4月25日に逃げちゃった、飼い犬が無事に帰ってきました。預かったくれていた人は犬好きの姉妹で二人合わせて7匹も犬を飼っているようです。
20日(日曜)は連れてきますから、また遊んでください。
4月25日に逃げちゃった、飼い犬が無事に帰ってきました。預かったくれていた人は犬好きの姉妹で二人合わせて7匹も犬を飼っているようです。
20日(日曜)は連れてきますから、また遊んでください。
昨夜から、課題作りに入っています。今回は2階の正面壁ですので、おおむね6級を底辺に、最高3段までの課題を一新します。順調に作業ははかどっていますので、今夜は絶好のレデイスデイになりそうです。(課題設定している信太くん)
以前と同じように、グレードを表示していない課題も設定します。今回から難易度のカラー(色)をロッククラフト川越と同じに設定しますので、分かりやすくなると思います。
小澤信太クンは今日で退散しますが、これからもワールドカップの合間に、時々来店していただけることになりました(本人曰く「毎月来ます」)ので、世界水準の技術を垣間見ることができますから、今年のロッククラフト小山店もより一層ご愛顧下さいね。
僕は、この準備に相当疲れましたね。最近は、ロッククライミングの効果や指導の仕方、もしくは楽しみ方などを教える口演の依頼も多々あり、ジム以外での仕事も増えてきました。
まだまだ55歳、されど55歳という感じでしょうか、桜の花も見ごろな今日この頃です
急遽ホールドの付け替えならびに課題設定が決まったので、昨夜から大急ぎで準備をしています。今日は、更に2階のホールドの取外し(オヤビン店長担当)・・。
今日は暖かいので僕の担当である洗浄も意外と快適です。
ほころび始めた桜を見ながら・・・。洗浄が終わったら、ハリボテを数個作ろうと考えていますが、そんなに順調に作業が進むとは思えませんが・・・頑張っていますよ(笑)
江戸時代までは26夜の月楽しむ・・という風習があったらしい。今は15夜のみが強調されるが、風流とはそんな季節の情緒を楽しむ感情で、やはり江戸時代に庶民文化から生まれた言葉らしい。昨夜の宵には
こんな木星と26夜のドラマがあった。今日、会社にきたら、見事な薄紅の梅が咲いていた
、一昨日までは咲く気はいさえ中無かったのに、見事なものだ。
こないだ卵をいただいたら、見事な双子の黄身
であった。卵に黄身が二卵なのを見たのは40年以上前のことだったと思うが、おいしさも格別であった。そして夜に同じ卵を割ったら、またまた2卵そして、さらに、2度あることは3度あった。昔の人の格言はすごい
すごいといえば、金曜のレデイス道場は満員御礼である。
しかし、なぜか男子も多い、大好評には変わりないのだが、本能は素敵だ。
素敵・・といえば小学生以下のスクールが熱気立っている。ロードバイクの女子選手英子ちゃんも総合5位に入ったとか、敵は男子になっているようだ。
栃木クライミングカップに参加するしないにかかわらず、盛り上がりはすごい。幼稚園児が盛り上がりを見せていて、小学生があおられているような感じである。
私は春眠暁を覚えず・・・なのか、朝食を作った後、強い眠気に襲われる。最近は鼻水を垂れ流して寝ているのだが、これは好ましくない花粉症の生なのだ。決して花粉が悪魔ではないのだが、鼻水をたらしていてはみっともない・・と思った。
スペインのバルセロナでアントン・ガウデイのサクラダ・フアミリア教会の建築が150年続いている。その製作でもっとも重要な彫刻の性差すを手がけているのは、なんと日本人の彫刻家である。もちろん知る人しか知らない。彼は彫刻展に作品を出品することは無い。美大を卒業して、師からの教えの真実を求めて、35年前にフランスに割ったのだが、何も見出せずに偶然にもバルセロナ行きの電車に乗る。そこで建築途中のサクラダ・フアミリアに出会うのだが、当然、アントン・ガウデイという建築家のことなど知る由などもない。しかし、そこに存在する思想に感銘と脅威なる感情を受ける。一枚の2トンもする原石から削りとられた羽の彫刻に正に感銘するわけだが「Stnd by me(私にもできる)」と確信し、彫刻の責任者に自らを売り込むのだが「日本人にできるわけが無い」と一刀両断に断られるのだが、彼は自らの魂が欲するままに、無償で彫刻の手伝いを申し出るのである。彼のたくえつした技術と熱心な下準備、研究心に心を打たれた主任は「ためしにこの石で羽を掘ってみろ」と2トンの原石を渡すのだった。それから3ヶ月、2トンの石は1枚の繊細なしかも見事に薄い羽を仕上げる。嘗て見たこともない一枚の羽であった。これこそガウデイが描いた羽であろうと確信した彫刻主任は建築主任に彼の作品を見せるのだった。「おい、ハポ~ン(日本人)、お前にも彫らせてやる」その一言が彼をさらに啓発させた「オレはハポ~ンでは無い、名前がある」単なる日払いの彫刻労働者としての人生が始まったのは今から33年前のことである。
