2008年4月アーカイブ

才能を生かす局面

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それは練習しかないと思う。

ただ自分を信じて、自分の生き様を練習にぶつける。

何度も何度も挫折しながら、ただひたすら困難からの生還を夢見る。

山登りなんていうのは、ほんの一瞬しか、興奮を味わえないものでもある。

しかし、それはいかなるスポーツでも同じなのであろう。

永遠に勝利し続けることはできない。ボクがはじめてであったトップアスリートはスピードスケートの鈴木恵一さんだったと思う、未だ小学生だったと思うが、ボクの記憶が正しければ、世界選手権500mで5勝し、ゲラハルト・ケラーと世界記録39.2を分け合うボクにとっては最高のアスリートであった。

1970年前後のことであろうと思われる。

かれは音もなくスケートリンクを滑る。靴紐は結んではいない。

スケートのエッジが的確に氷面を捕らえる技術があれば、靴紐などいらない・・と言うのであった。

ボクにとっては奇跡の技術としか思えなかった。

靴紐を足がしびれるほど硬く、きつく結んで、やっとのおもいで氷を切る今年かできない僕にとっては、ある意味では魔法のようでもあった。

『ただ、早く走ることだけがスケートではない』・・と言っていたように記憶する

速さコ祖がスピードスケートの命にように考え考えていた僕にとっては目からうろこであった。

『アウトからインに、いかにスムーズにエッジを切り返すのか。後ろに蹴るのではなく、横に運ぶように押すことが大事だよ』とか、さりげない言葉が、数百人いたであろう子供たちの一人であった僕にとっては、宝石のような言葉であった。

ボクも、夢の札幌オリンピックを目指してはいたが、遠すぎてとても人間とは思えない人であった。

小学校の時は、低学年で学年で2番、しかし、3年生以上になるとクラスで4番から5番目くらいに順位を落としていった。皆は強く、そして速くなってゆくが、ボクは、ただ、取り残されていったのだった。

大きな挫折感がボクを覆いこんでいた。『いくら練習しても、ボクは強くはなれないんだ』とう確信みたいなものが、心の中で大きくなり、ボクは、ひたすら挫折の最中へとのめりこんで行ったのだった。

しかし、スケートは好きなスポーツであった。冷たい風がボクのほほを切る感じがたまらなかった。

皆が練習する前の午前6時には一人リンクに立っていた。そして、夜も真っ暗なスケートリンクで午後9時まで時には一人で『横に押す・・アウトからインに、スムーズにエッジを切り返す』

ただ、ひたすらそんなことを繰り返していたのだった。人と比べられることが極端に嫌いだった僕は、強化練習への参加をやめ、一人でリンク(氷)に向き合っていたのであった。心の中には『いつか追いつき、そして追い越してやる』という気持ちは、誰に示唆されたわけでもなく、自然に自分の中で芽生えて行ったのであった。

「弱いこと」それがボクの原点でもあった。

鈴木恵一さんはもう一つ、言葉を残してくれていた。

「世界チャンピオンでも、始めたときは初心者なんだよ」・・と

ボクはいつまで初心者でいるのだろうか?と思いながらも、いつか初心者ではない自分を目指していたのだった。

練習は裏切らない・・そう思い始めるには10年以上の継続が必要なのかもしれない。

いいや、年数ではない。何千時間練習したかが重要なのである。

あれから40年以上も練習しているが、一向に上達しない自分を感じる一方、どこかに近づいている自分も感じる。

スピードスケートは札幌オリンピックの年にやめた、憧れの鈴木恵一さんが確か8位に終わり、ボクも限界を感じたからだ。

いまでも記憶の底に、鈴木恵一さんが氷を切り裂く音を立てずに、シャリーンとエッジが華麗な余韻を残して滑る姿が目に浮かぶ

コーチになる・・それはスケート靴を脱ぐ時から始まる。現役引退は、コートとしての始まりにか過ぎない・・と、札幌オリンピックを境に現役引退を決意した鈴木恵一さんの言葉も「シャリーン」と余韻を残して、今でも、僕の記憶の底に留まっている。

