2006年10月アーカイブ

ランニングによるトレーニング以外に、ロックではクライミングにおけるスピードトレーニングを子供たちに課している。
ロッククラフトにはクライミングトレッドミル(「ロックンロール)とオートビレイが設置されているので、満足いく環境ではないが・・・。
クライミングトレッドミルでは、まず、ウオームアップに、5分かん80度の角度で、毎分3mというゆっくりとした速度でのウオームアップ。
スピード競技対応としては、90度の角度で、5分で60m、3分で40m、2分30m。1分で20mの基本練習を取り入れている。
今回のアジアユース選手権への対応としては、1分で30mまでの練習のクリアが一つの目標としているが,6月に行われたアジアユースカップでは、1分17mまでしかクリアできなかったので、今のところは順当といえる。フランスのナショナルチームでは、トレッドミルをクールダウンにも使用しているようだ(詳細は・・ナイショ)
オートビレイでは、6m5.9を5秒台でのクリアを3本目標にしていたが,達成は出来なかった。むしろスピード競技は、スピードへの対応、適応能力を必要とするが、欧米の選手は、常に取り入れているような気がする。小学6年のDクンは、もうじき5秒を切れるようになりそうだが、陸上の1000mのトライアル練習で、膝を痛めてしまって、暫くスピード練習は控えることにした。
オートビレイでの練習は、イギリス、カナダ、アメリカ合衆国では、取り入れているようだ。
その他の練習としては、95度から100度の複合壁での300手の連続登下(横移動を含む)。ロックでは4セットといっているが、達成は小学5年のRと、中2のKで、Yには10月半ば過ぎをめどにこの練習に入る予定。

マ。そんな所かな?


ある女子高生との会話を公開する。
彼女は
有名女子高校の2年生の時、英語の弁論大会で優秀な成績を上げて、全国大会に出た。新聞の切り抜きをもってきて楽しそうに話してくれた。
「運動能力のない私には、唯一の誇りです、ほめてください」
「すごいね、おめでとう」
「それで、ご褒美が会って、こんどイギリスのエジンバラに短期留学するんです、とても楽しみです」
「そう、エジンバラか・・・そういえば、僕も大学4年の時に、そういう話があってエジンバラに行きそこなったな」
「何故行かなかったんですか」
「そうね、母親には、しっかり叱られた・・・。まず、ぼくの壊れた英語では、自信がなかった・・というのが1番の理由かな。次にエジンバラに行く必然性を感じなかったのが2点目かな・・」
「せっかくのチャンスだったのに、先生(僕のこと)はそのチャンスを逃したのですね、何故ですか?理解できない」
「そうね、その頃の僕は、自分の文化に自信がなく、また、その方向性も見つかってはいなかった。むしろインドのスリナガール大学に言って、仏教史を学びたかったかな?そんな感じだった。もっと言わせてもらえれば、登山家になって世界の山に兆戦したかった、というのが本音だろうと思う。才能もないのに、無謀なことを考えていたね。でも、大きな夢を持っていたよ。見果てぬ夢だったけれどね」
「私は、エジンバラに行きます、そして、イギリスの高校生と話してきます」
「何を話すの?何を聞きたいの・・何を聞かれるか解らないよ?意外と日本の歴史とか文化について聞かれたりして」
「そんなこと聞いてくるのですか?考えたこともない・・」
たわいのない話である。

それから数ヶ月が過ぎて彼女がロックを尋ねてきた。何も話さず、黙々と登っている・・・。
と、突然
「先生、エジンバラに言ってきました」
「おお、そうだったね。楽しかった?」
しかし、彼女の顔は少し曇っていた
「先生、エジンバラで、日本の歴史とか、貴方の文化は何ですか?とか、答えることの出来ない質問ばかりで、カルチャーショックを受けてしまって・・今まで学校で学んできたことに、何故だか疑問を感じてしまいました」
という。
「そうか、やはり・・僕も大学で人格心理学の時、同じことを先生から聞かれて、考えたことがなくて困ったことがあった。自分はどこから来て、自分の人格はどのように形成されて・・その背景とか、風土とかとのかかわりを考えるようになって・・・」
「先生、文化って何なのですか?それは人間が生活するのに必要なものなのですか?私は、・・・多分勉強って、大学に入る知識としてしか考えていなかったような気がする・・デモ、そうじゃないような気もするし・・・英語が得意だったのに、まったく混乱して自信がなくなりました」
「そうだね、英語って話せることが自慢・・?ッテ考え方は日本的ナ考え方じゃないかな?ネパールに行くと、ネパール語は話せないのに、英語やフランス語、日本語がペレペラのネパール人がたくさんいるよ・・驚いた」「英語が話せることより、日本人なんだから日本の文化とか、歴史を知っていた方が、外国では楽しいよ。話題に事欠かないし・・」


