
そして、更なる混迷は23歳頃から成熟期に発生する場合もある。この時期は、選手にとって最後の絶頂期である場合が多いので、過負荷(オーバートレーニング)にならないように示唆するのは非常に困難を極める。特に選手が国際大会に参加する以上の成績(優勝)を狙える可能性がある場合は、なおさらのことでもアル。

そういう意味において、今回のJOCでは一部の選手を除いて、優勝を狙える可能性は低い位置にロックの選手がいることは優位な条件と考えた。

君たちは未だ、12歳から17歳の発展途上の体である。
成果を急ぐことは無い。
成果は、女子は17歳から、男子は19歳を超えてから狙えばよい。
発達心理学から見た、脳の機能の発達段階の最終段階を経過してからではないと、選手個人が適切な判断を下すことは非常に難しい。
又、選手はいつでもホームコーチとの決別時期を意識しながら練習しなくてはならない。
決別とは自立を意味するのであって、依存からの自立を指す。

このような意味において、北島康介が超えてきた自立への道には、言葉では表せない困難が集約されているようにも感じ取られる。そう考えると、北島選手のコーチ平井氏は優れたコーチングを施したといえるのではないかと推察する。
野口選手のコーチ藤田氏は優れたコーチであろうと考える。
オリンピックにおいて2連覇というのは、そんなに多くの選手が実現できるものではない、一部のマスコミや関係役員の藤田氏に対するコメントは軽率のような気がする。

しかし、選手の調整不足の失敗は、コーチがかぶるべき責任でもアル。

そう考えると、オリンピックとは、特別なスポーツの祭典である。
なでしこジャパンや注目されていないバトミントン男女ペアの快進撃など、マスコミももう少し、話題つくりではなく、選手の情報を適切に報道していただきたいものだ!!

圧巻は、ボルトの奇跡   

北京オリンピックにおいて、ウサイン・ボルトの偉業は異彩を放つ。100m予選での、空を見て指を指し、コミカルに踊るようなしぐさは、緊張感を感じさせない試合前の雰囲気をかもし出す。圧巻は決勝であった。まるであざ笑うかのように、ラスト10mで踊りだす・・それでも記録は9.69という驚異的なものであった。
200mの予選は一人ジョギングをしているかのようなリラックスした走りと、電光掲示板を見ながら、他の選手をあざ笑うかのように?走る。
こんな国際舞台のしかもオリンピックで・・どうしてこのような演技ができるのであろうか?
決勝は「まじめに走ります」と、楽しむだけでなく、全力で走る・・と宣言して、19・30とこれまた、21世紀中には敗れないのではないか・・といわれたマイケル・ジョンソンの記録を軽々(見ているものにとって)と破る。

一体、どんな練習や食事を取っているのかと聞くと「朝は食べない、昼、夜とも、チキンナゲット」とわれわれをあざ笑うかのような答えが帰ってくる。
まったく奇想天外、常識では考えられない人物である。
しかし、世界で1番早い人間は、われわれの常識では考えられない世界の人でもアル。
未だ22歳くらいと聞く、この偉業に飽きずに、100も2200も、さらに400mも人類の奇跡とも言える記録に挑戦していただきたいものだ。

今回のオリンピックではさまざまな悲運に見舞われた選手も少なくない、日本のマラソン女子選手の件、110mH中国の英雄劉翔の棄権など、王者と思われた人間の悲運には、言葉で語れない重い物を感じる。
一方、水泳の北島康介や柔道の谷口歩美選手などのように、偉業を達成しながらも、普通の人間を感じる場合もある。

スポーツとは意外なところで、意外なことを感じさせてもらえる。

「自分色の金メダルです」と200mバタフライの松田丈史選手のように、銅メダルに喜びを表す選手もいれば「金以外は負け」という選手もいる。言葉尻が問題なのではないが、金を狙う選手が1回戦で負けるのも、言葉に重みを感じない。
注目されずに銀メダルを獲得したり、メダルを逃すが4位に入ったりと、僕たちの知らないところで、活躍する選手も多かった。
マスコミを交えて、鳴り物入りで僕たちに注目させ、華々しく予選敗退の男子サッカーは、見ていてつまらなかった。

なんとなく、オリンピックに向けて調子を上げてきた選手もいれば、逆に調子の下がった選手も多かったのではないのだろうか。注目選手はマスコミの重圧作戦に負けたのかもしれない。

