悠希がミドルB((オンサイト11Cまで)に出場して、予選はまあまあだったが決勝は半分もいけなかったようだ、リーチだったのかな?とも考えるが、今の感じからするとこんなものだと思う。
この冬の基本練習はスタミナつくりと、スローな動作である。
関節などの成長を考慮して、瞬間的な移動やジャンプは禁止している。それは拓君も同じだ。
しかし、大会において勝ちたい・・という気持ちが、そう言う動作の選択をしたとしても、それは良しとする。
あくまでコーチの仕事は選手の抱えている問題点や反省点に対応する練習に対しての助言であり、決定事項ではない。決断は選手自身の重要な選択である。
どちらかというと「嫌いな練習」を「好きな練習」に変換する、ソフト(柔らかい刺激)のようなものだ。
練習試合の数だけ本番に強くなる・・というわけでもない。
試合を想定して、自分の欠点を浮き彫りにして、長所を伸ばすのか、欠点を最小限に抑えるのかは、難しい選択でもある。
しかし、成長期における身体の育成をないがしろにするような練習はなるべくしたくはない。
結果を目指すには結果を出せる身体の基礎が構築してから・・が前提である。
特に関節の成長過程には細心の注意を払いたい。
同じ中学1年生でも、成長はそれぞれの体内時計(細胞)によって示唆されているので、人間の思惑とは別次元のことである。
あえて、中学1年せいだから、この課題やこの動作をマスターしなさいとは言いがたい。
あくまでも練習の基本は成長過程での必要な負荷であり、思考方法のプロセス認識である。
時にはヒステリックにしかり、時には放置する。
「今日は先生、しからないね」とか
「きょうはうるさいな」とか思わせる。
いつもはしからないことも、何度も叱り飛ばす・・
「今日の先生はおかしい・・」と首をかしげる・・
クライミングという競技はあくまで個人競技であるが、全体の様子を把握せず、その行動が、自分勝手な行動なのかどうかを考えさせたり、あるときは、学校や家庭でのストレスを、ここで発散させ、方向性を見失わないように、あるいは間違えないように指導したいとも思う。
スポーツには社会適応性が必要なのだ。
特に最近は「挨拶」の仕方についてはうるさく示唆する。
挨拶は重要なスポーツの基本である。
この考え方は、メキシコオリンピックの時のサッカーの監督だったた長沼さんや、V9時代の巨人の川上監督も同じ事を言っていた。
挨拶は一流選手の基本・・と、
最近、元巨人の桑田真澄選手もリトルリーグでの指導で「挨拶は野球の基本」といっていた。
ッム!!桑田選手は指導者としての才能があるのかもしれない。
名選手でありながら、名監督になれるのかも知れない・・と、ふと、思った。
名選手で名監督といえば、最近の中日ドラゴンズ落合監督もその一人であろう。
巨人との試合での奇襲戦術は尾張名古屋の織田信長を連想させるが、いかがなものであろうか?
勝負において監督のできる最高の仕事は、環境への速やかな適応であろう。
一瞬の躊躇が思わぬミスを招く・・
そんな一瞬の判断ミスを招かないためには、挨拶する瞬間(タイミング)が基本であろう。
そこから勝負師への基本が磨かれるのである。人間としての魅力も同じである。
僕がリードクライミングのビレイをしていて、核心部のビレイ(安全確保)をしていると、タイミングよく話しかけてくる生徒もいる。僕の心の乱れ方をテストされているようで、腹が立つ。
あまりにもタイミングが良すぎて、集中を欠きそうになるが、それが帰って、僕には良い練習になる。
彼にはいつも「うるさい、今真剣なんだ」と叱り飛ばすが、
彼は僕に集中することを練習させられる。
僕にとっては良い教師でもある。
また教師といえば、中1のケント君は説明がうまい。すなわち教え方のうまさでは他の追随を許さない。
幼稚園のから50歳くらいまでの範囲なら、動作の基本を何気ない言葉で伝えることができる。彼もまたそういった才能を持って生まれている。ロック先生も脱帽である。
時々遠くから彼の指導のテクニックを盗み取る・・こんなことでよいのか?とも思うが、昔から「技は盗むもの」という格言もある。
ほかの生徒も「ケンは教えるのが絶妙にうまい」と尊敬している。
人間にはそれぞれ隠れた才能がある。
「すべての人は才能を持って生まれている」と、20世紀最高のダンス教師であったマーサ・グレアムは著書「地の記憶」で語る。
そう、才能はみんなが持っている。
その才能が開花するか否かは、挨拶にかかっている。
挨拶のできる人・・それもロッククラフトの重要なクライミングの基本である