運動の可能性と限界

| コメント(0) | トラックバック(0)

運動とは、自分の位置を変える事であり、それに必要なエネルギーを、運動エネルギーと言う。
自分の位置を保つにもエネルギーは必要であり、それを位置エネルギーという・・などと言うと高校の理科、力学エネルギーの時間のようだが、かなり重要な考え方である。
位置エネルギーを運動エネルギーに変えるものを弾性エネルギーと言う。
運動とは、すなわち弾性エネルギーをいかに効率よく運動エネルギーに変換するかが勝負と言えよう。

この力学的エネルギーを身体において考えてみよう。
運動するには自分の位置を変えなくてはいけない。すなわちどこかに力をためる。そして、それを解き放つ。解き放たれたェエネルギーは、身体の位置を変えることが出来る。それが運動である。
身体の位置をどのように変えるのかを競うのな、スポーツと言えよう、スポーツには基本的にルールがある、手を使う、とか、ラケットでボールを打つとか・・。
しかし、ルールには、体の仕組みを知るという基本も含まれている。
端的に言って、身体の運動には、骨と関節の仕組みを知ることが重要なのである。
身体は骨と関節の稼動範囲を超えることは出来ない。敢えて12歳以下とか10歳以下で、無理な稼動範囲への挑戦は、股関節や肩関節、肘や膝への障害を招くことが少なくない。
成長期の骨や関節は柔らかいものなのだ。脱皮したてのカニの甲羅のようなものと考えた方が良い。
その柔らかい骨格に敢えて必要以上の稼動範囲を強制するような柔軟性はいかがなものか?と考える。
筋肉とは、あくまで骨を支え、関節の駆動力を補助するものと考えて、練習の主たる目的とは考えない。
むしろ心臓と血管、末梢神経と筋肉を包む筋膜との調和の方が重要と考える。
筋肉も骨の中心に盛り上がる大きさを競うものではなく、むしろ関節の周りを支え、駆動力を増すものと考えてトレーニングを心がける。
そのような練習方法はどのようなものか?ということを文章ではなかなか表現できないが、あえて言うなら、緩くぬるい練習、柔らかく動く練習が重要と考える。それがスピードの4通の要素の静的ナ運動と、ゆっくりした運動の重要性と考える。
早く俊敏な運動には限界があり、常に筋肉と骨格への衝撃は大きいい。スポーツ障害の多くは、来れれ廼運動に固執することによって生まれると考えられる。
激しく、早い運動は、体の成長がほぼ完成の域に達した時期、17歳前後から徐々に行うほうが良いと私は考えている。
早い、俊敏といウことより、むしろ人格とか、洞察力とか、ひらめきとか、
または人としての文化をどのように形成するのか・・ということの方が重要と考える。
オランダのスポーツ選手に必要な4ッの要素「人格、洞察力、スピード、技術」といい考え方には、深いs慮と経験が根底にあるような気がする。
優れた人格を育てることを差し置いて、スポーツの頂点似たくことはいかがなものか?という。オランダのあるスポーツクラブの責任者の言葉が、新鮮に耳に残るのは、トリノオリンピックの反省からなのだろうか?

心臓と血液循環

| コメント(0) | トラックバック(0)

練習というとすぐに、筋肉とスタミナ、技術の向上をイメージしてしまうが、その前にやっておかなければならないことがたくさんあります。
特に15歳以下の子供には、急激な練習、筋肉への過大な負荷は故障を引き起こす原因になってしまいます。心と体の成長を待つゆとりがほしいものです。

さて、筋肉の量と、運動能力には一定の考え方がありますが、必ずしもそうではありません。
あんなに筋肉があるのに、すぐに疲れてしまう、とか・・あんなに早く走れるのに、いつも故障しているみたい・・だとか。