その後、彼の実力は他の追随を許さず。1080年代には誕生の門の天使を全て任されるにいたった。しかし、彼は単なる日払い雇用人のままである。しかし、彼は彫刻家で唯一サクラダ・フアミリア内に作業場を持つ。全ての彫刻はコンペ(オーデション)によって制作者が認定されるのだが、彼は30年以上も他者に負けたことが無い。
2011年のことである。ガウデイの設計図に唯一図面(もともと図面など無いのだが)のない部分が100年間手付かずで残っていることに設計者たちは100年間思案を繰り返していたのだが、その製作に取り掛かることを決断する。生前アントン(ガウデイ)は「明日はもっと良い仕事をしよう。生前母は僕に言った。困難は常に自分を磨くものだ。誕生の門は生まれる時に、生む人が現れるものだ」と
彼は生誕の門の製作を依頼される。世界最大の未承認建築物のもっとも偉大な仕事を請け負ったのである。アントンが何を考え何をこの門に求め、表現しようと思っていたのか・・・。その答えを紐解く天才彫刻家、彼の名は外尾 悦郎。自らの彫刻家魂を、その門の製作に打ち込む。完成はおそらく2026年「300年たっても完成しない」といわれた教会はもうすぐ日の目を見ることになりそうだ。
外尾もまた、サクラダ・フアミリアに人生をささげた偉大な彫刻家と伝えられるのは、100年先のことかもしれない・・・・。
外尾の作品はュ^チューブにありましたhttp://www.bing.com/images/search?q=%e5%a4%96%e5%b0%be%e6%82%a6%e9%83%8e+%e4%bd%9c%e5%93%81&qpvt=%e5%a4%96%e5%b0%be%e6%82%a6%e9%83%8e+%e4%bd%9c%e5%93%81&FORM=IGRE
今から5年前のことだったと思う。伝説の獣「竜と朱雀」をイメージして
14mのルーフを作った。その頃は大ちゃんもよく来ていたが、竜也も毎日のように練習に来ていた。
今日は竜也の教え子たちが練習している。
東から来た葵竜が西に向かって天空を駆ける。南から来た朱雀が眼下を竜が飛翔するのを見て思わずロッククラフトの上空で翼を東に傾け、進路を変える。そんな創造の世界を壁に表現してみた。その壁がこれだ。竜也はその名のとおり、竜の壁に取り付きさまざまな難問に挑戦していた。そんな話を今日、彼の父雄司と話していた。昨日葬儀を終えたばかりの竜也の父と今日、そんな話をすることになるなんて・・・竜也は空に帰っていった。正に天空のような空を蒼い壁に変えてしまったのかもしれない。今日は恐ろしいほどの強風が空を駆け抜けていた。まさに蒼い竜が天空を駆ける時巻き起こる強風のようにも感じられた。
父が「このマットは・・・」と懐かしいボルダーマットを持ってきた
「使って・・ください」と言葉は途切れがちだったが、偶然にも僕が竜也にあげたものだった。後ろにあるロードバイクは僕が竜也に上げようと思っていたものだ。懐かしい匂いがした。ボロボロになった靴は一緒に火葬したという。「こんなぼろ靴で、4段5段ヲ登っていたなんて・・靴じゃ無いんですね」と父が呟いた。行き場を失ったボルダーマット・・・がここにある。
もともとは10数年前に、雄司(父)にクライミングを教えた事が始まりだった。予定通り思春期の反抗期が父にはとてつもない重荷で・・・どこかに竜也を連れ出したかった・・・そんな感じに思えた。高校生になった竜也は、父母の心配をよそに、ますます頑なになってゆくが唯一クライミングには興味をもっていたようだった。時々は父と行動をともにして、小さな岩場に一緒に行くこともあったようだ。父は僕にこういった「クライミングが唯一の子供との会話になった」と、とても喜んでいた。
