ロッククラフトをクライミングスクールとして発足して12年、小山市で開業して10月10日で満6歳になる。
僅か5年の実践で、様々な成果を生んだが、相変わらず苦難もそれ以上に多い。
正に断崖絶壁、ヒマラヤの未踏の岸壁を登っているようだ。
夢とか理想とかいうものは、確かに近づいているような気もするが、頂は見えない。
夢とは「そういうもの」なのかもしれない。
1980年、初めての海外遠征で見た、ヒマラヤの峰は遠かったが、確かにそこにあった。
登攀をあきらめて、正に遭難のような状況で、午後10時頃、夜空に見たエベレストに沈む赤い夕日は、まるで僕の瞼に刻まれた世界遺産のように、今でも美しく心に残っていて、今でも輝きを失っていない。
単に自分の私欲という登山を捨て「人を育ててみたい」と思ったのはそのときだったのかもしれない。
登山に失敗して、人とのあつれきにつかれて、クライミングスクールを始めたい・・と思った時は、すでに僕の腰や肩は壊れていたのが現状であった。
しかし、1982年、僕にとっての憧れでもあった檜谷清氏との出会いで、クライミングスクールを設立できたのは、活気的なことだったと思う。
毎日、猿の移動手段と姿勢、歩行技術をビデオでみながら、クライミングの理想の練習プログラムを練っていた頃が今でも思い出される。
当時はほとんどの講習生は、クライマーであった。年齢も高校生が画期的に若いという時代であった。
その中からたくさんのクライマーが世界を目指して巣立っていった。
成果が出るまでには、10年近い歳月を必要としたが・・図らずもりバテイは10年で幕を降ろさざるを得なかった。
その後いろんな紆余曲折を経て「もっと小さな子供たちに、クライミングを指導したい、それなら僕にでも出来るのではないだろうか・・」とい気持ちから、自ら絵筆をとることにした。
ロイヤル・ロビンスとの出会いは、格別な時間であった。
彼との出会いから、7年くらいは、仕事に終われるだけの人生であったが、ある機会から、ロッククラフトの設立へと心が動いた。
2001年の会社設立は、ヒマラヤの未踏の山に挑んだ挑んだ時より肉体的にも精神的にも、苦しかったので、人生でもっとも苦難の時期だと考えていたが、実際はアレも、単なる通過点でしかなった。
ロッククラフト設立をもっとも印象的に考えていたのは、1994年のエベレスト遠征の時であった。
1980年にはるか後方の、しかも夜空に浮かぶ赤いエベレストを数キロの先で見ていて、益々、自分の残された人生を考えさせられた。
僕にとっては、山は全てが教師だったような気がする、特にエベレストは、地球の最高到達点であるが故、さらに格別な感情が移入された。
自分の私欲から、登山をすることが出来なくなった今、新しい世代に同じ夢を持つものはいないのだろうか・・、そして、そんな子供たちの担い手になれないだろうか・・。
そんな思いに、敢えて苦難の道を選んだ・・といえばかっこよすぎる。
しかし、イメージは「アメリカに、野球を生んだ男(映画、フイールド・オブ・ドリームス)」そのものであった。
自分の時代に実現不可能であっても、次の世代に、夢をつなげられないものだろうか?
正に囲碁の「捨石」となる効果を狙っていた。思うのは簡単だが、実践するのは大変なことだ。
拾う事は出来ても、あるいは抱えることは出来ても、捨てることの難しさを実感する。
僕は、30年クライミングの世界にいる。インドの哲学者に言わせれば、何事も50年かかる・・と言うのだ。そう考えると、いまだ「途上」でることはむしろ歓迎すべき現状なのであろう。
昨日は大きな夢を生徒たちに語った
「いいか、いまクライミングが楽しいなら、もっと基本を身につけなくてはいけない。日本選手権にでたいという夢では不十分だ、もっと遠くを見据えろ。目指すは世界だ」
「世界とは、単に参加するってことではない。少なくとも頂点を目指さなくては、観光旅行と一緒だ」
「結果は最後についてくる。まさか僕が・・とか私には無理・・とか、いまからあきらめることはない」
「完成度の高い基本練習の上に、世界は見えてくるのだ。今日やったような練習や考え方は、誰も離してはくれないだろう」
「世界は甘くはない。世界1になった人は、世界1苦労をしているのだ」
「クライミングで苦労を分かち合い、楽しむ事から逃げてはならない・・」
中学生の子供たちは、何故か正座していた。生徒に強要するわけではないが、夢はでかい方が楽しいではないか。
土曜日はインターハイで、山岳縦走競技で日本1になった生徒たちが練習に来た。
縦走競技は、クライミング競技よりも日の目を見ないが、日本1である子供の目は、正に「日本1」である。今まで、漠然と考えていたことが、現実になって本人たちも驚いているが、僕も驚きを禁じえない。
彼らは、正に日本1の目をしていた。
昨年は、僕のいうことの1/10位も理解していなかった子供たちは、数倍も考える能力が上がっていた。
「いいか、僕は新しいことをいってはいない。昨年と同じこと、その前ともほとんど同じことを言っているんだ。しかし、君たちの理解度が高まったから、ぼくの話が楽しくなって、練習がさらに楽しくなったのだ。
この、日本1の経験を、もっと活かして、更なる高みを目指そう・・」
子供たちの目のきらめき・・
教える方が、教わる方から教わっている。
何を教えるのか・・
僕は多くの失敗と教訓を体に刻んでいる。
足首、膝、腰、肘、肩、など故障した部位だらけである。
この体に刻んだ失敗と教訓を、子供たちに伝える。選択するのは君たち自分自身だ!
今僕の夢は、君たちの夢と同化しようとしている。
まだ、5歳満たない子供たちが「先生、僕、いつか世界1になるからね」
その意味を知ってか知らずか。
輝く、子供たちの目が証明する未来に、僕は小さな石を落として行きたい
それが、僕の教え方なのかもしれない・・・
「いいか、ムーブなんて、真似することじゃないぞ!!自分で掴み取ることだ」
それに必要なことを、何度も何度も繰り返す日々があと10年・・いや、もう少し近いのかもしれないと思う、今日、この頃である。