車で言うと、故障しないエンジンと、ガソリンの使い方にも相当する要素が、人間の体ににもあるのです。
今回は、心臓と、血管について少し話してみます。
一般的に心臓は1分間に60回から70回程度の心拍で、血管に血液を送っています。一回の呼吸で21%の酸素を補給します。
運動すると心拍数が上がるのは、自動車と同じで、エンジンの回転数があがるとガソリンの消費が早くなるからです。
脳は、体よりもたくさんの酸素を寝ているときも、おきているときも消費します。
それは、体を動かすことを脳が命令するからであって、脳への酸素が欠乏すると、めまいがしたり、星が輝き失神することもあります。
酸素は筋肉への供給も行いますが、筋肉細胞の活性化を促したり、代謝(老廃物を排泄9したりする働きもあります。
内臓などの働きにも酸素は不可欠な要素であります。
骨格はそれ自体で身体を支えてはいません、むしろ運動の可能性と方向性を制限するものです。
筋肉はそんな骨格の可能性と方向性を決定する要素の一つとなっています。

今回は心臓と血管の話ですので、そこに的を絞って簡単に説明します。
大きな運動をする時は、筋肉を動かさなければならにので、大量の酸素を必要とします。そのために心臓は心拍数をあげて酸素の供給を図ります。運動生理学者マフエトンによると、心筋の構造上、最大心拍数の上限は一般的に220回(1分間)程度と考えれられています。その約80%くらい(180回)を最大負荷と考えて心臓にどの程度の負荷を与えて練習するのか?という考え方をマフェトン理論といっているようです。運動にはいろんな負荷を必要としますが、最大負荷だけが運動能力を決定つけるものでもありません。詳しくはマフェトン理論を研究してみてください。その他の理論もありますが・・・。
心臓だけが強くてもだめなのです、送られる酸素や栄養などを運ぶ管が血管の能力を高めるのも運動のひとつなのです。
酸素を運ぶものはその中の白血球・・その中のヘモグロビンというものが酸素を運ぶ機能を持っている。
血管の総延長は10万キロメーター、地球を2週半くらい回れる長さです。しかもそのスピードも10万キロメートルを約60秒で一回りする早さなのです。すごいですね。心臓と血管って・・。
毛細血管も爪の付け根とかには1平方ミリメートルあたり10本が必要と考えられています。
この毛細血管が、酸素や栄養分を死亡や筋肉に与え、或いは排泄物を運ぶ働きを持っています。
高い運動能力とは、優れたサプりメンとを選ぶかではなく、心臓や血管の能力にも依存するものなのです。
つまらない話になりましたが、わかりにくかったかな?

ロックで強化選手に選ばれている、Yの2006から2997年3月までの練習メニューの一端をここに公開します。細部に渡っては、公開できないものもありますが、一つの参考としてみてください。

クライミングを続けていると、やはり難易度を追いかけてしまう。その傾向は強い。「楽しめなければクライミングじゃない」と思いながらも、自分を追い込んでしまう。その結果が、燃え尽き症候群となって現れてしまう場合も多い。
豊かな才能を持った子供はどこにでもいる。
その才能を見出し、才能を開花させる・・ほんの少しのきっかけは、コーチの役目なのかもしれないと思う。
ほんの少しのきっかけ・・とは、僅か1%にも満たない影響力なのかもしれないが(99%は本人の努力である)、重要な考え方でもあると、フランスのあるコーチが言っていた。
ぼくはそんな考え方に影響を受けた。

いくら優れた練習メニューとプログラムを与えても、予定どおりに子供たちの体は進化はしない。
特に成長期や反抗期、その他の心理的な環境や背景なども、継続して観察し、心の問題点を引き出せる信頼関係がなければ、成立しない。

僅か3年前、クライミングを、スキーの練習メニューに取り入れて、集中力や瞬発力、バランスの強化が目的だったYは、今では、クライミングが中心の練習に没頭している。
しかし、Yの才能がクライミングにあるのかどうかは未知数でもある。正直言って、出来ないことがが多すぎる。
しかし、それが一つの才能でもある。
クライミングがうまくなりたい、大会で優勝したい。
そういう気持ちが、一見つまらない基本練習に没頭させる要素となっている。
この冬は
1に、スタミナ作り、12分間をゆっくり走る(心拍数は100位ない)400mを1分20秒で走る。800mを2分30秒で走る。
2にスキートレーニング。2分以内に800m近い高低さ何度も繰り返すことによって、酸素摂取量を増やすのである。この練習は日本ではスキーが有効な練習となる。酸素分圧との戦いでもある。
3にクライミングにおける2つの基本技術の習得である。
具体的にはかけないが、Yが、もっともにがてとしている、ルーチンでまる。
4にクライミング・トレッドミルにおけるスピード練習である。スピードの4つの要素の練習でもあり、静的な運動としては、10分間に僅か40mを登る練習と・・速さの運動においては1分間に50mクライミングできるスタミナとひらめきを鍛える。ロックにはクライミング・トレッドミルとオートビレイがあるので、その練習には事欠かない。