かれは後に言った「もう、札幌オリンピックの3年前に、体は限界を超えていた・・しかし、現役を引退できなかったのは、選手としての使命感だったのかもしれない」と

栄光に包まれたような人生にも、いろんな転機があるものだ。

あのころの500m、39.2秒という世界記録は、今では中学生でも実現可能な数字である。

しかし、僕の中では、どんな世界記録よりも、記憶に新しい記録として、いつまでも憧れの記録である。40年も前のことではあるが、いつも「シャリーン」と鳴り響くのである。

初めてクライミングで出会った記録は、5.9という未知の記録であった。1977年頃のことだったと思うが、小川山に廣瀬クラック(いまでは小川山クラック)を切り開いた廣瀬氏の偉業は、日本におけるフリークライミングの夜明けだったのかもしれない・・と、最近思うことがある。

廣瀬氏はいまだに現役のガイドを勤める。7年前を最後に直接はお会いしてはいないが、時々かれの生徒さんから近況を聞くが、自動車免許を持たない彼は、日常生活もハイキングである。

タイトルと、少し内容がそれてしまったようでもあるが、何とかここに着地したかな?・・

何かを汲み取っていただければ、幸いです

 

 

 

 

上達しないコツ

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クライミングの上達を、腕力とか握力に求める人も多いようだ。

当然、高度なプログラムやこう何度の技には一定基準を求める強さは必要であろう。

しかし、それを特定の筋力に求めるのは早急すぎる。

少なくとも、心臓や血管の機能が伴って、身体の代謝能力やスタミナがそなわって・・などさまざまなスキルをこなしてからのことであろうと私は考えるのだが、成果を急ぐ人は多い。

早急な成果は、早急な減速をウム、すなわちリバウンドである。

練習には段階があり、身体の構造の多くは遺伝子によって決定付けられていることも多い。

練習は裏切らない・・とも言うが、いくら練習しても身体能力の向上にたどりつかない現実もある。

まず、走ることだよ・・しかもゆっくりと・・・。

ランニングはスポーツの基本である。

しかし、一般的に、ゆるく、遅く、軽ク、しかし、長い練習は辛いものである。

どちらかと言うと、強く激しく、速い練習のほうが効率が良いと、錯覚してしまう傾向にある。

ここに上達しないコツが隠されているとは考えないにくいのである。

それは、間違った考え方が脳を支配しているからに過ぎない。その間違った考え方を変換させる、またはリセットするには相当な困難が直面している。

すなわち、既成概念の成否を変換することは、なかなか難しいからなのである。

自分が正しいと思う思い込みほど、かき消せないものなのである。

それは、ある意味では文化と言う言葉に集約されるのかもしれないが、文化の表層と深層の区別は見分けがつかないものなのデモある。

以前も引用したがhttp://www1.plala.or.jp/yossie/climbwall/climbeng/lowerbody.htm

に面白い文献がある「クライミングな下半身」と表題を付けた作者の意図がうかがわれるが、なかなか優れた考察でもある。

ボクは時々覗いては、一人でうなずいてしまう。

誰でも上達したいはずなのに、上達しないコツが練習を支配しているからである

それを気がつかせるのは、相当な困難を要する。「頭ではわかっているんですが、体が動かなくて・・」と、ついつい言い訳を自分の体のせいに変換してしまうのである。

練習は常に正しいとは限らないし、優れた理論がすべての人に当てはまるわけでもない。

腕力とか握力とか、体脂肪とか腹筋を6つに割りたい・・とかいう概念を、一度捨ててみてはいかがなものかと思う。

トップアスリートを目指すのは個人の勝手ではあるが、トップアスリートとはほんの一握りの人に与えられた称号でもある。さまざまな紆余曲折を経ながら、常に前向きに自分の体に問いかけ、さまざまな意見を取り入れ、持続することによって勝ち取られるものであって、最新のレシピとか、新しい流行を生む練習方法とかいわれるものを鵜呑みにする前に、冷静に自分を見つめてみてはいかがなものかと思う。

 

 

