2006年11月アーカイブ

ゆるトレの進め

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きつい、苦しい、強い、早い。それが練習の4つの要素だとしたら、本当にスポーツって楽しいのだろうか?そう思いながら、きつい、苦しい、強い、そして、より速くを目指して鷺レーニングしていた頃を回顧してみる。・・・・・。
決して不満があったわけではない、しかし、成果が上がっていたわけでもない。
むしろ体の一部を破壊してしまって、いつも故障とリハビリテーションという、敢えてとり入れなくても良い
メニユーが練習課目に無用な負荷を与えていたのも事実であろう、と思われる。
「人より強くなりたい」それはオリンピックの精神「より高く、より速く、より強く」という神話に翻弄されていたのではないか?という疑問をいだいたときに、起因する。
僕のスポーツとのかかわりは、怪我とのかかわりの多さと挫折の多さに依存しているような気もする。
今も、怪我との戦いは続いている、右肩の痛みは24時間絶えることはない。
関節の軟骨が磨り減る・・そんな状況に何故、自分を追い込んでしまったのだろうか?と絶え間なく反省して、絶え間なく訓練を繰り返している毎日でもある。
しかし、今は「人より強くなりたい」とい気持ちはない。
人(選手)より強いコーチなどコーチとしての意味はない。
人に勝てなくなってこそコーチとしての脂質を試されるのであって、コーチは選手の実技実演をする人のことではない。

人、或いは選手のやる気を引き出し、或いは手綱を引いて、少し緩く練習することを示唆することこそコーチの役目と考える。
選手とは常に自分を追い込み、先へ先へと進んで行くもの、言われないと自分を追い込めないなんて、選手としての才能はない。
何時、手綱を放して鞭を入れるのかのタイミングは、乗馬の騎手煮にているような気もする。
緩む時間と、放つタイミングの取り方が、勝利に結びつく。

練習は、基本的に、緩く、ぬるく、楽しく、長く???
追い込むのはほんの一瞬である。
その一瞬の出来栄えが、成果として帰ってくるのである。
常に緊張と苦難をかかえていたのでは、疲れてしまう。いわゆる才能があるのに、燃え尽き症候群に陥ってしまうのである。
最近のアスリートは、緩むことを知っている。
むしろ緩く、ぬるい練習を楽しめないのは、追い詰めないと強くなれないと信じているからなのではないか?と考える。
信じる宗教を変えてみると楽しい事も見えた来る。仏教においても、自力本願、他力本願がある、苦行に喘ぐことが悟りへの近道・・されど、結婚して子供を作って育てるのも、悟り。
煩悩ともてあそぶのも、翻弄されるのも然り、解脱せざるは悟られズ?
さて、晩年の釈迦さまは、涅槃で待てといったとか?
ゆるり・・と、たるんだお腹こそが、悟りの真髄のような気がしたのは、タイで見た黄金の横たわる仏陀の像を見たときだった。青木保の「タイの僧院にて」という文化人類学の書籍とは、違う現実がそこに、横たわっていたのは、私の宗教に対する、偏見のせいなのだろうか?
しかし、
練習は緩い方が、無駄な練習をしなくても良い。
そんなことを考えてしまった11月11日である。
キーボードを打つ指の動きに対しても、肩は小刻みに、痛みを放つ。まるで針を刺しているような痛みである。緩い感覚、温い感覚が、ひらめきや、感性を磨くような気がするが・・・もう少し考えてみよう・・・。

地球は生きているのか?