成果は5年後を目指している、Yの成長に合わせて、メニューは常に変化するのだが、コーチングする側としては、このような目標を設定している。

来年の3月まではコンペ以外でのアッパーグレードのオンサイトトレーニングは行わない。

この練習メニユーが、若干の変更を強いられる結果となった。
12月に行われる、アジアユース選手権への参加が決まったからである。
スパーダーキッズクラスのエントリーであるので、ルートはトップロープであることは、幸いした。大きな練習の変更点はない・・ということにしておく。

スピード競技へもエントリーすることにしたので、練習メニューには、有酸素運動での過酷なメニューが追加された。15分クライミング運動しても、心拍数を90台で維持する練習と、最大心拍数まで追い込む練習である。練習のピークは11月下旬頃において12月5日の出発前日まで追い込む、全体では6週間のメニューを作成したが、単純に追い込むわけではない、緩急も織り込んである。

補足として
スピード練習における4通の要素とは、静的運動、スローな運動、俊敏な運動、早い運動である。俊敏な運動(クイック)以外は、基本的に有酸素運動である。

心拍数における最大負荷は150に設定して、過大な負荷はかけないように抑える、この時期にスポーツマン心臓への強化は念頭においていない。

技術練習においては、特にレスティングに最重点を置いている方針には変りない。ただ、0.3秒以内における反射能力への対応。0.3秒以上2秒以内における,適応性無意識(ひらめき)への対応技術、2秒以上での対応(洞察力を伴った運動)への認識レベルは国際大会参加ということもあって、今まで以上に意識させて練習に取り組ませる様に心がげるが、相手が13歳であるので、なんとなく
という領域を出ないよう冷静な指導を心がける。

基本的にロックでの練習は毎週5日、日曜日はコンペへの参加とする。月曜日、水曜日はレストで、ストレッチと、12分間走るのみとする。

生理的もしくは心因的ナな回避できない状況が発生した場合は、そのつどメニューを変更する。

タイは「鳥インフルエンザ」の発症も予測されるので、医師との相談の上、対応することとする。

満6歳の実感

| コメント(0) | トラックバック(0)

ロッククラフトをクライミングスクールとして発足して12年、小山市で開業して10月10日で満6歳になる。
僅か5年の実践で、様々な成果を生んだが、相変わらず苦難もそれ以上に多い。
正に断崖絶壁、ヒマラヤの未踏の岸壁を登っているようだ。
夢とか理想とかいうものは、確かに近づいているような気もするが、頂は見えない。
夢とは「そういうもの」なのかもしれない。

1980年、初めての海外遠征で見た、ヒマラヤの峰は遠かったが、確かにそこにあった。
登攀をあきらめて、正に遭難のような状況で、午後10時頃、夜空に見たエベレストに沈む赤い夕日は、まるで僕の瞼に刻まれた世界遺産のように、今でも美しく心に残っていて、今でも輝きを失っていない。
単に自分の私欲という登山を捨て「人を育ててみたい」と思ったのはそのときだったのかもしれない。

登山に失敗して、人とのあつれきにつかれて、クライミングスクールを始めたい・・と思った時は、すでに僕の腰や肩は壊れていたのが現状であった。

しかし、1982年、僕にとっての憧れでもあった檜谷清氏との出会いで、クライミングスクールを設立できたのは、活気的なことだったと思う。
毎日、猿の移動手段と姿勢、歩行技術をビデオでみながら、クライミングの理想の練習プログラムを練っていた頃が今でも思い出される。

当時はほとんどの講習生は、クライマーであった。年齢も高校生が画期的に若いという時代であった。
その中からたくさんのクライマーが世界を目指して巣立っていった。

成果が出るまでには、10年近い歳月を必要としたが・・図らずもりバテイは10年で幕を降ろさざるを得なかった。

その後いろんな紆余曲折を経て「もっと小さな子供たちに、クライミングを指導したい、それなら僕にでも出来るのではないだろうか・・」とい気持ちから、自ら絵筆をとることにした。