そんな時、いつも相談するところがある
小山子供育児相談所である。
なぜここになったのかはいまだにわからない・
子供の心理は謎だらけである

あまりにもローカルなことではあるが、
はいはいをする、子供の心理には、
はいはいをしないと人間としての機能が身につかない・
とでも、確信しているかのように
無意識にはいはいを繰り返す
「立て!!」と、こちら(親)から示唆されるまでもなく
時が来たら、立つ

そんな風にクライミングも行かないものかと
いつも考えさせられる。

育児指導などに、素敵な見識を持っている
小山自然育児相談所
新しい相談所はもうじき、オープンです。

http://www.k5.dion.ne.jp/~ikuji/

お尋ねください・・・

今年の8月にオーストリアのシドニーで行なわれる予定の、ワールドユース選手権に向けての練習は、昨年の9月から始まった。
2007年JOCジュニアオリンピックユースB(14~15歳クラス)優勝が高い目標設定のきっかけとなった。
しかし、JOCまでの本人の実力はオンサイト5.11Dが1本、レッドポイントは5.12aには満たなかった。
こんな実力で、偶然にも、JOCでカテゴリー2連勝(小62位、中1優勝、中2優勝)というのは、実力ではなく、チャンスに恵まれただけにしか過ぎなかった。
しかし、限られたチャンスを生かす能力は、教えてできるものでもなく、神が彼女に与えた能力であろうと、ボクは思い込んでいた。
彼女とはなかなか話ができない・・と言うか、中学生に理解できるように話す能力が僕に無いというべきか、ボクが言わんとしていることを、なかなか理解できないジレンマが彼女にもあったと思う。
僕にしてもどのような言葉で、練習や考え方において、何を重要とするかを伝えることは困難を極めた。
しかし、彼女の肉体に成長が、心の成長を伴い進化してゆく過程に入ると(思春期)彼女の言動は、ボクの言葉を体で表現できるように成長して言ったのであった。
それが昨年の9月ころから始まった、と言えよう。

「来年の8月には、5.12Cを狙える準備としての練習に取り掛かりタイ。その可能性は十分にある」
そう、本人と両親に伝えて、僕の指定するトレーナーを紹介し、常に骨格と筋肉の成長バランスを考慮しながらのプログラムを作製して、常に変体させながら、メニューの変更を重ね、試行錯誤というよりは、まるで論理付けられているかのような、練習方法を繰り返し、繰り返し、必要に行なった。
ロッククラフト担当の整形外科へ通い、骨格の成長過程を吟味して、遺伝的傾向も考慮し、方向性は決定付けられた。
あえて数値目標をこなす練習ではなく、より確実な基本動作の繰り返しと、心臓と血管の関係、運動における付加と心拍数の変化、伸筋肉と縮筋肉との交互運動とバランスが元雄も重要な育成課題でもあった。
7月は心拍数を最大付加まで上げる練習が中心で、あったが、9月からは「ゆるい、ぬるい、しかし、長い・・」と言う練習が中心となった。
同じことの繰り返しを飽きずにできる心のスタミナの養成が、彼女に与えられたメニューではあったが、9月から1月までの週5回(月、水は休む)と言う練習を繰り返した。
それは休むことなく必要にお行なわれた。
2月からは3月のユース選手権に向けての練習に入り週6日(月のみ休み)と言う練習に入った。
特にアクセントとしては、学校を休ませて行なった毎週水曜日のオンサイト練習であろう。
課題となるルートは、ほぼリーチを考慮せず、あくまで不得意と思われる課題を中心に選んでのなんとなくオンサイトトライである。なんとなくとは、厳密で周到なオブザベーションを行なわないことを、さりげなく彼女に共用した。
彼女の知的センスと言うか、思考の変換能力は14歳にして僕の想像以上に高まっていた。
今までの困難に直面したら「壊れた機械」のように同じ失敗を制限時間まで繰り貸すようなことも、劇的に少なくなった。
又、気持ちが前向きで、挑戦しようと言う気持ちがアグレッシブにボクに伝わってきた。
メニューを伝え、遂行することに、彼女は何も違和感を感じないかのように追随してくる。
今までのように、困難に直面したら、逃げる・・という行動は皆無になってきた。