オリンピック中に石油資源が絡むんのか、ロシアのグルジア侵攻はナンとのいえない世界情勢の不安定さを露呈したようにも思う。

さまざまな思惑をよそに、オリンピックは残り4日間となった。まだまだ注目競技が目白押しであるが、スポーツの戦況を静かに見守りたいものだ。


 


選手の思い以上に   

ソフトボールは意外と歴史は古く、1880年代にアメリカでインドアベースボル当感じで誕生し、日本では大正10年頃、学校体育の遊戯として普及されたようである。
野球が女子に門を開かない背景があるため、主に女子に愛好さレている様でもあるが、関西、関東、東海には大学リーグがあり男子選手もいるのだそうだ。

そういえば大学時代、ソフトボール同好会?ガあり、その投球の早さに驚いたことがある。ボクが山岳部時代も、練習にソフトボールを楽しんだ記憶があるし、町内大会などで、ソフトをした記憶もアル、小学生の時、野球ひじになり野球のボールが投げられなかったが、ソフトボールは何とか投げられた、記憶もある。いま思えば不思議なスポーツである。

今回のオリンピックにかける意気込みは選手以上に元監督の宇津木さんや、現監督の斉藤さんにも、並々ならぬものを感じた。決勝で解説していた宇津木さんは、涙で言葉になっていなかったし、勝負下着を着て、解説していたという。
斉藤監督も「オリンピックで優勝するまでは結婚しない」と言っていたとか・・人生をソフトボールにささげていたのである。

宇津木監督は今年55歳で、ソフトボールにかける情熱は鬼気迫るものがある。ロサンゼルス大会を目指し、選手に夢を与え続けた、一番の立役者でもあるのだろう。
その思いを受け継いだ斉藤監督も選手との意思疎通が上手く行かず、悩んだ時期もあったと聞く。
「やめたい」と幾度となく思ったとも言われているが、宇津木さんが「選手を信じなさい」と言い続けたという。

選手を信じてチームをまとめる。
一見簡単な言葉ではあるが、これがなかなか難しい・・
男子サッカーは反町監督との確執があったといわれているが、反町氏は「選手を信じている」と一貫していたようにも思う。確執はあっても、信じる・・それが難しいのである。

高校野球においても同じことが言えると思う。
最近の高校生は・・というと、
取材中に携帯電話が鳴る・・
「お前には才能がある」と監督が言っても「僕には才能も責任もありません」と切り返す。
叱咤して「練習に来なくてよい」というと
「わかりました」と帰る生徒もいる・・という。
現代高校生気質とも言われるが、高校生が先生や監督に逆らうのは今に始まったことではない。
僕たちも高校生の頃は、しっかりと先生に逆らっていたのだ。三無主義とか四無主義とかいわれ「無気力、無責任、無関心・・・」などといわれていた。

明確な目的と思想をいかに受け継いで、夢に向かわせるのか、あるいは、生徒自らの情念で夢に向かうのか・・
指導者と生徒との確執めいたことは日常茶飯事である。
巨人の星の一徹と飛雄馬の根性論ではないが、いつも根性に対抗する心理と行動を抑制できないのが17歳頃の「心の構造」なのである。
発達心理学上で、そのような衝動の秩序を失うのは14歳ころでもある。いわゆる思春期である。
秩序、あるいはバたんすを失うことはいけないことではなく、当たり前のことである・・という認識にたって子供と付き合うことの難しさが、指導者の側に存在するのも矛盾した事実でもある。

高度な能力をもったアスリートの予備軍とは、特に扱いにくいそんざいであり、反抗期のような状態が19歳以後にも顕著に現れることが多い。
もっとも対応に難しい時期は、19歳から21歳ころであるとも考えられる。
心の成長はバランスを崩し、秩序が生まれ、またバランスを崩し、秩序に変わる・・という事を幾度も繰り返す。
この繰り返しの多い者ほど、高度な技術へと到達するのである。
ここで言う高度な技術とは「心のバランス」技術のことである。
この考え方は一般論であって、特定個人には当てはまらない。

しかし、いつの指導者や親は、自分の心の念頭に置いておかなければならない、大切な考え方である。

さまざまな知的障害を抱えている子供であっても、心は成長しなくとも、体の成長を制御できない時期は訪れる。
衝動を抑えるのが理性的判断だとしても、世界で戦うには、理性的な判断では対応できない。むしろ衝動的な判断にゆだねる冷血(非情)さが必要なのかもしれない。

