2007年5月アーカイブ

男の長話

| コメント(0) | トラックバック(0)

人生に「もしも」という言葉を形容するなら、ボクの人生において、もしも彼との出会いが無かったら、今の自分は存在しなかったと断言できるような出会い。
それが彼との出会いであった。
同じ頃、フリークライミングにあこがれて、別々の環境で生きていた僕達が、あの時、出会わなかったなら、多分ボクは平穏な日常生活を送っていたことだろうと思う。
フリークライミングスクールの創設を夢見て、東京の登山専門店に入社したあの頃のことである。
アルパインクライミングへの情熱を捨て、フリークライミング1本に的を絞った、クライミングスクール創設するには、幾多の難問を解決しなければならないのか・・。そんな重圧を自分の背中に感じていた頃だった。
その男はあまりにも突然フラット現れた。多分1982年の6月日7月頃だったと思う。
「向井さんはフリーに的を絞ったクライミングスクールを創設したいって話を、人づてに聞いたんだけど、それを僕にやらせてもらえませんか」と担当直入な言葉であった。
彼の背中には、大きなホールバック(まるで200Lのドラム缶)が背負われていた。
今からヨセミテのハーフドームを登りに行くかのような、リアルな臨場感がそこにあった。

半信半疑で?
「えーット、どちら様で・・」
と、わかっていながらとぼけて聞いてみた
「H谷 清です」
「・・・・・」
あの男である。

あの日から・・だったか、それから時々彼はボクの店を訪ね、或いは僕の部屋で、フリーというクライミングの考え方を話し合った。
理念や理想を或いはクライミングの導入期のあり方を、登攀とかアルピニズムの精神とかを排除して、もっとお手軽に、軽く・・しかし深く・・理想は高く・・という感じで、クライミングをもっと普及できないものか・・ということと、世界に対応できるクライミングのあり方を、夜明けまで何度も話し合ったような記憶がある。

話は飛んで・・・・今日はパンとお肉の話である。

一昨日、彼のお店をアポなしで訪ねたら、彼は珍しく連休を取っていたのであった。
ドイツパンはドイツらしくないドイツパンであった。香りはドイツでも食感は日本的で、ドイツ人には叱られそうな感じであった。
それはフランスパンにおいても同じである。20数年前にフランスで買った(食べた)フランスパンは、まるで釘を打つカナヅチのように硬かった記憶がある。
ドイツパンも同じである。
彼はその頃から、と時々パンを持ってきた。自分で焼いてきたという。硬い歯ごたえと、ライ麦のこおばしい香り、噛めば噛むほど、酸味が甘味に変わり、風味を増す・・そんなドイツパンに見せられたのは、遠い昔のことでもある。

「実は昨日、焼き豚を作ったんですよ、サイボクハム風のをね」
「へzz^・・」
「そして今夜は、スペアリブつくりに挑戦ですよ・・サイボクハム風のね」
昔なら、クライミングとか山登りの話しかしなかった僕達が、料理の話に花を咲かす・・
時代は変わった・・と、ふと感じてしまった。

子育てとかの話もする。男同士なのに、まるで主婦の会話のような他愛のない話が続く・・
しかし、25年以上もの長きに渡り、夢と理想と信念はあの頃と何も変わらない僕達がいる。

初めて彼を見たのは・・1977年の10月、宝剣岳天狗岩での岩登り競技会でのことである。
前日の雨に、ボクは滑川中央稜で、半分遭難して、土砂降りの中のビバークを強いられていた・・。

あれから30年余りの歳月が過ぎた。
クライミングの理想を追い、理念や思考においてぶつかり合ったり、或いは同調したりの時間は瞬く間に過ぎ、僕達の頭は、白い景色の混じる様相を呈している。

しかし、立場は変われども、クライミングを語る時、僕達は少年に返る。
いいや、夢を追うこと自体が、僕達の心に少年を纏(まと)わせるのか

幼稚園の砂場で、友達と喧嘩しては仲直りして、また遊んだあの頃・・
それが今は、石(クライミング)に変わっただけで、本質的には何も変わっていない。
砂はもともと石であったから、変わらないのは当たり前なのだろう。

背伸びして、パン工房に中に彼の姿を見つけられない自分に歯がゆさを感じたが・・見つけられない理由が「居なかった」事に安堵する自分を感じた。

あれから30年たっても5.10を難しいと感じる自分
数年で5.12に到達する天才少年少女達

簡単で単純なことのなかにこそ、真理があり究極があることを、世界のトップアスリートは教えてくれる。
簡単なことをつまらない・・という前に、最も簡単なことを楽しむことが出来なければ、更なる高みには到達できない。

ボクの仕事がクライミングジムの経営である。
しかし、趣味はクライミングのコーチであろうと思う。
されば、仕事としてではなく、生徒の成長を促すコーチに、引退などはありえない。
前人未到の高地
それは、僕達の思想の中に息づく、究極の思想なのかもしれない・・と、ふと思った。
今夜の長電話は、主婦感覚としか形容できないくだらない話であるが、僕の心をかなり癒してくれた。
男同士の長電話・・しかも良い親父の長電話である。