2ヶ月練習においての、オンサイト練習は成功率が高く、ほぼ90%(5.12bcまで)まで上がり、レッドポイントもほぼ2激以内と言う確率は、驚異的といってよいと思う。
日本選手権への練習は昨日のミストラルでのオンサイト練習を最後に終了した。

今日からは、ワールドユース日本代表を狙うべく練習に入った。
その練習内容は、今までのヨーヨー練習、振り子練習に心拍数に中程度の付加(120以内)を加えると言うのもで、シエイクやレストは練習中は行なわない・・と言うことを基本と考えて取り組ん行く。
練習内容で、ボクが重要と思えることも、彼女はすんなり飲み込んで(理解して)いるようでもある。

日本選手権は決勝進出が目標でもあるが、それは今の時点では、たいした達成目標ではない。
それよりも、スピードの変化、確信部までの到達速度や、確信部での洞察力や細かい技術のスタテック、あるいはスローな動作と急激な速度変化に対応できうる、心臓と血管の対応能力の向上が目的である。
「7月まではオンサイト練習はしないからね」と断言して、本人には話してある。
すべての準備が整うには、少なくとも3ヶ月は時間を必要とする身体生理能力の向上が主目的である。

その身体の基礎代謝能力やスタミナ、洞察力や瞬間的判断力(適応性無意識)などすべての要素がバランスよく育成されたなら、7月方は満を持して、5.12C以上のオンサイト、あるいは国際ルールが変更したので、フラッシュ能力を確かめようと考えている。

あえてワールドユース参加と言う大きな目標を設定して、選手選考にもれたなら(可能性は高い)、JOC
ユースBでの2連覇を狙う・・と言う方向に目標を変換する。

6月7日(土)8日(日)に行なわれる、大分でのジャパンカップは、あえて参加するが、あくまで国際ルールの変更に対応する経験を積む・・と言うことを主目的とする。

・・・などなど、スケジュールと練習プログラムは、あくまで長期的展望を崩すことは無い。

さて、この夏にむけて足踏みとなるか、躍進するかは、結果であって、身体の構造が成人を迎えるまでの長いプログラムの一部上方修正にしか過ぎない。

あくまで「あせらず、ひるまず」常に来ノン野習熟度を高めることがこれからの3年間(4000時間)の練習にかかっていると言えよう。

いよいよ世界に向けての、大切な時期差し掛かっている・・と、いえるのかもしれない。

 

女子プロゴルフアーを目出す、Tサンは、今年28歳になる。
4年前に初挑戦したときは若手の有望株であったようだ。
最初のプロテストは1打差で惜しくも、プロ認定を逃したのであった。
初めての軽い気持ちが災いしたのか、もう少し責めればよかったと、反省していた。
あらから3年、おんなじことの繰り返しである。
1日目はまあまあ、3オーバーくらいで通過する。試験という緊張感の中、自分なりにスコアをまとめてイル。しかし、2日目はいけない、先週の2次テストでも、82をたたいてしまう。
全選手のスコアプックを見ると、上位10人くらいは2日目にアンダーで回ったりして、初日の崩れを攻めルことでクリアし、スコアをまとめている。
さらに上の選手を見る。初日72,2日目73とスコアはしっかりとまとまっている。
十代の選手が多いのが最近の傾向のようだ、Tさんは受験生の中でいつの間にかベテランの域に達しているようだ。しかし、昨年は40代のプロが誕生したという。
それから見ると、まだまだ若手である。上位陣には常連葉少なくなっている・・という。1打差に、あきらめた人も多いようだ。
しかし、何のプラッシャーもなく「ひとまず勉強と思って挑戦した」と言う若い選手の中には、のびのびとした成果を挙げている人も多いにだ。
彼女もその一人出会った。少なくとも4年前には・・・。

しかし、平均スコアが少しづつあがっているにもかかわらず・・
3連続バーデイをとることもあれば、3連続ボギーで帳消しになる場合もある。
技術がすこしづつ進歩しているのに、スコアはまとまらない・・。
昨年のドラバーコンテストでは、270ヤードを超えて優勝している。
しかし、普段は280以上はいける・・という。
しかし、大会と言うものは別だ。試験も同じである。日常の力が発揮できないのである。
何かが足りない、何かを足さないといけない
そんな思いが心の中を駆け抜けるようだ。