動物の世界には秩序がある、それは種を存続させるための法則性にのとった行動様式でもある。ある意味では本能と言ってもよい。
論理的な思考判断だ正しいのではなく、むしろ世界で戦うには本能的な判断力は大切な要素でもある。
アスリートに人間性や秩序を求めたがる左近ではあるが、観衆としては「無秩序で、はらはらする」事の方が面白く、喚起を生むのである。
むしろ奇想天外な行動を生むために、秩序や論理を繰り返し指導するのである。
試合とは、筋書きがないのである。
筋書きがないほうが、面白く感動をあたえるのである。
そういういにでは、なでしこジャパンの躍進も見事であった。そのほかにもメダルには届かなかったが見事な試合が多々見受けられた。

今夜の4X400も楽しみな試合の一つである。

女子ソフトボールは、私たちにさまざまなドラマと感動を与え長柄、日本の優勝に終わった。
「いつかきっと勝てる」
そう信じて、粘り強くマウンドの立ち続けた上野投手の淡々と闘志を押し殺したかのような、粘り強い投球には、胸が痛くなった。
決勝リーグは連投が重なり、最速120キロのスピードは100キロまで落ちた言われている。

今年の7月まで、僕の娘もソフトボールをしていた。3月(中1)には2試合で5ホームランを打って、皆を驚かせていた。しかし・・
「面白くない・・」と、いとも簡単に退部届けを出してしまった。
「やがては、日本代表も・・:」という周りの声は、娘には届かなかった。
ただ、ボールを遠くに打てる才能は、10年に1人の逸材とも言われたが、今、ただの「わがままな娘」である。
父としては、少しでも折インピックでのソフトボールを観戦してもらい対・・という思いも通じない「ソフトはつまらない方見ない」と一刀両断である。未練などないのだ。
「最近わかったんだけど、私は裏と表の意味がわからなかった」と、思い出したように言う。
そう、興味がまったくないまま、一番走らされる・・という、ソフト部の方針に惹かれただけで「ソフトボールがしたい」という感覚ではなかったのだった。
コーチに「お父さんの説得が鍵です、才能があるのですから」という思いも、僕に説得できる能力もなく、ただ、無力感だけが漂った。

そんな複雑な思いを抱きながら、日本チームの活躍を見ていた、まぶたには、娘が試合に出ているような、幻影が駆け巡っていた。

これは、やはり夢だったんだ。

それでもいつの日にか
「お父さん、バッテイングセンターへ行こうよ!」
と誘われる日を夢見てしまう、浅はかな父親がここにいる。

今年の4月?に「8年後のオリンピック種目にソフトボールが復活したときは、皆さんの中から、代表選手を出したい、それがボクの夢です」といった中畑清さんの言葉が、ボクには少しむなしく響く・・。

何とかつなぎとめることができなかった、父としての自分を少しは責めてみる他、一方で、自分も日本代表を夢見て激しい練習を重ねていた頃があった。
「あの辛さは、娘には味あわせたくは無い」
という思いも、心のどかで交差していたのも事実である。
いま振り返ると、娘にソフトボールをやめさせたのは、父としての自分の思いが、そうさせたような気がしてならない。