それから数年後2001年にロッククラフトを小山に立ち上げた。真っ先に雄二と竜也はここに来た。すっかり青年になった竜也がココに通うことなど、ぼくは創造もしていなかった。「体の線は細いが優れた洞察力と感性をもっている」それが僕の第一印象であった。週末は必ずココに来て父と練習、平日は館林から電車に乗って、小山の駅から歩いてロックに来ることもあった。外の壁の下で開店前に寝ていることもあった。「開店時間を間違えてしまった」と屈託無く笑う竜也に鬱の傾向は感じられなかった。
茶坊主こと清水とはすぐにココでであった。年は近いがまったく正反対の性格のような二人は馬があったのか、何時もココで、僕にしかられながら深夜まで練習をしていた。そんな二人をしかったりほめたり・・の楽しい時代が数年続いた。
とこ時落ち込む竜也の鬱に気がつき始めたのは3年くらい前のことだったような気もする。昨年の2月頃にも「クライミングをやめようかともう・・」という相談を受けながら「子供たちに教えてくれよ」と本的にお願いしてみた。『オレ、結構こどもがスキッス」と子供たちと遊んでくれるのだが、夜には帰ってしまう。そんな重さを強く感じたのは昨年からである。今となっては後の祭りである。そろそろここにも来るだろうと、思い、前に乗っていた自転車を整備して、彼の気晴らしにしようと考えていただが、竜也に渡すことなく行き場を失った。マットと自転車・・・。
だが、彼の残したものは、無邪気に遊ぶ子供たちの心や体の中に焼きついているようだ。どの子のクライミングを見守っていても竜也の残像がかぶって見えるのは、老眼のせいばかりではあるまい
朝ドラのカーネーションにはまって早半年、その展開は完全に予測不可能な状態が続いている。展開が読めないから面白いのか、糸子の生き方がすごいから面白いのか・・どっちもどっちなのだろう。今はジャージを着た孫の生き方がお面白い。どうも岸和田では「おもろい」とは「とても素敵」という意味のように思える。「アホ」も素敵という意味に思える。そういえば大学時代恩師に『馬鹿、馬鹿』と連発だれていたが、この馬鹿と言う意味も「おもろい」とか「あほ」という意味に近かったのかもしれない・・とかっての自己判断している自分が「おもろい」
おもろいといえば、娘が沖縄の修学旅行から帰ってきた。おもろいのは「買うな」といった沖縄定番の土産を大量に買ってきた。
これがその一部だ。なんともおもろい。買うなといったのに(笑)
最近はインド風鶏肉のオーブン焼きに凝っている。つい1ヶ月前は地中海風であったが・・・。
このタンドリーを使わないが、オーブンで意外とうまく焼ける。これが息子にも娘にも大評判で僕の食べるものは残っていない。会社にも持ってきて一部のお客さんに食べさせたが「おいしい」を連発である。息子は「カレーも作れば相当旨いような気がする」:とお褒めのお言葉をいただいたが、大学時代は『クライミングよりカレーが旨い」といわれていて、少し凹んでいた。先生も「卒業したら登山などやめてカレー屋やれ」といわれて、さらにへ込んでしまったが、50過ぎて(55才だが)カレー作りの才能は開花したのかもしれない。
開花といえば、風雨に打たれて、花の咲く時を待つ・・とは女子マラソン界のカリスマ指導者Kさんの言葉であるが、なかなか鋭い言葉なので気に入っている。
風雨とは、へこたれない練習である。雨風や暑い寒いを理由に練習をサボっていたら持っている才能も開きはしない。まして才能が無いものなら『練習の虫になれ」と言うことらしい。しかし、指導者は「練習は裏切らない。才能がない人材でも、必ず花は咲く、その時をひたすら待ち続ける忍耐力が指導者のもっとも重要な資質」と言うことのようだ。Kさんは「陸連やマスコミの圧力に屈して、教え子の意思を曲げさせた2度の決断に後悔を隠せない」と言う。その後悔とは・・・・・ここでは書かない。
「才能を持ち得ないものを育ててこそコーチ」とK氏は言う。よく考えて見ると、答えは簡単だ「練習しない者に開花する才能は無い」しかし「試練を糧として、練習するものには、必ず開花する才能がある。然るに『才能の咲くを待つ』その忍耐がコーチの果たす役目なのだ」ということなんだろうと思う。
なかなか深い考え方である。花を咲かせたのは選手自らの才能である。コーチの才能ではない。
才能を持つもの、持たざるもの・・・然り、いわゆる才を持たざるものこそ才能豊かな人材である。と言うことか?
