2007年3月アーカイブ

美しさのムービング

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初めて、クライミングに美しさを感じたのは、檜谷清氏のクライミングであった。特に1980年代の中盤くらいから、その美しさは際立って見えた。クライミングに強さや、すごさを感じるクライマーはたくさんいたが、彼には、すごさとか、強さを感じることはなかった。むしろ上手いという表現の方が近かったような気がする。そういう意味で、檜谷清氏のクライミングはひときわ輝いて見えたのは、自分の個人的思いいれ場仮ではないような気がする。
あるときは修行僧のように、岩場に佇むその姿が、まるで瞑想に耽り、座禅を組む公明な僧侶を連想させたり、木彫りの彫刻がまるで生きているかのごとく輝く、円空仏さえ連想させた。彼のクライミングには宗教とか哲学を感じる自分がそこにあった。
その流れは、平山ユージさんに受け継がれているような気がしたのは、ボクの錯覚だったのだろうか?
研ぎ澄まされた身体に優美な動きは、まるで100mを蝶のように舞う、アスリート達のそれに共通するものを感じた。何故、彼だけ岩場をゆっくりと舞うのだろうか・・いいや、蝶のように成り代り、感性の赴くままに円舞を繰り返す・・或いは世界最強のダンサーのごとく、或いは華麗に、或いは優美に、岩と一体化した芸術作品を見ているような錯角さえ感じた。彼は芸術的なアスリート・・もしくは岩を舞うダンサーであったのかもしれない。

岩場を舞うでもなく、踊るでもなく、たとえようのない存在感が彼にはある。
それは、アンデスの岩場に君臨するコンドルのようでもあり、優美で圧倒的ナ存在感のもとに飛来する。
いいや、もっとすごい存在なのかもしれない。前節の白い竜が天空を舞うがのごとく、彼にとっての岩は私達にとっての空なのかもしれない、それは到達できない存在という意味においてである。
そんなに近くにいる存在でもなく、或いは遠すぎて近づけない存在でもないが、彼の存在は空を飛ブ、竜
或いはコンドルを連想してしまう。
彼の存在は岩場においては圧倒的である。
その存在自体が、すでに伝説的な様相を呈している。

私は、ある意味においては、幸せを感じる。
これらのクライマーと同じ時間と空気を共有していることに・・。

やがて、彼らを追随し、やがては追い越そうと岩場を見つめる若き志士達の存在も感じる。
或いは10年に一人しか現れない、クライミングのスーパーアスリート達の予備軍は、もうすでにユース選手権に出場しているのかもしれない・・しかも、大量に・・である。

それぞれが、今の自分を知らないように、彼らの将来を、誰も予測することは出来ないが、やがては世界の岩場に新たな足跡を刻む原石が、昨日の幕張に誕生していた・・と考えると、ゾクゾクするような感情が背筋を通り抜けた・・。

輝く時は近し。しかし、それ以上に試練のときも近い・

2007年のユース選手権に思うことである

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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