2006年12月アーカイブ

人生の目覚まし時計

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あるとき、フット人生を回顧させられる瞬間がある。多分誰にでもあることなのだと思う。
家族が一つであった頃は、母はうるさいだけで、うっとうしい存在になっていた。
厳格な父は、頑固一徹で、何を言っても僕の意見は聞かなかった。
しかし、あるときフト、父の言葉に目を覚ます時がある。
そんな時、父は痴呆街道をまっしぐらに進み、何も黙して語らない。
しかし、語らない父が、少年の頃の僕に語りかけた言葉が、突然、耳元で鳴り響く・・・
それを称して「人生の目覚まし時計」というのだろうか?
鳴り止まない時計は、ボタンを何度押しても鳴り響く。
思えば今年の2月のことであった。初めて・・?  2度目かな?「お父さんはもうだめだ、今年いっぱいは生きられない。孫の顔が見たいから、つれてきてくれ」
そんな呼び出し(目覚まし時計)に応じて、3月のユース選手権後に、釧路に帰った。
「稜太郎(長男)はどうした」
「剣道の遠征やら合宿でこれなかった」
「そうか、仕方がないな」と残念がっていた。
娘や次男の喧嘩?を楽しそうに見守っていた・・
「もう、思い残すことはないが、リョウタロウは何時ならこれる」と言う父
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先月の半ば、孫3人を連れて、最後??の帰省を試みた。
1日に4時間程度意識があるときがある?
『ズ~ッと、意識があるように感じた』
しかし、無表情で涙を流す父・・それを見せまいとする父・・どこか歯車がかみ合っていない・・・
父は人生の目覚まし時計の?  ある時を待っているようでもあった
生まれてくる時・・最初の目覚まし時計がなった。
そして、もう一度・・最後の目覚まし時計は、もうじき音もなく鳴り響き、父を黄泉の国へ誘う・・
もう、そんな瞬間がそこにあるのを感じる。
思い出す父の言葉。
父と会話することが少なかったからこそ、父の言葉が、走馬灯のように僕の脳裏を何度も何度も横切る。

眠れない夜は、ほぼ1年を数えた。
父のことばかりではない。それ以外にも、人生に試練が、それほど若くはない僕に、一気に襲い掛かる。

おそらく父の「人生の目覚まし時計」のなる瞬間を、母は見届けようとしている。
出来れば、僕も見届けようと思う。
明日、2007年に向けての大きな打ち合わせがある。
それが終わったら、飛行機に飛び乗ろうと思う。
80余年の人生の・・父が鳴らす「人生に目覚まし時計」の音は、僕に何を伝えてくれるのだろうか?

今から2000余年あまり前、衰えた肉体を横たえて、ブッタは目覚める時を待ったのだろうか?
因果と報応のハザマで、人生とは何たるかを待つ時、
或いは、死に目覚めた時。人生が何たるか?を、時は厳かに伝えるのであろう。

母は、重い決断を下した。
その数時間後に、父はしばし意識を回復した。
出来れば、最後は、母と不浄の息子で、見届けたいものである。

ロッククラフトは3通のテーマから創設された

1 苦しくなったら声を出せ
2 人と自然の調和を考える
3 一見無駄と思えることの繰り返しの中に真実がある

ロッククラフトは高度なクライミング技術を教えているわけではない。むしろ農夫が種をまくような・・或いは地面に散乱した枯れ枝を取り除くような・・見えない行為に重点を置く。
育成された木々の見事な枝葉の姿を競うものでもない。
収穫された作物は、たとえ不作であっても、捨て去りはしない。

ロッククラフトは、出来れば人生の試練は、順境と考える。
追い風は望むべき風ではない。むしろ逆風を順風と考える。
試練は、自らの知恵で乗り切るものであって、人の手を借りるべきものではない。
むしろ試練こそ「人を鍛えるかけがえのないモノ」と考える。