普通って難しいんだよ、普通じゃないときにね・・。
プレッシャーって具体的な圧力のことで、心に抱かせる圧力は、物理学的にも心理学においても「実態のない圧力」であって、証明は困難なんだ。

すなわちそんな圧力はないのだ・・。

ないのもをあると想定して、押されることが重圧に勝つことではなく、ないものを想定して、それに打ち勝つための練習をしなければならない・・などと、生意気なことを言ってしまった。
すなわ、あえて「打ちそこなう」という練習である。

何かの迷いがTさんの心の中をよぎっている。

おそらく、こんな感じで全国に毎年500人位の研修生(プロ候補)がテストを受ける。
おそらく、普段の練習では75前後のスコアでラウンドできる兵(つわもの)どもの内、20~30人前後がプロになるのだろう。
しかし、プロツアーはさらに厳しい。
昨年の賞金ランキングを見ても、ツアー参加者300名の内、獲得賞金ゼロは120名を超える。獲得賞金100万円未満も、100人近くイル、
数千万を稼ぐプロは片手で数える位である。もちろん最上位は億という賞金を稼ぐのである。
プロを目指すが、プロになってからの苦しみは、研修生の重圧とはまったく違うのである。
賞金獲得0の中には、かつて売れっ子であった、選手も数名いる。
ほんの3年前はテレビの常連だったプロが獲得賞金0でもがいているのである。
世界を目指し、プロを目指す・・というのは簡単な事でもあるが、世界1という位置は世界でい一番苦しんだ者の内の一人にしか与えられないものでもあるのだ。

あえて言わせてもらう。
存在のないプレッシャーに負けているようでは、プロの道は遠い、
実態のあるプレッシャーに打ち勝ってこそ、真の目的が達成されるのだ。

6月には最終試験がある。されど1打差・・450回打って、僅か1打ちじめる辛さを、超えるものに、プロのライセンスは下りるのだろう。

頑張れTさん、もう2ヶ月しかないのではなく、まだ、2ヶ月先のことである・・・。

このされど1打を、たかが1打にしてみようよ・・ね!

いつの間にか、君はオーラを発している。
気づかないうちに、君にはプロになるに必要なものは身についているのだ。
自分を信じて、この2ヶ月を乗り切ろうではないか!

夕食はリサ・ランズ

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プレ・オープンにアメリカから、世界最高の女性クライマーの一人、リサ・ランズとご主人でもり、コーチでもあるヤング氏を招いてのイベントであった。
本来、今回の来日は4月12日13日の韓国で行われる国際コンペ参加に向けての調整が目的であったが、イボルブスポーツにクリス・シャーマ氏の来日要請をしている中で、リサ側から話が舞い込んできたのであった。
思わぬうれしい話に右往左往しながらであったが、何とか体制が整い、つつがなくイベントにこぎつけることができた。