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1960年代の後半にジエームズ・ラブロックが「ガイア仮説」を提唱して久しい。もともと生命物理理学者
として、世界の生物学者を敵に回した・・と言われていたが、最近は、地球が生命体である、という考え方は定着してきつつあるようだ。ガイアとはもともと、ギリシャ神話の大地の神ガイアからきている。
提唱者は、ラブロックではなく、ウイリアム・ゴールデンという、ノーベル賞作家の仮説が発端とも言われている。
ラブロックによると「地球は、少なくとも地上100マイル(160KM)地下100マイルの間は、生命体の様相を呈している」という。たとえば森林とは、人間で言えば肺のような働きをしているのである。

先般、白流須鯨の話がHNKで放映されていた。「1966年ころ、その個体数が7000頭に激減したのを境に、保護して、数を増やそうと、捕獲禁止となったのだが、現状その個体数は増えてはいないようだ。
子供の母が
「何故、保護しても個体数が増えないのでしょう?」という質問に「もし、地球の陸地に老若男女あわせて7000人しか人間がいなかったら、君は、恋の相手を探せるだろうか?」と問うてみた。
答えは簡単である。
さらにもっと範囲を狭めて見よう「北海道に、同じく7000人しか人間がいなかったら?人間の個体数は増えるのだろうか?それが、滅亡しかけているオランウータンの現状でもある、さらにオランは、5年に1度しか発情しないのである・・・」

1030年頃、タスマニアン・タイガーが滅亡したが、滅亡を助長したのは皮肉にも、動物学者達の乱獲が原因という説もある。

日本人はあと50年で人口が6000万人になるかもしれないという説がある、世界の人口は100億人を超す勢いだというのにである。

ジエームズ・ラブロックはいう「生殖しないで生物は、滅亡する・・ただそれだけのこと」なのである。
生物にとって、もっとも活発でなければならない行動は、生殖活動である。種の存在は野全てはそこに起因する。人類も同じ何である。

地球は誕生してから、今日まで、40億種類の生命が誕生して、あるは滅亡したといわれているが、人類の個体数が100億を超えるというのは異常な状況でもある。
もし地球がガイア仮説ではなく、カイア(生命体)であったなら、森林が肺であるなら、人類はがん細胞のようなものなのである。
癌には放射線治療とか、ある特定の抗生物質の投与が有効な治療とするなら、地球にとって、人類が存続するべき環境とは、核分裂に依存して、科学物質の投与による生命維持が必要不可欠なのかもしれない・・。こんなことを書くと、星新一の「ショート。ショート風」でもある。

核を持たない、開発しない、使わない・・という非核3原則は国際紛争の解決手段としてなのか?
現に、日本のエネルギー需要に、原子力発電は欠く事が出来ない。

二酸化炭素の排出量の削減は、日本人にとって「コップの中の嵐」としか受け止めていないような気もする。

タバコをやめて、長生きする・・?
1971年頃までの寿命統計調査によると、100歳を超える老人は、7000人前後であった、1994年頃から急激に増えて、今年の上半期には3万人に達する勢いで、激増である。さらに今年9月以降来年の3月までに、100歳を超える人口は5万人というデータもある。え・ええ・・ええええ、
50年後に日本人が6000万人になるという仮説、
もっと恐ろしいのは、65歳以上の寝たきり老人が1200万人になる・・という仮説。

地球生命体仮説は、40年の時を経て、ガイア理論へと進化している。もう、生物学者ばかりか、当時の多くの敵(批判的な見解の人々)は見方になってしまった。
地球は、地球としての生命体である。人間のみの住みよい環境体ではないのだ!!

インドネシアの森林破壊は、日本にも大きな責任がある。
アフリカの砂漠化はヨーロッパの植民地支配に要因がある。
南極大陸の温暖化は、科学者達の残骸による環境汚染がその原因の一旦を担っている。

幾ら原油価格が高騰しても「車には乗りません」と言おう人はいない。
掘り尽くされた化石燃料は、石油ばかりではあるまい・・・地下には無数の空洞があり、地下大気も地球を温暖化している。


大陸の移動によって、地殻から地表に押し上げられたマグマが地上に残した最初の物質とは、岩であるという。

もし、地球が生命体であるなら、岩とは人間にとっての皮膚である。
もう少し柔らかく、指先で感じてみたい・・と思うのは、私の邪念のせいなのだろうか?

フリークライミングスクール・ロッククラフト

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