アスリートは感覚で状況を把握して決断を下さなければならない。そのためには三つの要素が必要となるが、それは 1)体力 2)気力 3)知力 という要素から成り立っている。高度な技術が全てをつかさどる訳ではないし、また強さ(パワー)がその全てをクリアする源でもない、とは、元ぼやき監督のN氏の発言だが、ほとんど全てのアスリート(プロ競技選手)に共通する要素のようだ。しかし、現役選手の時は「そんな話は、聞く耳持たず」と元カリスマ格闘家や元野球、サッカー、ゴルフのプロ選手も、みんなうなずいていたが、意外と引退して痛感する要素の様でもある。
一方、相変わらずウエイトや筋力を増やしたりして「フイジカルアップを目指す」といプロ選手も相変わらず大いにだが、フイジカとは身体の基本構、すなわち身体理力のことをさすのであって、体重や筋肉の質量をアップさせることを指し示してはいない。おそらく、フイジカルアップという言葉は「カタカナ日本語」であってその本質をあらわす言葉はない。
ドイツ人に「あなたはアスリートか?」と質問するとそにお40%あまりが「ya]と答える、また残りの40%くらいが「アスリートを目指している」と答える。さすがスポーツ大国である。日本では前者は3%くらいのようだ。
彼らの練習は流行に左右されない。
また、日本では「このスポーツをするとダイエットになりますか」という質問をよく受けるが「ダイエット」とはもともと動物の餌をさし、2次的にペットの健康を考えると「日常規則正しく(餌を与える)」という意味にも考えられるが、痩せると言う意味が乗っているのは日本の辞書くらいかもしれない・・と思う。
最近は子供に運動をさせたい・・と願う親が増えてきたようだ。なんとなく・・僕の感覚であるが、親野多くはスポーツ経験が乏しい。しかし、自分の子供に経験の無いスポーツを指導したがるのがその傾向でもある。公園で、サッカーをしたことの無い親が、自分の子供にサッカーの指導をしている姿は、ほほえましいというより滑稽な感じを受けるのは、僕の思い過ごしであろうか、下手なもしくは間違った技術を子供に教えたら、あるべき才能を阻止してしまう結果になりはしないかと、僕は不安に思う。
クライミングにおいても、体験でつれてきた自分の子供に「00ちゃん、そこはね、そうして・・」と指導を始める親が多い。僕は皮肉も含めて「クライミング経験があるのでしたら、一緒に挑戦してみたら・・」と言うが、返ってくる答えは『テレビで見て・・」である。そんなに簡単に指導はできないし学問もスポーツにも王道は無いのである。
一方『あるくけるようになったら、子供を通わせます』と言う親も増えてきた。
彼は3ヶ月である、夫婦でクライミングを楽しんでいる。最近は2歳~4歳でクライミングを楽しむ子供が増えてきた。
彼女はすい4歳、
彼はたけしクン6歳
彼はゆうき君小学2年生で8歳である。彼は2歳からクライミングを楽しんでいる。昨日はおおむね5.10aをはじめてリードで上り切った。教える側に教育心理や児童心理学の知識や技術が必要な時代になったことを、今更ながらに痛感した3月4日であった。大学時代に履修しておいて良かった(笑)
全ての子供は才能をもって生まれている。その才能を育む事がコーチの仕事だ
今日は女子会なのか、過半数が女性クライマーである。もちろんレデイス道場も行われているのだが、男子もかなり参加している・・というより全員参加で大いに盛り上がっている。これから参加する女性は虎視眈々とストレッチに余念が無い。
まだまだ参加者が増えそうな勢いである。当然、男子も盛り上がりまるでローカルコンペみたいな感じで、すさまじい・・・この寒い夜に、若者の歓声が雨雪を蹴散らしているようだ。
ロッククラフト川越は今頃『信太カップ」の準備で大忙しだろうと思いながらも、小山の盛り上がりに浸っている。しかし、今年の灯油の値上がりは異常な勢いだ。この勢いで東日本大震災も復興してもらえればよいのだが。
今年も大学進学のシーズンになった。今までも早稲田、同志社、新潟大学、千葉大学など優秀な生徒が板が今年は少し事情が違う。幸先切って合格したのが慶応大学医学部、これはすごいとしか言いようが無い。明後日(3月3日)は共通2次の合格発表があるのだが、今年は東京大学に2名名乗りを上げている。1名は医学部である。いつも思うのだが、意志を貫き通すの事は大変なことだ。単に偏差値対応で大学を選ぶのではなく、自分の持続可能性という目標に向かって地道に努力を繰り返すことは偉大なことである。目標を高く持つ事は気高い精神の表れでもある。入ったから良いというものではない。選択の自由は民主主義には保障されているのだが、自由ぬい選択できない不自由も民主主義には共存している。
