人生に「もしも」という言葉を形容するなら、ボクの人生において、もしも彼との出会いが無かったら、今の自分は存在しなかったと断言できるような出会い。
それが彼との出会いであった。
同じ頃、フリークライミングにあこがれて、別々の環境で生きていた僕達が、あの時、出会わなかったなら、多分ボクは平穏な日常生活を送っていたことだろうと思う。
フリークライミングスクールの創設を夢見て、東京の登山専門店に入社したあの頃のことである。
アルパインクライミングへの情熱を捨て、フリークライミング1本に的を絞った、クライミングスクール創設するには、幾多の難問を解決しなければならないのか・・。そんな重圧を自分の背中に感じていた頃だった。
その男はあまりにも突然フラット現れた。多分1982年の6月日7月頃だったと思う。
「向井さんはフリーに的を絞ったクライミングスクールを創設したいって話を、人づてに聞いたんだけど、それを僕にやらせてもらえませんか」と担当直入な言葉であった。
彼の背中には、大きなホールバック(まるで200Lのドラム缶)が背負われていた。
今からヨセミテのハーフドームを登りに行くかのような、リアルな臨場感がそこにあった。
半信半疑で?
「えーット、どちら様で・・」
と、わかっていながらとぼけて聞いてみた
「H谷 清です」
「・・・・・」
あの男である。
あの日から・・だったか、それから時々彼はボクの店を訪ね、或いは僕の部屋で、フリーというクライミングの考え方を話し合った。
理念や理想を或いはクライミングの導入期のあり方を、登攀とかアルピニズムの精神とかを排除して、もっとお手軽に、軽く・・しかし深く・・理想は高く・・という感じで、クライミングをもっと普及できないものか・・ということと、世界に対応できるクライミングのあり方を、夜明けまで何度も話し合ったような記憶がある。
話は飛んで・・・・今日はパンとお肉の話である。
一昨日、彼のお店をアポなしで訪ねたら、彼は珍しく連休を取っていたのであった。
ドイツパンはドイツらしくないドイツパンであった。香りはドイツでも食感は日本的で、ドイツ人には叱られそうな感じであった。
それはフランスパンにおいても同じである。20数年前にフランスで買った(食べた)フランスパンは、まるで釘を打つカナヅチのように硬かった記憶がある。
ドイツパンも同じである。
彼はその頃から、と時々パンを持ってきた。自分で焼いてきたという。硬い歯ごたえと、ライ麦のこおばしい香り、噛めば噛むほど、酸味が甘味に変わり、風味を増す・・そんなドイツパンに見せられたのは、遠い昔のことでもある。
「実は昨日、焼き豚を作ったんですよ、サイボクハム風のをね」
「へzz^・・」
「そして今夜は、スペアリブつくりに挑戦ですよ・・サイボクハム風のね」
昔なら、クライミングとか山登りの話しかしなかった僕達が、料理の話に花を咲かす・・
時代は変わった・・と、ふと感じてしまった。
子育てとかの話もする。男同士なのに、まるで主婦の会話のような他愛のない話が続く・・
しかし、25年以上もの長きに渡り、夢と理想と信念はあの頃と何も変わらない僕達がいる。
初めて彼を見たのは・・1977年の10月、宝剣岳天狗岩での岩登り競技会でのことである。
前日の雨に、ボクは滑川中央稜で、半分遭難して、土砂降りの中のビバークを強いられていた・・。
あれから30年余りの歳月が過ぎた。
クライミングの理想を追い、理念や思考においてぶつかり合ったり、或いは同調したりの時間は瞬く間に過ぎ、僕達の頭は、白い景色の混じる様相を呈している。
しかし、立場は変われども、クライミングを語る時、僕達は少年に返る。
いいや、夢を追うこと自体が、僕達の心に少年を纏(まと)わせるのか
幼稚園の砂場で、友達と喧嘩しては仲直りして、また遊んだあの頃・・
それが今は、石(クライミング)に変わっただけで、本質的には何も変わっていない。
砂はもともと石であったから、変わらないのは当たり前なのだろう。
背伸びして、パン工房に中に彼の姿を見つけられない自分に歯がゆさを感じたが・・見つけられない理由が「居なかった」事に安堵する自分を感じた。
あれから30年たっても5.10を難しいと感じる自分
数年で5.12に到達する天才少年少女達
簡単で単純なことのなかにこそ、真理があり究極があることを、世界のトップアスリートは教えてくれる。
簡単なことをつまらない・・という前に、最も簡単なことを楽しむことが出来なければ、更なる高みには到達できない。
ボクの仕事がクライミングジムの経営である。
しかし、趣味はクライミングのコーチであろうと思う。
されば、仕事としてではなく、生徒の成長を促すコーチに、引退などはありえない。
前人未到の高地
それは、僕達の思想の中に息づく、究極の思想なのかもしれない・・と、ふと思った。
今夜の長電話は、主婦感覚としか形容できないくだらない話であるが、僕の心をかなり癒してくれた。
男同士の長電話・・しかも良い親父の長電話である。
誰も聞きたくはないであろうが、これこそがボクの心に書き留めておきたい心のコラムなのである

