今日は特別な日である。母が自分を産んだ日である。自分におめでとうと言われても「ピン」とこないが朝6時に、娘に「おとうさん、おめでとう」と言われて、思わず「ありがとう」といってしまった(笑)
で、今日の朝食は3品も作ってしまったのだった。
思えば、大学でロッククライミングに出会い、ロッククライミングを習い、それが今日まで続いているなんて自分でも考えられない。なんと35年もクライミングのことを考えているなんて・・自分も随分我慢強くなったものだと思う。
自分の力で自然に立ち向かう究極の手段としてのロッククライミングがスポーツとして一部の人に認知される時代が来るなんて、想像もしなかったが、自分を信じてここまで来た。
ここまで来たからには「見事にあきらめてみよう」と考えている自分が、妙におかしい(笑)
あきらめる・・とは、途中で投げ出す・・と言う意味ではない。明らかに見極める・・と言うことである。
収入は別として、僕はコーチとしても道を選んだ。始まりは1982年のことである。アルピニズムとは違う概念でロッククライミングを考えてみよう・・と思ったのが、クライミングスクールを創設するきっかけとなった。しかし、それは自分の思考と言う概念での考え方であった。僕のとっては、やはりH谷清さんとの出会いが大きい。彼と出会わなかったらクライミングスクールの今日はない。
もちろん僕にアルピニズム(登山の精神)を教えてくれたY浅先生(大学時代の恩師)の影響も多大なものがアル。マ、人生においての不可思議な出会いであろう。
僕はこの、自分で描いた概念を仕事(プロ)としてここまでたどり着いた。しかし、今の位置は、たどり着いたもっとも高いところではない。たどり着いた位置は、いつもぎりぎりのところである。すなわち「楽」でもなく「満足」するところでもなく、常に「途上」にいるということである。
急がば回れ・・の精神ではないが、未来にクライミングと言う財産を残すには、どこから手をつければよいのかと悩み続けた時間も大きな財産でもアル。
そしてさまざまな紆余曲折の途上ではあるが、ここでであった皆さんこそが、僕の財産であると、毎日夜中に見る夢は僕に語る。そのたびに僕は、夢の中に現れる僕と議論して、興奮して、うなされて目覚める。まるでゲーテの小説「フアウスト」のようでもある。
このような事は、誰にでもあるのだと思う。
山岳書としてはヘルマン・ブールの「8000mの上と下」 W・H・ノイスの「エベレスト・その人間的記録」 ロイヤル・ロビンスの「ロッククラフト」などが僕のバイブルとなった。
「生意気なんだよ」「馬鹿!」と先生に言われ続けた大学時代も、今は懐かしい思い出である。特にY先生に「お前ほど気が強いやつは見たことがない」といわれた事は、衝撃的な言葉であった。自分では繊細で気が弱く、シャイだと思っているのに・・・(笑)
おそらく僕がもっとも尊敬するアスリートはイチローであると思う。彼は常に僕を刺激する言葉を、しかも、いとも簡単に語る。素敵だ。
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そんなイチローの言葉がここにある。以下、丸写しであるが・・記載する。どこから引用してきたのかは分からないが・・?
「がんばれ、がんばれ」という人がいるより、僕は、「できないでくれ」という人がいる方が熱くなる
。
「できなくてもしょうがない」は、終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら、絶対に達
成できません。
前向きに食事をし、前向きに買い物をした。何事も前向きに行動することが可能性を生む。
小さいことを積み重ねるのが、
とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
少しずつ前に進んでいるという感覚は、
人間としてすごく大事。
自分で無意識にやっていることを、
もっと意識をしなければならない。
練習で100%自分を作らないと、打席に立つことは出来ません。
自分の形を見付けておかないと、どん底まで突き落とされます。
妥協は沢山してきた。
自分に負けたこともいっぱいあります。
ただ、野球に関してはそれがない
結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決してあきらめない姿勢が、
何かを生み出すきっかけをつくる。
第三者の評価を意識した生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい
決して人が求める理想を求めません。
人が笑ってほしいときに笑いません。
自分が笑いたいから笑います。
「たのしんでやれ」とよく言われますが、
ぼくにはその意味がわかりません。
特別なことをするためには普段の自分でいられることが大事です。
どんな難しいプレーも
当然にやってのける。
これがプロであり、
僕はそれに伴う努力を人に見せるつもりはありません。
やってみて「ダメだ」とわかったことと、
はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。
何かを長期間、成し遂げるためには
考えや行動を一貫させる必要がある。
演じている人は、すべてカッコよくなければいけない。
初心を忘れないことっていうのは大事ですが、初心でプレイをしていてはいけないんです。
成長した自分がそこにいて、その気持ちでプレイしなくてはいけない。
自分を殺して相手に合わせることは、僕の性に合わない。
まして上からいろいろ言われて、納得せずにやるなんてナンセンスだと思います
努力せずに何かできるようになる人のことを天才というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを天才というのなら、僕はそうだと思う。
手抜きをして存在できるものが成立することがおかしい。
成績は出ているから今の自分でいいんだ、という評価を自分でしてしまっていたら、今の自分はない 。
世の中の常識を少しでも変えるっていうことは、人間としての生き甲斐でもありますから。
アマチュアではないので、勝つことだけが目標ではありません。
プロとして自分がどういうプレイをするのかがすごく大事です。
今自分にできること。頑張ればできそうなこと。
そういうことを積み重ねていかないと遠くの目標は近づいてこない。
次に破るのも、また自分でありたい。
自分が全く予想しない球が来たときにどう対応するか。それが大事です。
試合では打ちたい球は来ない。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。
ヒットを打った瞬間、自分の頭の中でレベルがあがった音がするんです。ドラゴンクエストみたいに。
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ただ、僕にとってイチローはイチローでしかない。それは中学校の時に「貴方の尊敬する他人は」と聞かれた時の答のような存在でしかない。たぶん会っても話す事は「何もない」と思う。
むしろこれからも時間が有れば、Y浅先生とH谷さんとの語らいが一番楽しい時間であると確信している。
やがて僕は服を脱ぐ、それは、父としての服と男としての服である。そして、いつか未来のある日に,めぐり合う時間があるのなら、彼らと、山の話を、夜が明けるまで、語り明かしたいものだ・・と思う。
それは30年前の「あの時間のように」である。
また、これからの楽しみは、今、幼稚園や小学生、あるいは高校生になったスクールの生徒たちの成長でもあると思う。
「たくさんの苦労」を普通と考える人になってほしいと思うのだが、そんな言葉を書くには、僕は少し、若すぎるのかもしれない・・と、思ったのだった。
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