相変わらず、なんとも複雑な秋の気配でもある。

あまりにも、微妙・・   

ロシア軍のグルジア侵攻という微妙な国際情勢の中,北京オリンピクは開催された。選手にとってはさまざまな、あるいはかつて無い微妙な状況におかれたままでオリンピックは進行している。まさにtouch-and-go situationがそこにある。
古代ローマにおいて、オリンピックは戦争を回避する一つに手段であったように、クーベルタンがオリンピック憲章を提案した120年前も、毛界はまさにtouch-and-go situation
の状況下に置かれていたのだろう。
日本にいると世界が国境紛争まみれで、一触即発状況にあるなんてことは創造できない。
1980年、私が始めてネパールに行くとき、先生は「世界で国境紛争や冷戦も含めて戦時下に無い国は、日本とネパール王国しかない。そんな世界情勢もわからずに、歴史を語るな!」と叱咤されたことを思い出す。
自分の野望、あるいは夢のために、あるいは純粋なアルピニズム(精神を含んだ登山行為)のために登山することを、もう一度考え直してみなさい・・という考え方を学生だった自分は、想像すらしていなかった。
国際関係史のY先生が「世界平和は「力の均衡」の上に、微妙にバランスが保たれているだけで、世界は平和な状態ではない事を、皆さんは理解していない・・」と言われたことも、実感として沸かなかった。
チベットとネパールの国境近くには、軍事基地が存在し、国境付近の山岳を登山する隊にはサーダーという軍事将校が引率するのが義務化されていた。
ネパール王国においても、小さな軍事基地があり、自動小銃を持った兵士がそこにいたのであった。
1979年パキスタンとインドの国境付近でスリナガール洲にあるカシミール山脈のヌンクン山域にも、同じく、国境紛争が火種となって存在していた。
しかし、同じく、そんな状況下に世界が存在する・・と言う認識を、私は持てないまま、遠征計画を遂行していた。

そんな微妙な関係は、2008年の今日も世界中に散らばっている。

純粋なのは、スポーツの精神の中でしか表現できないのだろうか・・と、つまらないことを考えてしまった。
4X100は感動的な日本陸上の歴史の紐を解いた出来事だと、改めて純粋に眺めてみたのであった。

 

選手の健康管理

昨日の韓国対キューバ戦の決勝は見事な韓国の気迫のこもる勝利であった。李(巨人)の活躍といい、9回のボール判定に対するキャッチャーの抗議は勝てば英雄、負ければ国民からの批判を浴びそうな、ぎりぎりの抗議であったと思う、まさに手に汗握る好試合であった。歴史に残る好試合であった。

一方、日本マラソンの選手の男女の棄権など、選手の健康管理管理には、後味の悪さを感じる。
徹底した走りこみによる故障者の続出は、単にマラソンだけの話ではなさそうな気もする。
自己ベストを更新する、水泳の選手たちを尻目に「今、できうるベストで戦えた」と敗退する選手には、何があったのか・・。歴史的といえば男子4x400mの銅メダルは、まさに奇跡的なメダルでもアル。
選手の健闘をたたえたい。

クライミングにおいてもさまざまな故障と戦う選手もいる。
かつての自分もそうであった。
過酷な練習を自分に課して、才能もないのに世界を目指していたあの頃の練習は、いま振り返っても「ありえない」練習であった。人の10倍20倍という練習量が世界へつながる唯一の未知だと信じて疑わなかった。
しかし、身体能力の限界は体に多くの損傷を与えたのも、事実であった。
しかし、それは自分が望んだ道であり、決して後悔はしていない。あれ以下の練習であったなら、世界の入り口さえも感じられなかったと思うし、世界の遠さも、感じられなかったと思う。

ボクも始めての海外遠征のときは腰痛が悪化していて、コルセットなしでは歩けない状態であった。
その主たる練習は走りこみによる、心臓と血管の強化である、無尽蔵なスタミナの確保であった。通常のクラブの練習以外に、ほぼ毎日、ランニングだけで20キロ、しかも背中に11キロの荷物を背負って、舗装道路を走っていた。
アルバイト先までの片道30キロの道のりは、自転車で走っていた・・。
名古屋から甲子園まで高校野球を見に行くのも自転車で往復するくらい、練習は日課であり、遊びも練習であった。

才能の無い僕の練習を支えていたのは、未踏の岩壁を登るという夢であった。

オリンピックに参加する選手も、見果てぬ夢をおっているのだろう。
しかし、それはボクのような既存的な夢ではなく、日本代表としての夢である。選手の背景にはオリンピック委員会や各連盟、協会がついている。
そういった組織に加盟している選手に故障が多かったのには、考えるところがある。
逆に零弱な基盤を持ちながらも、メダルを獲得した選手や支援者には敬意を表したい。

特に、陸連には、選手を故障や不調に追い込む背景については十分な検討や原因追及、反省を促し、今後につなげてもらいたいと思う。そのノウハウを一般に公表して、他の競技団体の選手育成にも役立つようにしてもらいたいものだ。

今後、クライミングの強化が進むと、同じようなことが発生する可能性も秘めている。
選手の強化のために、必要以上に選手の肉体に強度の負荷(持続可能性のない)を加える練習は、今後再検討しなくてはいけない時期もくるような気がする。





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