誰も聞きたくはないであろうが、これこそがボクの心に書き留めておきたい心のコラムなのである

イチローの言葉

| コメント(0) | トラックバック(0)

大リーグで1000試合出場したイチローは、特別な思いも無く、ただ通り過ぎた記録と普通に向き合っていた。5打数3安打、内ホームラン1本。チームは1点差で負けた。
この7年間、故障一つしない体作りは、決められた練習メニューを機械的には、こなさない。
体が感じるままに、小さな変化を与えている・・という。
この小さな変化が、常に彼の記録を過去のものにしてゆく。
「50歳まで現役でいたい」
「小さいことを重ねることが、とんでもないところへいくただ一つの道だと思う」
とも言う。
偉大な記録は、記録を狙って重ねるのではなく。ただ、日々の積み重ねの中にある・・とでもいいたげな言葉である。

ロッククラフトの教えにも
「一見、つまらないことの繰り返しの中に、真実がある」という言葉がある。

体を壊さないのも、毎日のランニングを怠らないのも・・機械的なルーチンではなく、日々感じる自分の体の中に起きる変化を見逃さず。その変化に対応する日常を過ごしているからなのかもしれない。

特別なことは何もしていない・・とこともなげに語るイチローは、日本とか、アメリカとかにこだわらず、自分流の野球を追及しているのだろう。

イチローにとって、その舞台は、地球そのものであって、野球という概念に凝り固まっているようにも思えない。不思議な魅力に包まれたアスリートである。

彼にとって、夢とはいったい何なのだろうか。
夢の途中にいる彼にとって、そんな質問はナンセンスな言葉なのかもしれない。
むしろ彼が野球通して語ろうとしているもの、言葉ではなく彼の行動の先にあるものが、夢なのであろうか。
やがて彼も引退する時が来ると思う。
そのときに残された記録の連続線上にあるものが、夢そのものなのかもしれない。

「夢は実現できないもの」といった選手がいた。

ボクはむしろ、夢とは、誰にでもある、ごく普通の日常に中にこそあるような気がしてならない。

大気を描く

| コメント(0) | トラックバック(0)

絵画との出会いというか、衝撃は、ジョルジュ・サンド・ラ・トゥールから始まった。
彼の絵画には、光りの陰と陽が描かれていた。もっとも驚いたのは、たった1本の蝋燭が描き出す、空気の陰陽の中に、猜疑的な表情をかもし出す,婦人の横顔が描かれいるさまであった。
西洋絵画とは、宗教或いは女性美の追求と思われいたが(勝手に思い込んでいた)そこには美しい女性像は描かれていなかった。
更なる驚きは、絵のなかに、確かに蝋燭の炎を書かれている核心と、イメージがあったのだが、本物の絵には手のひらの影に阻まれ、蝋燭はかかれておらず、見えるのは、蝋燭の炎が描き出す光りの陰と陽・・それは美の中に共存する、人間の心の影なる部分を想像させ、ボクの心の深層に幻影を残させたのであった。

ジョセフ・マロード・ウイリアム・ターナーは2度目の驚きを絵画の中に描いた画家であった。
雨、或いは水蒸気、朝もや、夕暮れなど、大気の微妙な変化を、見事の捉えたそのダイナミックな描写には驚かされた。
おそらく彼も、不透明な輪郭線を排除して、作品の中に大気、或いは空気の存在を描きたかった作家ではにかと・・ボクの想像力は、そう考えた。

「ここには何もない、在るのは私の絵だけだ。本当のアトリエはここにある」
そういって、彼は私を庭に連れ出した。パリから僅か80キロ。クロード・モネが生涯をかけて作り上げた庭園は、ここ、ジベルニーに日本的な雰囲気と、或いは自然庭園のような趣を、今も放っているという。
「印象・日の出」或いは赤く。或いは青く。揺れる大気を見事に書き描いた作品作品であり、新しい美術への挑戦・・への1作品といえる。しかし、ボクはむしろ、若くして無くなったモネ婦人が日傘をさして風邪と佇む作品にこそ、彼の時間を超越したところにある、心の大気の存在を感じるのだが・・・。

大気、或いは空気を描こうとした作家は、500年前にも存在した。
ビンチ村出身の貧しい画家レオナルドの作品にである。
彼は遠近法を大胆に駆使して、人物を強調したり。一本の輪郭線も書かずに絵の具を積み上げる事で、
首筋や、頬の表情を描き出した。また、目と口元の対角線に陰と陽を用いることにより不気味な、或いは不可思議な微笑みを絵画の中に残した。
しかし、彼が最も描きたかったのは、永遠の母であるモナリザではなく、自分自身の善と悪。そして。いかなる存在も拒否できない絶対的は存在である、空気を科学的に絵画の中に描きたかった、初めての画家だったのかもしれない。

