これはハーバード大学の心理学教授ジェームズ・ウイルソンによって1969年頃提唱された、犯罪心理学の理論である。
日本では「割れた窓ガラス」の理論として紹介されているようだ。
犯罪心理学において、誰もすまなくなったビルの窓ガラスが割れていたとしても、誰も肝心を持たない状態を放置していると、そこでどんな犯罪が起きようとも、誰も何も感知しなくなり、犯罪が助長されるという考え方である。
ミューヨークにおいて毎年1000人以上の殺人事件が告発されるが、未解決のまま放置されることに対しての警笛を鳴らした考え方として、知られているが、実際に、ニューヨークで、このような窓ガラスの改修に取り掛かったのは、1993年ごろのことといわれている。
すなわち当時のミューヨーク市長が、犯罪都市の汚名返上をするために、ニューヨーク市警に窓ガラスの補修箇所の洗い出しと改修を促したところ、判事は激減した・・という根拠に根ざして、初めて一般化した理論のようである。
コンピュータ社会が、急速に社会に普及し始めた時も、同じ事が始まった。
すなわち、匿名での中傷や誹謗を放置していると、匿名で書いて書き込む本人の意識が過剰に反応して、特定個人を攻撃しているという現象を認知できなくなる・・という位症候群のことを指す場合もある。
このような「割れた窓ガラス」理論は日本の警察でも、路上駐車での取り締まりなどに応用されて効果を上げている・・という。
一見、何の変哲も無い行動の中に、適合性を欠く思考や、運動のことも。この理論に当てはめて考える心理学者もいるようだ。
以前、適応性無意識(ある意味ではひらめき)の必要性を書いた事があったが、適応性無意識も過剰に反応してしまうと、本末転倒となってしまう。
最初のなんとなく・・が正しい、というのが論理的であるためには、正しい思考の判断プロセスを経なくてはならない。
すなわち、どのような行動が、正しい行動に移せるのかは、地道な研究と練習に裏付けられた結果なのである。
割れた窓ガラス理論は、人の行動の模倣から成り立つものではない。
習うよりなれろ。技は盗め・・という考え方の本質を見失ってしまうと、単なる[オウムの返し言葉」「山彦現象」であり、行動や技術の裏づけとはならないものなのだ。
なんとなく・・というひらめきを鍛えるには、本来時間がかかり、10歳くらいまでの思考に、メスが入っていなければ、論理的な思考に結びつかない・・という説もある。
ひらめきとか、感性とかいう言葉を第一感覚で適切に表現できるアスリートは、芸術性を伴った、ある意味ではオーラのある選手になれるのである。
割れたガラスをどのように修復し、或いは、正しく認識させるのか・・という問いに明確に答えることは出来ないが、いずれにしても論理的ナ練習によって生成されると、欧米のコーチは口をそろえる。
日本において、一流アスリートがスポーツ心理学に精通してるケースは稀である。
そういう意味において、東海大学のT氏は稀な存在なのかもしれない・・などと、妙な事を考えてみた。