一方、今年は世界一を狙うアスリートもいる。スポーツクライミングの大会と、もう一つの競技で・・・。クライミングにおいて世界一はそんなに安くはない。しかし彼には可能性がある。ロッククラフトはそんな彼を支援することに決めた。彼とは小学5年生から知り合いであった。ロッククラフト小山店には中学時代はよく現れた。高校に入ると川越ロッククラフトに通った。第一回高校生クライミング選手権では見事に優勝を勝ち取ったが、その翌年には就職して、クライミングはほとんど休業状態であったが、大きな目標に身かって歩みを進めるようだ。彼の練習にジャマしないように、遠くから見守りたいものだ。
なんだか今年はいろんな意味で、素敵な1年になりそうである。
そういえば、15年前ハーバード大学の研究者になった知り合いもいた彼の研究課題は「The Program on U.S.-Japan Relations 」と言うことだった。ハーバード大学内に自宅があった。H氏と言うが彼との話し合いは深夜に及び、決して妥協することを知らない変わり者だったが、会社を辞めて研究者になることを決断させたのは僕との出会いがあったからだと、後に自身が語っていたが、今思えば、専門家と数年間にわたり日米貿易の関係と均衡について語れたのは、僕にとっても幸せなことだったと思う。
出会いとは、不思議なところで積み重なってゆくものだ(笑)
最近は妙に女性が多い。野獣の声より、女性の「や~」という声のほうがほほえましい。ほほえましいのは皆の顔にも同じである。チカラが沸いてくるのかもしれない。
チカラが沸くといえば、最近はじめたロードバイク、始めたというより復活といった方がよいかもしれないが、今の自分にはなかなか手ごわい相手である。昔の感触というかスピードを維持できるまでには相当な練習が必要と思われるが、頑張ろうと考えている。
頑張る・・といえば、この寒い時期なのに昼間は平均年齢60代、午後4時半からのスクールは12歳以下、7時半頃からは20~30代の男女が入り乱れて汗を流している。例外的に40~50代の怪物おじさんや女性アスリートもいらっしゃるが、なかなか活発な練習をつんでいる
昨年末にオリーブの木を買ってきて、秋には実を付けたい・・と思っていたら、いつも行く花屋の名前がオリーブ
だった。自宅と会社の通り道なので、よく立ち寄る。おかげで、最近ジムには花が咲いている。素敵なオーナーとロッククラフトの会員の女性が勤めているので気軽に行けて楽しい・
オリーブといえば、最近結婚されたマッサージの先生の飼い犬がフレンチブルドック?でオリーブと言う名前
であるが、彼女にはまだ、名前の認識が無い。まるでスターウオーズのヨーダ仙人の風貌である。
楽しいといえば、今日はレデイス道場
であるが、女性が来店者の半数を閉めていて独特の雰囲気をかもし出している。いつもは野獣の規正がこだますのだが、きゃ~・・わ^いい・・と言う感じで、和やかである。(写真が「さかさまだ~)
男子の道場もごらんのとおりで
かなり盛り上がっている。
ロイヤル・ロビンスの「ロッククラフト」とは、技術書ではなく、むしろ哲学とか思想的は書物である。それは彼が盛んに使うspritという言葉にその精神が表現されていて、むしろsoulと言った方が適切なのかもしれない。人生に必要なものとは「soulmate」といった行動心理学者のジーナアイエンガーの言うthe art of choozeとは科学的選択ではなく、感覚的選択を示唆しているようだ。最近のアスリートの練習にも科学的選択肢が導入されつつある。特にProprioceptive Neuromuscular Facilitationという技法は特別な選択肢として、特にトップアスリートには究極の選択として取り入れられている。ハンマー投げの室伏浩二や野球の松井秀樹、サッカーの長友など盛んにその練習を取り入れているが、長友などは『毎日5時間は行っている」といっていた。長くも単純で飽きやすい。持続するにはコンナが付きまとう練習であるが、イチローに言わせると「練習に飽きてはいけない」と言うことになる。プロ中のプロである彼にも困難な練習が一般の人に流行の選択として取り入れられても、可能性は無いと僕は指摘したい。