空気を描く・・

重力は常に空気に力を与え、そして、人を裏切りはしない・・ぞれは自然に対しても同じであろう。
かつて木立の中で樹になることがダンスといった人がいた。マーザ・グレアム。20世紀最高のダンサーである。
重力を描くダンスがクラシックバレーだとしたら、クライミングは・・・いったいどんなスポーツなのだろうか。
人類の歴史と、おおよそ同じ長さ(500万年)を持つスポーツは多々あるが、宗教とか哲学とか或いは文明とかを連想させるスポーツは少ない。

「たとえば、空中に浮いている足で、空気を押す感じさえも見方にしないと、V16は超えられないかもしれない」といったクライマーの言葉にも、非日常的な感性を感じるのは、私ばかりではあるまい・・。
スポーツとしてのクライミングか確立していく一方で、スポーツ以前、或いはそれ以上の何かをロッククライミングは教えてくれる。
もし500年前、哺乳類の一旦を担う人が、前足にという認識を持たなかったら、戦争も、宗教も、哲学も、或いは文明も近代科学の恩恵ももたらさなかったのではないのだろうか・・。
石を投げ、石で石に刻む文字や図形が・・石を積み上げて築き上げた古代遺跡が・・私達に何を語りかけてくれるのか・・・。

彼の描きだす新しいルートも、石を掴む行為の繰り返しの中に存在する。
或いは彼も、大気を描く絵画のようにも思えてならない・・

伝承を科学する

| コメント(0) | トラックバック(0)

「がまの穂綿」が以前育てた黒稲(古代米)の鉢に育っている。
ふと、その青い穂を見ていて、古事記に伝わる口承伝承される寓話を思い出していた。
鳥取県に伝わる「因幡の白兎」の話である。
がまの稲穂とは、傷ついた白いウサギが、がまの穂綿で傷を癒される・・という話であるが、社会学的見地からみると「いじめ」を民話化した初めての文献という見方も出来るが
嘘をついて風土に紛れ込もうとした白いウサギは渡来人、または異邦人とも考えられ、或いはスパイ、或いは侵略者を韻に含む、まるで寓話の世界観がそこにある。
鰐サメにいじめられ傷ついたというのは、彼(白いウサギ)の持つ世界観をあらわしているが、一方では大陸からの侵略者に立ち向かった、先住民(倭人)の強い抵抗とも考えられる。
心理学的見地から見ると、自分の位置の取り方、見方によっては考え方は相対的ということでもある。
トロイの木馬にも同じような逸話が挿入されている。

さて、傷ついたウサギに八十神のように「海水で洗えば治るよ」などと嘘をつく神もいたが、大国主命のように、がまの油か稲の穂綿を与えて、傷を癒させて救い、土着民との共存を促した、優しい思いやりのある神様も日本にはいたわけである。
がまの油や稲の穂綿にはアロエ効果があるのかないのか・・議論があるが、おおむねアロエ(医者要らず)効果はあるようでもある。
たとえ侵略者であっても,傷ついたものに診療行為を施す優しい敵(ウサギからみると)もいたわけである。この話は手塚治虫氏の「火の鳥」にも別な事象として取り上げられているのである。
化学から接近して、因幡の白兎が科学的事実か?
社会学から接近して、いじめの実態を科学するのか?
歴史学から古事記を見るのかでは、接近(解明の仕方)するのか・・因幡の白兎も
浦島伝説に近い、民俗学的思考が挿入されているのである。

がまの稲穂・・が育つ頃、子供達はどんな成長を遂げるのか・・秋まで長くも、短くも感じられる今日この頃である。5月3日からの合宿ではそんな話もしてみたいと思うのであるが・・いかがなものであろうか・・
「因幡の白兎からみた、いじめの実態考察」
中学生には難しすぎるかな?

さてさて、師とあるものは、或いは因幡の白兎のごとくでありたい・・とも思う。
大国主の命としてではなく「がまの穂綿」としてである。
すなわち、良薬は口に苦し・・である。
最近ボクは、優しさを旨としている。思考の多様化、洞察力の開発に「適応性無意識(なんとなく思考)」を指導しようと言葉を濁している。

そういえば、モネのアトリエの話が面白かった。
晩年、モネは隠遁した・・っそんな彼の住居に、訪ねてきた若い女性記者が彼の仕儀部屋に入るなり「ここが先生のアトリエですね」と目を輝かせる・・が、モネは言う
「ここには私の絵しかない。本当のアトリエは「そこにある」と、外庭に連れ出す。

話はクライミングに戻るが、ロッククラフトの人工壁はボクのアトリエなのかもしれない。
本当のクライミングは自然の中にある。
コンペとはロッククライミングの表現方法の一つにしか過ぎない。
そんなことで一喜一憂するより、地球が育てた岩の意味を考える時間のほうが素敵であろう。

日本選手権を終え、結果はたった一人の勝者を決めるのがゲーム(大会)の趣旨でもある。
しかし一方では、悔しさを抱く人もいるのである。
因幡の白兎を科学してみよう・・。
さて、そんな生意気なことを言う自分は「浦島太郎伝説」のさなかに突入しているのかもしれない?!
かく言う私こそ、歴史を科学しなければならないのかもしれない。

フリークライミングスクール・ロッククラフト

このアーカイブについて

このページには、2007年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年4月です。

次のアーカイブは2007年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。