「地球は青かった」とは、ユーリー・アレクセィゲッチ・ガガーリンの言葉である。
彼は1961年4月、人類史上初めて、宇宙に行った。
幼い頃の僕を、初めて感動の渦に巻き込んだ言葉であった。
ソビエト共和国連邦とは、僕にとって、東洋の神秘以上の神の国として、心に深く刻まれていた。
僅か1時間と48分の飛行である。小さな操縦席の3方にある、まるで牛乳瓶のそこのような小さな窓から垣間見た地球は、本当に青く輝いていたのだろうか?
そんな疑問をいだいたのは・・何時だったのだろうか。
まだ、小学生の頃だったような気がする。
ある説によるとユーリー(ガガーリン)は「地球は、まるで青いベールを纏った、花嫁のようであった」とも「地球は、薄く青い円光に包まれていた」とも言われている。
彼の父はコルホーズ(国営農場)に勤める、労働者であった。
そんな父を持つ、ユーリーが人類史上初めての偉業を担うことになることへの疑問が必然的にわきあがってきたのは、中学生の頃だったような気がする。
ソビエトは、フルシチョフの時代である、キューバ危機、など様々な問題を定義していた時代、身分の低いユーリーが,ソビエトの栄光を担って、宇宙飛行士第1号に任命されたのであろうか?
少なくとも歴史は、20人の候補者がいたことを証言した。
また、ユーリー以前に二度の発射を試みたが、成功しなかった・・という説。
ほとんど成功が考えられなかったので、当て馬(人体実験)として、生還することのない研究材料としての打ち上げだった・・という説など、真実はすでに闇の中に葬られている。
彼が宇宙飛行士の資格を取得したのには大きな理由があった。それは身長158smとう、稀な(或いは優れた)体格であったからでもあった。
その頃の宇宙船は、小さく、或いは人間が乗る前提での設計ではなかったと考えられる。
「有人飛行成」のニユースは、一気に世界に行き渡った。アメリカの落胆は大きかったといわれる。
その頃、アメリカには、今までのクライミングとはまったく違う発想でのロッククライミングに興じる若者がいた。彼の名をロイヤル・ロビンスという。
ロビンスの家庭は貧しく、父親は破廉恥で、酒に浸っていた。
若き日のロビンスは、学校が終わってから家に帰るのが憂鬱でならなかったようだ。家庭にや愛情に恵まれない不毛の精神を抱えた、どこにでもいる貧しい少年がそこにいたのであった、このことは彼の自叙伝「spirot of tha age」に書かれている(日本語での翻訳版はない)
宇宙の夢をいだき、貧しい暮らしから脱却しようとするソビエトのユーり。
家庭と恵まれない愛情から逃避して、岩を無心に登るロビンス。
二人にとっての真実は、自然といかに向き合うのかということであった。
或いはそれは夢にためでもあったのだろう・・。
1950年代の後半にロビンスはヨセミテ国立公園に聳え立つ、ハーフドームやサラテを視野(クライミングするということを)に入れて、クライミングのあり方を自問自答していた。
新しいスタイル、新しい精神を持って岩に登る・・その考え方を小さな紙に書き留めて、整理していた・・
その書物のタイトルは「ロッククラフト(基本偏)」であった。
今で言うフリークライミングな始まりである。
彼の快挙は、アメリカ全土を席巻したが、ユーりの宇宙への成果に比べると、あまりにも小さく、ごく一部の人にしか迎え入れられなかった。
ヨーロッパでは、アルパインクライミングの全盛時代であり、誰が何時、白い雲(アイガー北壁)を落とすかが、冒険の的であった。詳細はハインリッヒ・ハラー著「the whight supaider」より
ロビンスやマウロ・カウィなどの哲学的思想をもったクライミング(フリークライミング)は単なるサーカスの思想的ナ定義・・と揶揄されていたようである。
有人宇宙飛行は、世界にとって初めてなのか、ソビエトにとって初めての試みなのか・・ユーリーには何も真実は伝わらないままに時が過ぎていた。
初めて宇宙から地球を見たときの印象と「おめでとう、ガガーリン少佐」と連絡が入った時、ユーリーは自分が特進したことに素直に喜びを感じた・・という。
「地球は青かった」という名言が世に伝えられ、自分の名前が永遠に歴史にとどまる・・なんてことは、まったく考えも及ばないことだっただろう。
僅か1時間48分の宇宙飛行を終えた彼には、尾ままでと増そう臓物かない現実が待ち受けていた。
ロシア正教の最高司教との面会・・憶測とも取れるエピソードが残っている
「ガガーリン大佐、宇宙飛行おめでとう。ところで宇宙には神がいただろう」
という司教の問いかけに対して戸惑いながら・・
「ハイ、神はいました」と答えてしまった、ユーリー・・
その後、共産党の最高責任者フルシチョフと面会して
「ガガーリン大佐、おめでとう・・ところで宇宙には神などいないよね」と問われ
「ハイ、神様はいませんでした」と即答してしまったユーリー・・
歴史は彼を翻弄し始める。成果を楽しめたのはほんの一瞬のことであった。地球に帰ると、そこには柔らかな日常などなく、自殺未遂を犯してしまったり、彼の心は大きく傷ついてゆくのであった。
よく1962年、飛行機事故により永眠する・・。
地球は青かった・・
今、地球はダイヤモンドをちりばめたような、輝きを一層増しているのだが・・
続く・・

