それは練習しかないと思う。
ただ自分を信じて、自分の生き様を練習にぶつける。
何度も何度も挫折しながら、ただひたすら困難からの生還を夢見る。
山登りなんていうのは、ほんの一瞬しか、興奮を味わえないものでもある。
しかし、それはいかなるスポーツでも同じなのであろう。
永遠に勝利し続けることはできない。ボクがはじめてであったトップアスリートはスピードスケートの鈴木恵一さんだったと思う、未だ小学生だったと思うが、ボクの記憶が正しければ、世界選手権500mで5勝し、ゲラハルト・ケラーと世界記録39.2を分け合うボクにとっては最高のアスリートであった。
1970年前後のことであろうと思われる。
かれは音もなくスケートリンクを滑る。靴紐は結んではいない。
スケートのエッジが的確に氷面を捕らえる技術があれば、靴紐などいらない・・と言うのであった。
ボクにとっては奇跡の技術としか思えなかった。
靴紐を足がしびれるほど硬く、きつく結んで、やっとのおもいで氷を切る今年かできない僕にとっては、ある意味では魔法のようでもあった。
『ただ、早く走ることだけがスケートではない』・・と言っていたように記憶する
速さコ祖がスピードスケートの命にように考え考えていた僕にとっては目からうろこであった。
『アウトからインに、いかにスムーズにエッジを切り返すのか。後ろに蹴るのではなく、横に運ぶように押すことが大事だよ』とか、さりげない言葉が、数百人いたであろう子供たちの一人であった僕にとっては、宝石のような言葉であった。
ボクも、夢の札幌オリンピックを目指してはいたが、遠すぎてとても人間とは思えない人であった。
小学校の時は、低学年で学年で2番、しかし、3年生以上になるとクラスで4番から5番目くらいに順位を落としていった。皆は強く、そして速くなってゆくが、ボクは、ただ、取り残されていったのだった。
大きな挫折感がボクを覆いこんでいた。『いくら練習しても、ボクは強くはなれないんだ』とう確信みたいなものが、心の中で大きくなり、ボクは、ひたすら挫折の最中へとのめりこんで行ったのだった。
しかし、スケートは好きなスポーツであった。冷たい風がボクのほほを切る感じがたまらなかった。
皆が練習する前の午前6時には一人リンクに立っていた。そして、夜も真っ暗なスケートリンクで午後9時まで時には一人で『横に押す・・アウトからインに、スムーズにエッジを切り返す』
ただ、ひたすらそんなことを繰り返していたのだった。人と比べられることが極端に嫌いだった僕は、強化練習への参加をやめ、一人でリンク(氷)に向き合っていたのであった。心の中には『いつか追いつき、そして追い越してやる』という気持ちは、誰に示唆されたわけでもなく、自然に自分の中で芽生えて行ったのであった。
「弱いこと」それがボクの原点でもあった。
鈴木恵一さんはもう一つ、言葉を残してくれていた。
「世界チャンピオンでも、始めたときは初心者なんだよ」・・と
ボクはいつまで初心者でいるのだろうか?と思いながらも、いつか初心者ではない自分を目指していたのだった。
練習は裏切らない・・そう思い始めるには10年以上の継続が必要なのかもしれない。
いいや、年数ではない。何千時間練習したかが重要なのである。
あれから40年以上も練習しているが、一向に上達しない自分を感じる一方、どこかに近づいている自分も感じる。
スピードスケートは札幌オリンピックの年にやめた、憧れの鈴木恵一さんが確か8位に終わり、ボクも限界を感じたからだ。
いまでも記憶の底に、鈴木恵一さんが氷を切り裂く音を立てずに、シャリーンとエッジが華麗な余韻を残して滑る姿が目に浮かぶ
コーチになる・・それはスケート靴を脱ぐ時から始まる。現役引退は、コートとしての始まりにか過ぎない・・と、札幌オリンピックを境に現役引退を決意した鈴木恵一さんの言葉も「シャリーン」と余韻を残して、今でも、僕の記憶の底に留まっている。
かれは後に言った「もう、札幌オリンピックの3年前に、体は限界を超えていた・・しかし、現役を引退できなかったのは、選手としての使命感だったのかもしれない」と
栄光に包まれたような人生にも、いろんな転機があるものだ。
あのころの500m、39.2秒という世界記録は、今では中学生でも実現可能な数字である。
しかし、僕の中では、どんな世界記録よりも、記憶に新しい記録として、いつまでも憧れの記録である。40年も前のことではあるが、いつも「シャリーン」と鳴り響くのである。
初めてクライミングで出会った記録は、5.9という未知の記録であった。1977年頃のことだったと思うが、小川山に廣瀬クラック(いまでは小川山クラック)を切り開いた廣瀬氏の偉業は、日本におけるフリークライミングの夜明けだったのかもしれない・・と、最近思うことがある。
廣瀬氏はいまだに現役のガイドを勤める。7年前を最後に直接はお会いしてはいないが、時々かれの生徒さんから近況を聞くが、自動車免許を持たない彼は、日常生活もハイキングである。
タイトルと、少し内容がそれてしまったようでもあるが、何とかここに着地したかな?・・
何かを汲み取っていただければ、幸いです