同じ練習を積み重ねて、飽きる・・といい領域を突破して初めてたどり着く領域の練習である。
若き日のロビンスは自宅から数10キロ先にある小さな石に毎日かじり付いて、その夢の先にあるbig wallへとつながって行くのである。その物語はspirit of the age という自叙伝の中で淡々と書き綴られテいた。残念ながら同書の翻訳版はない、ロッククラフトの図書室にもあるが、貸し出し厳禁書物に指定されている。それは彼のbasic rockcraft,advence rockcraftにおいても同じである。「借りたら返せ』といいたいところだが「貸したら帰ってこない」それが書物だ。書物を貸すのは、あげる事だといったのも先生の言葉である。僕の図書室にも書斎から盗んだ本が今でも数冊残っているのだ(笑)
目標は高いと、へこむ人もいるが、練習する才能のある人は、同じ事を何回も繰り返して、しかも、飽きることを知らない。それはせかいの服装デザイナー・コシノジュンコにも同じことだった。3人姉妹の次女として、常に天才といわれ、主席で大学を卒業した姉の後を追いかけ、その反動を作品に描き出す。時代に常に早すぎて、認知されず苦渋をなめるが、わが道をたどって、たどりつたところが頂点だったのだろう。
彼女の妹であるミチコは服飾とは関係のないスポーツ(テニス)選手として一命をとどろかすが、全国大会で優勝してあっさりやめて服飾の道に入る。中学時代の恩師いわく「普通の人は困難だと諦めるような練習をとことんする人物だったと評価する。腕立200回、素振り千回などを一日も休まず、10年続けた・・といわれるが、彼女は「高い山・・というより、大きな山という練習を与えると、その練習の心を見つけ出し、決してめげることはなかった」と言う。
高い山、あるいは大きな山を与えられる環境が、彼女たちを日本の財産にしたのであろう。ジュンコはやがて日本では未知なるイギリスに単身渡り「ミチコロンドン」なるブランドを立ち上げる。その斬新で、しかも独特な作風は、ジュンコに劣らず世界のブランドとなる。あえて困難を選んだのではなく、与えられた山の大きさに自身が共鳴したかのような素敵なデザインをs世界に与え続けている。特にエイズ基金に対しては並々ならぬかかわりを持つが、愛する人をエイズで失った・・という背景もあるようだ。服飾デザイナーがコンドームのデザインにかかわったのも彼女が最初であった。
「山は高い方がよい。山は困難が多いほうがよい。山は前人未踏なな方が、心が書き立てられる・・」とは先生の言葉であるが、なるほどと今更ながらに思う僕は、やはり超凡人なのであろうか?
「自分の才能と限界を知れ。お前は、二流でもなく、三流でもない、それ以下、すなわち蚊帳の外なんだよ。わからないのか」と学生時代に叱られた事が、今更ながら心に深く刻み込まれた、師からの教訓である。
先生は「野に下ってこそ学問だ。研究室で陶酔することが学問でも教育でもない」と、今更ながら先生の先見には敬服させられる。
先生はさらに「人間には、死んでもよい人間と、死んではいけない人間がいる。お前も『死んでもよい人間だ』」といわれたことがあったが、先生の言った『死んでも』の「も」が妙に気になっていた。
2月8日の同窓会でM谷が「オレは先生に『お前は死んでもよい人間」』だが、T川やT内は死んではいけない人間なんだ」と言われた・・と言った。どこかで聞き覚えのある言葉であったが少し違う。M谷は『お前は・・」といわれ僕は「お前も・・・」と言われたのである。この「は」と「も」の違いは僕の中で大きな違いであったが、「は」はm谷で「も」は僕なのである。初めて「も」と「は」の違いがわかったような気がするが、先生は尾崎(尾崎隆・昨年エベレストでなくなった僕たちの先輩)も「死んではいけない人間」と言っていた。・・・・言葉の深さに、戸惑う自分がいる。
僕は生徒に「深い山」「遠い山」「高い山」「大きな山」・・・それぞれの山を与える。山とは夢とか目標とか指針とかに置き換えて考えてもよい。
「僕は・・・そう考えると、実現できない夢があっても楽しいのではないか・・と考える」 これはヱグザイルのUSAと言うダンサーの言葉であるが、なかなかよい言葉である。夢に善悪も大小も代償などもない、遠くても近くても、ささやかでも、夢は夢なのである。
かなうも夢
むしろ、叶わぬからこそ夢 ・・・USAって、素敵だ
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