29日の来日以来、さまざまなオフアーが重なり、相当疲れているようでもあった。
ま、ロッククラフトだけに来店するわけには行かないので、致し方ない、スーパースターの宿命でもあるのだろう。
しかし、ヤング氏は開口1番に「ここで」靴を脱ぐのか?ここからはどんなシューズをはくのか・・」と少しの苛立ちをも隠せない様であった。
「これが日本の文化なのだ」と押し切る私に笑顔で「そうだな、どこにでも文化はある」と答えてくれて、話は粛々と進んだ、」いいや和気藹々と良い感じになっていった。
2時間ほどウオームアップをして、メモリアルプロブレムの作成、試登、夫婦でのセッション、トレーニング
と進んでいった。
定時刻を15分ほど遅れて、私の挨拶(予定外)で始まり、リサのスピーチ・・通訳は大胆な意訳だが的を得ていた「リサはセッションするのが好きですので、忌憚なく質問してください、差。それでははじめましょう」
と、良い感じで進んでゆく、沸きあがる歓声と驚きがジムに鳴り響く・・・
それぞれが三々五々と散らばり、リサとヤングの課題に挑戦するが、状況に微妙な変化を感じた。
ヤングが「夕食はリサなのに、誰も食べにこない」
笑いながら僕は言う「え~、食べても良いのですか・・この幸せもの」と冗談交じりにヤングと話すが(ボクの壊れた英語が通じているとは限らないが)「リサを眺めるがセッションじゃないだろう!」と怒り?をぶつけてきた。
怒っていた訳けではないのだろうが、コンサートを見に来たわけではないだろう、セッションしようよ・・という意味を日本的に解釈することはヤングにはできないのだろう。
参加者にセッションすることを勧めるが、日本人の奥ゆかしさ?という文化が災いして、ギクシャクしてくる。ボクの壊れた英語が、少しは場を取り繕えたのか?
「先生、あそこの課題で来たよ」と生徒がボクに報告に来る
「リサに行ってきなよ」というと
「先生伝えてよ~」??
「ああ、もう、日本文化って」意味わかんない!!」
と、苛立つボクを不思議に見ている生徒?
ヤング氏の苛立ちも理解できる、僕は変な日本人なのかな?

すばらしい線を描く
リサのクライミングは夫であるヤング氏ののぼりにも似ている。
まるで画家が洗えらレたキャンパスに何本もの線を描き、それが芸術という絵画に成長するかのように、リサは岩のような壁というキャンパスに何本もの線を、自らの身体で描くかのように、その無造作に投げかけられた線もすべてが立体的な映像へと変化してゆくかのように、ゆっくりと確実に無駄なく、すべてのライン(線)が作品へと昇華して行くかのように、僕の目には映った。

これは錯覚ではなく、クライミングという行為自体を作品に仕上げるプロセスなのかな~と、彼女のクライミングを眺めていた。

3人娘(絵里菜、彩、悠希)にリサとのセッションを勧めるが「私いは良い・・」と奥ゆかしく、つつましく、控えめに・・日本文化をそのままな美しい娘たち・・
ヤングは言う「かかってこい!」という「セッションしようよ」という意図は、空回りの連続でもあった。
何かを伝えたいのに、何も伝えなくて良い・・かのような日本人の厳かなたたずまいに大不満足なヤング氏でもあった。
しかし、たった一人、勇敢?ともいえないが「ねえ、リサ・・ここはどうするの。このホールドは、どうやって持つの・・」とセッションを挑む一人の少女・・オ、失礼「んえ、皆さん、通訳してよ!!」って感じで、彩ちゃんがリサに立ち向かう。
んんんん・・やるな・・何も臆することなく、彼女の天分を感じてしまう。
「英語ができると,もう少し、楽しいのにね?」って話すと、にこって」笑うが、本気モードでトライを繰りかせう。
「あと2回トライすればできる」「次はできる」と未来を予測する彩ちゃんの言動に、通訳のミナさんは驚く「彼女ってすごいわね~、何で何回先にできるかがわかるの?普通に考えると、できたときが、できたときよね」と、ここにも異文化の発想が存在する。

リサは言う「感じてほしいわ」

感じられない、傍観者としての日本人である、私が恥ずかしくも、楽しい・・ひと時でもあった。

「ああ、もう頭にきた、腹が減った、お前たちは腹が減らないのか、もう帰る・・」
とサイン会がおわったら、ころからヤング氏の調子がおかしい・・・
写真撮影をおえ、8時を15分過ぎたころに血糖値が低下して、インシュリンの分泌が悪くなったのか??
しかし、良い人であった。素直に自己表現をする。
日本人も、もう少し自己表現できないと,相手に日本文化の意味をつたえられないな~と、思わず反省している自分がおかしい・・

リサとヤング氏からはさまざまなノウハウをいただいた、別の驚くことではないが、次回にはその話を伝えたい。
ヤング氏は行った「そのようは話がセッションではないか」
なるほど、このイベントでセッションしたのは、ボクと彼女と・・??英語の堪能な??さんの3人だったのかもしれない・・
今日は、パンプでセッションである。
さて、ヤング氏は大人の対応をするのであろうか?同行をできないのが残念でもある・・

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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