ロイヤル・ロビンスとの出会いは、格別な時間であった。
彼との出会いから、7年くらいは、仕事に終われるだけの人生であったが、ある機会から、ロッククラフトの設立へと心が動いた。
2001年の会社設立は、ヒマラヤの未踏の山に挑んだ挑んだ時より肉体的にも精神的にも、苦しかったので、人生でもっとも苦難の時期だと考えていたが、実際はアレも、単なる通過点でしかなった。

ロッククラフト設立をもっとも印象的に考えていたのは、1994年のエベレスト遠征の時であった。
1980年にはるか後方の、しかも夜空に浮かぶ赤いエベレストを数キロの先で見ていて、益々、自分の残された人生を考えさせられた。

僕にとっては、山は全てが教師だったような気がする、特にエベレストは、地球の最高到達点であるが故、さらに格別な感情が移入された。

自分の私欲から、登山をすることが出来なくなった今、新しい世代に同じ夢を持つものはいないのだろうか・・、そして、そんな子供たちの担い手になれないだろうか・・。

そんな思いに、敢えて苦難の道を選んだ・・といえばかっこよすぎる。
しかし、イメージは「アメリカに、野球を生んだ男(映画、フイールド・オブ・ドリームス)」そのものであった。
自分の時代に実現不可能であっても、次の世代に、夢をつなげられないものだろうか?

正に囲碁の「捨石」となる効果を狙っていた。思うのは簡単だが、実践するのは大変なことだ。
拾う事は出来ても、あるいは抱えることは出来ても、捨てることの難しさを実感する。

僕は、30年クライミングの世界にいる。インドの哲学者に言わせれば、何事も50年かかる・・と言うのだ。そう考えると、いまだ「途上」でることはむしろ歓迎すべき現状なのであろう。

昨日は大きな夢を生徒たちに語った
「いいか、いまクライミングが楽しいなら、もっと基本を身につけなくてはいけない。日本選手権にでたいという夢では不十分だ、もっと遠くを見据えろ。目指すは世界だ」
「世界とは、単に参加するってことではない。少なくとも頂点を目指さなくては、観光旅行と一緒だ」
「結果は最後についてくる。まさか僕が・・とか私には無理・・とか、いまからあきらめることはない」
「完成度の高い基本練習の上に、世界は見えてくるのだ。今日やったような練習や考え方は、誰も離してはくれないだろう」
「世界は甘くはない。世界1になった人は、世界1苦労をしているのだ」
「クライミングで苦労を分かち合い、楽しむ事から逃げてはならない・・」

中学生の子供たちは、何故か正座していた。生徒に強要するわけではないが、夢はでかい方が楽しいではないか。

土曜日はインターハイで、山岳縦走競技で日本1になった生徒たちが練習に来た。
縦走競技は、クライミング競技よりも日の目を見ないが、日本1である子供の目は、正に「日本1」である。今まで、漠然と考えていたことが、現実になって本人たちも驚いているが、僕も驚きを禁じえない。
彼らは、正に日本1の目をしていた。

昨年は、僕のいうことの1/10位も理解していなかった子供たちは、数倍も考える能力が上がっていた。
「いいか、僕は新しいことをいってはいない。昨年と同じこと、その前ともほとんど同じことを言っているんだ。しかし、君たちの理解度が高まったから、ぼくの話が楽しくなって、練習がさらに楽しくなったのだ。
この、日本1の経験を、もっと活かして、更なる高みを目指そう・・」

子供たちの目のきらめき・・
教える方が、教わる方から教わっている。

何を教えるのか・・

僕は多くの失敗と教訓を体に刻んでいる。
足首、膝、腰、肘、肩、など故障した部位だらけである。
この体に刻んだ失敗と教訓を、子供たちに伝える。選択するのは君たち自分自身だ!

今僕の夢は、君たちの夢と同化しようとしている。

まだ、5歳満たない子供たちが「先生、僕、いつか世界1になるからね」
その意味を知ってか知らずか。

輝く、子供たちの目が証明する未来に、僕は小さな石を落として行きたい
それが、僕の教え方なのかもしれない・・・
「いいか、ムーブなんて、真似することじゃないぞ!!自分で掴み取ることだ」
それに必要なことを、何度も何度も繰り返す日々があと10年・・いや、もう少し近いのかもしれないと思う、今日、この頃である。

フリークライミングスクール・ロッククラフト

このアーカイブについて

このページには、2006年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年9月です。

次のアーカイブは2006年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。