ロッククラフトは、去るものは追わないが、来るものは拒まない・・むしろ、再び帰ってくるものを温かく迎える。

ロッククラフトはの財産は子供達である。
子供達の成長がロッククラフトの成長であり生き方でもある。

ロッククラフトは、私個人の持ち物ではなく、一つの考え方であり、創生はロイヤル・ロビンスに起因する。

などと、つまらないことを考えてみた。

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おおむね2006年の大会は終わった。後はジャパンカップを残すのみであるが、シニアの大会に参加する子供の結果は特に重要とは考えない。

2007年度のロッククラフトの強化選手ならびに、準強化選手が決まった。
強化選手は、準強化選手(最年長で中3.最年少で小1、おおむね各学年1名)の中から、数名のチームとして、強化練習に励むものとする。
強化練習は毎月1回を原則とする。
強化選手にはロッククラフトが様々なサポートを行う
強化選手は最低年間40日の通常練習をロッククラフトで行う。
強化選手は、関東大会以上の大会で、優勝またはそれに順ずる成績を残したもので構成される。
選考基準は、ロック先生の独断
小山田大サンとの強化練習には参加する。などの条件を満たすものに与えられる。
大会への参加には所属チーム「ロッククラフト」と明記する。

2007年度強化選手は、男子中学生5名、小学生9名 女子中学生1名 小学生1名で構成される(12月17日現在。名前の発表は差し控えます)

チョークバックには「因果」のワッペンをつける。

そんな感じかな?
まったくの独断で恐縮です。

夢の定義

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ボストン・レッドソックスに入団が決まった松坂大輔さんは「夢は見るもので、叶はないもの」と言い放った。レッドソックス側は総額120億円というをかけて、一人の選手を獲得したわけである。
大輔という名前の流行は、荒木大輔にはじまり、今年も、或いは来年も流行しそうな名前である。

1994年にエベレストに行ったとき、僕達のテーマは「夢は叶うもの」であった。
行くだけで満足してしまった自分がそこにいた。しかし、頂上を落とす意志をもった仲間もそこにいた。
思えばエベレストは遠い道であった。
「向井。エベレストに行こう」といった同級生のS君は当時、大学3年生だったと思う。
パキスタンのブロードピーク(8045m)遠征を終えた数ヶ月後だったと思う。時は1977年であった。
S君は7400mまで高所順化を終えていたが、教育的配慮(大学の遠征であったので)から、敢えて2次登頂は狙わなかった。
頂上へ立つ・・という強い意志が1994年まて継続していたS君は万難を排して、頂上を落としたのであった。
おそらく、彼にとって夢は「かなえる目標」であって、僕にとっての夢は「同じ時間の共有」であったのだっと思う。
1977年は岩登り競技会の始まった年でもあった。小さな大会で優勝した僕は、この大会の意義を自分なりに感じていた。
ヒマラヤの8000mも夢なら、クライミング競技会も夢であろう・・と、
エベレストに行くという気持ちもさることながら、クライミング競技の選手を育てることも、僕にとっての夢の始まりであったと思う。
ロックにも大輔という子供がいる。小学6年生である。彼は今年・股関節亜脱臼にはじまり、左指などの骨折など災難が多い。頑張りすぎて、故障や怪我を起こしてしまうのであった。
明日の加須も参加は難しいと思うが最終結論は、今日、彼に下す。

思えば小学校6年は僕にとっても最終宣告の年であった。「君の右ひじは治らない」いわゆる野球肘だったのかもしれない。毎日、硬球を200球投げ込んでいたから・・。
荒木大輔の悲痛な投球が脳裏をよぎる

しかし、ロックの大輔の怪我は「治る怪我」である。今年の大会に出たい・・という夢は断たれたが、来年にはたくさん大会がある。

遠くに描くには、人それぞれの心が宿る。
おそらく僕にとっての夢の原点は、12歳であったと思う、僕の夢、ロックの大輔の夢、そして大リーガーとなる大輔の夢・・

多くの挫折が僕をここまで導いてきたような気がする。

そう考えると、僕の夢は「挫折の繰り返し」なのかもしれない。

3人の大輔の人生を見ていて、そんなことを考えてしまった。

夢は現実になる。夢は「あきらめないこと」
そんなことをロックの大輔には伝えたいと思う。

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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